[4b-05]有名人
11月のアパラチア北部は、相当に冷え込んでいた。
その山間にある町がある。山や川の他には何も無く、主要なハイウェイからも外れた寂れた町。外から人がやって来るような場所ではないが、教会の側にある墓地に車が一台止まっていた。
その車に気がついたのは、年老いた牧師だった。
雪が積もり始めていたので、教会のそばにある墓場の道を整えておこうと外に出たところだった。道の向こう側にある酒場からはカントリーミュージックの弦が響いていた。牧師はそれに鼻歌にのせながら、墓場のほうに足をむけた。
その時、例の車と大きな男が一人、ある墓石の前に立っているが見えたのだ。
「こんばんは」
牧師は挨拶をした。
「……」
すると、大きな男は無言で立ち去ろうとする。
「イライジャのお父さんですか。あるいは大統領閣下」
ぴたり、と男の足が止まる。
牧師が墓に積もった雪を手で払うと、彫り込まれた文字が現れた。オクタビア・スノー、と刻まれている。
「オクタビアさんは、とても強い女性でした。それこそ雪のように白くて美しかった。彼女のつくるリンゴが食べられなくなったのは、本当に残念です」
「牧師、私のことは……」
「しゃべりませんよ。誰にも。神に誓って」
「……助かります」
大きな男——ハワード大統領は、牧師のほうを振り返る。その表情は複雑に歪んでいた。
牧師は、ほう、と白い息を吐いて、首を左右に振る。
「俗世に身を置かれている方は難しいものですな。愛する人の墓に祈りを捧げるにも人の目をはばからなければならない」
「悪いのは自分です」
「……懺悔でもされますかな」
ハワードは墓に視線を落として目を閉じた。
「いえ、言い訳にしかなりません」
「ため込めば魔が入り込んでくる」
「もう手遅れですよ」
「……そうですか」
牧師は胸元で十字を切る。
「イライジャは、ここに」
「ええ、よく来ますよ。お母さんのことが大好きでしたから」
ハワードは立ち尽くしているのを見て、牧師は目を細める。
「彼は昔からやんちゃでしてね。悪戯やケンカばかりしてましたよ。何度か説教をしようとしましたが、口を開けば言い訳ばかりでね。いつの間にか逃げ出してしまう」
「そうなんですか」
「先日、テレビで見ましたよ。イライジャ君はFから始まる言葉をまくし立てていた。よくもまぁ、あんなに舌が回るものだ。昔から本当に変わらない子だと、妙に胸がすく思いでしてな」
「ご迷惑を、おかけしたようで」
「ええ、とっても」
牧師は笑って手を差し出した。
「今は大変な時でしょう。頑張ってください」
「ありがとうございます」とハワードはその手を取る。
やがて握手は解かれて、牧師はその手で再び十字を切って、目を閉じた。
「あなたたち親子に神のご加護あらんことを、」
アーメン、と牧師は両手を組んで唱えた。
◇
二回目のTV討論会はバージニア州の大学で開催される。
その会場に、布津野はイライジャとニーナ(ニィ)と一緒の車で向っているところだった。ニーナを他の二人で挟んで、後部座席に横一列。布津野は身をよじる。二人とも背が大きいからできるだけ端にズレてあげた方が良さそうだ。
布津野は、ちらりと隣のニーナを見る。
「あの、ずっと聞きたかったんだけど」
「ええ、私もお待ちしてました」
ニーナは、薬指を唇にあてて首を傾けた。
「とうとう、私の気持ちにお答えして頂けるのね」
「いえ、お断りします」
「もう」
……だんだん、冗談がきつくなってきたなぁ。
布津野は手を自分の首にあてながら、紅を塗ったニィの唇を横目で見る。
「どうして、また僕も?」
そして、いつまでニィ君は女装しているの?
