憤慨
「失礼いたします。」
ノックと共に入って来た人物は、俺の期待していたその人とは違っていた。
今日は一度部屋を出て行ってから会っていない。この部屋を訪れる見物客に嫌気がさしたのだろうと思い、干渉しないようにしようと思っていた。
しかし、この時間になっても戻って来ないのは、流石におかしい。今処理している書類を終わらせたら、探しに行こうと思っていた。
「ミリア、ネイを知らないか?」
その言葉に、一瞬怯えたように身体を反応させる。その様子のおかしさから、俺は何かを察した。ネイに、何かがあったのではないのか、と。
よく見ると、いつも俺にはっきりとものを言うミリアの顔は青ざめている。心中穏やかではない様子がはっきりと見えた。
「…これはネイさまからのお手紙でございます。」
それを手ずから奪い取り、急いで開く。
そこには、今日から城に住まうことになったこと、専属女中を辞めて新しい技術の伝達に従事すること、そして今までの生活のお礼が述べられていた。
最後の言葉が俺の胸を引きさきそうになる。これがお互いにとっての最善だと思う、と書かれていたのだ。
手紙をグシャッと握りつぶした。これは明らかにネイの字だ。上手く書けないからと練習していたことを思い出し、前よりも上手になったその字を見て、俺は肩を落とした。
なぜ急に心変わりしてしまったのか。何故俺に会いもせずに離れようとするのか。
そんな疑問が頭に浮かんでは消えていき、あまりの辛さに頭を抱えることしかできなかった。
俺を嫌ったのか?いや、最近はネイの方から甘えてくれるようになっていた。昨日だって、今朝だって、その態度は変わっていなかった。ならば、何かあったに違いない。
俺は頭の中でそう結論付け、憔悴しそうな一歩手前で何とか踏みとどまった。
「お返事は、どうなさいますか。」
顔を上げたと同時に訊ねられ、そして、目の前に小さな紙切れを差し出された。ミリアはさっと、俺の手からネイの手紙をかすめ取り、そこにあったペンでこう書いた。
“私は後を付けられております。どうか時間稼ぎをするために返事を書くとおっしゃってください”
何が起きているのかは理解できないが、ミリアがそう言うのだからそうするべきなのだろう。
「返事は書く。だが、この書類を終えてからだ。悪いが少し待ってくれ。」
そして、俺は渡された四つ折りにした小さな紙を開いた。
…何と言うことだろう。そこには、信じられないことが書き連ねられていた。
今神殿にいること、自分もミリアもルイスに脅されているということ。陛下が病に伏せっているのをいいことに守人の立場を得て権力を握ろうとしていること、その守人を二月後に決める事にしたと嘘を吐いたこと。
そして―――会いたい。最後にそう書いてあった。
俺は顔を上げて、ミリアの顔をじっと見る。そして、一度だけ小さく頷いた。ミリアも脅されている。だから、何も言えない。この手紙ですら危ない橋だ。それを渡ってくれたことに感謝するべきだろう。
新しい紙を用意する。そこに、分かったと一言書き、手渡す。しかし、すぐに最初の手紙の内容を思い出して、追伸を書き足すことにした。
“私もそう思います”と。
これなら見られてもなんら問題はないだろう。
ミリアはペンを取り、立ったままの状態ですらすらと文字を書いて行く。俺から渡された紙を受け取ると、綺麗に一礼をして出て行った。
残された俺は急いで書かれたものを見る。そこには単語しか書かれていなかったが、大体の意味は伝わってきた。
守人を決める期間は時間稼ぎで、罰を与える事の出来る陛下の回復を待つためのもの。ネイは魔法封じの腕環を付けられている。おそらくそんな意味だろう。
どうしたものかと腕を組んで考える。そこに、勢いよくレークが飛び込んできた。
「大変ですっ!」
おそらく大変と言うのは、この事だろう。俺は四角い手紙を手で包み込むようにして、ネイの無事を祈った。
「お前にしては余裕がないな。どうした。」
「何落ち着き払っているんですか!ネイさんが、神殿に…」
大分興奮している様子に、俺は宥めながら手紙を差し出した。グシャグシャになったそれを解いて読みだす。その表情に段々険しさが出ていった。
「これを読んだのに、貴方は冷静でいられるのですか。」
今の俺が冷静に見えるのなら、やつの目は節穴だ。
「それは建前だ。事実はこちら。」
そう言って、四方形の手紙を差し出す。本来ならば、ネイからの可愛い言葉を見せたくはないが、不本意ながらも見せる事となった。
「これは、とんでもない事態ですね。どうやら…貴方は、まったく冷静ではなさそうですね。」
これで事の詳細がすべて分かる訳ではない。しかし、今までの事もあり、ルイス側がどうしようとしているかくらいは読める。
「しかし、ネイさんは魔法が使える。逃げ出せるはずなのに、どうしてそうなさらないのでしょうか。」
「ミリアが残したメモには、魔法封じの腕環と書かれていた。きっと、誰かに嵌められてしまったのだろう。」
ネイの笑顔が浮かんで消えた。なるべく早く、ネイに会いたい。そうして、この腕の中に納めたい。
俺は震える手を隠す為に腕組みをして、前にいる男を真っ直ぐ見た。
「陛下の周りも、今は慌ただしい時期だろう。そして、王妃すら近づけない。しかし、陛下に謁見できる可能性があるのは王妃だけだ。これを伝えてもらうには、王妃に伝えてもらうのが一番手っ取り早いだろう。」
しかし、それは最善ではない。陛下、いや、兄上の体調が余計に優れなくなってしまう恐れもある。だからといって、この状況に何らかの手を加えない訳にはいかないだろう。
「先までの私の目は節穴のようでしたね。貴方は十分に焦ってらっしゃる。」
いつものいけ好かない笑顔になったレークは、どこか頼りがいのある様子だった。
「今の陛下には、このお話は無理でしょう。幸い峠は越えたそうです。二、三週間もあれば、完全に復活するでしょう。それまでは、変な気など起こさないように、静かにしていることです。」
そうだ。俺が今動けば、一番厄介な事になる。それは分かっているが、最低でも二週間以上ネイにも会えないという事実が胸の奥を絞めつけた。
「しかし、今回ばかりはルイスさまもバカな方法を取られた。」
そう、いささか早計な行動に出たとしか言いようがない。そこはどうも不思議でしかならなかった。
「あの人は、どうやら宗教に心酔し過ぎている。己をついに見失ったのかもしれません。」
笑顔でおぞましいことを言ってのける。しかし、俺には分かっていた。これがレークの怒り方なのだと。これで、力強い味方がついた。まあ、ネイがさらわれた時点でレークがこちら側につくのは分かっていたが。
「しかし、私にはこれだけで済むとは思えません。何か、もっと複雑な事を企んでいそうな予感がします。」
確かに、そんな気もする。向かい側にいるレークも、同じように腕を組んで悩んでいるようだ。
この予感が、当たってしまうとは―――この時は微塵も思っていなかった。