十二章 絶望を見せるときは、だいだい希望を先にはっつけておくのが義務
対話の結論なんてどうしようもない。
一方的なものになるのは当然の事だ。
だって彼らは理不尽なほどに、会話が出来てない二人なのだ。
事象核の太刀に削られながら、彼はずっと同じことを語りかける。だがその言葉は簪には一切届く事はない。血反吐を吐くのは彼だけで、周りから見ていれば無抵抗な人間を嬲る様な悪意のある光景にしか見えない。
暴力はやめて話し合おうと言うだけの言葉に、彼はすべての命をかけていると言ってもいい。
「なによこれ」
東は脅える様に呟いた。この二人の戦いは異常だ。
意やそれは彼がこんな暴挙に出たときから分かっていたが、ここまでかみ合わない戦いも珍しい。戦う気のない男が、必死になって語りかけるが、相手は一切意に介さず武器を振り下ろす。彼も必死になって防御を行うが、それでも事象核の攻撃はそれほど甘くない。
抜けてくる両断の剣が、彼の体を少しずつでも切り裂いていく。その度に痛みを忘れて、必死になって攻撃を避けようとするが、最初の奇襲の結果が彼の行動を阻害していく。骨すら切り裂いた彼女の攻撃は容赦なく彼の体力を削り、その度に彼の行動は縛られていく。
戦わないことを選択してから、彼はその手段を失い。
その為に戦い続けてきた彼女の手段の前に屈服するしかない。どれだけ否定の言葉を使ったところで、彼の言葉が簪に届かないのは、誰が見たって分かることだ。
「諦めなさい。あなたはただ事象核を渡すだけで助かるのに、何でそこまで諦めないの」
厳つい顔を皺で更に歪めながら声を上げる東の姿は、他の誰からみても最強のヒーローの姿を忘れさせる物であった。それほどに彼ら二人は何処までも真っ直ぐだからこそ、歪んでしまった彼らには歪に見えてしまう。
変わらない物とは、美しいと感じる以上に意味がない物だ。
だが意思は違う。本来歪んでしまう物だから価値があるのだ。変らない意思とは、それだけで千金にすら勝るだけの価値を持つ。
だからゆがんで見えるそれはきっと彼らの涙で、自分達にはそうなれないと突きつけられたような後悔であった。
彼らは一歩が踏み込めない。簪との戦いに化成するだけできっと彼は確実に殺せる。なのに踏み込むことが出来ないのはきっと、彼らの決意に勝る何かがない自分たちに対する劣等感なのだ。一方的に攻撃をされると言うその状況であっても、彼らは何も出来ない。
いま彼らも試されている。自分自身がヒーローとして掲げる旗を、世界を救う大義名分以外の何かを彼らは求められる。正しさはいくらでもあるのだ。間違っていない論理もあるだろう。
だが納得してもらえる物は容易くは存在しない。その中で否定されながら正しさを貫けるか、何を配してでも正しさを続けられるか、そんな簡単に出来るわけもないヒーローの論理を彼らは試される。
だがそれでもあちら側に踏み出せる物は誰も存在しなかった。
そして彼は末路をさらすしかない。
言葉だけで戦ったが、それが彼女を止められないのだ。こうなるのは誰もが分かっていた筈だ。止める事も、手助けをすることもなかった。彼が力を使えなくなるほどに刻まれるまで、何一つ誰も何もしなかった。
それはそう決意したからか、それとも二人のラインに踏み込みたくなかった恐怖なのか、だが言えるのは、彼らはあの二人の様に成りたくないと思った事だけは間違いない。
何もしないと言う選択はあるが、ここだけは違う。自分達のヒーローとしての選択を、彼らは試されていた。なのに動かないと言うのは、自分たちは何も出来ないと証明する行為に過ぎない。
だが、誰もが思ったのだ。
簪のようにはなりたくない。
彼のようにはなりたくない。
なによりあれを正しさなどと言いたくはないのだ。
血塗れになって動けなくなる彼の姿は、ただ哀願するように同じ事を言い続けるだけの暴挙と言っても差し支えのない代物だ。この状況になっても能力を解除しない精神性など真似出来る訳もない。
だが同時にこんな風になる様な真似をしたい筈もない。逃がさないと彼の足を切り落とす簪も同じだ。
ここまで行き着けば、それはただの正しさ以外存在しない怪物にしか見えない。
のたうち回る事も出来ずに、足を切り落とされても、吐き出す言葉も意思も代わらない。両腕を切り落として、悲鳴も上げずに理想を語る。自分の思想に対する殉教者とすら感じるような姿に、誰がなりたいと考えるだろうか。
だがそれでも彼らは変らない。そうなる為に生きているように、何も変えられないままに潰し合っている。
