変化‐その2‐
「あらあら、まあまあ。急にどうなさったのですか。」
私のすぐ後に部屋に入って来たのは、例のおばあちゃんメイドさんだった。少し、ほっとしたのは内緒だ。
「湯あみの用意が済んでおります。お話を聞きがてらにお手伝いしましょうねえ。」
あの、と反論しようとしたけど、柔らかい笑顔に相殺された。いつもは勝ち取っていたはずの一人風呂を今日初めて諦める事になった私は、ぐいぐい押されて浴室へと進む。結局身ぐるみ剝されて、あわあわの湯船に身を浸からせた。
おそるべき、メイドさん。何だか、これからも逆らえる気がしない。
力を抜いてはー、と両足を伸ばして首を縁に預けていると、頭をマッサージしながら洗ってくれた。
これ、気持ちいいー。寝ちゃいそう…
そんなフワフワした気分の時、声をかけられた。状況判断力が鈍ってる時に、ずるいなぁ。
「急に走って家に飛び込んできたりして、どうかなさったのですか。」
私は目を閉じたまま、ぼーっとした頭でぼそぼそと答える。
『なんかね、クーンさんが、満面の笑みだったんです。』
「まぁ、珍しい。しかし、それに何か問題でも?」
泡を掬って、腕を洗う。いい匂いがして、幸せな気分だ。もちろんあっちの世界でも出来た事だろうけど、言え自体がリラックスできる場所じゃなかったし、わざわざ面倒だし。ってことで、堪能してるふりをしながら質問に答えた。恥かしいのを誤魔化す為の行動だ。
『クーンさんって、格好良いですから…その…キラキラした笑顔って、心臓に悪いって言うか、直視できないって言うか…』
もごもごとそう言った。そうすると、クスクス笑う声が聞こえてくる。調度神を流されているところで目が開けられない。振り返ることが出来たのは、笑い声が納まったその後だった。
声は納まったとはいえ、メイドさんは笑顔のままだ。そして、かなり面白がっている。
最近、よくこんな笑顔見るなー、と脱力し、話したことを後悔した。
後悔後先を立たず、とはよく言ったもんだよね。適切過ぎるたとえに私はがっくりと肩を落とすしかできなかった。
「随分とお可愛らしい悩みですね。しかし、急に逃げられたクーンさまはどう思うでしょう。理由も分からず、どうしていいのかも分からず、悩んでいるのではないでしょうか。」
そう、なのかな。いや、そうなのかもしれない。理由も言わずに逃げてきちゃったし、今更どうしよう…
私は百面相していたのか、くるくる変わる表情を見てメイドさんはまあまあ、と言ってまた笑っていた。
笑いごとじゃないですよー!この後、顔を合わせた時、どうしたらいいの。そう質問すると。
「思っていらっしゃることは、はっきりとお伝えしないと。言葉は伝えるためにあるのですし、自分の気持ちは言葉にしないと相手には伝わりません。」
見事なまでの正論が返ってきた。
まったく持ってその通りですね。
「さあ、長く浸かり過ぎては、逆上せてしまいます。もう上がりましょう。」
この後が大変だった。
妙にフリフリした白い夜着を着せられてしまった。今までにないくらい抵抗したのに、ここにはこれしかありません、とか言われて、取りに行くからと抵抗してみても外にはクーンさんが居るから出ていけないことが判明して、もうどうすることもできなかった。
ううー、こんな人形みたいなフリフリ、恥ずかしいよー。
半泣きの私を見ていたメイドさんは、またゆっくりと笑いを溢すと、クーンさんに頑張るようにと言って出ていってしまった。
残された私は浴室から出る事が出来ない。こんな格好でクーンさんの前に行くことが恥ずかしいからだ。
てゆーか、全然似合ってないから!キモいよ、私。でもでもっ。自分の意思で着たわけじゃないし。
何度も呼ばれて出ていかないこともできず、私は観念して渋々出ていった。
「…おいで。」
恥かしくて、きっと今顔赤い。
私は俯いて、クーンさんのところまで行った。
ベッドに腰掛け、その後ろからクーンさんが髪を拭ってくれる。いつもと同じようにされてるのに、着ている服の所為で恥ずかしさが倍増だ。
露出度が低いのに、それよりも遥かに恥ずかしくなるくらいのフリフリ度。この世界の服だけは好きになれそうにない。
髪を梳かれ、髪が整えられる。ここからが、さらに覚悟しなくちゃいけない時間だ。急に後ろへと引かれて、クーンさんの腕の中にすっぽりと収められる。
さっきまで赤かった顔は、真っ赤になってるだろう。
「ネイ、さっき、なんで逃げた?」
耳元で声がする。掠れた、囁くような声。
みみっ、耳に息掛かってるからぁ!
