序章 最接近動乱
なあ、どうだった。
それが彼らの最後の言葉だった。
なあ、俺達はあんたの為になったのか。
それが彼の最後の言葉だった。
なあ、ヒーローになるって、本当に、
それが彼女の最後の言葉だった。
ああ、つらいな。本当につらい。
そしてそれが、ヒーローの言葉だった。
目の前に浮かぶのは黒い門。そこから亀裂のような後が世界に現れ、音も無くだが確実に世界の壁を砕こうとしていた。
失敗した。誰かがそう叫んでいた。もう終わりだと、誰かが泣いていた。ここまできてしまったと、ヒーロー達は嘆きの声を上げた。
膝を付き、今から始まるどうしようもない世界の終わりに、ただ敗北を嘆くものばかりだ。
勝ったのにと叫ぶ声が後ろから響き、何でこうなるんだと、折角悪の組織を倒したのにと、努力し続けた者達に絶望を与える光景は、確実に世界に破滅を刻んでいた。
そこから現れる大質量生命体、そしてこの世界すら侵食する事象生命体、そんな存在が次々に溢れだしてくる。
ヒーロー達ではもう手が足りない。
ヒーロー達ではどうしようもない。
最強のヒーローは倒れ、事象核のヒーローは膝を付き、ただ世界を僅かでも存続させようと抗っている者達が、最後の無駄な抵抗を繰り広げ続けるだけだった。
その中で誰かが、誰かを糾弾していた。誰かが、誰かを殴りつけていた。誰かが、誰かに祈っていた。
目からは生気を失い、ただされるがままの誰かは、全てを台無しにして、全てを無くしてしまった。
抗ってきた、諦めなかった。だが全ては無くなって消えてしまった。
世界は破滅した。もうこれを押しとどめる事なんて誰にも出来ない。事象核云々ではなく、ある意味ではこれは物理的な要因だ。
壊れた物はもう直らない。世界はもう変わるしかない。
何もかもが破壊され、新たな事象の卵が作られる。それは世界を変える論理、世界を覆す、世界同士の対話である。
黒い亀裂とは、世界そのものが侵食する根であり、黒い門とは木と言えるかもしれない。
世界はもう終わる。どう有っても世界は覆る。
もう誰にも止められない。世界は終わったのだ。
きっと人は死ぬ。新たな世界の調和に、生命が耐え切れるわけが無い。そして門から現れる存在に耐え切れない。
世界にとっては所詮は、単細胞生物と変わり無い存在である人と言う形は、人が他の生命に抱く感情以上にはならない。
決して世界にとって人なんて物は特別でもなんでもない。
その自覚を人がしていたかは分からない。だが人の価値は人が思うよりは絶望的に低い。例えその世界で現れた世界の原理の核を担う存在になりえる器だったとしても、彼らは羽虫のように死んで行くだろう。
だが、それを知っていて諦めないものの声が、絶望のふちに沈む存在にずっと声を掛け続けていた。
立ち上がってと、この状況でも諦めるなと、その絶望を認めるなと叫ぶ。
けれど届かない。ここに到るまで彼は、死をとした。重ねた後悔が、命を全て無駄にした絶望が、彼を彼のままで居させる論理が、絶望の一言で地面に貼り付ける。
もうどうにもならない。
問いかける声があった。
そして諦めるなと言った声があった。
あんただから信じている。
そんな風に語ってくれた者達の言葉を、全て台無しにしたのは彼だ。その言葉がもう彼を動かさない。自分には何も出来なかったと言う絶望で、彼は全てを投げ捨てていた。
助けてよと言う言葉は、諦める名と言う言葉は、彼にとってどれほどの重みで、どれほどの形を作っていたのだろう。
希望はもう無くなった。絶望だけが世界に蔓延し、ただ跋扈するだけの彼らの後悔の蓄積が、世界を切り裂きながら深くに刻まれ世界に根を這った。だが世界に根を這った亀裂は、それだけに収まる事は無い。
根を張るのは人、吸い取られるのは決意と言う名の彼らの覚悟だ。
それを養分としているかのように、黒い亀裂は更に世界に深く刻まれていく。だが、諦めて欲しくない人が居るだけだ。
彼は背負っている。今までの決意を信じてきた命を、そしてそう出来ると信じ続けられた。
誰も彼を悪く言って死ぬ事は無かった。
ただ、彼に希望を託し続けた。あんただから、あんたじゃなきゃ、そんな風に折れたヒーローに無償の信頼を彼らは託していた。自分じゃ駄目だったから、最も信頼で切るあんたに、そんな風な声が今も彼の記憶に刻まれている。
