[4a-22]没色
「榊は他の隊と合流してホテルを包囲しろ」
「了解」
布津野たちをのせた車はホテル777に到着した。
ひび割れたアスファルトの上に車を止めて、榊を残した全員が外に出る。
ニィは外から車内を覗き込んで、運転席に移ろうとする榊を見た。
「榊、任せてもいいか?」
「代理の指揮であれば問題ありません。隊長は内部での判断に集中してください。……しかし」
「なんだ」
「殺しても構いませんでしょうか」
「……」
「あそこにいるのは純人会のクズです。あるいは四罪の下衆。奴らを見かけたら殺しても構いませんでしょうか」
榊はシートを前にずらしてミラーの位置を調整した。その鏡の中には険しい少女の表情が映っている。その肌の内側には憎悪がうごめいて、彼女の唇を震わせている。
「皆、それを望んでいます」
彼女のかつての記憶。
自分たちは家畜のように虐げられ、暗い欲望のはけ口としてなぶられ続けた。それに抗い、耐え忍んだ。多くが死に、わずかが生き残った。その不平等を是正するために、出来るだけ多くをここで殺す。それは当然のように思えた。
その思いはニィも共有するところだ。
ニィは手を伸ばして榊の小さな頭の上に手を置いた。その頭の下で渦巻いている増悪が伝搬する。怒りに共感する。徹底した否定こそ、奴らには相応しい。
「構わん。しかし……」
しかし、より明確なイメージが彼にはあった。ついさっき、見たばかりの理想形。復讐の形。
「榊、お前に布津野さんと同じことが出来るか」
「え?」
「あの廊下は血まみれだった。ひしゃげた頭、穿たれた眼球と穴の開いた喉。両手に血肉をしたたらせていた。そんな復讐がお前できるか」
榊の引き結んだ口が下がり、目がぎゅっと閉じた。
「あの人は……、布津野さんは、」
「俺はあれと同じくらいの地獄へ、奴らを突き落としてやるつもりだ。銃弾一発で終わらせるなんて、そんな優しさなんてない」
「ニィ隊長、」
「殺すべき場合は殺せ。それ以外は、取っておけ。俺たちの復讐はこの程度じゃないだろう」
「……はい」
榊はサイドブレーキを下ろしてキーを回す。エンジン音がうなり、車が振動を始めた。
ニィは振り返り、足をはやめて待ち受けていた布津野とイライジャのところに向かった。
「お待たせして申し分けありません」
「行こうか」
ニィを迎えた布津野とイライジャは前に歩き出す。その方向にはホテルの玄関がある。廃墟であるはずなのに、あたりには高級車がはべるように並び、建物の中からは明かりと声とクラシックミュージックらしきBGMが漏れていた。
ニィは玄関を睨みつけた。扉の両側にスーツ姿の二人、中央に一人の合計三人の男が周囲を警戒していた。
「見張りは三人ですか。騒がれるわけにはいきません。布津野さん、ご協力をお願いできますか?」
「なにを」
「俺を捕まえたと偽りましょう。まずは俺を拘束してください。その後、」
「ニィ君」
ぼそり、と無言だった布津野が横目でニィを見る。
「相手はたったの三人だ。すぐにすむ」
「しかし、騒ぎになると面倒です」
「大丈夫だ」
「……わかりました」
布津野は歩調をゆるめずに玄関に近づいていく。
中央に立っていた見張りがそれに気がついた。片手を上げて、先頭を歩いていた布津野を迎える。
「やあ、ミスター。競りはもう終盤ですよ」
布津野は構わず男に近づいていく。
見張りの男は、後ろにいる白髪の美少年に気がついて、にやり、と笑った。
「人形の買い足しですか? それにしても珍しいのをご所有ですな。上物だ。……失礼、招待状を」
男が手を差し出す。
布津野は、それを掴んで払い崩した。
ぐらり、と男の姿勢が傾く。
その無防備に覗いた首筋に布津野の交差した平手が、ぴしゃり、と打った。
男がにやけ面を残して、膝から落ちて仰向けに転がった。
気絶した、とニィは目を細めた。
噂には聞いた事がある。布津野さんは首筋の迷走神経を打って脳を停止することが出来る。それも実戦のスピードでだ。
「なっ」と左右の男が懐に手をのばした。
しかし、その時には布津野はすでに男たちの真ん中に踏み込んでいた。
布津野は両手を広げ、二人の首に引っかける。
それは打撃でなかった、ゆえに男達の反応は一瞬遅れた。
その刹那。
布津野は腰を落とし、背筋を捻転し、左右に引っかけた手をまるで獣が獲物を食いちぎる顎のように組み合わせた。
右の男は空に引き上げられ、その足先で大きな半円を描いた。
左の男は大地に引きずり込まれて、その頭蓋はアスファルトに叩きつけられる。
