十章 主人公のアレはまだ内緒です
異様な光景だった。
戦いの鐘がなっている訳でも無いと言うのに、血塗れになった男は、最もと言う言葉を関するに相応しいほど苛烈な感情を世界に向けていた。
ただその場を見るだけならきっと決死の覚悟を持った戦いだと思うだろう。確かに間違ってはいないが、彼は自分の命は掛けても他人の命は掛けない。
あれだけの啖呵を切った男は、ここに着てまでも自分を張り通すための感情で、死守すると言う決意を全てに突きつけた。
だがここに来て彼の欠点が一つあらわになる。戦わなかった男が、戦い続けた者達にどう足掻くつもりかと言う事だ。
はっきりと言うべき事だが、彼には戦うと言うセンスは欠如している。
そもそもEーの怪人にワンパンで静められた男が彼だ。戦うことを拒絶し続けた結果として、戦いという能力に関して彼は絶望的な物になっている。
確かに彼の能力自体は、A級に該当してもおかしくないほどの攻撃力を持つが、それに対して不釣合いなほど能力を戦いに使う事はど下手糞だ。
それはある意味では、彼にとっての決意の表れであるが、プロばかりが集まる状況で、一人だけ素人みたいな奴がいるのだ。
だがプロはそんな男を警戒した。
理由は一つだけだ。彼がとてつもなく厄介な理由は一つだけ。
正体が知れないという事実。
正直に言って、ミス人質大会があれば、生涯女王に慣れる逸材の彼女からしても、守ってくれた事は嬉しいが、お前怪人と言うか一般人にワンパン決められて終わった男だから無理すんなよと言いたかったぐらいである。
だが、彼は境界に嫌われすぎた結果として、その能力を正当に評価された事は無い。
ただ書類として残る限りを軽く語るなら。
B級怪人七十八人、C級怪人八十八人、D級怪人百十一名、E級怪人二百五十人を投降させ、一月に渡る誘拐事件を自分以外全ての人間を無傷で終わらせた化け物である。
これを数だけ見せられれば、B級どころかA級にだって該当するだけの来歴だと思ってくれて良い。
B級ヒーローがA級に昇格するには、B級怪人を個人で三十人以上撃退すると言うルールがある。それ以外にも様々な内容があるが、それを見ても彼がE-ヒーローである事が不思議に見える内容である。
だからこそ彼らは警戒する。
数字はありとあらゆる意味で嘘は付かない。ただ人はその数字を見て勘違いするだけだ。
これは運が良かったわけでは無いだろう。確かに彼が自分の実力だけで成し遂げた結果である。どういう力があるかは知られているが、その強力すぎる能力が更に彼らを錯覚させる。
こいつが敵対すれば、こちらの被害がどんな物になるか、そう考えた時に事象核を持つ簪に何かあれば、それこそ世界の破滅だ。
慎重に慎重を重ねた結果として、彼らは完全な地雷を踏んだ。数で囲んで殴れば終わったと言うのに、ある一人を除き誰もが彼を見誤った。
この場に限り予言のヒーローも世界の先を読む事が出来ない事実が痛手となっている。
これがもしかすると人質の才能にだけは優れていた彼女の力なのかもしれないが、ここに限り全てが彼の追い風となっている。
その状況に至って彼が考えていたのは、どうやって逃げるか、ただそれだけである。
彼は自分の実力を冷静に見ている。と言うより、自分を理解しなくてこの場でなにが出来るかと言う状況だ。しかしだが、彼は分不相応の夢を抱いているくせに、自分に対する把握が冷徹すぎる。
いやむしろ分不相応の夢を抱いているからこそ冷徹なのかもしれない。
自分が出来ないと知っていて、そこから踏み出そうとしているからこそ、彼は冷酷に、かつ冷徹に、現実を見据えている。
もうその差に対する絶望は、敗北宣言と言う形で吐き出した。そして宣戦布告という形で世界に問うた。
ここから先は、諦めないと言う意思を張り通す覚悟だけだ。
だからこそ出来る事をする。もとより手段を選ばない男なのだ。そして何より手段を選べない男だからこそ、人には過ぎた意思のために、この場所に至って誰よりも静かな目で全てを俯瞰していた。
その静かな空気が、更に余裕の無い彼らに焦りを与える。なにをする力も無い男が、なにをするでも無いのに彼らは勝手に追い詰められた。
彼らはこの機会を逃したくない。世界を救うには、この場所で全てを終わらせるのが、なによりも近道であるのは間違いない。
それは餌を差し出された馬のような絵だ。
直ぐそこにある目的が彼らを焦らせ、より目の前のヒーローが厄介な存在に見える。
古典的な喜劇の絵がありながら、それでも彼らはその餌を手にしようとしてしまう。だが同時にそれが無用な警戒心を煽って、彼らは勝手に自滅しているだけだ。
しかしそれは異世界接近から数十年たつ世界の最前線に立ってきた者達の悲願であるのだ。
焦って当然だ。願って当然だ。手にしようとして当然だ。世界から汚名を与えられようとも、世界を救おうとしたヒーローが、その機会を手にして諦めきれる訳が無い。
だがそれが彼らの敗因であったのは間違いない事実だった。
