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遺稿  作者: 緋色友架
2/10

木口舞の困惑

◆ ◆ ◆


「あ、これ…………」

 ごちゃごちゃとした机に半ば埋もれるように突っ伏しながら、木口(きぐち)(まい)は声を上げた。

 勿論、それは舞以外の余人には聞こえない、聞こえる余地のないほどに小さな声だった。自分でも平々凡々な人間であると自負している彼女は、ほんの少しばかり驚いたからといって突然に大声をあげるほど、集団生活には失格していない。蚊の鳴くような、そもそも発したかどうかさえ2秒後には曖昧になってしまうような声は、寸分の間も置かずに舞自身の記憶からさえ消え失せた。

 尤も、彼女が声を荒げたところで、公害級の騒音が犇めくこの場所においては、やっぱり響かなかっただろうし、聞こえなかっただろうけど。

「…………」

 ただし、声を出したことは忘れても。

 思わず声を出してしまうほどに驚くべき事項があったということは、舞の記憶にも残っていた。

「……うぅん、これって…………」

 呟きながら、舞は手にした紙の束を凝視する。

 ついさっき、担当分ということで上司から手渡された大量の原稿、その1つだ。短編部門への応募なのか、やけに枚数は少なく、A4用紙の大きさに似合わず軽かった。

 紐で綴じられているそれの表紙には、定められた必要事項がパソコンの文字で羅列されている。その内の4文字に、舞は目を奪われていた。

「…………確か……でも、これは」

「なぁにぶつくさ言ってんだよ木口っちゃん」

 ぽす、と頭を軽く撫でるような感触に、舞は「ひゃっ!?」と可愛らしい声を上げた。

 今回のは音量も申し分なく大きくて、白や灰色に彩られた部屋中に犇めく人々が全員、残らず舞の方へ向き直った。慌ててぺこぺこ頭を下げて、事態はようやく沈静化される。

 顔を真っ赤に上気させ、舞は溜め息を吐く。

「ひっひっひっ、いやぁ相変わらず可愛いねぇ木口っちゃんは。その少女みたいなリアクション。木口っちゃんが担当になった先生は原稿上がんのが早いっつーのも、納得出来る話だわ」

「ちょ、編集長っ! 笑っておだてて誤魔化さないでくださいっ! 今、今はちょっと集中していたんですからぁっ!」

 ポニーテールをぴょんぴょん揺らしつつ、抗議の視線を照射する舞。

 それを一身に、寧ろ嬉々として受けている男は、顎にびっしりと生えた無精髭をなぞりながら悪戯っぽく笑う。反省や申し訳なさなど、欠片すら見当たらない。

 舞よりも頭1つ半は大きい背丈を如何なく利用して、編集長と呼ばれた男は舞の頭をぐりぐりと撫でた。

「へ、編集長っ! わ、わたしは子どもじゃないんですよっ!」

「はいはいそーだねーそのとーりだねー」

「大人ぶる子どもを宥めるみたいな言い方やめてくれませんっ!?」

 怒鳴られながらもまったく懲りた様子なく、編集長――――足矢(あしや)画縦(えたて)はにやにやと笑う。

 この業界に入ってそこそこ経つが、舞はどうにもこの男が苦手だった。嫌いな訳ではないし、寧ろ仕事は出来る方なので尊敬の念にも似たなにかを抱いてはいるのだが、しかしどうしても好きにはなれないのだ。

