六章 三人の関係は結構良好
「気持ち悪い」
簪は彼を見て自然とそう呟いた。
自分の友人であり、ヒーロー協会の中でも随一の厄介者である血袋の剣である彼は、ヒーローに対して完全に権利団体の様な主張をかますくせに、いざ護衛対象になるとあまりにもきちんとし過ぎていて、誰だこいつと本気で思わされた。
そういえばと昔の事を簪は思い出す。
彼は元々糞が付くほどの真面目な男だった。ひねくれ出したのは、ヒーローをが真剣に目指し養成所に入った辺りからだろう。
実際に彼は優れた能力者だったが、どこをどうしたのか、あんな感じに変貌してしまった。
養成所では能力の扱い以外は全てにおいて劣等生と言うしかない記録を彼は打ち立てている。特に人格面では、教官であろうと無能と言い罵声を浴びせるなど、随分と色々とやらかしているのだ。
「彼はずっとあんな感じなの」
「簪さん、そうですね彼はずっとあんな感じですね。どうしたんですか、違和感でも」
「そうだね。彼があんな真面目な姿を見たのは正直久しぶりだね」
本当に久しぶりだと頷くが、これから少し後に彼女は盛大に卓袱台返しを受ける。
だがその前に驚いたのは隣の女だった。
「え、あれ真面目な姿なの」
驚愕であると言わんばかりの態度。
彼女は当然ながら普段の彼のヒーローに対する対応を知らない。だがその代わりに真面目に仕事をする彼の姿を見ていて思うことがある。
この人はどう言い繕ったって馬鹿であると、彼女はそう断言せざるを得ない。
戦いの為に手首を切る仕草なんかがその筆頭だ。
「真面目じゃないですか、むしろどこに不真面目な部分があると」
「真面目な人間は睡眠をとります。真面目なヒーローは、怪人に一方的に殴られながら説得する事はありません。そもそも普通の人間はそんな事しません。むしろ不真面目さをください」
「ごめん、ごめん、真顔で言わないでくれよ。けどその辺りはこの状況になっても変わらないか」
昔より極端になってると、簪は笑うが、昔より色々な意味で業が深くなっている。
何でこうなってしまったのかと、原因の一因どころか、後の未来からすればお前の所為でと言われること請け合いの人物は、そちら側と同じ立場でなんて事をしてしまったんだと後悔するだけだ。
あれから変わらないんだろうなと、昔からから変わらない主張を繰り返してきた男に、同情にも似た視線を送る。これから先は、更に冷遇されること請け合いの人物なのだが、功績と不釣合いな立場に彼女も同情するしかない。
「あれでも昔は、養成所に入る前は神童って言われたって言ったら驚くかい」
「いや、あの人は、そんなに凄い人だとは」
「能力を使うというセンスにおいては、今も天才的なんだけど、なんだけどねぇ」
戦う気が無いから脅し以上には一切使わない。本来なら最低でも自分の場所にはこれるのは間違いない人物だ。それが戦わないことに関して、もったいないと思う事は仕方のない事だろう。
前線を知る人間は力のある人間を必死に求めるが、この男は煽るだけ煽って絶対に戦わない。
「濁さなくてもいいんじゃ」
「濁すしかないんだよ。彼は桁外れに馬鹿でさ、本気で世界中の全てを救おうと考えてるんだよ」
「どう考えたって無理ですね。テーブルゲームのパラノイアなんかをいつか作りそうな人だ」
「たださ、それって私達のヒーローの夢なんだよね。最初はそうやってヒーローを誰もが目指していた。けど諦めるんだ、君もヒーローだから直面すると思うけど、世界はもう詰んでるんだ。
それを止める為には、躊躇いを持っちゃ行けない。根から断たなくてはどうにもならないんだ。その中で、私達は夢を食い殺されるんだ。そんなの絶対無理だってね」
軽く言われる言葉だが、その言葉は必要以上の重みがある。
前線を知っているヒーローの言葉は重い。
だからこそ彼の力は欲しいと思うが、絶対に戦わないと言う確証が出来てしまっている。それで実際彼は一度死に掛けているし、現在進行形で何度が重症になってもいる。
だが本当はヒーロー達は、彼に成りたかった。
中には確かに、ただ自分の能力を使って蹂躙したいだけの屑もいるが、彼らは世界の実情を知っているからこそ、全てを救えるヒーローに成ろうとしたが、人の悪意を甘く見てはならない。
