[4b-04]神の敵
「そういえば」
イライジャは目の前に積み上がる書類から目を逸らすように、ニィを見た。
「ミスター・フツノをTVに映したのは、何が目的だったんだ」
「余計なことを考えずに、頭に叩き込め」
ニィはイライジャの目の前に、新しい書類を突きつけた。イライジャの口元がゆがむ。
「まだ、あるのかよ」
「当然だ。お前は演技力はあるが、知識がスカスカだからな。そんなんじゃ、良い大統領は演じられないぞ」
「……俺は、本当に大統領になるのか?」
口の端からため息を吹き出して、眉間に皺を寄せた。
「おいおい」とニィは笑う。「今さらじゃないか」
「俺は……母の復讐を果たしたかっただけだ」
「もう満足したのか」
「少なくとも、もう野郎はガタガタだ」
イライジャは、サイドテーブルの上に積み上がった新聞を指差した。どの紙面も、大統領が純人会に所属していた事。誘拐した日本人を孕ませて生まれたのがイライジャである事を大々的に報道している。
『世紀の親子対決! 無関係なグレース候補の一人勝ち!?』というのはなかなかに状況を総括している。
「油断は禁物だ。ここから逆転される可能性もある。それに、俺はお前を大統領にするつもりだ。初めて会った時にそう言ったろ」
ニィは悪戯っぽく笑った。
「なぜだ。俺は大統領なんてゴメンだ」
「だろ。だからだ」
「おい、マジかよ」
「マジだ」
ニィはテーブルの上に尻をのせ、イライジャのネクタイを掴んで引っ張った。
さらり、と揺れる白い前髪。赤い目は真剣だ。
「イライジャ、良いことを教えてやる」
「嬉しいね。ホワイトハウスの食堂のメニューとか?」
「ロクとかいうお前の親父以上のファッキン野郎がいる」
「驚いたよ。あんな野郎がもう一人いたのか」
両手を上げて降参を伝えると、ニィはネクタイを離した。そのまま椅子に背を預けてネクタイを整えた。
やれやれ、このガキんちょめ。まだ何かやる気なのか。
「ああ、忌まわしい事にそのロクは布津野さんの息子なんだ」
「そいつは複雑だな。お前はミスター・フツノに惚れているのだろう」
「ああ」
……コイツ、真顔で答えやがったぞ。
「で、そのフツノ・ジュニアがどうした」
「あいつはグレース・トンプソンの勝利を望んでいるに違いない」
「ニィ。そいつはないぜ」
テーブルの上に肘をのせてニィを覗き込む。
また面倒な事を言い出しやがったぞ。
「つまり何か、そのジュニアへの嫌がらせが目的か」
「お前と俺の仲じゃないか」
「マムに友人が間違ったことをしたら全力で止めなさい、と言われて育てられたんだ。もし、他人なら無視したほうが良い、とも言われた」
「無視するのか」
「止めておけ」
「嫌だ」
マムは聞き分けのない友人の止め方までは教えてくれなかった。わざとらしく頬を膨らませるニィを睨みつける。
「何度も言ってきたつもりだが。俺の目的は大統領になる事じゃない。ハワードの糞野郎を大統領から引きずり降ろして、思い知らせてやる事だ」
「それは、達成できたのか?」
「それは……分からんが」
「まだ残っているぞ」
ニィは声をおとした。
「合衆国政府には、純人会が残っている」
「……」
「日本政府もこれを駆逐できたのは、ほんの数年前だ。布津野さんが裏社会と政府をまとめ上げて、それでようやくこれを排除した。純人会は大統領だけじゃない。CIA長官のラルフ・ロスもだ。共保党にも民衆党にもいるぞ。たくさんだ。うじゃうじゃいる。ゴキブリが可愛くみえるくらいだ」
ニィは机を指で、とんとんと叩いた。
「お前の父親は、ほんの一部に過ぎない」
「……煽るなよ」
「事実だ」
ため息をできるだけ深くついて、体重を背もたれに預ける。
まったく泥沼だな。
確かに、ニィの言うとおりなのかもしれない。マムを苦しめたのは純人会であり、ハワードはその一員に過ぎない。
しかし、自分が純人会を恨めるのか、というと微妙だった。自分の怒りはアダム・ハワード個人に向かって、それより先にはのびていない気がする。諸悪の根源である純人会を叩き潰す、などと使命感を燃やせる気はあまりしない。
