07彼と猫と
◇◇◇
ぱちり、と薪が爆ぜる。
瓦礫を寄せ集めて囲んだ粗末な竈に枝を放り込みふっと息を吐き出す。隣で丸まる猫が横目で此方を見てはまた目を閉じる。
緩やかに立ち上がった漆黒の青年はくるりと反転して後方に設置されたテントへ僅かな足音と共に近づいた。静かな動作でテントの幕を捲り上げ、寝袋に包まって眠る少女を目だけで確認し、またそろりと幕を降ろした。
「良く眠ってらっしゃる」
「 …ナァ 」
ぽつりと落とされた呟きに一泊遅れて猫が肯定とも疑問ともとれる鳴き声を上げる。また焚き火の前に戻って座り込んだ青年が、労る様に猫を撫でる。ぱたりと一度だけ振り下ろされる尻尾に構わず撫でていると猫が溜息を吐き出した。
「 ワタシは猫ではないぞ? 」
「今は猫型だろう?大人しく撫でさせてくれないか」
憮然とした体で青年に言う猫に青年が「今は」の部分を強調して言を返した。
撫でながら見上げた空は無数の星が散りばめられた濃紺色の夜空。パチパチと火の爆ぜる音、時折吹く風に乗ってさざめく木々の揺れる音。
青年は一頻り猫を撫でて満足したのかゆっくりと手を離す、とその手を何か解せない表情で握ったり開いたりを繰り返す。
(我が君…シロ様によって創られた自分…か)
この世界の記憶は在る、召喚される前の記憶はすっぽりと空白で、何一つ思い出せない。否、覚えが無いからだと思考する。シロ様に名前を呼ばれる迄の記憶は曖昧で薄皮に覆われた様にぼんやりとしたものしか出てこない。
特に不快な感情は湧いてこない、逆に自分を生んだシロ様に対する感謝の気持ちが大部分を占めている。我が君と最初は呼んでいたが居た堪れなさそうに呼び捨てにしてくれ…ください、と懇願するシロ様に従って尊名を呼ばせて頂いている。
(あの時、魔王を私が殺していたら…)
こんな状況は無かっただろう。自分は創作物に出てくる一存在として終わっていた。そう思うとぶるりと怖気が背筋を駆け抜ける。自我を持った今、思い返してもあの聖女や賢者、騎士は欲望に忠実で醜悪な一面ばかりだった。到底受け入れられる存在じゃなかった、この感情もシロ様の意思を反映した自身の根本があればこそ、だ。
「勇者ってのはな、格好良くて優しくて強くてそれでだな………」
と、目を輝かせて滔々と語りだしたシロ様は余程勇者という存在に強く憧れているのだろうと思う。そんな憧憬と好みを反映されて私は創られたかと推察すると誇らしいようなくすぐったい様な何とも表現し難い感情が広がっていく。シロ様の語る理想の人物に自分は少しでも成れるだろうか、一抹の不安は過るが自身の根源に在るのはシロ様の希望。見失わない限りは大丈夫だ、と己に言い聞かせる。シロ様の描く勇者像、我が君の居た世界では勇者とは偉業を成す素晴らしい存在の様に思えた。
「勇者…ね」
「 …勇者なんて居ない 」
ぽつりと零した呟きに猫は苦み走った表情で嫌そうに言い捨てる。
「シロ様にとって勇者とは弱いモノを助け、心優しく、悪に毅然と立ち向かう存在…だそうだが?」
ハンッと鼻先で嘲笑う猫、甘い激甘い考えだと言外に告げる。
「 悪なんて個で違う、ワタシは勇者なんて信じない 」
「私はその場合どうなるんでしょうねぇ?」
(天敵みたいに勇者を毛嫌いする猫、なりたくてなった訳じゃない元魔王ですから色々と胸中に渦巻いてる怨恨があるのでしょうね。自分はもう勇者じゃありませんが、信じないとはっきり断言されると少々意地悪もしたくなりますね…)
「 お前は…元だろう? 」
少し言い過ぎたのかもしれないと、気まずそうな声音で猫が呟く。曖昧にそうですねと返して焚き火の調整に集中する。
静寂が支配する、そわそわと落ち着かない猫を放置してゆっくりと火を掻く。
(そういえば…何故この猫の神はシロ様にだけ姿も声もみせなかったのでしょう…もしかしたら自分を助ける存在になるかもしれないのに…)
ふと引っ掛かっていた疑問が頭をもたげる。自分と猫には便利なアイテムや装備を渡して使い方も教えたのに何故シロ様には教えなかったのか…。真意は?神とやらはシロ様をどうするつもりだろうか?
一度気にかかると一気に疑念が湧いてくる。猫ならば何か解るのか、神とやらはこの世界に降りた後一度も接触してこないのも何か理由があるのか、
「猫…何故貴方の神は……」
…
……
………
一通りユリウスの話を聞いて、猫は申し訳無さそうに耳をペタリと伏せる。その様子で薄々察した彼はほんの少しだけ落胆の息を吐き出した。
「 すまないワタシもこの地に来てから神と交信出来ない 」
だが、と猫は続ける。
元々交信のあった自分と、全て創り変えられたユリウスと違い、あくまで精神だけ此方に引っ張ってこられたシロ様とは波長が合わなくて話せないのかもしれないと言う猫の推測。神は最初シロ様に語りかけていたがどうやら聞こえていなかったらしい。その間自分は強制睡眠状態だったから見ていないだけだ、と。
「 神の力戻れば聞こえる様になるかもしれない 」
「…成る程、意思疎通が出来ないのは不便ですしね。まぁ私や貴方が一緒でしょうし、そこまで困る事もありませんか…」
ユリウスは考える、思ったよりも事態は深刻なのではないか、この世界に来てから神の声が聞こえないと言うことはこの世界で神はほぼ無力なのでは?
他の神の使徒がどれ程力を有しているかも不明、現状戦力は自身だけ。そう思い至った瞬間冷水を浴びせられたかの衝撃に襲われた。一歩間違えればシロ様を失ってしまう可能性があると、少し考えれば解る事を何故自分は即座に気付かなかったのか。魔王と対峙した時とは違う、状況は未だ不透明でこの先何が起こるか自分では予測すら出来ない有り様だというのに。
(これは…シロ様の言葉通りではありませんが慎重にやるしかありませんね…)
昼間怖気づくシロ様にほんの少し気概を持っていただければなどと、浅はかな思いを持った自分を絞め殺したい。やはりシロ様は素晴らしいお方だ我が君に相応しいと、斜め上に突き抜けた思考で司狼を脳内で褒め湛える彼の、一喜一憂を隣で眺めていた猫が深い深い溜息を落とす。
「 …大丈夫…なのか…にゃあ 」
若干引き気味な猫に気付かず、流石我が君素晴らしいですと、漏れ聞こえるユリウスの陶酔とした声を聞き流して猫は再び目を閉じた。寝よう。難しい話や面倒くさいユリウスの相手は今テントで呑気に寝てる奴にさせよう。焚き火の温かい光を目裏に感じつつ意識を眠りの波へと滑り込ませた。
時折ボソボソと聞こえるユリウスの賛美を無視して。