けれど正しいとはいつだってそういうことだ。
間違っていなくて、正しい事は、うつろう代物であり、容易く変わる人の感情と変らない。だがその正しさの指針を決めたのならば、変えてはいけない。歪めてはならない。
その瞬間に正しさは欺瞞に変る。間違っていないのではなく、自分が間違ったことにしてしまう。だからそれを貫く時に理解される事はまず無いと言ってもいい。
正しさだけで人は生きてはいけない。
正しさが人を救う事はない。
だが正しさがなければ、この世界はいつだって地獄だ。
理想と現実の間はいつだって、絶望的な断絶があるかもしれないけれど、理想がなければ優しさなんて生まれない。優しさがなくて人が救えるわけがない。
理解されない事はつらい、認められないことは悲しい。だが二人してここでは同じ事を言うだろう。
それでもと、きっと彼らは同じ事を言う。
自分には救いがないかもしれない。自分達が罰せられる存在であることも理解している。
だが彼は言う自分が言わなければ世界に救いがなくなると、彼女は言う言葉じゃ変らないから最善の行動をとると言う。それがどうしようもなく痛みの伴う事で、誰も真似できない領域に辿り着いたとしても、それを彼らは辞めることはないだろう。
茨の上を歩く時に痛みを耐えるのではなく、その上を歩き続ける事をやめない行為こそを覚悟と言う。
仲間を見殺しにした男は救われない。最小の犠牲を伴う彼女は救われない。
だがどちらも誰かがしなくてはいけない事だ。正しさは、厳しさと変らない。立ち上がれと尻を叩き、頑張れと背中を押す事はあるが、絶対に自分達の力で解決させようとする。
その厳しさは何より本人に向けられるが、それでも周りにもその厳しさは伝わる。
それをヒーローたちは狂気といった。
達磨の様に手足を切り落とされ、腹を突き刺されて縫いとめられた理想家を見ながら、結局ただ暴力に潰される事にどこかで失望の感情を抱きながら、彼らは正しさの意味が分からなくなっていく。
荒い息を吐きながら、幼いころからの友人を切り刻んだ簪は、知らずの内に涙を流していたが、彼女にはそれが気づけたかどうかも怪しい。
でも彼女は止めなかった。それが正しさの一端だ。何があろうと曲げないのなら、こういうことだって起こりえる事実がある。
そして彼もまたその状態になりながらもまだ自分を止めない。
この姿を悪夢と言わずになんと言う。誰もが間違っていなくても、この光景はどう考えても間違っている。そう思わせるほどに彼らの正しさは、何もかもを終わらせようとしていた。
「ここまでされても変らないか。やっぱり君は変えられないか」
叫ぶ。
達磨にした友人に、憧れたヒーローに、諦観にも似た感情でかすれながらも理想を続ける男に、簪はなくように声をかけた。
「君じゃ変えられない。君は変らないけど、君の理想じゃ何もおきないんだ。何も出来ないんだよ」
変らなくても、変えられなくても、結末はずっとこのままだ。
彼の末路は彼自身が理解していた。こうなってしまう事なんて、自分がどうあっても、あの日の憧れには届かないと知っていた。
だが無意味なんて言いたくなかった。あの日に見たヒーローの姿は、届きたい彼の姿だ。つかみたい自分の夢だ。届かないから諦める理由はなかった。けれどその末路は憧れに終わらされる自分の姿だけであり、意識すらあるのか動かも分からない境なのである。
「何も出来ないんだそれじゃあ、言葉だけで何も代わらない。伝えるだけじゃ何も変えられない」
それでも彼は変らない。
ずっと同じ口の動きをしている。命の哀願なんか必要ないと、その間際まで死よりも彼はこの言葉が世界から消えることを嫌がった。
「結果がこれだよ。こんな結末が君の結果だ。ほら、やっぱり何も変らない」
救いのない世界にいた。だから救いを求めた。
そして彼は救われた。けれどそれだけじゃ足りなかったから、手を回りに差し伸べ続ける。だが何より明確な拒絶は彼の腹を捻り、生かす気もないのだろう大きく武器が掲げられ、彼の心臓にその刃は突き立てられる。
びくりと跳ねて動かなくなる。それと同時に血の壁は消え世界は、彼の死を認める物のように静かにだが確実に、彼女の結論を世界が善しとした結果に過ぎなかった。
それを見ていた者達は、やっぱりと思う。これが結末なのは誰が見ても明らかだった。
だがどこかで彼らは期待していたのかもしれない。彼の言葉が嘘ではなくて、もしかしたら百点満点の結末を見つけ出すのではないかと、そんなありもしない物を望んでいたかのように、当然の結末に彼らは失望する。
