[4b-03]雲の上のソファ
シャンマオは窓から見える眼下の雲に目を細めて、ソファの背もたれに手を置いた。
そう、ソファだ。ここは雲の上なのにソファがある。革張りの高級な肌触り。これは個人用に整えられたジェット機らしい。機内はまるでホテルのラウンジルームのようだ。
そのソファに座った白い少年に目をやった。彼はTVを睨みつけている。
シャンマオはそれに問いかけてみた。
「次は、どこに行くんだ」
「もしかしたら、無用だったかもしれないな」
ロクはそう言って、オレンジジュースをいれたグラスに口をつけた。
「少なくとも、僕が直接出てくる必要はなかったかもしれない」
「そうか」
シャンマオは口をへの字に曲げた。
あの動画が公開された直後、この少年はとても怒っていた。ニィの文句をひとしきりぶちまけた後、突然にアメリカに行かなければならない、と言い出した。
平時から大きな裁量を任されている彼だ。政府首脳しか利用できないこの個人用のジェット機を手配してしまうと、さっさと日本を飛びだってしまった。
アメリカについた後は、ニィとの会談やアメリカ政府要人との調整を行い。数日ほど慌ただしくしていたが、今は再び雲の上だ。
「それで、どうだ。いつもみたいに思惑どおりにいってるのか。少年?」
シャンマオはそう問いかけながら、TVを指し示す。
そのモニタには、アメリカ報道ニュースが写し出されていた。アナウンサーの読み上げが早口すぎて、英語がそれほど堪能ではないシャンマオには意味を把握するのは難しい。
「余計な演出があったが、な」
目の前のソファに座る白髪の頭は、そう答えた。
「ニィのやつ、また不要なことを」と少年は口元を苦くする。
「手を焼いているようだな」
「ああ。父さんのせいだ」
「本当にお前の父親のせいか?」
言葉尻のオクターブを上げて、疑問を投げかけてみる。
シャンマオは可笑しかった。この少年の側を近くにして、もう半年以上が経つ。こんな投げやりな彼を見るのは初めてだった。それに、モニタの上で笑っている女装したニィ。あのニィが笑っている。それも初めて見る。
もしかしたら、本当にあの男のせいなのかもしれない。
「ああ」と白髪の頭がゆれる。
「そうか。私には困っているように見える」
TVに映る少年の父親は、表情を困惑させて所在なさげだ。客席で前後に頭を下げて謝っていた。
「困っているのは僕だ」
「私には、お前が困っているところなんて想像できないが」
この少年の側を住処にして、もうしばらく経つ。
いつも自信満々の彼は、正しさを疑わず、堂々と正論を打ち立てて、無表情で他者を評する。
ロク少年は、同じ存在であるニィよりも傲慢だと私は思う。それは彼が劣勢に貶められたことがないからかもしれない。私にはギリギリの状況で抗い続けたニィを見ていた。
しかし、この少年は違う。欠けたところのない完璧な宝玉。未来に輝いていて、過去にかげった事はない。
「で、問題はないのか?」
「あるが……なんとかなるだろう」
「そうなのか? そこのTVが言うには、イライジャ・スノーは二番手に転落した」
大統領選挙のTV討論会があったのは昨晩。
各メディアが伝えたのは、イライジャ・スノーが日本政府に内通している疑惑。それと現職大統領が純人会に所属していた嫌疑。そして、討論会で罵り合った二人が実の親子だったというスキャンダル。しかも、強姦した結果の不義の息子だと言うから、騒ぎのタネに事欠かない様子だ。
「確かに落ちた。しかし、ハワード大統領を擁する共保党はさらに崩れた」
「そう、みたいだな」
TVは討論会のハイライトを終えて、大統領戦の支持率の推移を紹介している。現在の1位は民衆党のグレース・トンプソンだ。その次に自由至上党のイライジャ・スノー、それに大きく引き離されて共保党のアダム・ハワードが続いている。
討論会が始まる前まで、最下位だった民衆党が一気にトップに躍り出ていた。
「純人会に所属していた事実を暴露されたハワード大統領の支持率は急落。誘拐した日本人に子供を孕ませたことも有権者の印象をさらに悪くした。一方のイライジャ・スノーは、第七世代を側近にしている事について否定はせず、日本の傀儡である疑いを拭いきれずに失速。結果、民衆党のグレース・トンプソン候補が消去法的に支持を集めた、か」
ロクは「理想的な展開だ」と顎に手を当てる。
