企みと籠の鳥
ただボーっとしている。私は最近、それしかしていない。
「ネイさま、またここにいらっしゃったのですか。」
ひょっこりと顔を出したのは、一人しかいない。そうできる人はたくさんいるけど、それは私の味方じゃない。ここに一緒にいてくれる唯一の味方はミリアしかいなかった。
ここのところの私は、ほとんどの時間をガラスの塔の最上部で過ごしている。何もせずにただボーっとしていることが多い。だって、やることなんて何もないから。
「この一週間、お食事もろくになさっていません。そろそろ身体が参ってしまいますよ。」
心は、とっくの昔に参ってるもん。
私はその言葉に反応せず、緑のじゅうたんの上に寝そべったまま、空を眺めた。
ガラス張りになっているそこは、周りはステンドグラスだけど、その天井の部分は透明。だから、良く外が見える。そこから取りが飛び立つのを見て、ため息をついた。
私も空を自由に飛び回りたい。
「籠の鳥になったみたい…」
金属でできた枠組み。それが余計にそう思えるのを促進させていた。
「私があまり顔を出さなくなったことを、周りの人間も不審がっています。もうそろそろクーンさまも動きだされると思いますよ。
エルさんもマーサさんもネイさまの顔を見たがって心配していらっしゃいます。早く会える事を一緒に祈りましょうね。」
最近会ってないなぁ。そう思いながら、返事をする気力も無い私は動く事も出来なかった。
少し前が懐かしい。お菓子やご飯を作って、いろんな人に食べてもらってた。それを思い出し、一緒に他の事もたくさん思い出す。
チキュウについて根掘り葉掘り自分の興味に従っていろいろ聞いてくるレークさん。私に癒しをくれた殿下。頑固者の陛下夫妻。優しく包み込んでくれるお母さんみたいな存在のマーサさん。お調子者のリュクスさん。料理に関しては何処までも子供みたいな興味に突き動かされてるエルさん。
そして、優しい微笑みや温かい想いをくれるクーンさん。力強い腕。とびっきりの笑顔。恥かしがってる私に少しだけイジワルする時の囁き。全部が、遠い記憶のようだった。
たった一週間でこんな風に思えるようになるなんて。私の心の変化は、思っていた以上に大きかったみたいだ。
空虚感が大きい。胸の中にぽっかりと穴があいてしまったみたいだ。
この感覚、私知ってる。向こうにいた時、ずっと感じてたの。心の中に何かが足りない、この感じ。いつの間に埋まってたんだろう…それが、また掘り返されたみたい。
『ごめん、ミリア…独りにして…』
助けてくれることなんて、分かり切ってる。だけど、心が悲鳴を上げてるの。
クーンさんに会いたい…いつの間にかクーンさんは私の安寧になっていた。支えになってた。
閉じ込められて、ミリア以外の誰にも会えず、やることも無い。狂いそうだ。
…涙が出そう。そんな時。
「今はいけません!」
「五月蠅い。侍女ごときが、引っ込んでいろ!」
ガタガタと騒がしい。私は身体を起こして身構えた。
ミリアが引き留めようとして、それが叶わない人物。そんなの、ここに私を閉じ込めたその人しかあり得ない。
「やあ、乙女さま。今日も実に麗しく。」
やっぱりね。人が沈んでる時に、空気を読まないキツネ男のお出ましだ。
ちょっとはジュノを見習ってほしいよ。あいつも空気読めないけど、この男ほどじゃないと思うんだよねぇ。てゆーか、毎日会いに来ないでよ。
この男は、何の用も無いのに、私の顔を毎日見に来ていた。だけど、声をかけられたのはこれが初めて。でも、顔を見に来る時はいつでもタイミングが悪い。
ミリアとクーンさんの話をしてる時とか、ジュノと話してる時とか。いざ聞かれたくない話の時にいつもやってくる。それに、何が一番残念って、その容姿だ。
周りがイケメン祭開催してたものだから、どうもキツネに似てるってのは残念過ぎる。それに、こう言った党派の分かれた対決の中心には、イケメンが付き物でしょ。って、勝手な私の妄想にすぎないんだけど。
いつの間にやら私の目は肥えたらしい。目の前の男を見て、私は大きくため息をついてしまった。
「そろそろ神が何か申されているだろう。私は毎日神殿で祈りを捧げている。」
私の失礼なため息に一瞬顔を歪めたけど、そのまますぐにニタッとした笑みを溢してそう言った。
まだ一週間なのに、せっかちな人だ。これは陛下の周りに何か動きがあったんだろうなぁ。
『申し訳ありませんが、何も言っておりません。そもそも、期間は二月。まだ当分先です。そして、もう一つ申しておきましょう。』
おそらくこの人は、自分だけの情報にしてる。だから、なるべく多くの人にこれを伝えるように仕向けよう。
『守人は一人ではない。そもそも守人とは私が乙女であるということを証明する者。そして、乙女を守る者。その人物は私の左右に立って、私を守るのです。』
願ってればいつかかなうと思うなよ。
さっきまでのネガティブな自分を払拭して、心の中でほくそ笑んだ。
陛下ですら貴族にはあまり手を出せない。だけど、そんな常識が私に通用すると思ってもらっちゃ困る。
「つまり、守人は二人必要、だと…」