それはヒーロー達の夢も希望も奪い去る暴力だ。悪徳はその深さの底が知れない。その場所を知って、夢を持ち続けるなどと言うのは、狂っているか、本当に聖人かのどちからかなのに、彼はどちらでもなかった。
その全てを見ている筈なのに、彼は目に希望を蓄えて前を見ている。
「だからかな、必要以上に他のヒーローは彼に苛烈な態度を示したり、馬鹿にしたりと、嫉妬しているように関わろうとするよ。あの姿は自分達が諦めた姿だって知ってるからね」
「ヒーローも人間だね。私はそう言う汚さ嫌いじゃないけど、嫉妬するぐらいなら、彼になんでそんな事が出来るのか聞く方が建設的だとは思うけど、その辺りは人間なんだから仕方ないんだろうね。
私だってしてるって自覚があるし、彼だって今はまだ真っ直ぐなだけだよね。これから折れるところがあるかもしれないよ。そのときに受け止めてあげられる人が居ないのはちょっとさびしい事だね」
達観し過ぎだろこの子。なんで彼女はこんなに包容力のある発言が出来るのだろうと困惑している。一体彼女の人生に何があったのかと問いたいが、少なくとも資料にある限りでは、父親が早く死んだ以外にはさほど暗い過去がある人物ではない。
その事が、更に簪には疑問を深めるが、結局はただ達観しているだけなのだろうと考えを辞めた。
そんな彼女もきっと世界のその場所に触れれば、こちら側の諦めを知る。
白いままの人間は赤子だけで十分である。
汚れて居ない時間が長いからこそ、染み入る穢れはスポンジよりも吸収性の高い代物に変わるだけだ。
いつだって悲劇の起点は幸せだ。
上げるから落とされる、神話の時代から蝋の翼の宿業を持つ人間では、そうなるのは志方のない事かもしれない。
飛び続ける事だけは人は出来ないのだ。だがそうならむしろ気になるのは彼だ。
だが目をつぶっても彼は飛べないまま必死に羽ばたいているだけで、時々飛び出して地面に叩き付けられているだけにしか見えない。
それを支えるのはもしかしたら彼女のような人かもしれないと思うが、それは幼馴染の恋愛事情であり、彼女は干渉するつもりは無かった。
「じゃあ君が支えて上げたらいいじゃない」
「いや、私は現状支えてもらってる側だよ。どう考えてもそちら側にはなれないよ」
「ヒロインなんだろ、丁度良いヒーローがそこに居るんだし」
「能力名で私を呼ばないように、それにさ、受け止めて上げられないよ。あんな止まらない速度で突っ走る人を受け止められるほど、耐久性は高くないからね」
軽くお手上げだと言う。実際彼の願いを受け止められるような人間は居ないだろう。
彼女もそんな人生を投げ出せるほど彼との関係を深めるつもりも無い。彼女は彼女で自分のしたい事があるし、生憎と恋愛感情が芽生えたとしても、彼は自分に特別な存在は作れない。
全てを救うのなら、彼は誰にも特別な感情を抱けるわけも無いのだ。彼女は簪の言葉を聞いて、絶対に彼を受け止められる人間は居ないと断言したくなる。
本来なら居なくては行けない人が、彼には居ない。そしてその願いの結論として、彼は特別な人を作れない。
きっとと、彼女は思う。彼にとって全てが特別だから、特別な人間ばかりで、彼と同じ場所に居る人間はきっと出てこないのだろうと思う。
「そうだろうね。あいつは、あの場所から抜け出せないんだ。誰も隣には行けないか」
もしかしたらヒーローなら、ヒーローだったら、そこに行けたのかもしれないけれど、だからこそ彼は周りのヒーローに苛烈に当たるのかもしれない。
何故こっちにこれないと、なんでその場所で諦めるんだと、自分に最も近しい場所に居る存在たちだからこそ、彼にとっては許せないのかもしれない。
「だから協会のヒーローを蛇蝎のように嫌うんじゃない。自分にだれより近いから、何でって思うんじゃないの」
「私もそう思いますが、彼の様にはなれません。私は成る気がありません」
しかし簪も変えられないのは同じ事だ。
彼が望む姿を彼女は認めない。理想は理想であると、彼女は既に捨て切っている。
簪の言葉に、彼女は強情だなと思いながらも、こう言う人達に支えられて居間の時間がある事に少しだけ感謝した。
「それじゃあきっと君と彼は平行線だね。だからこそ、彼は変えられないんじゃない。きっと彼の何かが終わるのかもね諦めた瞬間に、そうなったらきっと彼は悪の組織でも作っちゃうんじゃない。ああいう人間は極端から極端に行くよ。気を付けて置いたほうが良いと私は思います」