本来なら知っていても不思議では無い幼馴染すらも、鬼気迫る彼のその態度に錯覚してしまうほどだったのだ。
今の彼ならこちらの攻撃できると、長年連れ添った親友ですらも、勘違いしてしまうほどの覚悟を彼は背中にしょっていた。
まさかそれが、自分が殺されよとも誰一人傷つけようとしない覚悟だと誰が知っただろうか、彼は確かに弱い、強い能力以上に性格がそもそも戦いに向いていない。
ベクトルが違えば、この瞬間にも守るべき彼女を殺していただろうが、彼はその道には進めなかった。
決死であるのは間違いない。必死であるのは間違いない。
だがそこまでするほど、彼の決意が真っ当過ぎるとは、誰も思いはしない。ここまでいけば一つの狂気とすら感じられる決意は、それだけで全てに対する脅しとなっている。
これは今までの彼が行ってきた行動の全てが無駄ではなかった証明だ。
その警戒の中で強かに、だが堂々と形成されていく、逃走への布石は張り詰めた緊張を台無しにする伏線として築き上げられ、台無しの予兆は確かに造られていた。
この布石も全てはこれまでの彼の功績、そして彼はこの状況を守り続けなくてはなら無い。
この先に自分が弱者である証明をなせば、彼は数によって圧殺される。
確かに彼は戦う才能は無い。だが誰よりも優れている場所がある。自分の命を計算で使える事、そして生まれながらの能力者である事だ。
戦えないが、能力者としての素質なら、誰に負けるものでもない。彼は自分の特殊能力を掌握している。
これが天然能力者と呼ばれる存在の最大の強みだ。
呼吸するように能力を使い。喋るように能力を使う。彼にとっては本能に刻まれる当たり前の力である。
血袋の剣は、その力を誰にも見せなかった。本来なら秘したままで終わるはずの力だった。
誰にも見せたくなかった後悔の剣。それは彼が流す涙のようなもの。
彼の宣言から五分は、彼の能力を最大限使う為の時間だ。
本来動かなくてはなら無かった時間に動けなかった彼らは自分達の行動をこれから先後悔し続けるだろう。
彼は能力を操りながら、彼らに呼吸を合わせ、感覚を合わせ続けた。
人ならば絶対に訪れる最小の隙を掴む為に、必死になって彼らをにらみ続けていた。
そしてそのときが訪れた時に、誰もが目の錯覚だと本気で勘違いした。
予言のヒーローですらそれは見る事が出来なかった光景だ。
彼は本来その力を使うつもりは無かった。彼は死ぬまでその力を振るうつもりは無かった。
殺傷能力の高い彼の能力の中でも特に人を殺すのに優れた力だったから。
「なっ」
全ての声が重なった。
同時に行われた瞬き、その瞬息の隙が彼ら司会を奪う。
目の前が真っ赤に染まり、全ての感覚が狂ったような錯覚を受けただろう。
彼の能力は確かに優れていたが、ここまで広範囲に力を及ぼすことが無い力だった。
彼が操れるのは、悪まで自分の血液相当の力だ。だからこそ血を糸のように伸ばして操っていたが、そこに展開された能力は彼の能力の範疇を超えていた。
誰も知らなかった。誰からも知られなかった。
彼自身が使わないと決めて、予言の未来にすらその力を見せなかった代物だ。
血が彼らを囲う。それがどういう力を持つ檻か誰もが知っている。
これ事態は殺傷力も無いだろう。だがその力は剣の力である。事象核と慣れるのなら確実に彼ら側の力であるが、生憎と彼にはその素養は目覚めないようだ。
それは全てを遮断する檻となり彼らを囲う。
「なんで、何で私がそれを知らない。いや、いたのかそんな存在が、ヒーローの中にそんな存在が」
予言は声を張り上げた。
その声を彼は背にしたまま、彼女を守りながら歩いていく。ゆっくりとだが確実にヒーローから世界の天敵は逃げ切ってしまう。
だがその声は聞こえない。
負けた彼らの中に響くだけ。
「二重能力者、そんな能力者がいたのか。なんで、なんで、私が君のそれを知らないんだ」
世界にたった一人だけの能力者。ある意味では事象核よりも珍しいであろう素質を持った存在に予言のヒーローは嘆きの声を上げる。
なぜなら彼女は彼の未来を見たはずだ。なのに知らない、知る事が出来なかった。もしかしてと言う錯覚も受けたが、それなら見えない筈なのに、確かに見えた未来の中で、彼女はなに一つ見えなかった事実に当惑する。
しかしその声の中で、事象核となった自分でもどうにもならない遮断の檻にため息をはく。
質量の上では上回ったとしても、彼の力の本質である二重の事象が、質量の塊を阻み続けていた。力で押しても次々と溢れる事象に、流石の彼女もお手上げのようだった。
その中で自分の檻を通り過ぎるときに、彼が口にした言葉に少しだけ悪い事をしたと思いながら、もう嫌味を言う関係にすらなれなくなった自分達に、後悔の感情が溢れるが、彼も自分も変えられない。
だから聞こえないだろう彼に言葉を返す。
「じゃあね」
世界の天敵と呼ばれる事になる自分の幼馴染に、たった一人ヒーローであり続けようとした彼に、彼女は最後の別れを呟いた。