『ええ。そして、その人物は神が吟味して決める。祈りをささげ、熱心な崇拝を贈る者が選ばれるかもしれないし、ジュノを神として信じない者が選ばれるかもしれない。
神からの言葉です。たくさんの人を神殿に誘い、守人の選考が平等になるように取り計らうように、と。
まあ、貴方のような熱心な崇拝者は皆より頭一つ分抜きんでているでしょうが、それでももう一人の人物が必要になってきます。』
これを言ったら憤慨すると思ってたのに、意外にもキツネ男は私に熱い視線を注いでいた。
「神が、私に言葉を…」
ああ、もう。この人の頭が心配になってきた。って、私が心配してやることじゃないけど。でも、これで安心した。
きっとこの人は多くの人にこれを伝えるだろう。
『お願いできますね?』
「…勿論。承りました。」
よろしい、というように、私はとびっきりの笑顔を浮かべた。それは、キツネ男にとって、麻酔になるようだったから。
私の笑顔を見ると、狂ったように“乙女さまの微笑み…”と喜ぶからだ。
分かっててわざとやってる私は、どこまでも性格が悪いと思うけど、私はじっとしていられない性質だ。自分から行動を起こすのが性に合ってる。
この男が焦って聞いてきたのは、もしかしたら陛下が回復し始めた証拠かもしれない。だったら、私が軟禁されていることを知ってもらいたい。ならば騒ぎを大きくするのが一番伝達にはいいだろう。
自分の思い通りに事が進んで満足。だけど、キツネ男は帰ろうとしなかった。
「ところで乙女さま。あのお方が目を覚ましたらしいですよ。」
『陛下ですか?体調は回復なさったのですか?』
「え、ええ。そのようです。」
そっか、よかった。そう安心していると、キツネ男は何やら考えるような仕草を取っている。何かおかしいことでも言っただろうか。
そのうちぼそぼそと喋り出す。本格的に危ない人だ。
「そうか…陛下ではない…では、誰だ…」
口籠っていて何を言っているのかはよく分からなかったけど、結論が出たのか伏せていた目を上げて私をじっと見つめてきた。
嫌な汗が背中を伝わる。
「…確かめる、必要がある……」
『何を、ですか。』
にじり寄ってくるその人から逃げるように後退る。キツネ男は右手に何やら赤い光を浮かべると、私の腕を左手で掴んだ。
これは、魔法!
分かっていても、成す術は無い。逃げる事も叶わない。ギュッと目を瞑って、何か痛みが来るのかと覚悟した。
でも、いくら待っても痛みは無い。恐る恐る目を開けると、そこにはもうルイスはいなかった。
何だったんだろう。掴まれた腕を見つめる。そこに嵌められていた腕環の赤い石が、濃くなっていた。まさに、黒に近い。
不吉な色。そう思って見ていると―――。
「君は嘘付きだね。」
『ジュノ。』
静まり返った部屋。寝そべった私を上から見つめてきたのは神様だった。
顔を合わせて早々酷いことを言う。いきなり人の事を嘘付き呼ばわりするとは、なかなか腹が立つ。ムッとして睨みつけても、ジュノは全く視線を気にしていなかった。
『何が嘘付きよ!』
「さっきの男に神の言葉と言って嘘を教えただろう。」
なんだ、いたんだ。
ジュノはときどき私にすら見えないように様子をうかがっている。そんな時は姿を現す時もあるし、何も言わないままの時もある。今日は前者だったらしい。
『嘘は悪いことだって分かってるけど、時には自分を守るための鎧にもなるの。』
「だからと言って、神の言葉を乱用して言い訳じゃない。」
初めて、叱られた。いつもは私が怒ってるのに、いつもと立場が逆転だ。
『わかってる。』
「わかっていない。」
静かな、静かな声だった。急に頭の中が冴えて行くのが分かる。私は、ジュノの怒りに触れてしまった。その事実に胸を痛めたのは無理もないと思う。
『…これからは許可なしでは使わない。』
「うん、分かってくれればいいんだ。」
そう言って、ゆるーいヘニャッとした笑顔を浮かべた。それに安心する。さっきまでの雰囲気はすごく怖かったから。
『ねえ、どこから聞いてたの?』
「あの男が、守人が二人いるって知ったとこ辺りから。」
『なら、分かったんじゃない?あの人は尋常じゃない。』
空気で分かる。だって、私を目に写そうとしないくらい、私の作り出した偽りの神の言葉を聞いた後の目がやばかった。
あれはあ…麻薬中毒、みたいな。そんな感じ。
「そうだね。確かに危なそうな目つきだった。正当化して僕の乙女を殺されても困るからね。これからはちょくちょく様子見に来るよ。」
…言った後に欠伸すんな!少し前までは目をキラキラさせるような事言ってたくせに。
でもね、ジュノ。私、やられたらやり返す性質なんだ。向こうが動いて来なかったとしても、こっちが動き出すことだってあるんだから。
おそらくそんな事を考えもしていないジュノを横目で見て、私はクスッと笑いを溢した。
『ジュノ。鳥ってさ、自由に飛び回れてこそだと思わない?』
「何、急に。」
何でもない、と言ってまた笑う。それを不思議そうに見てきたけど、私は敢えて空を飛んでいる鳥を見つめる事に徹した。
私は、籠の中にいる鳥じゃない。自分の意思で、自由に飛び回りたい。だから、何としてでもこの状況を打開する。
私は人知れず、心の内で決心した。