「しかし、お前達の目的はイライジャを大統領にすることだろう」と問いかけてみる。
「それはニィの独りよがりに過ぎない」
「そうなのか」
どうも白い頭たちが考えることは私には難しい。
「日本政府にとっては、グレースのほうが都合がいい。これは理想的な状況だ」
少年はそう言って、こちらを振り向く。
赤い目がこちらを見る。
不思議な事だが、このような権謀術数を語る時の少年の色はとても淡泊で薄い。悪意がほとんどないのだ。自分の思い通りにしようという意思も、他人を陥れようという動機も、彼にはほとんど見られない。
まるで無邪気な子供が、蟻に過酷な作用を加えつつ、その反応を熱心に観察しているかのようだ。
「イライジャ、ではないのか?」
「ああ」
ロクは指を開いて、人差し指から一本一本を折り畳んで拳をつくった。打撃面を平坦にするための基本的な握り方。
「日本政府として一番都合がいいのは、最適化を受け入れつつも確かな政治基盤のある民衆党が政権を取ることだ。政界に十分な人材を持たない自由至上党ではない」
「分からないな。無色化計画により強く賛同しているのはイライジャだろう」
「それでアメリカの秩序が乱れては長続きなどしない。むしろ、最適化に対する失望感が広がるだけだ。導入後は必ず社会不安が広がる。世代間の遺伝子格差と未調整の失業問題。それに備える実力のある政権が必要なんだ」
少年は作った右の拳を、左の手の平に撃ちつけた。
「しばらくは、最適化について推進派と統制派が交互にアメリカの政権を担当することになるだろう。かつての黒人差別問題のようにな。それでも、初めの推進派には出来るだけ長く政権を担当してもらいたい」
「つまり、この展開はお前の計画どおり、なのか?」
それとも、ニィの?
「いや、これは僕の計画ではない。僕がしたのはあくまでも次善策だけだ」
「ならばニィの陰謀か」
「さあ……。どうかな」
少年は顔をしかめた。彼はニィのことを認めたくないようだ。
「だとすれば、イライジャとやらが不憫だな」
腕を組んで、TVに映るイライジャのクローズアップを見る。
討論会中にハワード大統領に対して叫んでいる時の映像だ。せっかくの男前なのに、顔を真っ赤にして目を怒らせている。
少年の無表情とは対照的な剥き出しの感情。もし、彼がロクとニィに踊らされているだけなら、ずいぶんと憐れじゃないか。
「そそのかされて立候補し、体の良い当て馬とはな」
「そうでもないらしい。むしろ、これは彼自身が望んだことらしい」
「ほう」
少年は横顔をこちらに向けてくる。
「父親を、殺したいそうだ」
その端正な横顔が、くしゃり、と歪んで曇った。
「そんな顔をするな。少年」
「……」
少年の頭の上に手をおいて、適当にかき回してやる。
「お前たちのように、仲の良い親子のほうが珍しい」
「別に……。そういう訳じゃない」
「そうか? まぁ、いい」
ぽんぽん、と頭をはたいてやると。嫌がるように白い頭が左右に振れる。その様子を見てると、思わず口の端が緩んでしまった。
ふふ、と声がもれたのが聞こえてしまったのかもしれない。
少年はこちらの方を振り向いて、睨みつけてくる。
「シャンマオ」
「なんだ」
「お前の親は、どうなんだ?」
「ふむ、私の親か……気になるか」
「いや、別に」
ふむ、と息をついて目を閉じてみる。
自分の母と父は、三苗型の危覧と鯀型の黄豪だと聞いている。いずれも反骨の立場にある。
あの二人が愛し合って子供を作ったとは思えない。大方、日常的に行われている遺伝子実験の一つとして、偶然に生を受けたのが自分だろう。
「別に、殺したいとは思わんな」
「会いたいとは?」
「会ったところでな。彼らにとって、私は裏切り者だろう。むしろ、私を殺したがっているだろうよ」
「そうなのか?」
そう言われてみれば、危覧には世話になった事もなくはない。
しかし、どうだろうか。三苗型の女たちは異能こそあれ非力だ。雑種である自分とは違う。彼女たちは粗野な四罪の男たちから互いに助け合って生きている。
別にあれが、母が子に向けた特別な配慮というわけでもなかろう。
「なかなか、お前たちのようにはな。誰しもが、立派な父親に恵まれるわけではない」
「立派な父親? それは勘違いだ」
ふふ、とまた笑ってしまう。
「お前は本当に、ひよっこだよ」





