六章 彼女の能力は、ヒロイン体質と言う名前であるだけで能力ではない(ネタばれ)
「みんな死んだね」
二次侵攻から二日後、表情も態度も変わらない男は、自分が助ける対象として存在している対象に、声をようやく掛けられた。
実際に態度も何も変わらなかったが、彼が追い詰められている事ぐらい周りは察する事が出来る。
こうなると分かっていた結果を受け入れているだけであり、それが認められない彼は、引き金を引きながらも、その全てを認めたくない存在は、平常を続けていた。
諦めるつもりはないと言いながら、彼が残した結末は死体の山である。
それに彼が何も思わない筈も無い。表情の変わりに壊れるのは心の部分は、たしかに再生不可能なほどには、亀裂が走り残骸になる一歩手前の形と言ったところだろう。
むしろ彼はもう表情を変えられないのかもしれない。泣くことは許されない、絶望する事も認められない。みんな死んだが、その『みんな』の死を彼は、無駄に出来ない以上は諦める事は許されないが、その行為自体が彼を磨耗させていくのも仕方ない事である。
その癖に頑固であり、必要以上に弱みを見せない性格が、無表情と言う出力として物理的に現れる。
だが彼が変わらないからこそ問題でもある部分だ。
本質として彼は、あのような惨劇を認められる人間ではなく、それを許してはならない側の人間である。そんな男が変わらないわけがないと、彼女は少なくとも理解しているし、彼が持ちえたあの苛烈さが薄くなっている現状は、自分が思っているより厄介な事になっていると言う確信を持っていた。
だから気持ちの整理に一日だけ待ったが、彼はそれでもなにも変わらなかった。
それが何よりも大問題であると気付けた彼女は、その能力名にあった行動を取っているのは間違いないだろう。
「ああ、僕の所為だね」
「もっとやりようがあったと思うよ」
「ああ、あったと思う。けどそれでも僕はあの選択しか選べない」
それを平気で言ってのける下のすべりにはある意味感動だが、彼女からしてみれば絶望してでも這い上がる姿があれば良かったが、彼は地の底からは空を見上げているだけだ。
彼は気付かないうちに、変える必要が無かったのではなく、変わらなくなっていた。
少なくとも彼女にはそう見えた。誰かを救おうとして、誰一人救えていない現状と、彼の目標の形を仰ぎ見る彼は、自分の足もとがどこにあるかすら見えて居ないだろう。
予想以上に彼は駄目だと、彼女は判断するしかなかった。
人の死に晒されて、彼の許容できる範囲など既に超越しているのである。それが何度も重なり、死者との繋がりが、完全に一人のヒーローを潰しかけている。
「今から曲げるわけには行かないの」
彼女は自然と妥協を提案してしまう。
それ程に彼の現状は危ういと言うしかない。亀裂ばかりで、軋みを上げながら、形を保っているだけの建物に人は住まおうとは思わないだろう。
例えるとするなら彼はそう言う状態なのである。その補修でもするように彼女は、ゆっくりと休んで落ち着いたらとでも言うように気安い言葉を掛ける。
「最初からこうなるのは分かっていた」
だがそれを遮るように、彼女の言葉に彼はこうなる事を理解していたと告げる。
それが彼女にとっては予想外だったのか、それとも納得だったのか分からないが、困惑したような表情を作っている事からも、この状況に何も出来なかった彼に対して、少し以上の憤りを覚えてはいるのだろう。
だが彼は独白のように言葉を繋げた。
「自分が組織を持ったって、どれほどの力を持つ仲間を手に入れたって、こっちは言葉以上のものが使えないんだ。
だから使ったよ。協会との対話を何度希望したか、降伏の打診すらしたよ。更に経済的に行動で着ないようにとして見た。偶然だけど悪の組織を吸収して、戦力と言う形を見せて均衡をたもうとしたさ、それでもどうにもならなかった。