たじたじの私を余所に、クーンさんの声はさらに艶やかに私を攻め立てる。敢え無く陥落して、正直に告げるのはそのすぐ後だった。
『クーンさん、自覚ありますか?クーンさんって、その…すごく、格好、良いんですよ?』
あーっ、もう!何言ってんの、何言っちゃってんの!自分自身に突っ込んで、恥ずかしさのあまり死ねるかと思った。
『そんな人の笑顔、ドキドキしちゃって、直視できませんよ…』
言い終わるのと同時に、クーンさんの腕にさらに力が入った。
く、苦しい…!
「そんな可愛いこと、言ってくれるな。」
私は振り向こうと思って、力強いクーンさんの腕を自分の手ではがそうとする。だけど、できなかった。
しばらく無言が続く。クーンさんは私の方に顔を埋めてるようで、首に掛かる息がくすぐったい。それから逃れようにも、やっぱり力が強くて上手く対抗できなかった。
「逃げようとするな。しばらくこのままで。」
そう言われてしまえば、抵抗することすらできなくなる。私は大人しく動きを止めて、じっとしていた。
はー、と大きくため息が聞こえる。それは二人しかいない部屋の中に響いた。
「ネイ。」
名前を呼ばれて、少しだけ振り向く。すると、一瞬で私の唇は奪われ、チュッと言う小さなリップ音がして私の顔から影が逃げ去った。
何してんすか、いきなり!
私の身体はビクッと震え、そのまま硬直した。
後ろからはクスクスと声が聞こえ、揺れる体で笑っていることが分かる。私の心とは全く正反対だろうクーンさんは、何だか上機嫌らしかった。
「うん、ネイらしい反応だな。」
なんだ、それ!
理解できないものは、いつもなら訊ねる。でも、それが出来ないくらい、私は硬直し続けていた。
「俺の理性の固さに感謝しろよ。」
全く訳が分かりません!
だけど、後ろのクーンさんは、嬉しそうにしている。ようやく動けるようになってから、そろー、と横目で覗き見をしてみると、そこには満面の笑みでいるクーンさんが居た。
てゆーか、また直視しちゃった!
また慌てふためく私を、クーンさんはもう一度ギュッと抱きしめてきた。
てゆーか、お兄さん、キャラ違くないか?!そう言いたくなるくらい、普段からかけ離れてるクーンさんは心臓に悪かった。
「ネイ。ネイだけじゃない。俺だって、ドキドキしてる。」
そう言って、私の頭を自分の胸に誘って、耳を押し付けさせる。そこから聞こえてきた鼓動は、私の速度と重なった。
『心音、早いですね。』
「同じだ。」
うん、そうみたい。クーンさんも私と一緒。それが嬉しくて、今度は自分からその背中に腕を回してくっついた。
「だから、あんまり可愛いことしてくれるな。」
その呟きの意味はよく分からなかったけど、私は同じ気持ちだったことが嬉しくて、もう一度きつく抱きついた。
筋肉質な腕にもう一度包まれる。温かくて心地良いクーンさんの腕の中は、ドキドキして恥ずかしいけど、すごく安心できた。
その温かさに、心地よさに、まどろみの中に意識が落ちていく。
「もっと、甘えていいんだ。」
小さな囁きが聞こえて、私は微笑んだ。
『うん…』
囁きが確かかは分かんなかったけど、私も小さく囁くように返事をした。