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別れは突然に

僕は今まで、生きていることは当たり前のように思っていた。

だが彼女と出会ってから、それが間違っていることに気付いた。


彼女が教えてくれたんだ。明日が来ることの素晴らしさを。命が続くことの重さや大きさを。


今の僕はそれを幸せだと思って生きている。それを教えてくれた彼女になら、僕は何だってやってやる…。


今の僕の意思は予想以上に現実や常識を離れていく。

彼女のためなら命を差し出したって良い──。


僕が入院して一年半が過ぎた頃。そう、新婚生活とも言うべき病院生活にも馴染んだ頃。

悲劇は突然にやって来た…訳ではない。きっと音もたてずにあいつらは、僕の頭を、あるいは心を食い尽くしてきたのだろう。僕がそれに気付かなかっただけで。


ある日僕は主治医に呼ばれて診察室へ行った。

あぁ、きっともうすぐ治るから退院の準備をしろだの何だのって話をされるんだろうな。エレーナは淋しいなんて言うのかな。


最期まで、傍に居てあげたいな──彼女が息を引き取る時まで。


でも、もしも…いつか彼女にドナーが現れて、手術をしたら二人で幸せに暮らそうか…安易な考えしか浮かばない僕に冷たく突き刺さった一言。


「君はもう助からないのだよ」


え…?僕は耳を疑った。

僕が、死ぬ?


「ちょっ…待って下さい!どうしてですか!?

僕は治るんじゃないんですか!?」

納得がいかなかった。冗談じゃない。


僕の病気は、大したことない…はず、なのに。


「君の腫瘍はかなり厄介な位置で、手術で取り出すのは無理なのだよ。きっと腕利きの良い医師なら手術も可能かもしれないが、危険も伴うのだ。助かる確率は…わずか十%だ」

「そんな…」急に目の前が真っ暗になった。僕は一体、どうしたら良いのだろうか?


「そこで、君に相談があるのだが」「…何でしょう」僕はもう、何もかもが嫌になった。だから何を言われても構わないと思った。


「君は、エレーナちゃんを助けたいとは思わないかね?」


「…はい?」僕は医師が何を言いたいのか分からなかった。「どう言うことでしょう?」

「君は彼女にドナーが現れれば、彼女の手術が可能なのを知ってるだろう?

だから君が死んだ後、君の心臓を彼女に移植できるんだ」


そうなのか…僕が死ねばエレーナは助かる。エレーナに未来を築くチャンスが与えられる…。


「まぁ考えてみておくれ。まだ君の命に、希望が無い訳ではないのだから」


「分かりました」そう口では言っていたものの、僕の心はただ一つに決まっていた。僕は医師にこう言った。


殺してくれ、と。

彼女を、救ってくれ、と。


「僕を殺して下さい。エレーナが助かるのなら」


「また、随分とご決断の早いことだが…ちゃんと考えて、言っているのかね?」「はい」「君の命に関わる、重要な案件だぞ」医師は何度も聞いた。

まるで、僕の意志を確かめるように。

「それを承知の上で、僕は身を投げるつもりです。──しかし条件があります」

「条件、とは?」「まず眼球をベンに、胃をディアナに、腸をビリーに、両腕をメアリーに、両足をカナリアに、そして」

皆、この病院の患者である子供の名前だった。

そして。


「…そして心臓を、エレーナにあげて下さい」


「…後悔はしないかね?」医者が問う。

「はい。僕にはもう、何もありません。家族や友人は皆、僕の病気から逃げた。僕と一緒に現実と戦ってはくれなかった」

僕は、ぽつりぽつりと話し始めた。

「でも彼女達はいつも、僕の傍に居てくれたんです。皆に恩返しがしたい、出来ることなら。でも僕には何も出来ない。だからせめて、彼女達に明るい希望を、夢を与えてあげたいんです。この病院の患者さんに、笑顔を。

後…僕の臓器の中で使えそうなパーツは全て、他の病院の患者さんにも提供して下さい。僕一人の犠牲で、エレーナが、皆が幸せになれるのなら」

そうだ、自分が言ったんじゃないか。

希望は絶望の裏側にあるのだと。

エレーナを助ける代わりに、自分の命を差し出すと。


しばらく考えてから、医師は言った。「分かった。では皆の手術が終わるまで延命器具を使おう。

死ぬのは、それを全て見届けてからの方が良いだろう?」「ありがとうございます、本当に…」


やった…これで、エレーナは助かるんだ。

ずっと、夢見てたこと。


それは、僕の生命(いのち)と引き換えにして。


僕が、彼女を助けるんだ。

その意志が変わらない内に、僕は部屋に戻った。彼女にあるものを残すために…。


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