「その不安は協会も抱えているから、彼をE-に置いているんだろうけど、上層部もそれほど無能ではないって事かな」
「世界を守る為と言うだけなら有能ですよ。それ以外の機能を削ぎ落としたのが、今の協会ですから」
だからこそ彼はいらないのだろう。
そしてだからこそ彼は協会を認めない。
いつ敵対しても不思議では無い姿なのに、最後の一線を協会が超えないからまだ彼はそこに居る。内心では奇跡に近いのではないかと、彼女は重い考えをめぐらせるが、所詮自分に出来る事は悪の組織の人質に成る事だけなので、あまり深くは考えなかった。
基本的には興味が無いのだから当然の対応かもしれない。
しかし簪はそうは行かない。そんな人物の協会に対する態度を見ているからこそ、先のような言葉が出てくる。
「だからこそ彼は協会を嫌っている訳ですが」
そう言いたくなる程度には職務に忠実だ。絶対に協会のヒーローが居たら彼の姿を見て現実を疑うだろう。
目が腐っているわけでもなく、静かな視線はいつもの四方八方に喧嘩を売る彼の姿を忘れさせる。
昔は愛嬌もあったと言うのに、今彼のしている事は、二十分ほど前に人質になった磁石様の最後の処理である。
硝子が散乱し、部屋に飛び込んできた怪人に、簪が回し蹴りを決めて終わらせた所だ。丁度引継ぎの時間であった為に、二人が居たのだが、なにも仕事をしなかったといって彼が、率先して掃除をしているところだ。
「もう彼を必要悪のような物にして諦めたほうが健康的だね」
「残念ながらもう労働組合と言う必要悪の組織があったりするんですよね」
「凄いマッチポンプ臭がするよ」
まだ彼のほうが健全だと彼女は思うが、簪も同意見だった様で、視線をそらしている。
必要悪、必要悪、そう自分に言い聞かせている感が酷い。
実際にはそんな事も無いのだが、確かにそう思われても仕方のない関係だ。ヒーローと契約している悪の組織なんて、普通に考えればそっちのほうが先にたつ。
だが困った事に、本当にこの二つ健全な付き合いしかしていない。最近悪の組織らしく暗躍しているのだが、これは事象核が無ければ間違いなく、そのままの関係が続いて居ただろう。
だがとりあえず協会のその部分をヒーローとは言え、まだ一般人扱いの彼女に教えるわけには行かない。
話を逸らそうと、無理やりに話題を転換させようと彼女は、喋りながら固まった。
「さて、それであの家政婦なんだけど、色々合ってなま……って、一瞬で浚われてる。また、あの磁石が浚われた、糸は付いてるんだろ、直ぐに動くぞ」
磁石呼ばわりされている彼女がまたなんか浚われた。
たぶん怪人の能力だろうが、良くやったと思っている簪が居たりするが、命に関わってしまっては流石に困る。
彼女の声に悲鳴のような声を上げる彼は、まだ掃除中で丁度散らばった硝子を片付けたところであった。業者を呼んだりしてるんだぞと、所帯染みた発言が、肩の力を抜かせるが、状況はどうあっても逼迫してしまう。
「ちょっとまて、まだ二十分ぐらいしか経ってないだろ」
だから彼の愚痴も仕方ない。それぐらい言わせてやらないと可愛そうだ。
分かっていても簪は、言われてもどうしようもないと叫ぶだけだ。
「しかたないだろ、あの子の能力はこっちでは対処出来ないんだよ。こっちの都合なんて考えちゃいないにきまってる」
「了解だ、場所はここから西に三百メートル地点とりあえずそこからは動いていない」
「そこはB級の組織だ。自然帰依の支部だ。時間を掛けると色々面倒な事になる」
現状が面倒だと彼は叫ぶが、準備は終わったようで、既に外に出ていた。
こう言う真剣な部分を簪はあまり見た事が無かったから、少し戸惑うがこう言うのも悪くないと少しだけ笑った。
その先にある断絶まで、彼女達の関係は変わらず続き、全てが破綻する場所に少しずつ近づいていく。これはその前のまだ笑い話で済んでいたときの小さなお話だ。
最初の破綻はもう直ぐそこまで近付いている。彼らの過ごした日々が終わるのは直ぐそこだ。
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