七章 主人公の名前は、作中では絶対に出ません。
「一言で言うなら、悪役集積機」
私が彼女に抱いた感想はこれだった。
一緒に一月いるだけだったのに、ある意味では驚愕とも言える感想を何度も抱いた。
経った一月、だがその一月で、私は今までの撃破数を超える記録を打ち立てた。
自慢にすらならないほど容易く、日々の忙しさに追われていたら、たかだか三日以内の出来事で、私は四十八体の怪人を捕縛する事になった。流石の彼が根を上げる理由をようやく理解したと思ったのは、多分その日だったと思う。
そして経った三日の功績で、私はA級昇格が確定してしまった。
喜び以上の呆気なさに、はぁと随分と気の抜けた返事であっただろう。これがまだ地域のB級をほぼそぼそと戦っていたのなら、後一年程度は掛かったのは間違いない。その事を考えれば、飛んで喜ぶべきだったのに、日々の忙しさに追われ続けて、早く寝たいぐらいが感想だった。
そんな日々に刺激と言うか、面倒が一つ有ったとしたら、私に制約をかけた幼馴染の横暴だろう。
彼は私が了承すると、楔を私に打って来た。怪人を殺害した場合には、容赦なく心臓を砕く呪い。
正気かと怒鳴り声を上げたけれど、彼は平気でこう言ってのけやがった。
「俺も同じ物をしている」
これを聞いたとき、ああ、こいつ絶対に狂ってると本気で思わされた。
力ずくで彼の意思をどうにか出来ないのは知っているが、ここまで覚悟が決まっている奴だったとは、今まで思っていなかった。何よりそう思いたく無かった。
土壇場ですら自分の命を惜しまない様なヒーローを、私は始めて見たかもしれない。自然と私は彼の姿に目を逸らしてしまいそうになる。
半分は侮っていたと言う気持ちだろう。
彼のヒーローでの評価は、どこまで言っても理想家で、面倒な奴。その評価は今も間違っていないと思うけれど、彼は死ぬ気で理想を体現しようとしている。
少なくとも言葉だけのヒーローではないのだろう。
近くにいたと言うのに、彼と言う存在を見た事はなかったのかもしれない。いつも泣くも笑うも一緒だった時から、きっと彼は変わっていないのだろう。
人殺しを極端に忌避する本質が、たとえ母親を殺したことに対する罪悪感からの代物であったとしても、それを父親に責められ疎まれ続けてきた、彼の後悔の産物である事も知っているけれど、彼は偽らざる誰よりもヒーローらしくあるのは間違いなかった。
かつて彼を救ったらしい私が言うのもなんだが、少しでも渡し側に寄ればそれだけでA級になれる素質は間違いなくある。
ただあそこまで意固地だと、ヒーローとしてはやっぱり落第点なんだろう。世界は危機ばかりでなくて、もう少しだけ切迫してなかったら、きっといいヒーローになっていたのだろうと考えると、惜しいと思わないでもない。
実際に彼の護衛での功績は、私を超えてしまっている。その事を考えれば、彼は評価されるべき人物であるのは間違いない。
当然だが彼も同じくと言うより、私を上げる功績を超えた彼を昇格させる必要があっただけなのだけど、当然のように中指まで立てて、誰が人殺しになるかと、罵声を浴びせて降格処分を受けた。
もっと言うなら昇格を告げた協会人事次官を殴り飛ばした。
暴力が嫌いな彼だが、同じヒーローを名乗る者達には苛烈だ。
目を離せばヒーローたちの喧嘩になる彼は、私たちのようなヒーローを本当に、見下している所か嫌悪しているのだろう。
力があるだけの無能よばわりが、常だから当然と言えば当然なんだけど、あいつまたやらかしやがったと、教会内では噂が広がっている。
それはそれとして彼女だ。
厄介なんてものじゃない。協会というよりかは、彼の事があるから厄介ごとと言えなくも無いが、悪の組織にとっては最早厄介事の騒ぎではない、戦力低下を確定させる悪魔のような存在だ。
それを証明するように、今までの分析で、いくつかふざけた事実が判明している。
一つ、組織の思惑など関係なく、勝手に彼女は誘拐され人質になる。
一つ、彼女は絶対に殺されない。
そしてもう一つ、彼女の前では怪人も含めて誰一人死なない。
ふざけてる。
ヒロイン体質と言ったが、悪の組織にとってはただの爆弾だ。
私が打たれた楔などと言う話じゃない。それを打たれていない筈のヒーローすらも、怪人を殺せず捕縛するしかなくなっている。