宙に浮いた右の男は、そのまま頭を真下にして落下していく。
ぐちゃっ、り。
布津野の真下で、二人の男は一つにまとめられていた。
空を舞った男は頭は、もう一人の男の頭を潰すのに使われたのだ。まるで金床を叩く金槌のように。
どさ、っと二人の体が折り重なって崩れ、階段を滑り落ちて絡まった。
「行こうか」
布津野はもはや倒した三人を見ていなかった。ホテルの玄関を睨んでいる。
「……ええ」
ニィは駆けだした。
途中で倒れた男の服をまさぐって、ポケットにあるカードを抜き取った。そして、扉の横のカードリーダーに駆け寄ってカードをかざす。
カチャ、と音を立てて扉のロックが解かれる。
布津野は扉を押し開けた。広がる隙間から内部の賑やかさがこぼれてくる。
ニィは布津野の手を見ていた。
きっとあの手は、地獄の門だって簡単に押し開けてしまうに違いない。
◇
ナナはぐったりと鉄格子に身を預けて、ゆられるままに身をまかせていた。
外を隔てる布がゆれる拍子に、はらり、とめくれる。その隙間から外の明るさと喧噪と色が飛び込んでくる。歓声と拍手と、並んだ笑顔、嫌な色。
色んな顔なのにみんな同じ色。淡くて薄くて、上から貼り付けて済ませてしまったセロハンみたい。何もない人たちが取り繕ったように間に合わせている。
「レディース・アンド・ジェントルメン!」
入れられた箱が停止し、聴衆がだんだんと静まりかえっていく。鉄格子に被せた分厚い布が、ごわごわ、と動いている。色のない世界の真ん中に、自分は放り込まれたのだ。
「今回のメインイベントです。ここにお集まりの皆さまは本当に運が良い。私たちは、あの邪悪な日本が開発した特別な個体を捕らえることに成功したのです」
歓声が一層強くなる。
「奴らはこれを第七世代と呼んでいるそうです。通常の個体が第三世代。それよりも四つもバージョンが上! この開発にかの国は五十年以上にも渡り、何兆ドルもの予算をつぎ込んできた! それをついに、我々は捕獲することが出来ました」
歓声が向こうからぶつかって来る。
耳を叩くのは喜びや興奮。しかし、そこには何の色も見えてこない。彼らは楽しんでいる。それなのに色が無い。ちぐはぐな状況に吐き気がした。
思い出した。外の世界はこんなにも気持ち悪かった。忘れてしまっていただけなんだ。
「さあ、お待ちかね。世界で初公開です。良くご覧ください。15歳の雌。悪魔の第七世代。白髪のアルビノ種です!」
布が鉄格子の上を滑り落ちるようにして取り払われる。
スポットライトの光がナナの目を焼いた。一斉に息を吞んだ観衆の視線がナナに集中し、ぶつかるような歓声と口笛が耳を突き刺した。
そこは舞台だった。半円状の観客席に囲まれていた。ところどころに設置された巨大なモニターがナナの顔をアップで映していた。周囲にいる観客の何人かは思わず立ち上がる。
「美しい!」
「いくらだ。あれはいくらからだ?」
「ちくしょう。運営に文句をいってやる。あんなのが出るなら前の人形なんかに四百万ドルも払わなかった」
「おいおい泣いてるぜ。見ろよ。泣いてやがる。あれはきっと初物だ」
ナナの瞳から涙があふれかえっていた。
まるで砂漠のように荒れ果てた色のない世界で、
悪意と憎悪に興味を混ぜて笑っているこの世界で、
何処までも残酷な現実の中で、
それでも、やっぱり、
……黒が、いた。
あの人の圧倒的な黒。
ナナは入れられた檻の鉄格子を掴んだ。力の入らない体に鞭をうって頭を上げる。観客席の奥に見える色を見た。
黒。
全てを塗りつぶす黒。
こんな酷い世界でも、
私を絶対に助けてくれる人。
——なんで、
ナナの視界がかすむ。
なんでなのだろう。
どんな意地悪が、こんな事をしてしまったのだろう。こんな酷い世界に、こんな目を与えられた。それでも、見つけたのだ。あんな綺麗な色を見つけたのに。
あの人を見つけたのは私なのに、
——なんで、あの人はお父さんなの。
◇
「没色が来たわ」
「ほう、どこだ」
「あそこよ。会場の入り口。それに、ニィも」
二階の個室から会場を見下ろしていた危覧は、その両目の白眼を細めて布津野たちが入ってきた入り口を指し示した。
隣に立っていた大柄で獣のような体躯をした男がそれに目を向ける。
「あれか……。見た目は普通だな」
「さて、すでに目的は達しました。私はそろそろお暇しようかと」
「他にも色々とあるだろう。CIA長官はニィの殺害もお望みだ」
