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遺稿  作者: 緋色友架
8/10

木口舞の焦燥

◆ ◆ ◆


「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」

 荒い息を吐きながら、舞は出鱈目に歩く。ロクに土地勘などない癖に、右へ左へ前へ後ろへ、足を止めることが出来ないからという単純な理由で歩き回っていた。

 今足を止めたら、なにかがどうにかなってしまいそうだった。

 抽象的な表現だが、それ以外に言い表せないのだ。ざわざわとした正体不明のなにかが、舞の薄い胸の奥で、心臓を食い潰さんばかりにざわめいていた。

「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」

 目の前がどんどん知らない景色になっていくのに、舞は一向に構う様子がない。

 当然と言えば、当然なのだろう。今の舞には、自分が置かれた状況についてより深刻に考えなければならない事情があるのだ。その表層部など、今自分がどこにいるかなど、考える必要がそもそもないのである。

 正確には、考えられないのだが。

 怠惰故ではなく――――焦燥感故に。

「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」

 別れの挨拶もそこそこにマンションを後にして、舞が最初に行ったのは、調査だった。

 田崎克久の、死んだ日時。

 あの管理人が性質の悪い冗句を口にしたのかも知れないという、天文学的数字を湛える可能性を突く為に、舞は死に物狂いで調べたのだ。町の図書館に行き、あらゆる種類の新聞をおよそ1ヶ月分。悪鬼羅刹が如き形相で読み耽った。

 分かったのは、管理人の言葉が真実だという、その一点のみ。

 田崎克久が自殺したのは今年の4月10日――――舞が審査を行う新人賞の、締切日だった。

「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」

 考え過ぎかも知れない。

 自意識過剰かも知れない。

 悲劇のヒロイン気取りもいいところだろう――――どんな汚名も、甘んじて受けよう。

 そこまで覚悟が出来ていながら、舞は、現実を受け入れることが出来ないでいた。しかしそれを、彼女は自身の弱さが原因ではないと気づいていた。気づいてしまっていた。いっそなにかの所為に出来ればよかったのに、聡明な彼女は看破しなくていいところまで、見逃せなかった。

「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」

 世間は、巷は、世界は、事件で溢れていると言っていい。

 血腥く陰惨な事件から、当人たちの話し合いで十全な解決を図れるであろう事件まで、決して十把一絡げにしていいものではないけれど、でも確かに、確実な現実として、世間は事件を――――ニュースの種を持っているのだ。余って腐って忘れられるくらいに、世の中は嫌な刺激に満ちている。

 なのに、わざわざ10日前のニュースを放送するか?

 悪戯にしたって手が込み過ぎている。悪巫山戯だとしたら不謹慎に過ぎる。四月馬鹿(エイプリルフール)も1週間前には終わっているそのタイミングで、一体どこの誰がそんな意味のないお巫山戯に興じるだろうか。

「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」

 まだ、まだある。

 木口舞という、1人の女性の人生を狂わせた不可解は、もう1つある。

 この際ニュースのことはいい。よくよく考えてみれば、テレビ画面ではまったく別のニュースをやっていたかも知れない。それがあまりにも衝撃的で、同じように衝撃的だった田崎克久の事件と混じってしまっているのかも知れない。あり得ない可能性ではないだろう。ただただ、荒唐無稽というだけで。

 けれど、もう1つの問題は無視出来ない。

 舞の問題ではなくて――――田崎克久の、藍色友忌の問題なのだから。

「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……――――はぁぁっ!?」

 ガンッ、と電柱にぶつかり、そこでようやく久方振りに、舞は停止する。

 停止を、余儀なくされる。

 ただ、それは彼女の身体に限った話であり、思考は一向に止まることを覚えてくれない。シナプス間を行き交う電気情報が限界量まで達し、彼女は脳そのものが沸騰しているかのような熱を覚えていた。

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ…………!」

 ジンジンと痛む額を押さえ、蹲りながら。

 目を見開き髪を振り乱し、鬼のような形相をした舞は、その場でガタガタと震える。

 考えたくない。

 考えたくない。

 考えたくない――――そう、思えば思うほどに。

 気になってしまう。

「なんで、なんで、なんでなんでなんでなんでなんでなんで…………!?」

 讒言のように呟いても、答えなど返ってこない。問いだけは異様に、恐怖を誘うほどにくっきりとしているのに。思考がそのまま恐怖となって、彼女のことをすっぽりと包み込んでいた。

 舞の言葉を補填するならば。

『なんで』のその先を、言ってしまうのならば。

 舞の疑問は――――なんで、田崎克久の死体には首がなかったのか、ということである。

「…………!?」

 飛び降り自殺の肢体は、落下した場所によって様々な様相を呈する。コンクリートの地面に叩きつけられれば人体は容易く爆散し、肉片が四方八方に散らばる地獄絵図となるだろう。鉄製の柵でもあれば串刺し死体の完成だし、ブロック塀があれば2つに裂けた死体を見ることが出来るかも知れない。線路に飛び込めば、死体というよりは肉と称した方が適切になる。電車に撥ねられた人間は、まともな姿で棺には入れないのだから。

