[2-15]48人の話
布津野は36人目の話を聞いていた。
それは36回目の辛くて、不安で、儚い希望と深い絶望の話だった。
36人目は関本千夏という十七歳の少女の話だった。
誘拐されたのは二年前、当時の彼女は鹿児島の東郷に住んでいた中学生だった。バスケット部で平日は練習して、内申点による進学を狙って生徒会に入ったり、地域のボランティアに参加したりするような、しっかり者だったそうだ。
誘拐されたのは十五の秋で、バスケットの練習で遅くなった下校中の時。
下校途中にさびれた商店街があった。あかつき商店街というらしい。
ほとんど店がシャッターを下ろしているような寂れた商店街には、普段から人通りが少なかった。
その商店街の入り口の交差点の赤信号で、彼女は立ち止まっていた。
その時、彼女の目の前を塞ぐようにワンボックス車が止まって、ドアが目一杯大きく開かれた。
どうしたのか、と疑問に思っている間に後ろに立っていた男に背中を押されて、車の中へと押し込まれた。
恐怖で言葉が出なかった。
助けを呼ばなきゃと思いだした時には、布を口に押し込められて、男たちに覆いかぶされた。それからのことを、彼女は話したがらなかった。
布津野も聞きたくなかった。
彼女の中国での生活は、彼女が言うところによると一般的だったらしい。
定期的な排卵日に合わせた生殖細胞の採取がとても辛く、面白半分に強姦まがいのように扱われることもあれば、大きな器具を体に入れられて無理矢理採取されることもあった。
「物凄く気持ち悪い」と彼女は吐き捨てた後、小さな声で「エイズに感染してないといいけど、」と不安そうにつぶやいた。
彼女達は二十人くらいの集団部屋をあてがわれていた。その内、4人くらいは中国人の中年のおばちゃんだった。
そのおばちゃんは日本語が達者で、みんな優しかったらしい。
毎月のように自殺しようとする子が出た。方法は首つりが多かったが彼女達の行動は常に監視されているので未遂に終わることが多かった。自殺未遂した子は噂によると隔離部屋に入れられるらしい。そして、二度と戻ってこなかった。
たまに自殺に成功する子が出た。首をつってピクリとも動かなくなったその娘の吊り下がった顔は、まるで仏像のように無表情だった。
そして、そうやって自殺に成功する娘が出る度に、同室の中国人のおばちゃんたちが制服を着た偉そうな男に怒鳴られているのを何度も見た。
彼女たちが自分たちの自殺の防止のために配置されていることを知った時には一年が経過し、彼女は十六歳になった。
その後、彼女は軍部に配属された。
始めは通信技術、暗号解読、補給管理などのデスクワークをさせられた。比較的、成績が良かったらしく、彼女はずっとデスクワークを担当することになった。
彼女はそれを喜んだ。実戦部隊に回された子たちは何人も戻ってこず、帰って来れたとしても五体を欠損してしまうことも多い。そう言った損耗率を計算するのも彼女の仕事だったし、その度に必要な補充人員をリストアップするのも彼女の仕事だった。
布津野は37人目の話を聞き始めた。
37人目は十四歳になる男の子で、早瀬和也といった。
「ねぇ、僕は刑務所に行かないといけないのかな」と彼は布津野に聞いてきた。
布津野は彼のいう事を理解できずに首を傾げると、「僕は茜ちゃんを撃ったんだ」と乾いた笑みを浮かべた。
「茜ちゃんは脱走しようとしたから殺せって言われたから、殺せないなら一緒に殺すって言われたから」
彼は茜ちゃんを公開処刑する役に抜擢された。渡されたのは92式拳銃だったが、マガジンは空でいつもの重みがないことに彼は戸惑った。習慣的に銃のスライドを引くと薬室に一発だけ弾が込めてあった。
監督軍人が前を指し示した。そこには縛られた茜ちゃんが立っていた。彼女は目隠しをされていて、覗いた肌は血でグチャグチャだった。同じ日本人の仲間が周囲に整列させられて自分を見ていた。
彼は、ふと、自分が茜ちゃんのことを好きだった事を思い出した。
監督軍人がアサルトの銃口で彼の背中をつき押した。彼はもつれる足取りで、茜ちゃんに近づいた。後ろから、「外せば二人とも殺す」と声がした。拳銃の有効射程距離の30mまでよろよろと近づいていった。
茜ちゃんの顔がよく見えた。小刻みに震える彼女は、もう少しそのままにしているだけで、自然に死んでしまうのではないかと思えた。
92式拳銃を構えた。銃口の向こうに茜ちゃんの顔が覗く。彼は体の震えを止めることが出来なかった。怒りとか、悲しさとか、無力さとか、色んなものが彼の体を駆け巡っていた。
外してもいいや、と彼は何かを捨てるように思った。目をつぶった。茜ちゃんの顔はもう見たくなかった。彼女の顔に狙いを定めている自分にもうんざりだった。
