神様のおつかい 2
【神様のおつかい 2】
水をやり始めて一週間。
中々根気が必要だったが、ようやく大地に緑が成った。
ケース上の蓋をつまんで持ち上げる。
上から覗き込むが、ただの草が生えているようにしか見えない。
「まあ、何もないよりは良いかなあ」
寝る前の習慣、エデンチェック。
蓋を机に置き、次は何をしようか考える。
しかし、考えてもパッとは思いつかない。
ふと、他のプレイヤーはどうしているのか気になった。
ケース横に設置しているパソコンを立ち上げ、インターネットのアイコンをダブルクリックする。
”箱庭エデン”・”ブログ”で検索すると数十件ヒットした。
その中から適当に開き、いくつか覗いていく。
「写真も載せてるんだ」
そこには自分のエデンとは違い、大地一面が氷に覆われていた。
ブログの記事には、水や白い絵の具を入れたと書かれている
イメージ的には海と白い砂浜を作りたかったらしいが、思いがけず南極みたいになったとか。
「これはこれで綺麗だよねえ……」
他には一面沼・チョコレート・マグマなど、十人十色な結果になっていた。
チョコレートだとお菓子の国になるんだろうか。少し惹かれるような。
記事を読むと、どのプレイヤーも次に何をするか考えているようだ。
プラウザを閉じ、音楽ファイルを開く。
考える時はいつも音楽を聴いているのだ。
何より、気分転換になる。
背もたれを使い、グーッと体全体を伸ばす。リラックスした状態で目を閉じた。
耳から体に染み込んでいく音が心地いい。
思案する傍ら、鼻歌となって音が抜けていく。
だんだん調子が乗ってきて、小さな声で歌を口ずさむ。
春をイメージした曲で、明るいながらもゆっくりしたテンポの歌。
私はこの曲が中々好きだった。
気持ちよく歌い終えると、エデンが変化していることに気付いた。
パッと見ると緑の平地だ。
でもよくよく見ると、目が生えているのが分かる。
春の曲に影響されたのか。
しかし、この一週間で何度か部屋で歌っていた気がする。その時は何の変化も見られなかった。
ちなみに、この部屋は防音だ。今時どのマンションも家も、外に音が漏れるということは中々ない。
前と今。私が歌う以外、何が違ったのだろう。
首を傾げつつ辺りを見回す。
「あ。これ?」
ケースに蓋をしていなかった。ただ、机に置いただけ。
必要な時以外に開けることがないので、恐らくこれが原因だ。
ということは、蓋を開けておくと音も影響する。そう考えていいだろう。
しばらくは私の歌と、寝る時のクラシックを聴かせようか。
元々幼い時からコーラスに入っていて、歌うことは好きだ。下手でもない、と思う。多分。
クラシックも胎教に良いと聞くし、子供ではないけれど、私の習慣を続けよう。
他にも水やりと肥料も忘れずに。肥料は二日に一回でいいかな。
「今日は……これかな」
ドビュッシーのアラベスク第一番。
お気に入りの演奏者で、少し早いテンポだが、なめらかなピアノの音色にうっとりとしてしまう。
川が穏やかに、時に早く流れる様を想像する。耳が幸せ。
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朝、身支度をして家を出る。
出ると言っても1Kの賃貸ですが。
急いで髪をまとめたので、会社に着いてからもう一度やり直さないと。そう思いつつ、エレベーターに向かう。
当然のように閉めるを連打する。
ドアがゆっくり閉まる間から、男子高生が走ってくるのが見えた。
知らない顔でもないので、仏の心で”開”を押す。
「すみません……」
申し訳なさそうにエレベーター内に入ると、私の横に並んだ。
誰も来ないことを確認し、ドアを閉める。
「おはよう、畑中君」
「おはようございます」
朝から爽やかな笑顔が見れた。眼福眼福。
同じ六十階に住む畑中弥生君は、とても美青年だ。
高校一年の時にここへ越してきた。
今時一人暮らしをする高校生は珍しくない。
しかし、学生寮ではなく一般のマンションに、というのは珍しい。
朝の時間帯がよく重なることから、少しずつ話すようになったのだ。
まだ高校三年生らしいが、その未来図を勝手に想像している。
今の髪型のままだと、目線ギリギリの長さでかっこよくセットされた前髪。前髪に重さがあるものの、顔周りのボリュームは抑えられていてすっきりしている。
形のいい耳の後ろは襟首までの長さしかない。
つまり、タイトなのにボリューム感があり、とても爽やかなのだ。
男性の髪型なんか分からない。
しかし、少しツリ目な畑中君の目が際立っていて、美容師ナイスと言いたい。
二十代後半になればスーツも板について、かっこいいビジネスマンになりそうだ。
ぜひ、その時までこのマンションに住んでくれないでしょうか。
ていうか、今この場で頭撫でまわしたいです。
「あの、井伊さん?」
「ん? あ、ごめんなさい」
あまりに見つめていたせいか、畑中君は困った笑みを浮かべていた。
160センチの私より頭一つ分高い彼は、
「ここ……はねてますよ」
そっと、私の前髪を撫でた。
「あ、ありがとう」
「いえ。あ、着きましたね。
いってきます……悠里さん」
「いってらっしゃい」
最後に名前を呼ばれたのは気のせいだろうか。
畑中君は私に流し目を送り、軽く微笑んでから出て行った。
私はドアが完全に閉まるまで、彼の背を見送っていた。
口を大きく開けながら。
「いや、最近の高校生は進んでるな……」
とりあえず、”開”ボタンを押し会社へと急いだ。
思ったより早く続編をかけたので、更新です。
主人公の名前が、井伊悠里。
高校生の名前が、畑中八生君です。