 けれど、今回の死体はおかしいのだ。

 実際に現場に行った舞だからこそ分かる。あんな場所から飛び降りたところで、首だけがどこかへなくなるだなんて現象は、絶対に起こり得ない。

 下は平坦、とは言い難いものの、適度に均されたアスファルト。

 柵も塀もなく、線路なんて無論ない。

 なのに、彼の飛び降り死体には首がなかった。

 まるで、誰かが持ち去ってしまったかのように。

「……………………!?」

 普通ならば、事ここに至った時点で、まずは田崎克久が自殺であるという先入観を捨てることになるだろう。

 第三者が田崎克久の首を奪う為に、彼を殺したと考える方がよっぽど自然だ。屋上に彼を呼び出し、不意を突いて突き落とす。6階の高さから落ちたならば、人間の柔な身体など一堪りもない。ただ刺したり殴ったりするよりも、ずっと確実な殺害方法だ。持ち去った首をどうするかなど、普通は考えない。そんなのは犯人から自供を取ればいいだけの話だ。想像するだけ、時間の無駄である。

 それが、普通の思考回路。

 だが、舞は違う。編集者故でもなければ狂乱状態にあるからでもなく。

 既に藍色友忌の『遺稿』を読んでしまった舞は。

 彼が自殺であるという事実が、確定事項になっているのだ。

「………………………………!?」

 そもそも遺稿とは、死者が生前に書き著していた原稿を、第三者が作者の死後に見つけることで成り立つ概念だ。

 藍色友忌が皮肉でもなんでもなく、率直な題名として『遺稿』の2文字を選んだとしたら。

 自らの作品を、本物の『遺稿』にしようと思ったのなら。

 他者に殺されるよりも、自分で自分を殺すだろう。

 少なくとも、『遺稿』から推察される藍色友忌の性格を鑑みるならば。

「…………く、び、は……!?」

 彼はしばしば、原稿の中で自分が小説家という世界から三行半を突きつけられた人間であると言っていた。中には新人賞の審査員への誹謗中傷のような、そんな文言さえ散見していた。

 三行半――――クビにされる。

 藍色友忌は生きている時点で、既に、舞たちによってクビにされていた。

 クビに――――生首(くび)に。

 今の彼と、同じように。

「…………、っ!?」

 ――――と、止まらない思考がアクセルを踏み抜いている真っ只中。

 舞の携帯電話が、強い振動で着信を知らせていた。心臓が止まってしまいそうなほどに驚いた顔をした舞は、慌てて携帯電話の画面を見る。

 薄型の携帯電話に示されるのは、足矢画縦の名前。

「も、もしもし……?」

『あーっ! ようやく出やがったなてめぇっ! ったく、家に電話してもいねーし、なにやってんだよまったく』

 呆れたような声で言う足矢。

 いつもと変わらぬその調子に、舞はほんの少しだけ安堵する。なにが起きているのかさっぱり分からない、悪夢のような時間が多少なり和らいだ。

 ほんの少し。

 多少なり。

 それはつまり、すぐに崩れてしまうということで――――

「あ、あの編集長。その…………きょ、今日休んだ件については、後日必ず埋め合わせを――」

『別にそりゃ構わねーよ。それよりも、お前なぁ、投稿作を勝手に持ち帰んなよ。埋め合わせっつーんなら、そっちの方の埋め合わせをしろ』

「へ…………? な、なんのはな――」

『おいおい惚けんなよなぁ――』


『藍色友忌の「遺稿」――――お前が持ち帰ったんだろ? 編集部中探しても見つからねーんだ。お前しか容疑者はいねーんだよ。とにかく明日、必ず持って帰ってこいよっ!』


 それだけ言って、足矢は一方的に、電話を切った。

 プツン、という白けた音が、舞の脳髄に深々と突き刺さる。

「…………?」

 投稿作を?

 勝手に、持ち帰った?

「……そ、そんな……そんなバカな、こと、ある筈……ない……」

 言いながら、舞は震える指で鞄の中を漁る。

 ある筈がない。

 そんな筈がない。

 昨日、読み終わった時にちゃんと机の上に置いて、それでそのまま帰った筈だ。

 朧気な記憶を何度も反芻しながら、舞は鞄の中身を1つ1つ、電柱の根元に並べていった。

 ペットボトル。

 化粧ポーチ。

 メモ帳。

 筆記具。

 財布。

 デジカメ。

 封筒。

「……封、筒?」

 そこには、見覚えのない封筒があった。

 A4サイズのものを入れるのに丁度好さそうな、茶封筒が。

「……………………」

 見覚えはない。鞄の中に入れた覚えもない。

 でも、何故だろう、舞はそれを知っていた。

 分かっていた、と言うべきだろうか。

 数多の小説を読み続けてきた舞には、この先の展開が予想出来たのだった。

 耐えられるかどうかは、まったくの別問題だが。

「っ――――」

 果たして、封筒の中には。

 紐で丁寧に閉じられた30枚弱のA4用紙が、入っていた。

 黒々としたインクで印刷されて――――否。

 それは、インクではなかった。

 昨日の時点では黒かったそれは、もうすっかり赤黒く変色し、独特の臭気を放っていた。放っておけば紙そのものを侵食し、ふやけさせ腐らせてしまいかねないほどのおぞましい色が、新雪の如き白の紙を、汚く染め抜いている。

 びっしりと書かれた文字列。

 それは間違いなく、人間の血で印刷されていた。

 捲るまでもない。確認するまでもない。

 読まなくてももう、あの気持ち悪さは、暗記している。


 藍色友忌の『遺稿』が、鞄の中には入っていた。


「うわぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!?!!!?!?!????!?!?!?!!?!?!???!?!?!?!」


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