どうしようもなかった。自分が考えられる全ての手段を利用したって、僕にはこの現状が最大限だったんだよ」
段々と荒くなる語調は、彼の感情の発奮だろう。
どうしようもなかった。だが実際には協会からの提案が、彼が予想した対応であり、それだけは彼にとって認める事の出来ないものだった。
目の前で彼を攻めるような視線をしていた筈の彼女こそが、ある意味では彼の希望を打ち砕いているのである。
事象核の命こそが、協会が唯一納得する降伏の代償だ。
だがその犠牲を彼が肯定するかと言えば否だ。彼は度し難いほどの頑固者であるが、それ以上に誰もが歩まなかったヒーローの理想像を目指し続けている。
その中に代償を必要とする平和だけは認められない。怪人などとは違い、あくまで守るべき対象として存在する彼女を代償に払える余裕は無い。
少数の犠牲を認められないから、彼は怪人達に犠牲を強いる結果となった。
それを口には出来ないからこそ彼は、彼女と目を余り合わせる事も無く、自分の所為だと言いはているのだろう。
この状況になったのはあくまで自分の無能以上ではない。馬鹿でも思い突きそうな未来予想図があって、それに気付いていながら目を逸らしたのが彼だ。ヒーローに成ろうとしている怪人を見捨てて、守る存在として存在する彼女だけを生かそうとする。
それが自分の決意を台無しにして居る理由の一つであったとしても、彼はそれを止められないでいるからこうなっているのだろう。
ある意味では妥協出来る命があるから、それを消費して彼女を守っているとも言える状況が今だ。
少し前に彼女は後ろ向き名発言は止めようと言ったが、彼の言葉は後ろ向きにしかなれない自分の現状に、絶望以上の感情を抱けないでいるからこそである。
八方塞の状況でどうしたらいいのか、一つだけの解決法を認められない彼には何も出来ない。ただ全滅するその時まで彼はそれを止められないでいるだろう。
救う為の手段を選ばない男が、その方法を見出せないからこそ、現状を覆す何かはまだ見えないでいる。
「じゃあどうしたらいいの、このままだったら全員死んで終わりじゃないの」
彼の自身への断罪に近い言葉を聞きながら、極めて冷静に彼女は返す。
何も言い返す事の出来ない彼は、何度も口を開こうとしては閉じてを繰り返し、結局言葉にならない現状の証明しかなさされる事は無かった。
その沈黙に耐えかねてか、彼女に浮かんだ提案は、彼が考えても出来ないことだけだ。
「私が、私が」
「何があっても駄目だ。君の言いたい事の意味は分かっているけれど、それが最も確実な解決法でも、それを僕は認められるほどヒーローを止めてはいない」
彼女が浮かんだ方法ぐらい予想はつく。
自分を犠牲にして、他人を救うなんていうのは、ある忌みでは彼女の特殊能力らしい能力である。
ヒロイン体質と言う名の力は、確かに彼と言う存在をヒロインに押し立てようとしているようにすら見えるが、それを選べないのは別に彼だけじゃない。
この組織に所属する生き残り達は、本来真っ先に処理しなくては行けない犠牲を認められないからここにいる。
誰もが救わなかった存在に手を伸ばすが、その伸ばす手が彼らを黄泉に引きずり込む醜女の誘いとなんら変わりはしない。それが分かっていても変えられない度し難い連中だけが集まったのが、困った事に、何よりふざけた事に、それに加えて哀れな事に、この世界の天敵と言う組織なのである。
だから彼らは、彼女が殺される事が認められない。偶然手にした力が、世界を滅ぼすから処分されるなんて言うのは、この組織にいる人間にとっては認められる事ではない。