御伽噺だって誰か死ぬ事のほうが多いのに、彼女の前では誰も死ねない。ある意味では特号指定も仕方がない。A級にしても、しなくても、どう扱っていいか分からない能力だ。
A級すら釣る様になったら、もうそれは完全な囮として運用するしかない。
と言うより、そう考えなくても囮になりえるのが彼女だ。
後一つ笑えると思えるのは、悪の組織同士が彼女を誘拐する際に戦争を起こしてつぶれたと言う話があったりする事だろう。
誘う女と呼ばれ、ありとあらゆる意味で彼女の能力は、このヒーロー世界の界隈では有名になった。
そしてこの日もいつものように彼女は攫われた。
ただし今までのようなB級ではなく、A級の悪の組織に、いや準ヒーロー協会所属組織の一つであった労働組合に、気を抜いていた私の不始末で攫われた。
だが当初私は労働組合も一応悪の組織に該当する事を知っていたので、気を抜いていたが、その考えを一変させたのは、それから二時間後の話だ。
彼女から誘われた物だと思っていたけれど、どうも勝手が違ったらしく。
緩やかに破滅が近付く世界は、この日から別の世界に変わり始めていたことを、私は誰よりも近くにいながら知りえなかった。
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「確定だよねこれは」
「いっちゃなんだが、放置してた方が役に立つ気がするぞ」
一月で世界に存在していた利権組織の三割の上級幹部が捕まった。
そう聞いて驚かない人間が居るほど、この組織の人間は耄碌していないが、中にはこれを気に健全化の動きのある組織だってあるのだから、随分と世界から人類の悪徳の削られていた。
分かりやすいかどうか分からないが、神の抵抗軍(LRA)の様な組織が、容赦なく駆逐されたと考えてもいい。
組織の柱ともいえる大幹部たちが、なぜか尽く彼女を誘拐して捕まると言う事態は、考えているよりも協会や彼らに与える衝撃は大きな物であった。
「それでもA級災害に比べれば、世界の危機には直接繋がらない」
実際彼女のいう言葉も事実ではあるが、事象核と思われる彼女が行った現象は、世界と言う環境に強烈な打撃を与えた。
良くも悪くも政府と繋がっていたり、ある意味では静かに行われていた人間の薄暗い部分の屋台骨がへし折れたのだ。それによって、正義に燃える者たちの中には攻勢に出るものも発生し、ありとあらゆる部分がぐちゃぐちゃにされてしまった。
現在も彼女の発生させた現象が原因で、裏社会なんていわれる場所も、表社会と言うべき場所も、大混乱状態だったりする。
「だが、確定でいいのか」
「この結果を私は見る事が出来ませんでした。これだけの世界の変貌に関する事態を見逃しました。彼女を中心に発生する未来を私は読み切れません」
「そうか、そこまで言ったら確定でいいんだな」
「確定している事象を変更できるのは、全ての事象の集約点が、違う事象を呼び出しているからだから、確定と言うしかないじゃないか」
うれしそうだが、少しだけ悲しそうな声が響く。
本来一般人であった人間を巻き込まなくてはならない。そして彼女の重要度は別方向で広がっている。
その中で彼女の真の意味での力を知るものが現れた時に、それこそが彼女が考える中で最悪の事態だ。
そうなる前に動かなくてはいけない。
未来が読めないという事態は、彼の行動が読めなくなるだけでなく、計画のずれを生じさせる事になった。
確定してしまった事象核という事実を、世界で彼女が唯一持つ、世界平和へのアドバンテージを、ここで失うわけにはいかない。
彼女にだって持ちえる感情がある。
自分が世界平和を成し遂げるなんていう。そんな英雄を目指す感情が、ヒーローになってから消える事などありはしなかった。
だから悪の組織である筈のこの場所に立って、これからの行動を始めようとしている。
「意地汚いかな」
「そりゃ誰だってある名誉欲みたいなもんだろう。お前の大嫌いなあれと違うんだ、人間らしくて俺は好きだぞ」
「人間らしいからこそ、人間の嫌いな部分に俺たちは耐え切れなくて、こんな組織を作ったのだが、それでも自分達が人間である事は変えられない」
「なら意地汚くて仕方ないか。最近A級昇格を蹴った馬鹿みたいな人間は、この世界には残念ながらあいつしか居ないなら、あいつに出来ない方法で世界を平和にしよう」
自分たちにある劣等感。
彼女は気付きながらも、あえてそれを口にし続ける。侮るな、驕るなと、自分たちはヒーローになりたい人間だ。