震えに任せるままに、引き金を引いた。
弾丸は、しかし、まっすぐ茜ちゃんの顔を撃ち抜いた。
布津野は38人目の話を聞き始めた。
38人目は十二歳になる少年で、駒川将人という子だ。
彼の右頬には大きな傷があり、左の人差し指が無くなっていた。訓練の際、支給された自動小銃の整備不良による暴発で負った傷らしい。
「右手じゃなくて良かった」と彼は言う。彼は右利きなので、まだ訓練を続けられる。彼らの所属する部隊は最適化個体の軍事能力の評価実験を行っていた。実験を続けられなくなったら怖い所に連れて行かれてしまうのだ、と彼は教えてくれた。
彼は二ィを心酔していた。
「二ィはとってもカッコイイんだよ」と彼は初めて少年らしく瞳を輝かせた。
実験部隊に配属された二ィは、わずか数か月足らずで全項目での最高の記録を修めた。それは、実戦能力だけに及ばず、電子戦、諜報戦、指揮能力、はては航空戦闘機の操縦技術までに及んだ。
そんな二ィが実験部隊からの集団脱走を実行に移したのは、一か月前だった。
諜報技術試験の最中に二ィが開発した地上部隊のリンク通信システムが驚異的な防諜および対妨害性能を発揮することが証明され、半年におよぶ軍部のテスト検査が終わり正式採用された時だった。
新しいシステムのお披露目のために試験稼働が実施された。テストに選ばれたのは二ィ達が所属する実験部隊だった。
テストが開始された後、二ィがシステムに仕込んでいたウィルスが中国軍の全通信系統を掌握し全軍を混乱に陥れた。
軍部に所属していた誘拐被害者は、事前に配布されていた作戦指示に従って次々と合流し、軍部の追跡を突破。東南アジア諸国を通過しながら追手を振り切り、ついに故郷の日本まで来た。
「二ィはね、いつも先頭で戦っていた。二ィは僕らのリーダーなんだ」
中国軍の追跡を振り切る時、国境の警備隊をやり過ごす時、密航船に乗り込むと時、二ィは常に危険に身をさらし、切り抜けてきた。
「ねぇ、おじちゃん」と彼は布津野に問いかける。
「後はロクって奴をやっつけると、僕たち家に帰れるんだよね。後、もう少しの辛抱なんだよね」
布津野は、そうだね、としか言えなかった。
布津野は39人目の話を聞き始めた。
彼は中条海斗という18歳の、彼らの中ではかなり年長の青年だった。
その険しい顔つきはもう十分に大人なもので、十分に鍛え上げられたその立ち姿はいかにも軍人ぽく、どことなくGOAの隊員たちを布津野に連想させた。聞けば5年間も実験部隊にいたらしい。
「お前は何者だ」と彼は布津野に問いかけ、「二ィはどうしてお前に決断を委ねた」と重ねてくる。
それに布津野は答えることが出来ずに黙り込んでしまった。
すると、隣にいた40人目の女性の声が割り込んできた。彼女も年長組だった。
「よしな、海斗。二ィの決定は絶対だよ」
押し黙った青年を睨みつけた彼女は「私達は何があろうと二ィに従うだけさ」と言葉をつづけると、キッと布津野を睨みつける。
しかし、結局、彼女はそれ以上は何も言わなかった。
布津野は41人目の話を聞いた。
布津野は42人目の話を聞いた。
布津野は43人目の話を聞いた。
布津野は彼らの話を知っている人は一体何人いるのだろう、と不思議に思った。
戦争とか政治とか外交とか、そういった難しいことを考えている政治家の中で、彼らの話に耳を傾けたことのある人は一体何人いるのだろう。
布津野は44人目の話を聞いた。
布津野は45人目の話を聞いた。
きっと、彼らは戦争とか経済とかでとても忙しくて、人の話を聞く余裕なんてないのだろう。
ここに、こんなに、彼らがいることさえ、知らないのだろう。
布津野は46人目の話を聞いた。
この子が、佐藤あかねと言う名前で、今年で16歳になって、昔はピアノの練習が嫌いで良くさぼってしまい親に怒られていたことなんて、きっと、知らないのだろう。
布津野は47人目の話を聞いた。
この子が、隣のベッドで寝ていた友達が実戦訓練の負傷がもとで死んでしまった時、悲しさよりも自分じゃなくて良かったと安堵を覚えたことの絶望を、きっと、知らないのだろう。
布津野は48人目の話を聞いた。
この子が、家に帰ったらセーブをしておいたゲームの続きをやってみたいと思っていて、親がゲーム機を捨ててないかと不安に思っていることを、きっと、知らないのだろう。
布津野は全員の話を聞き終えた。
この子たちが48人いて、それが必要な犠牲だと言いきれてしまう人は、きっと、何も知らない人なんだろう。
布津野はゆっくりと立ちあがる。
周りの全員が布津野を見ている。
布津野はその視線を受け止めた。
――僕はロクに、そんな人には、なって欲しくない。





