たすけて
「ネイさま、そのような体調で本当に参加するのですか?」
ミリアが心配してくれている。声色が不安げだ。椅子に座った状態の私の顔を覗き込み、心配そうな顔を見せている。だけど、返事は思っている事と違うことを口走っていた。
「…だい、じょぶ。」
本当は行きたくない。今ここから動きたくない。だけど、考えとは裏腹に、答えは行くという意思表示をするものだった。
ミリアはやっぱり心配そうな顔をしながら、着替えを手伝ってくれる。私は着せ替え人形のように、されるがままにしていた。だって、少しでも動くと辛いから。
身体は軋み、だるい。思うように手足が動かず、指先も間接が固まったかのように、上手くは動かせなかった。そして何よりも不思議な事は、考えがまとまらない。頭がぼーっとして、理解は出来てるのに思うような答えが喋られなかった。熱に魘されている感じ。まるで病気になった状態みたいだ。
いや、考えることはできているのに、思ったこととは違うことがいつの間にか口から零れていると言っても過言ではない。
「一応お化粧までしますけど、もしもいけないと判断したら必ず言ってくださいね。」
私は首肯し、それ以上動かないことを選んだ。
それからしばらくすると、日が沈んで行く。月が二つ出た頃に、ルイスがやって来た。
「おや、乙女さま。今宵は一段とお麗しい。」
恭しい挨拶。反吐が出る。そう思うのに、なんでだろう。自然と笑みがこぼれてしまった。
「乙女さまの微笑み…それがまた一段と麗しく見える。」
手を取り、しがみついて頬ずりしてくる。
キモチワルイ…
そう思ってるのに、振り払えない。それほどの力も残っていなかった。五分くらいたっただろうか。漸く離してもらえた。
「さて、参りましょうか。」
エスコートをしてくれてるんだろうか。さっきまで縋りつかれていた右手を取られ、階段を下りて行く。その背中をミリアが押さえてくれていた。
そうじゃないと歩けないほど弱った状態の私。…これ、ヤバイ病気なんじゃ?
そう思ってしまうくらい、身体のコントロールが利かない。本当に、おかし過ぎる。何か、されたのかも。
ご飯は食欲がないからあんまり食べられてないし、毒とかじゃないはず。と言うことは、残るは―――。
そう思って見やるのは、取られた右手の腕についてるもの。魔法を抑えるために付けられた腕環だ。
今見やると、一度魔法をかけられた時よりもはめ込まれた石が赤黒くなってる。血が乾いたような色。あんまりよろしいお色とは言えませんよね。
そんな風に考え事をしていると、あっという間に馬車に乗り込まされ、どこか分からない場所へと先導された。
降り立ったそこは、はじめて見るお邸。感想は一言で十分だ。―――豪勢。
無駄に金掛けてるね。そんだけ金があるんだったら、もっと有意義な事に使いなよ。
そんな感想が漏れてしまうお邸の造りは豪華そのもので、玄関へと続いて行く階段は大理石でできていた。
「……っ!」
下がツルツルしている所為か、急に足元がふらつく。ヒールを履いている事も相まって、私の身体は地面へめがけて一直線に落ちて行った。
「ネイさま!」
ミリアの悲鳴。だけど、女の力じゃどうにもならないのか、支え切ることが出来ないみたいで手が見えただけだった。
私はスローモーションのように見える中、冷静に考えている。上手く体が動いてくれなくて、受け身なんてきっととれない。
…痛そうだなぁ。
身構える事も出来ず、しかしどうにか痛みには耐えられるだろうと覚悟したその時。目を瞑った瞬間に、何かが私の体を支えてくれた。
「…大丈夫か。」
『…は、い。ごめん、なさ…』
誰かが抱きとめてくれたらしい。力強い腕は、男性だということを示している。きちんと立たせてもらうと、そこには正装をした若い男が立っていた。
亜麻色の髪、意志の強そうなスミレ色の瞳。整っていて綺麗だけど、どこか野性味のある顔はもう、格好良いの一言に尽きる。筋肉質そうな体は、見事に鍛え上げられていた。
…あれ、デジャブ?前にも同じような事思った気がするんだけど、どこでだったかな。
思いだそうとしながら、覚束ない足取りで進もうとすると、またふらついてしまう。そこをもう一度支えられ、フワッと香る石鹸のような清潔感の溢れる香りが鼻をかすめる。私はなんとなくそれを覚えてる気がした。