そうおもって、現実に塗りつぶされながらでも、それでも成し遂げられることを見つけたのだ。
「あいつじゃこんなこと出来ないんだから、私たちだけが出来る方法で、頑張るんだ」
同時にそれは彼に対する罵声でもある。
何も出来ずに吼えていろと、お前が望まないヒーローがお前の願いをかなえる。
幹部である三人は、彼に罵倒された事にある人間だ。
人殺ししか出来ない無能、力だけで使い道も知らない愚物、だから呪いを与えた。未来を見て絶望に嘆くだけの男を知る彼女は、お前の夢など叶わないと告げた。
何度も吐き出された罵声は、歪に彼らの心に楔として残っている。
行動で彼らに見せてきた男は、悪の組織に居るヒーローの心に、生涯にわたって残る傷を刻みつけてしまった。
だから彼を否定する事で彼女達は立ち上がる。
悪徳を持って善行をなそう。間違っている事は分かっていても、正しいことであるのは間違いない。
誰もが後に彼らを否定しても、その気高き意思も、決意も、きっと間違っては居ない。結果を優先して全てをかなぐり捨てて走り出しただけ。
そして彼らの企みは成功する。
だがそれが彼らの望み通りであったか、それは別問題である。
中空に浮かぶ黒い穴、それを見た時になぜだと誰かが叫んだ。
どうしてと、女は嘆いた。
あり得ぬと、現実を認めずに叫び声をあげたものが居た。
当たり前なのだ、彼女の能力はどこまでいっても、寄せ付けるものであって、切り離すものではない。
事象核に方向性があるなどと、誰が知っていたか、だが現実としてそこに浮かぶ黒い穴は、彼らの敗北を宣言して、隠すことの無い代物であるのもまた間違いではない。
その黒い穴こそ、世界との最大接触点であり、世界の最も激しい亀裂である。
全てを台無しにする、限界異世界接触現象の際に現れ、これを発生させれば、最接近現象にまで世界は動き出してしまう。
それはそう言う現象であり、ここまで来れば事象核を用意しなければ世界は、滅びる可能性を突きつけられている状況である。これを本来、協会は敗北現象と呼び、この現象を起こさない為に、必死になって世界を守ってきた。
世界を救う為に足掻いた者達の結末は、完全敗北と言うしかない。
所詮ただの暴走の結末だ。だがその結末は絶望でしかない。彼らの願いはなに一つ届かず、世界の破滅に、転がり落ちていった。
その黒い門こそ、世界の門、世界が繋がる為の現象だ。
当時として言うなら、それはもう世界崩壊の象徴でしかない現象だった。
そして彼らの暴走を歴史は、世界門事件と名付け、協会はそれを第二次異世界接触騒動と語った。
だがその事件すらも、大した事がないと言い切れてしまう騒動の前には所詮前座であったのも事実だ。。
その黒い門の現象は最接近動乱の前に起きた小さな事件でしかない。
これから先に何度も起こる事象核騒動の一つ。後に作られるS級にすら該当する大事件の名称であり、最接近動乱の原因の大騒動の一つであるにも関わらず、そこまでの評価をされながらも、前座でしかない事件だったのだ。
だが同時に、後の騒動で最大の活躍を見せる彼が、本当の意味で表舞台に立った瞬間でもあった。
その程度の重要度は間違いなくあっただろう。
しかしその現象は、世界の平和だけを望んだ人々の悲鳴が積み重なり。そして同じような人々が必死になって世界を救おうとしていた事実があった。それほどの願いがあったにも関わらず、全く逆の願いとして成立する。
ただその願いも希望のまるで認めないと言い切るように、嘆きという名の悲鳴が、誰にも届かない世界で響き渡り続けていた。
――きっとこの世界の人々は、星に手を伸ばしているんだと、この世界の人々は優しい人ばかりなんだと、誰かが言う。でもきっと優しさだけじゃ足りない、強さだけじゃきっと足りない。
どっちか一つだけだったらきっと、ヒーローになんてなれない。もっと大切な何が、人をヒーローにしてくれるんだよ。
なんて、異世界の住人が言ってくれる程度には、そのヒーローたちは優しかったのだ。それでも足りなかった、足りなかったから目の前の惨劇が起きている。
首都圏全域を囲んだ異世界と世界を繋げる門、一人の女を中心とした。世界を繋げる、天秤を片寄り悪の組織が勝利する光景がそこに広がっていた。
ただ消えない慙愧に耐えない声が世界を包む中で、絶望はその声を消し去っていた。