「あら、私はか弱いレディーですもの。布津野さんに守って頂くのは当然でしょ」
「当然だけどさ……」
君はレディーでもか弱くもないでしょ。
……きっと、ニィ君のことだからまた変なことを考えているのだろう。前回の討論会だって、勝手に僕たちをTVで映すように仕向けたみたいだ。
ロクに怒られるのは、僕だというのに。
「それに、今日はナナがいないじゃないか」
ナナを守るため、というのであれば分からなくもない。
「ナナちゃんは、前回でグレース・トンプソンの色を見て貰いましたから、今日は必要ありません。大丈夫ですよ。榊たちでしっかりと警護してます」
女装しているニィ君は、ナナのことをナナちゃんと呼ぶ。
どうやら彼の脳内設定では、彼の女装であるところのニーナさんはナナのお姉さん的な存在のようだ。ちなみに、イライジャさんの元彼女という設定もあり、今は僕とただれた三角関係にあるらしい。メディアにもそう映るように頑張って演じているそうだ。
……ダメだ。この子。本当に手に負えない。
「布津野さんに来て貰ったのは、色んな意味があるの」
「色んな?」
「一つは、そうね……例えば、ねぇ」
ニーナさんは人差し指を頬に当てる。
さっそく考え込んでいるようですが、それは一体。
「そうだ、イライジャの護衛ね。もちろん、私のも」
「はいはい」
「それと、メディア受けを狙っての宣伝効果」
「宣伝効果?」
「ええ、布津野さんは今や世界で一番の有名人ですから」
お、おう。
しかし、だよ。ロクから何度も言われたのだけど、それってニィ君のせいだよね。
「でも、僕は日本人だから逆効果なんじゃ」
「そういう考え方もあるわね。まぁ、細かいことを考えてもしょうがないわ」
「いや、でも。イライジャさんには日本との関係が疑われているんでしょ」
「疑われている、というより事実ですから。仕方ありません」
「だったら、なおさら」
あと半月後には大統領選挙の投票が始まる。
今日は最後のTV討論会。有権者に対して、大統領が直接アピールできる重要なイベントだと聞いた。それなのに、一応とはいえ日本政府の関係者である僕と一緒にいていいわけがない。
僕だってニュースくらい見る。日本語のやつだけど。昨日見たのにとんでもない記事があった。僕の正体が日本の秘密部隊の隊長、って書いてあった。
「逆に、日本とのつながりを強調するほうが良いと思うの」
「……本当に?」
「お疑いになる」
ニィ君は指を絡めて、くすくすと笑う。
「どちらにせよ、下手に事実を否定してやり過ごせる状況ではありません。でしたら最大限に利用しないと損。イライジャがあの有名なニンジャ・マスターと友人で、その本人が護衛についている。こういったシチュエーションを喜ぶ人は大勢います」
「なんだい、そのニンジャ・マスターって」
「もちろん。布津野さんの事です」
ニンジャ、大好きだな、アメリカ人。
「僕、ニンジャだったんだ」
「ええ、妖怪や怪物とかを退治する感じですね」
「出来ないよ。そんなこと」
「やったじゃないですか。つい先日」
ああ。あれは、ほら……。
まぁ、幽霊とかと違って殴ればなんとかなる相手だったし、ね。
「話を戻しますね。日本政府との関係については、もはや否定してもしょうがありません。積極的に情報公開をして対処することにしました」
少しだけ、ニーナさんの口調が改まる。
「そうなの?」
「ええ。表向きは、イライジャが、母親のことを調べている最中に日本機関と接触。それと協力してアメリカ国内の純人会の違法行為を突き止め、母親がその被害者であった事を知った。って事になってます」
「……まるで映画みたいだね」
「ええ、私は脚本家になれるかしら」
ふふん、とニィ君は鼻をならす。
「ちなみに、布津野さんは娘を誘拐されたニンジャという設定です。復讐に囚われた布津野さんを、イライジャが助けながらアメリカ舞台に大暴れ! って感じの設定です」
また、そうやって余計な設定を勝手に増やす。
「本当にそんな事に、やっているのかい?」
「ええ、本気でこの世論操作に取り組みました。私の人生でもっとも心血を注いだ一大プロジェクトです」
「お、おう」
「ちなみに大反響の大成功です。あるオタクがこの事件をコミックにしてネット公開したんですよ。二次創作ってやつです。アメコミ独特のダイナミックな表現が素晴らしかった。読みます?」
「え、ちょっと興味あるかも」
「ほら、これです」
ニィは携帯端末を取り出した。
それを受け取ると、カラーの表紙絵が見えた。ナナらしき白髪の少女を抱いた黒装束の男。袖無しの衣装から覗くその腕は筋肉モリモリのマッチョだ。
もしかして、これが僕ですか?