「何も変らないんだ。君の言葉じゃ何にも変えられない」
止まった彼の姿に、彼女は念でも押すように、感情を吐き出していた。
だが期待したのは彼女も同じだ。彼ならなにかを成し遂げてくれると、自分が摘み取っておきながそんな幻想を抱いていた。
私を納得させてくれと、この剣の降る先を君にさせないでくれと、だが彼は誰の願いも叶えることなく、その場で終わらせられた。
能力を切り、声すら消えた友人だった男を見ながら、謝罪の言葉を口にしようと思った。
けれど簪から出てくる言葉は、謝罪でもなんでもなく、頭の片隅には浮いていたが、本来死体にかける言葉ではなかった。
「君の言葉は、続けなくちゃ意味がないんだ。その瞬間から君は嘘つきだ。だから言わせてもらう」
侮蔑だそれは、罵声だそれは、必死になって手を取り合うことを説いた男にかける言葉は、お前の行為の全てはお前が死んだ瞬間から無駄になる者だと言う宣告であり、全ては無駄だと言う弾劾である。
「やっぱり君は間違ってる」
彼女はそう結論を下す。
死んだ男に鞭を打つ。だが間違ってはいない、何も成し遂げられずに死んだのだ。ただ必死に理想を語って、何も出来ずに死んだ。
彼は否定されて当然だ。それは諦めたのと変わらないのだ。努力したって、努力だけじゃ変らない。その言葉を真にするには、彼はどうあっても理解されずに殺されてはならなかった。確定した末路でありながら、彼は自分のことを殺させてはならなかった。
言葉が消える。
当たり前のはずなのに、何処からも聞こえなくなって欺瞞の言葉に変る。
彼は、彼らは、彼女らも、信じたいのだ。
けれどその声は残響すらなく空に響いて消えていった。何もなく音もかすれて世界に消された。
もうその声は聞こえないとでも言うように、赤い世界の結末と同じく、ひび割れた硝子細工の様に亀裂を交えて世界は終わる。
だが、まだ世界は終わってはいない。
「そう簡単にさせるわけねーだろ」
誰にも聞こえない様に呟かれた言葉と、飛び出した人の姿がまだ終わっていないと叫ぶ証明だ。
拒絶され、否定され、何もかもが終わったはずだった。
けれどまだ声はどこかに消えても響いていた。振動はつながるように誰かの心に残っていた。
確かに効率を求めれば、それだけで救える物はあるだろう。
けれどそんな事じゃあ世界は救われない。そんな風には世界は救われない。
いらない物を捨て続けたって、最終的ないらない物が自分だと思うだけだ。
効率だけを求めてなんになる。
最終的にその末路はどうあってもすべての切除でしかない。
機械としての人の姿なら、こんな争いは本来起きなかった。人はそれ以外があるから、こんな争いが起きてしまったのだ。
だが人としてなら余分は華だ。喝采の声を鳴らす黄金だ。
けれど本質それは無理であるのも事実である。手を伸ばしても届かない場所はあり、彼の願いもまた同じ物であった。理想は高い、だが現実は、思っている以上に低い場所にしかない。本来はその理想を果たすためには、現実のかさをあげる努力をするべきなのだろう。
それでも、それでもと、何度だって彼は言い続けるだろうが、人はまだその場所にはきっと辿り着く事はない。
その否定の限りがあったとしても、断言しておくべき事もあるだろう。
それは諦める理由では断じてない。
でなければ、その男は動かなかった。
そして他の者達もきっと動かなかった。
壁が取り払われるのと同時に動き出した人々は、彼の部下であり同士であったのだろう。
最後まで代えなかった男の末路を見ても、まだ救えると信じる理由があるかもしれない。本当の意味で彼の敵であった彼らだからこそ、見えている部分があるのも事実だ。
でも彼の声は響いてた。千里の丘を越えることもなく、幾千の山にも返されることがなかった言葉だが、自分の真向かいに立って語り続けてきた人には届いた。
条件反射の様にヒーローに殺されていく怪人達の姿しかそこにはない。
響いた結果の殺戮はきっと彼が最も望まなかったことの一つだろうが、彼らはそれが正しいと本気で思って行動したのだ。
あの声だけはと、外れた筈の自分達を拾い上げた男の声だけは、まだ世界に響いてほしいと願った。
もしあの言葉を彼が否定したとしても、声は確かに響いて無駄ではなかった事実はある。
無意味でなかった意味がある。無価値でなかった価値がある。
「簡単にあいつの言葉を無駄に出来るわけがないだろーが」
