たすけて‐その2‐
「乙女さま。紹介したい人を連れてきました。」
ニタッと笑顔を作り、闊歩してくるその人は、いつの間にやら消えたルイス。その横にはよく似た、少し若い男性がつき従っていた。
「こちらは、我が愚息、アーシェイドにございます。アーシェ、こちらは乙女さまだ。」
「おお、よもやこんなにお美しい方が乙女さまだったとは!」
すみませんが、これは演劇か何かですか。
そう言いたくなるほどわざとらしい身振り手振り、そして口ぶりで振舞っている。それにしても、大根役者だ。私に方がまだマシだっての。
そうまじまじと見つめていると、私の横に傅き、手を取られる。そして、甲にキスを一つ落とされた。
やめてよ!鳥肌立ってるから!
そう言いたいのに、どうしてもその言葉が口から出てこない。私はされるがままに、手に頬を寄せ縋りついてくるアーシェイドを横目で見ることしかできなかった。
「今宵は乙女さまにぴったりの男性を、と思いまして、いろんな男性を紹介させて頂きましたが、どうです?お気に召す方はいらっしゃいましたか?」
あー…そう言う訳ねぇ。無駄に近寄ってくる人が多いと思ったら、そう言う理由があった訳だ。めんどくさいなぁ。
『今は、それより…体調が…』
「ネイさま。お辛いのですか?」
心配そうなミリアに首肯する。肯定を示したのに、ルイスはそれをよしとしなかった。
「それは困ります。貴方様に挨拶したいと申している者はまだまだおります。それに、うちの愚息も貴方と話したいと申しておりますし…」
それどころじゃないんだよ。いい加減イライラしてきた。どうやってももう耐えられそうにない。
そう思った時。グラッと身体が傾いた。
「ネイさま!」
支えを失った身体は、倒れて行くしかない。だって、力が入らないんだもん。これは今度こそ地面とこんにちは、だな。そう覚悟した時。
少しの衝撃と、温かさが私を包んだ。
「大丈夫ですか?」
『はい、すみません…』
支えてくれたのは、アーシェイド。それを、私はかなり残念に思った。
…なんで?どうして残念だと思うの?私、助けてもらったのに。
なぜか私はこの腕が違うと思っていた。
「ルイスさま、どう見てもネイさまは限界です。これを見ても、貴女はまだここに留まれというのですか!」
ルイスはグッと苦そうな顔をしている。私はと言うと、身体を起こしてもらい、自分の力だけで座ろうと努力していた。
「仕方ない。これならば帰っていただくしかないな。アーシェイド、馬車の用意を。私は挨拶回りをしてくる。」
そう言うと、すぐに踵を返して行ってしまった。
「父は相変わらずですね。」
…こいつ。
私はすぐにピンときた。いきなり雰囲気が変わったそいつは、苦笑を浮かべている。さっき私の手に縋りついた人物とは明らかに人格が変化していた。
『父親の前で、猫…被ってました、ね…?』
「当然です。」
きっぱりと言いやがって。だったらさっき手にすりついてくんなっての!
呆れて睨みつけると、ニヤニヤしてる。どうやらそれが本性らしい。とんでもないヤツだ。
「面倒ですが、当主に従わなければならないのであの態度を取っていたんです。どちらかと言えば、私は反対勢力側ですよ。」
…なに?