「あの、これ」
「筋肉がアメリカらしくデフォルメされてますわね」
「全然別人じゃないか」
「意外に脱いだらスゴい、って事ありません? そうだ。今度、一緒にお風呂に入りましょう」
女装している時に、そういう事を言わないで。
「まっ、そういうわけで今や人気者なのです。二次創作は他にも沢山ありますよ。出版社からも出版権の要望があったので、著作権フリーだと回答しておきました。近々、何冊かが書店にならぶそうです」
「そ、そうなんだ」
もう、なんでも、いいです。
頭を抱えていると、イライジャさんの声がする。
「おい、ニィ」
「あら、なにかしら」
ニィ君は反対側に座っているイライジャを振り向いた。
「そろそろ、着くようだ」
「ええ……。ふふ、予想どおりの人だかりね」
正面のフロントガラスの向こうには、TVカメラや携帯端末がこちらに集中している。とんでもない数の人がこっちを待ち受けていた。
「どうする?」
「もちろん、このまま正面から行くわ。せっかく集めた報道陣ですもの」
「やれ。タブロイドの記者やフリーの奴らも多いな。とても大統領戦のイベント会場とは思えん」
「せいぜい、賑やかしてあげましょう」
ニィ君が、こっちの脇腹を指でつついた。
「ほら、布津野さんから外に出て」
「あ……うん」
そのままつつき出されるようにして、車のドアを開ける。
その時、わっ、と歓声がぶつかってきた。一斉にカメラたちが押し寄せてくる。会場のスタッフたちが、報道陣を押しとどめようと壁を作るが、そこから身を乗り出さんばかりに溢れかえってくる。
「What is the relationship between you and Elijah Snow?」
「Where is your daughter?」
「Please look at me」
「What's your name? Ninja Master」
同時に色んなことを言われても、翻訳機も頭の処理も追いつかない。
面食らってしまって一歩引くと、外から出てきたイライジャさんに肩を支えられた。その瞬間、フラッシュが巻き起こり、イライジャさんとのツーショットになってしまった。
彼が手を挙げると、報道陣はしんと静まり返った。流石に手慣れている。
「みなさん。お集まり頂きありがとう。しかし、今日の主役は俺なんだ。タダヒトばかりじゃ、ちょっと悲しいな。彼は高名な日本の武道家だけど、こういうのには慣れてないんだ」
周囲から笑いがもれた。
背の高いイライジャさんを見上げる。やっぱりカッコいい人だな〜。姿形は見ての通りだが、振る舞い方も絵になる。
「しかし、そうだな。討論会が始まるまで後30分もある。外は寒いし、雪で滑ってしまったら大変だ。インタビューなら会場のロビーで話さないか? どう?」
報道陣はゆっくり頷く。
「よし、決まりだ。行こう」
イライジャさんは、僕の肩を組むとそのまま歩き出した。反対側に寄ってきたニーナさんが手を握る。ああ、これがただれた関係ってやつか……。
僕たちはまるで大名行列みたいに報道陣を引き連れて、会場の中に入っていった。