 原因は明らかに、この軽重浮薄でへらへらとした態度なのだが、まさか部下の立場から直せとも言えず。

 結局、腐れ縁を続けてもう6年目だ。

「ん? それはあれか? さっき渡した、新人賞の原稿だよな?」

「あ、はい」

 頷きながら、舞は指し示されたそれを自分が後生大事に抱えているという間抜けた事態に気がついた。

 新人賞。原稿。

 木口舞の職場は、その名を聞けば誰でも知っているような出版社だ。中でも舞や足矢が籍を置くのは、ライトノベルというジャンルを担当する部署。

そして、舞たちの刊行しているレーベルは、日本屈指の応募数を誇る大規模な新人賞を擁することでも有名だった。

 今日の日付は4月の20日。募集を締め切ってから、ぼちぼち二週間が経過しようという頃だ。

「なんだ、気になる作品でもあったか? 木口っちゃんはいつもいつも、読むスピードが速いからなぁ。なになに? なんかこう、キラッと光るものでも見つけたか?」

「矢継ぎ早に訊かないでくださいよ、鬱陶しいなぁ」

「木口っちゃん、俺上司、お前部下」

「あーはいはいすみませんねぇ」

 反省の色など1%も混入されていない生返事を吐き出す舞。上司が上司なら部下も部下、いや、この上司にしてこの部下ありという有り様だった。

 本人たちはきっと、即座に否定するのだろうけど。

「で、その宝物みてーに抱き締めているそれは一体なんなのよ。それくらいは教えてくれたっていいっしょ?」

「……あー、大したものじゃない、んですけどね」

 無自覚に失礼なことを言いつつ、舞は手にしていた原稿の1枚目を、足矢に示して見せた。

 新人賞応募原稿の、1枚目。

 そこには大抵、応募者のプロフィールが綴られている。

「…………あぁ、成程」

 それを見て、足矢も納得したように頷いた。

 プロフィールシートなどと呼ばれる1枚目に書かれていたのは、原稿を送りつけてきた作家志望者の、住所に電話番号、略歴、投稿歴etc.

 尤も、実のところそんなものはどうでもいい。どこに住んでいようが何歳だろうがどの学校を出ていようが、面白くそして売れる作品を書いてくれる人間ならば構わないのだ。故に、足矢も舞も、そんなところには関心を向けない。

 彼女たちが目を奪われたのは、もっと基礎の部分。

 原稿を書いて寄越してきた人間の、その名前だった。

「ペンネーム、藍色友忌か…………こいつも懲りないねぇ」

「編集長、言い方」

「構やしねーだろ、本人が聞いている訳でもあるまいし」

 べ、と子どもみたいに舌を出し、足矢は底意地の悪いことを言う。舞だって、窘めながらも心の奥では、足矢と同じようなことを考えていたが。

 藍色友忌。

 ライトノベル業界、特に新人賞に少しでも関わりある人間なら1度は聞いたことがある名前だ。尤も、彼自身が有名だとか高名だとかいうことはない。というか、彼はまだそこに辿り着く以前の段階で延々足踏みしているような存在である。もう7年もの間、新作を書いては新人賞に送りつけ、落選するというサイクルを繰り返している。

 所謂、ハイワナビという奴だ。

 彼の特徴は、とにかくなんでも書くということに尽きる。ギャグパート満載の学園ものを書いてきたと思ったら、陰惨な戦争ものを送りつけたりしてくる。殺人鬼や人でなしが跳梁跋扈する世界観の直後にラブコメを書くなど、情緒不安定か多重人格を疑うほどの多彩っぷり。事実として7年もの間作品を書き続けているのだから、ネタのストックが切れることはないのであろう。そこだけ見ると、ある意味理想的な小説家であると言える。

 ただし、今語ったのはあくまで特徴。

 決して、特長にはなり得ていないのだ。

「こいつはまぁ、多作と言えば多作だからなぁ。下手な鉄砲数撃ちゃ~の典型だろ。確か、去年は殺人鬼もの書いてきたっけ? んで、今年は?」

「あ、そ、それが…………」

「?」

 言い辛そうに顔を背ける舞。

 言いたいことは、例え言うべきでなくてもポロっと言ってしまいかねない、そんな危なっかしい性格をした舞にしては、随分と珍しい動作だ。不審に思ったのか、足矢は自ら身を乗り出し、プロフィールシートに書かれた題名を凝視した。