私は耳が可笑しくなったのかと思い、とんとんとしてみる。それを見たアーシェは見事に馬鹿にしたような笑いを溢した。
ジュノとまた違ったタイプのムカつきが沸々と湧いてくるそいつは、父親のルイスとは違い、それが嫌悪するムカつきになっていない。多分、本能的にも害のある人物じゃないと分かったんだろう。
「では、馬車の用意をしてきます。独りで歩けないようでしたら、私が知人に声をかけておきますので、その人にお願いして下さい。」
そう言うだけ言うと、さっさと行ってしまった。身構えたのがバカみたい。安堵して体の力を抜く。すると、また身体がぐらついてしまった。
「…大丈夫か?」
支えてくれる腕。さっきのアーシェとは違う、もっとがっちりとした腕だった。
『貴方、さっきの…』
「運びます。」
私の言葉には反応せず、すっと持ちあげられる。運ばれながらこっそりと見上げると、端正な顔立ちが際立っていた。スミレ色の瞳が煌めき、亜麻色の髪が靡く。
私を持ち上げているというのに安定した状態の腕は、とても安心することが出来た。
「今日は早く休め。」
馬車の前で下ろされると、頭を撫でて立ち去ってしまった。
サーっと風が吹く。その冷たい風が、ほんの少し火照った頬を撫で、熱を奪ってくれるような気がした。
そのまま馬車に乗り込んでミリアと二人で城に戻る。何とか階段を上り切ると、私はすぐにベッドに腰掛けた。
『はぁー…』
大きく嘆息してしまったのには、自分でも驚いた。でも、それくらい体には限界が来てたんだと思う。
ここに来てから、少しおかしいなぁ。前は病気になることだって滅多になかったのに、ここ数日の体調は最悪。今日は二回も倒れそうになった。異常事態だ。
「ネイさま、着替えましょうか。お化粧も落とさないといけませんし。」
そう言われても、動きたくない気持ちでいっぱいだ。それでもこの格好でいるよりも早くコルセットとかドレスとかを取った方が良いと判断した私は、化粧を落として軽くお風呂に入る。髪はミリアに洗ってもらって時間を短縮させた。
恥かしいとか、それどころじゃない。お風呂に入るのも本当に嫌だったけど、いろんな人に縋りつかれた手を、どうしても洗いたかった。
思いが重い。私は神聖な存在じゃないから。
全てが済んでベッドに寝そべる。ミリアにも休んでもらって、光の消えた部屋は本当に静かになった。
―――…それからどれほど経っただろう。
もう宵も深いころ。何かが私に近づく感覚で目が覚めた。
ちらっと見やると、闇の中を何かが動いてる。扉は開いているようで、外の明かりが差し込んでいた。
どうしよう…怖い。だけど、動けない。金縛りにあったような感覚が身体を襲う。ミリアを呼べ。そうすれば、すぐにでも駆けつけてくれる。そう思うのに、声も出なかった。
影は一歩、また一歩と近づいてくる。そして、私の寝ているはずのベッドに上がって来た。
ちょっ、待て!これって、ルール違反でしょ。夜這だなんて、時代錯誤もいい所だ。って、ここ地球じゃないから時代とか関係ないし!あーっ、もう。それは今は関係なくて、とりあえずこの状況を何とかしないと。
影は私に覆い被さるようにしてくる。顔を背けた私は、恐怖でどうする事も出来なかった。
「乙女さま、それは合意の意思表示と判断させて頂いても…?」
囁くような声。それでいて、はっきりしている。
私は正直言って驚いていた。だって、この声を私は知っていたから。
目をそっと開く。射し込んできている月の光に照らし出された顔は、少し前に夜会の会場で別れた人物のものだった。
『なんで、貴方が…』
声が震える。驚きのあまり、声が出るようになっていた。
「貴女の髪は美しい。そして、白い肌も赤い唇も、触れたくなる。」
あの言葉は、嘘だったの?私をだますための巧妙な手口?
混乱している私は、いつの間にやら両手の自由を奪われ、接近してきている顔に恐怖を募らせるばかりだ。
これから何が起こるのだろう。そんなの、愚問だ。
「今宵私は貴女を手に入れる。既成事実があれば、貴女は私の手中のものとなり、我れが一派の権力は強くなるだろう。」
騙されたんだ。悔しくて、唇を噛む。少しでも言葉を信じてしまった自分が恥ずかしい。
宰相さまとに教えてもらった信じるということ。それに倣って、頭から疑うことを止めようとしていた矢先に、裏切られるような行為。…信じることが、これで完璧に出来なくなった。折角信じられるようになったのに。
それは…誰?
私には確かに信じている人が居るはずなのに、それが思い出せない。記憶をたどろうとしても、何かがそれを阻んでいた。
だけど、思い出したい。そうやって無理やり思考をたどっていると、割れんばかりの激痛が頭の中を駆け巡る。私は思いっきり顔をしかめた。
それが一瞬の隙となったんだろう。その人が襲いかかって来た。
首元に顔を埋められ、何かが這っている。
キモチワルイ、キモチワルイ、キモチワルイ…!
嫌悪感しか浮かんでこない。そして、私は自分の身が置かれている状況が、とてつもないものだと判断した。
助けて…誰か、助けて――――。