しかし、ニィは……違うのかもしれない。こいつは幼い頃から酷い目にあってきたらしい。
「ニィ、それはお前の復讐じゃないのか?」
「……悪いか」
珍しく、顔を固めてやがる。
「だったら、こう言えよ」
机に肘をついて、ニィの顔を覗きこむ。
「自分の復讐を手伝ってくれ、ってな」
「いうじゃないか」
「ミスター・フツノみたいに、と言うわけにいかないが。マムに言われてきたんだ。友達を助けない奴はクズ野郎で、私の息子は最高のガイだ、ってな。よく知ってるだろ」
ふっ、とニィの表情が崩れる。
「じゃあ、俺のために大統領になってくれるか」
「一期だけだ。お前がスッキリしたら、さっさと辞任する。いいな。約束だぞ」
「ああ、約束しよう」
◇
クルス少年の家族は敬虔なキリスト教徒だった。
週に一度は、隣人の家に集まって祈りをささげるのが決まり事になっていたし、母親にはコーラやロックミュージックなどの娯楽は攻撃的過ぎて良くないものだと言われてきた。コミックや映画も知らないところに遠ざけられていてめったに見る事はない。
教会ではみんなと手を繋いで輪になって祈りをささげ、夜には聖書に目を通して、まぶたの裏に神を浮かべる。
そんな毎日。
「ねぇ、お父さん」
「どうした。クルス」
「お客さんだよ」
父親は、右手で頬をもんでため息をついた。
「今日の礼拝は、サンダースさんの家だったな」
「うん」
「ほら、お母さんたちと先に行ってなさい。父さんは遅れるから」
「……うん」
父親は、少年の背を叩いて前に押し出した。
少年はそのまま外に飛び出して、待っていた母親たちと合流する。クルス少年を迎え入れた母親は顔を傾げてみせた。すぐに来る、と思っていた父親がいなかったからだ。
「お父さんは?」
「遅れるって。先に行って、だって」
「……そう」
「お客さん、誰?」
母が顔を曇らせたのは一瞬で、すぐにいつもの笑顔にもどる。
「さぁ誰かしら? そろそろ、行きましょうか」
「うん」
「今日は、何を歌うのかしら」
「僕、サイレント・ナイトがいい」
「いいわね。クルス、お布施用のコインは忘れてないわね」
「あっ」
「もう、早く取ってきなさい」
「はい」
クルスは道の途中を走った戻った。
のどかな平原にぽつりぽつりと家がならんでいる。白いのが自分の家。その玄関まで走り寄ったが、そこでピタリと足を止めた。
家の中から、知らない男の声が聞こえている。
「神のために、やらねばならぬのだよ」
「しかし、」
「神の国を滅ぼそうとしている者がいる。それは分かっているだろう。このままでは、アメリカも悪魔に支配されてしまうぞ」
「それは、」
片方はお父さんだった。
玄関から少し移動して、窓から顔を覗かせる。そこには、村では見たことのないスーツ姿の男がいた。
その男の人の薄い唇が動いている。
「主が自らを似せてご創造されたのが人間だ。それを乱して、自らの欲望のままに造りかえようとしている。それを許せるものか。我々の信仰は実践をもって示される。我々は試されているのだよ」
「それはそうだが、しかし」
「汝、殺すことなかれ。分かっている。君こそ、いや、君たちこそまさしく主の子だろう。優しさに満ちあふれた生活を送っている。穏やかな良い家族だ」
「……」
「しかし、厳しさも必要だ。断罪もな」
顔をゆがめたお父さんの目の前に、唇の薄い男が何かを置いた。布の包まれたそれを、男が解くと中から拳銃があらわれた。
クルスは、ぎょっ、とした。お父さんはいつも、銃はダメだと言っていた。銃を持つと悪魔に魂を乗っ取られる。だから絶対にダメだと。
「主よ。……このようなものを家に持ち込まないでください」
「迷える羊たちも、戦わねばならぬ時なのだよ。ましてや、かつての君は優秀な狼だった」
男はそう言って、お父さんの肩に手を置いた。
「汝、神の敵を殺しなさい」