獣のような男はかぎ爪を尖らせた手を器用に使って、手元のコンソールを操作した。室内のナナを映していたモニタが切り替わって、唇の薄い白人の男が姿を現す。
モニタに映った男は、薄く笑って手を組んだ。
「ええ、追加で二千万ドルは出しましょう。生け捕りならその倍は出しても良い」
「だとよ。どうする危覧」
「お止しなさい。朱烈」
危覧は立ち上がって会場のほうに歩み寄る。その部屋と会場はガラスで仕切られており、そこから下階の観客席をのぞき込めるようになった。
「没色は本物よ。あの子の報告のとおりだった。あれは理の埒外に立っている。色の見えぬ貴方には理解できないでしょうけど」
「裏切り者の言葉を真に受けるのか」
「私の言葉を信じるかは貴方しだい」
だけど、と危覧はつぶやいて布津野が立っている方に指を向け、ガラス面の上でその人型を囲むように丸を描いた。
「この渦巻く悪意の鍋底で、この一点だけ曇りもないわ。誰もが憎悪に巻き込まれ、自身の色を失って染まる。そんな奈落に身を置きながら、あの男だけが白く透き通っている。まるで、愚かな群衆が失った善意が、逃げ場を求めてあの男に集まったよう」
「だからどうしたと言うのだ」
朱烈、と呼ばれた獣の体をした男は鼻をならす。
「もともと色など見えないものだ。シャンマオの小娘が敗れたのはその目に頼り過ぎていたがゆえ。お前たちは普段見えているものが見えないだけで余計に怯えているに過ぎん」
それはそうかも知れない、と危覧は内心で認めた。
しかし、この目はあの男に吸い寄せられて、なかなか離すことができない。その一点だけが見事に何も無い。まるで闇夜を穿つ一点の太白星のよう。
そんな幻想的な光景だった。まるで、この世界にはまだ理想や希望が残されているかのよう。
「あの娘が恋い焦がれるのも、無理はないわね」と呟く。
危覧は眼を焦がす乾きに耐えきれなくなって両目を閉じた。眼下で第七世代の娘と没色の男が見つめ合っている光景が焼き付いている。
まるで、無垢な少女が見上げる一番星。
あの二人は運命的だった。
これ以上は絶対にない、と断言出来るほどに固く結ばれていた。しかし、何と言う事かしら。あの二人は親子なのだ。
それは悲劇的だが、ある意味、当然なのかもしれない。
恋人以上の絆で、あの二人は結びついているのだから。
「何を見入っている。危覧」
「希望と理想、それと運命」
「なんだと」
「……男には見えませんか」
危覧は会場に背を向けた。
朱烈は単純な男だ。粗暴ではあるがその欲をひねり曲げることはない。その悪意の形は生まれたままにしてある。これは悪い男ではない。いささか、率直すぎるだけだ。
危覧は言葉を飲み込んで扉に近づく。
「おい、危覧」と朱烈がそれに声をかけた。
「どうやっても、貴方はやりたいようにやるでしょう。私では止めようがありません。お好きにしなさい」
朱烈は牙をむき出しにして嗤った。
「助かるぜ、危覧のばあさん」
危覧はため息をついて扉の前で振り返ると、モニタに映るCIA長官に向き直った。
「私はこれにて失礼します」
「ああ、おかげであの第七世代が手に入った。噂以上に美しい」
「今後の計画についてなのですが、」
「後日、機会を用意しよう。今日はオークションだ。CIAの予算が下りてね。このまま、あの娘を買って楽しませてもらうよ」
「……左様ですか」
危覧は吐き気を堪えながら、頭を下げると部屋を出た。
残された朱烈は組んでいた腕を解いた。
猿のようにしなやかで長い腕。その先端には鋭い爪が伸びていた。それを回しながら肩をほぐす。その目は眼下の会場に注がれている。
長官は朱烈に声をかけた。
「お前は行かないのか?」
「ああ、下には没色がいる」
「メイ、スェ?」
「色の無い男さ。色まみれのあんた違う男さ」
「ニィをつかまえてくれるのかい?」
「場合によってはな。今日は運がいい。没色とニィを喰えるのだから」
鼻先をガラスに押しつけて、極上の肉を目の前にした狼のように朱烈はその長い舌を垂れた。
「さて、没色さんよ」
その視線の先には、一人の東洋人が立っていた。あの山猫を倒した極上の獲物が目の前にいるのだ。
「一体、お前はどんな味だ?」
その時、布津野の視線が動いて朱烈を見上げた。
二人の視線が合わさる。
朱烈は射すくめられて、思わず一歩後ろにさがった。氷のように冷たい直感が腹に落ちる。あの男はこちらに気がついている。
「……こいつは、楽しみだ」
朱烈は大きなその口の端を裂いて引き上げ、牙をむき出しにした。