将軍は走った。本来ならそもそも戦闘能力自体は怪しい物だが、えぐられる体を治しながらでも、誰よりも早く彼の前にたった。
走る間ずっと思った。彼の言葉はどうにもならないものだ。それは言葉の中ですら、分かっていても、それでも怪人たちは認めなくなった。自分を救った言葉が嘘であるなんて、誰も救わなかった物たちを救おうとした言葉がうそであるなどと、彼らは認めるわけにはいかなかった。
「無理なんかじゃないんだ」
誰かが言った。だってそうなら自分たちはここにはいない。
「無理であったなら」
誰もが言う。お前らの言葉は間違っていると言いたくて。
「俺たちがあいつを信じることなんて出来るか」
否定される筈の言葉を掬い取ろうとした。
彼らは、いるだけで彼の言葉を肯定できる存在だ。
誰もが無理と言った言葉を否定させない証明だ。誰もが無理と言った言葉を否定させない光の様なかすかだが忘れられない輝きなのだ。
瞬きのままに消えて行く彼らの証明は、簪の表情を歪ませた。
あれだけ否定してもまだここには彼の声が残っている。殺すだけでは意味がないのかと、これを根絶やしにても、彼女の頭に鳴り響く友人の言葉は、何処までも不愉快に夢を彼女に囁いた。
けれどもはや彼女を止める力も言葉を持つ物もいない。
ただ彼を癒そうと目の前で必死に足掻く将軍の姿にいったい何を思うか。だがそれはある意味では感情とはなれた部分だ。
簪の正しさは、なによりも骨身に刻まれた無慈悲とすら言えるほどの必要悪の体現だ。
苛立ちやそんな感情を含めなくても彼女は、必要であるなら命を刈り取る。その為剣が将軍の体を切り裂くが、もうその時間で彼の体の壊れた部分は治されている。
壊された心臓を癒す。だが死体を蘇生する事なんて彼には出来ない。
だがヒーローたちはあまりにも彼を知らないから、それで死んだと勘違いしただけだ。その男は一度見せたではないか。
心臓を破壊してでも立ち上がる様な行為。
血流操作を旨とする男が、心臓がつぶれた如きで死ぬはずがない。
心臓が破壊された如きで、男が死ぬ筈がない事を敵であった彼だからこそ理解していた。
それでも将軍の命だけは終わる。彼は残念ながら、彼じゃあない。
心臓を潰されれば死ぬ。いや死なないとなんて彼らは思っていないだろう。だがそれでも、選んで手に入れたい物があったのも事実だ。
「お願いだ」
彼の思考がまたその場所に戻るまでの一瞬で、将軍の生の可能性は尽き果てるが、それでもあの請えば世界にまだ残るのならば将軍の勝ちであってもいいのだ。
「あんただけは」
自分は無理だった。どんなに努力してもその場に辿り着けなかった。
その言葉を諦めてしまったと知っている。だからその言葉を嘘にしない為に、末期の言葉にすら信頼を寄せるのだ。
「諦めないでくれヒーロー」
だが終わる。将軍の命とともに彼に押し寄せる現実が、ここから始まる終わりを響かせた。
目を見開き世界を覗く時には、彼にとっての全てが終わるときだ。
ぎしりと世界から亀裂の響く音がした。
それは世界中の人が聞いた世界の音で、誰かが傾けた天秤がどうにもならない所まで世界を追い詰めていた証明が、他でもない彼の視界に去らされる。
最接近現象
これは偶然などではない。事象核が発生したからでもない。
ほかならぬ彼の手によって起こされた現実だ。
「あ、ああぁ、あああ……なんで、なんでこうなるんだ」
誰もが気付かなかった事だが、たった一人だけそれを自覚してしまった男は、絶望の声を誰より先に上げた。こんなことができるのは自分だけだった。こんな事をしてしまえる結果を出せるのは自分だけなのだ。
世界に一人だけの事象核の力を遮断できる乖離の力を持つ男が、その均衡を完全なまでに崩した事実を、彼自身が気付いてしまっている。乖離とは世界との境界をそもそも切り離す行為だ。
それが彼にとって、与えられる他者からの最後の設問である。
それは自分の行為の全否定。
知らずに誰もが問いかける。どうだいヒーロー、まだこれでも君はその言葉を諦めずにいられるのかい。
その足で断って歩いていけるのかい。
絶望はまだ先の先にあるものかもしれないのに、君はそこまで辿り着くことができるのかい。
だが亀裂は世界と同じ様に二度と戻らぬと言わしめるように、彼の心に走り砕けた。
声が響き続ける。今までとはまったく違い世界の悲鳴と、自分の行為が招いた結末にさらされる男の悲鳴が、世界に確かに響き続けている。
けれど彼の言葉はもう響かない。誰も響かせることはない。
もう声は何処からも響くことはなくなったのだから。