 たったの漢字2文字。おかしなタイトルが流行っているライトノベルにしては、短過ぎてそして。

 異様に過ぎる、その題名を。

「……『遺稿』、だぁ?」

 遺稿。

 故人が生前に書き著し、そのまま遺された未発表の原稿。

 そもそも小説の題名に据えるべき単語ではないだろう。況してやライトノベル、10代から20代の男性をメイン客層に想定した商品につけるべき類の名前ではないし、それ以前の話。

 小説家という未来を目指し、今を生きるべき新人賞の原稿に。

 そんな名前は、間違ってでもつけていいものではない。

「………ね? ちょっと、気になるでしょう? 編集長」

「気になるっつーか…………なに? ここまでして気を引きたい訳? 逆に俺は呆れちまったよ」

 言葉通り、本当に呆れ返ったような顔で天井目掛けて息を吐く足矢。

 成程、確かに新人賞の原稿に『遺稿』なんて題名をつければ、注目を引くことは出来るだろう。それでなくとも、藍色友忌は今、誰が見ても分かるほどのスランプ中だ。毎月のように発表される新人賞の経過、その中に必ずいた筈の藍色友忌の名前が、ここ半年近く鬼に食われたように消えてしまっている。それも、投稿していないのではなく、投稿をした上で全て1次選考で落とされているのだ。

 本気の本気で、自殺を考えてもおかしくはないくらいに。

 ――――まぁ、そこまで行くのは飛躍なのかも知れないし、極端な思考であることは否定出来ないが。

「編集長、性根が捻くれまくってますねー。素直に心配してあげましょうよ」

「いや別に心配する義理もねーし」極めて当たり前な、正論であるが故に冷え切った意見を言う足矢。「こいつがモノホンの作家なら心配の一つもしてやるけどよー、こいつは作家一歩手前でいつまでもいつまでも足踏みしてる奴だろ? 自分の才能に絶望して、こんなトチ狂った名前の物語送ってくるくらいなら――」

「……はいはい、編集長に理解を求めたわたしがバカでしたよ」

 疲れたように肩を竦め、舞はそう言った。

 足矢の言うことは正しい。心情面ではまだまだ言いたいことはあるけれど、少なくとも編集者という立場から、出版社の社員という立場から見た時、足矢画縦は圧倒的に正しいことを言っている。自分たちは会社員であり、なによりもまず行うべきは、会社の利益になることなのだ。

 作家の心情さえ、時には曲げてしまうことだってあるし。

 況してや作家にさえなっていないずぶの素人の心情など、考えていられない。

 そんなものまで考慮に入れていては仕事にならないし、利益にもならないのだから。

 けど。

「でも…………やっぱちょっと気になるんですよね」

「……あっそ。人が好いねぇ、木口っちゃんも」

 どうでもいいけど、仕事だけはしてよ。

 それだけ言い残して、足矢は自分のデスクへと戻っていった。整理整頓という四文字熟語とはどこまでも無縁な編集部の机たち。その中でも特に雑然とし、一部の編集者の中では『腐海』とまで言われているのが、最奥部に位置する足矢画縦の机だ。

 彼も彼で、仕事がある。利益を上げる義務がある。

 木口舞とて、それは変わらない。

「……………………」

 抱えていた原稿を――藍色友忌の『遺稿』を――ふぁさっ、と机の上に置く。

 読まなければならない原稿は星の数ほどある。この『遺稿』は、その中のたった1作に過ぎないのだ。読んで、評価して、取捨選択までしなければならない現状において、この1作だけに拘泥するのは時間の無駄でしかないだろう。

 けれど。

 でも。

 それでも。

「……………………」

 逆態接続に続く言葉を思いつけないまま。

 この日舞の視線は、気づけば『遺稿』と名付けられた薄いA4用紙の束に流れていくのだった。


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