第屍章 決意(欠生)
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私は、死ぬことにした。
と、決意だけを端的に取り出すと、まるで私が潔く死を決断した誉れ高き武士道精神の申し子かなにかかと思い違えてしまいそうで恐ろしい。そんな世迷い言をほざいては、旧五千円札の肖像でお馴染み新渡戸稲造先生が草葉の陰で大号泣してしまいかねない。そんな潔さとは、思い切りのよさとは、明朗快活快刀乱麻と称されるべき心根とは、私という人間はどこまでもあくなきまでに無縁なのだ。他ならぬ私が言うのだから、まず間違いはない。世の中には、自分こそが最も謎めいて意味の分からぬ存在だと、そう評する輩もいるし、実際私も、そこまで短くもない21年と11ヶ月の生涯において、そんな奴らを数多く書き著し、書き表してきた。
書き著し、書き表そうとしてきた。
そうだ、一端の書生なんぞを気取って、今もこうして愚にもつかぬ駄文を認めている最中ではあるものの、私は結果からすれば、書生という生き方を獲得することはついぞ出来なかったのだ。
我輩は負け犬である――――なんちゃって。
いや、これも存外、的を外した自虐ではないのだ。実質的に言えば、私は確かに敗北を喫し、負け犬という身分に貶められ、負け越しという結果に耐えかねて死を選んだ訳なのだから。
――――いや、いやいやいやいや。
敗残者の戯れ言になど、誰も耳など傾けまい。土台、私も私で業が深い。まるで己の夢が潰えたことを、他人の責任であるかのように語るなど、笑止千万な振る舞いであった。平に伏して謝りたいのだが、恐らく私以外の誰かがこの駄文を目にする時、その時にはもう、私という存在は灰となって消えているだろう。
つまり、謝ることさえ、儘ならないのだ。
死人に口なし――――あぁ、また無駄な紙幅を使ってしまった。
端的に語ろう。
ピンポイントで紡ごう。
藍色友忌という作家未満が、どのように生きて。
どのように絶望して。
どのように死を選んだのか。
拙い筆で幼い言葉で、稚い文章で綴ろうではないか。
断言しよう、私の最後であり最期を飾るこの小説は――――藍色友忌の中で、最低の傑作になるだろう。