彼とは別に、そうやって追い詰められてきた怪人達だったからこそ、能力を持って誰にも手を差し伸べられなかった存在ばかりだらこそ、絶対に認められず今もなお彼女を守ろうとするのである。
「でも、私だってこのままだったらどうなるかなんて分かっているんだよ。私を犠牲に使用としないの」
「してどうなるんだ。また僕らは、そうやって生きろというのか。覚えておくといいよ、この組織にいる人間は、君以外誰かを殺した事がある人間ばかりだ。そんな人間がもう犠牲を出したくないと言っている意味が分かるかい」
彼女の自己犠牲の精神を否定するわけではないが、それでも彼らはその犠牲を認められない。
命を一度でも奪った事があるからこそ、自分と言う命を彼らは下に見ているのである。
自身の為に消費される命はあってはならない。自分達が救うのは、贖罪にも似た強迫観念にちかい。
サバイバーズギルトという物があるが、怪人のことごとくはこれに掛かっていると言っても過言ではない。
殺人と言う罪悪感からわきあがる贖罪と言う感情が自分の命顧みないというものに変わり、その命を使って誰かを救おうと考えた。その方向性を彼らに与えた存在こそが、彼女の目の前にいるヒーローなのだ。
誰も救おうともしなかった怪人と言う名の先天的に能力を持ちながら、自分の意思で、あるいは、生まれながらに利用されていた彼らに手を差し伸べて、こちらに引きずり出した男は、彼らの指針であるべき存在としてこの場所から、そして自分の決意から逃げられない。
「人殺しって、実は思っているより簡単だ。そして思っているより罪悪感なんか無い」
それは自分の父親を殺そうとして失敗した男の言葉だが、彼は自分が人殺しではないとは言わない。母親は殺した、父親は簪が止めなければ確実に切り飛ばしていただろう。
確固たる意思の元に行った自分の行為を、彼は殺人未遂ではなく、殺人行為であると認め、自身に人殺しの咎を与え続ける。
その男が言うのだ。
自身を人殺しとして認めながら、その行為に対しての意味を、ぞっとするほど冷淡な口調は、彼女をたしなめる為のものでもあったかもしれないが、それ以上に彼を見る眼を一片させるほどには静かで当たり前の言葉のように吐き出された。
「ただ人殺しは残り続けるよ。ずっと、自分の網膜に、心に、思考に心臓に体に、能力に、身体髪膚に刻まれるんだ」
「悲しそうに言うけどさ、それってつまり、一生忘れられないだけじゃないの」
「違う。残り続けるんだよ。ただ何をしてても、何をやってもさ、その場所に自分が残り続けるんだ。自分はそこから変わっていない。自分はそこから動けていない。自分は結局その場所に立ち竦んでいるだけ。
人殺しはそこからずっと動けない人間の事を言うんだよ。それは、ここにいる彼らも全員同じ事なんだ。罪悪感とも違う、後悔とも違う、ただ残り続けるそれが、自分をその場所に縫い止める。それはさ、孤独でしかないんだ」
正直に言って彼女にはなにを言っているか分かりはしない。
彼はそれでいいと思うし、彼女がそうなる理由は無い。そこにいる自分達とは違う彼女を、こちらに引きずり込むつもりも、そちら側に引き摺り上げて欲しいとも考えない。
だが自分達を救う為に、自分を犠牲にするような、そんな事だけは認められないのだ。
その場所から彼女を救おうとして、ヒーローに成ろうとして死んだ存在達がいた事を忘れられない。
それがある意味では全てなんだろう。自分以外の価値を救い上げた事で繋がりが出来て、自分が孤独じゃない証明になる。
ヒーローとして、何より人殺しとして、彼はその姿を彼らに見せたのだ。自分達が一人では無い証明を果たす理由として、彼は彼らをこちら側に引きずり込んだ。
だから彼らは命を掛けて死んだ。
狂気とも言っても差し支えは無い。実際彼自身自分がまともとは言いがたい神経をしているとは理解はしている。