「体調があまり良くないようだ。無理はしない方がいい。」
「それは、貴方が決めることではないのでは?乙女さまはご自分の意思で来られたのだ。」
あ、あんた居たんだっけ。
横から入って来たのは、さっきまで私の手を持っていたはずのキツネ男。てゆーか、あんた手離すなよ!そうツッコミたくなった。
「これはこれは、クーン魔道師殿ではないか。お前がこのような場に来るとは珍しい。さぞ、お嬢様方は喜ぶだろう。
ところで、乙女さまに向かってなんて口の利き方をするんだ。卑しい血が、この神聖なる方に失礼だろう!」
卑しい血?なんじゃそりゃ。なんかの形容?それにしても尋常じゃない呼び方だなぁ。その呼び方こそ失礼だと思うんだけど。
ぼーっとする頭の中も、自分の意見が飛び交うことは止められないらしい。口には出さないけど、それ相応の事を私は考えていた。
「どうぞ、足元にはお気をつけて。」
最後にそう言い残し、その人は去って行ってしまった。
格好良い人だったな。目の保養にはもってこいだ。お邸の方に向かってったし、また後で目の保養できたらいいな。
そう思いつつ、また右手を取られた私は、引っ張られるような形で会場へと足を踏み入れて行った。
中は、なんというか、煌びやか。豪華絢爛。贅沢の骨頂。キラキラ輝く照明に照らされ、人々は会話やダンスを楽しんでいる。
見事なまでに着飾っている人たちは、おそらくみんな貴族だろう。これが社交界と言うヤツか、と私は妙に納得しつつ、ルイスに連れ回された。
色々な人が挨拶をしてきて、その大抵が親子だった。
夫婦にその息子のセット。その息子と言うのが十代後半から三十代前半というのは、何かしら意図があるのだろうか。
重い身体を引きずり、連れ回されること約一時間ほど。何度もふらついてしまう私を見かねたのか、ミリアが反発してくれたことで解放されることとなった。
ミリアに支えられながらテラスへと進む。そこには木製の白い猫脚テーブルとイスのセットが配置されていた。その可愛らしさに薄っすらと笑みがこぼれる。私は腰を下ろして、ほっと小さく嘆息した。
「お疲れになったでしょう。今温かいお茶を淹れますね。」
ニットのストールを肩に羽織らせてくれ、そこでようやく肩の力を抜くことが出来た。
会場内と庭が見える位置に腰掛けた私は、一度外を見やり、それから中を眺める。喧騒と静寂の間に居るような感覚がして、少し不思議な気分だった。
湯気のたつお茶を一口身体に中に納めると、より落ち着く。安堵感が漂い始めた頃、私はそこにルイスが居ないことに気付いた。
…まあ、いない方が気分が楽だからいいやー。
そう思うとさらに身体の力を抜くことが出来た。
「…ネイさま、どうなさったのですか。貴女は嫌な事は嫌という性格だったはずなのに、ルイスさまの言うことに対して反論しませんね。」
本当だねぇ。どうしてノーが言えないんだろう。
自分を不思議に思いながら、カップを両手で包んで暖を取った。
ふいに会場を見やる。ある一角に、女の人ばかりが集まっているところがあった。何かあるのかと思って目を凝らす。その中心に居るのは、どうやら男の人のようだった。
『さっきの…』
助けてくれた人だと思って、ありがとうの気持ちを込めて頭を小さく下げた。
すると、集団から頭一つ半抜き出していたその人が、同じように会釈をしてくれ、私は吃驚して目を白黒させる。それを見ていたミリアは、双方を見やって何か理解したらしく、私の手からカップを取ると、お代わりを注ぎながら話し出した。
「あの方はクーン魔道師さまと言って、大変女性に人気がある方です。」
うん。見ればわかるよ。見事なまでに女の人が群がってるしね。でも、私がその人を見ていたのはそう言う理由がある訳じゃない。
『頭、下げたら…下げ返してくれた。遠いのに…』
「まあまあ、それはよろしかったではありませんか。」
私が不思議に思っている事はそんなんじゃないのに、ミリアは明らかに面白がっている。何かしら知ってそうなのに、それを教えてくれようとはしなかった。
傍観を決め込んで、会場内を見つめることおそらく30分以上。私はどうしてもその人を目で追ってしまっていた。