けれど、今彼をさいなむのはその託された希望だった。
重い物ばかりだ。誰もが彼に託した、誰一人忘れられない末期の言葉に、彼は一歩が動けなかった。自分が彼らを引き連れたからこそ、この顛末がある。
信じるという言葉の重さをこの場になって知らされ、一歩を踏み出す力すらも押しつぶされ続けている。そんな彼を何度も引っ叩き、叱咤する彼女の姿は、彼なら立ち上がれると信じているからこその行為なのだろう。
そう信じさせるだけの力があるのが、彼が歩き続けた道であったのだ。
だから託された。だから信じ続けられる。
ここで折れてもきっとヒーローは立ち上がると誰もが信じるから、その信頼に彼は押しつぶされ続ける。
もう歩きたく無いと嘆く子供のように、その場でうつむき続ける。
忘れられない言葉があった。
忘れさせない決意が有った筈なのに、世界はどこまでも彼に残酷であったのは間違いないだろう。だから彼はこうなってしまったのだ。
誰もが無責任にヒーローの役を彼に押し付けるから、彼はここまで追い詰められた潰された。そうだと言うのに、ヒロインの役割を持つ彼女は何度も彼を引っ叩き、立ち上がれと何度も怒鳴りつける。
信じているから、何度も彼に押し付ける。
あんたならと、そう思っているから、全てのヒーローが諦めた異世界融和現象、つまり最接近現象をどうにかしてくれと願ってしまう。
だが彼の言葉は何にも変わらない。
許してくれ、俺はもう無理だと、同じ言葉ばかりを何度も繰り返し、彼女のびんたで黙らせられる。それでも彼は立ち上がれない。今はまだ彼は立ち上がれない。
もう彼は憧れだけでは許されない。なりたいだけでは許されない場所に立っている。
たった一人世界で望まれ続ける男は、動けない世界で嘆きの声を受け止めながら、なにも出来ないと何も動かなかった。
それでも彼に託した希望は残っていて、彼に託された信頼は変わらなくて、何もかもが分からないから、誰もが信じてしまうのだろう。
世界の敵と呼ばれながら、誰一人殺せない、ただ殴られるだけの悪の組織の長は、その組織を壊滅させながらも再起を願われる。
――お願いだ。
あんただけは、あんただけはと、一人としてヒーローに救いを求めない場所で、何も出来ない男はヒーローと信じられ続ける。
――あんただけは、
ずっと忘れられない言葉と共に、彼は悲鳴を上げ続ける。
その声が絶望になったのはいつだ。分かったと言ったのはいつだ。受け止めたのはいつだ。そうしていた事が耐え切れなくなった場所がここだと言うのに、彼の絶望は終わらない。
誰もが彼の絶望を終わらせない。当然だ、彼に与えられるのはいつだって、お前なら出来ると言うの信頼と強要だ。
それをこなせと追い立てられる。
ヒーローであるなら、私達の全てを守って当然だと糾弾するようじゃないか。
一方的な救いの強要に、彼は追い詰められ続ける。救ってきたはずなのに、必死になってどうにかしてきた筈なのに、彼の決意は全てが全て、お願いだからと言う強要によって絶望のふちに追い詰められる。
精神的に壊されてしまうのは当然だ。救えて当然などと思われて、それが出来なければ、強要した人間は罵声を浴びせるような世界だ。気持ち悪いと背中を刺す世界だ。裏切り者と石を投げ殺しに来るそういう世界が彼を追い詰めたのに、救いの強要は終わらない。
まるで呪いのように彼は信じられる。彼は託され続ける。
顔を歪めながら、絶望に嘆きながら、その英雄叙事詩は無理矢理に周りを煽り続ける。
叱咤する声、響く打撃音、そんなものに意味は無い。彼はそんな事では動かないのだ。
絶望が彼を食い尽くす中で、彼女の価値はもう無くなっている。世界にとってもう何もかもが終わった段階だからこそ、最悪の脚本は全て破り捨てられるだろう。
その全てが破り捨てられた時に、陳腐な喜劇のような顛末が訪れる。けれどそれはまだ遠く、名ばかりのヒロインに価値は無く、能力だけのヒロインも意味は無い。
――諦めないでくれヒーロー。
彼を奮い立たせるのは、そんな代物では無い。
呟く言葉は泣き声のようで、誰かに向けて語ったその言葉は、誰にも届かず、彼の体にだけ届いて、彼の瞳から一筋の涙となって流れ落ちた。
「僕に頼るな、こっちだって辛いんだ」
だがそれでも彼の再起はまだ先の話なのだ。彼の絶望はまだ始まっても居ないのだから。