人殺しであるヒーローが、まともな訳も無いが、自分がどういう立場であってもこうなるのなら、それをまともと呼べるほど彼は人間を止めてはいない。
「だから先に忠告と言うか脅しをしておく。君だけは前向きでいろ、死ぬのは君が最後じゃないと行けないんだ。生贄になるなら救ってやる、死ぬ気なら生かしてやる、諦めようとするなら引っ叩いてやる。君が言ったんだろう。僕の救いは押し売りだって、まさか彼らがその押し売りをしないと思うのかい」
彼女の表情が歪む。それは酷く引きつったものであったが、笑っているようには見える。
だがまさか自分が前向きにと言っていた事が、ここに来て返されるとは思わなかったのだろう。なにより、自分の見る眼の無さに呆れていた。
善意の押し売り、救いの押し付け、頭が痛くなるが確かにぴったりだが、ここまでだったとは思わなかったが、確かに彼はそれがぴったりだろう。
まともじゃないが、決して間違ってはいない。
「悪趣味じゃないそれ、だって私に選択肢は無いじゃない。このままだったらみんな死ぬだけなのは変わっていないんだよ。
私がそうなれば、彼らだって救えるのに、何でそう妥協しないの」
「僕の考えているのは所詮理想だよ。しかも現実を見ない、絶対不可能だろう理想だ。
だから簪の正しさを、あちらのヒーローの正しさを、僕は認めたさ。だけどそこを諦めたら、理想を吐き出すことを諦めたら、みんながそこを妥協点にするだろう。僕はそれだけは許せない」
彼は自分の言葉が間違っているいないではなく。不可能に近い事は知っている。
だがあっさりとそれを認めた事に、彼女は少しばかり怪訝な視線を向けたが、最後にはいる否定の言葉に納得をする。
しかしそこまで聞いて彼女は首を横に振る。
「けれどそれはただの綺麗事なんだけど」
「綺麗事の何が悪いんだ。正しい事を正しいと言う事の何が悪いんだ。理想の何が悪い。絶対に間違っていないんだ。絶対にそこだけは間違っていない。理想に妥協して、また僕達は人殺しになるのかい。そんなのは殺されたってごめんだ」
「それが理由なの。随分軽いような重いような。けどさ出来ないって分かっているのに、なんでそちら側に迎えたの」
「決まってるじゃないか、人を殺した事があるからだよ」
卑屈に笑って、彼女から視線を逸らした。
真っ直ぐな眼で見られても困るのだ。自分がどういう存在かじゃない。
そもそもがだ、この会話には偽りが含まれている。
彼にとっては事実ばかりのないようだが、この会話は彼女の視線を逸らすためのものだ。
自分が壊れそうな事はもう分かっている。
遠い理想が、もっと遠くになっている。手が届かない場所が、眼にも見えない場所に変わったのは何時からだろうか、だが彼は理想の場所がもう見えない。手を伸ばすどころか、どこにあるのかすら分かっていない。
けれど妥協は出来ない。自分が信じるヒーローの姿は、まだ先の先のもっと先の果てにある。
だから立ち止まれないし、止める訳には行かない。
その前に自分を止めようとするだろう彼女に、自分は狂人だから大丈夫と嘘をついた。
もう誰も死なせない。
そう決意して彼はここにいる。
もう限界に近い心の痛みを隠して、その事だけには触れさせないように、疑惑を持って見ていた彼女の視線を狂っているそんな言い訳で本質を隠した。
第三次侵攻と呼ばれる世界の天敵との戦いで、一人で戦おうとしている男は、誰にそれを伝えるでもなく、誰にも教えず誰にも語らず、磨耗の限りを尽くして朽ち果てようとしていた。
こんな彼だからこそ、獄中にいた一人の男の言葉が浮かんでくるのだろう。
ヒーローってのは何時だって孤独なもの。
誰もが忘れているのに、自然とそうなって行くヒーローは、その言葉のように自然に成り果てて朽ちて尽きようとしていた。




