閑話
クーンサイドのお話です。
レークに言われたことは俄かに信じ難かった。鏡盆に一人の女の子が映し出されたと言うのだ。
これは単なる神話ではなかったのか?
そう疑問に思いつつも、鏡盆を除くことができない俺は、指示に従って動くことしかできない。
誰も通らないはずのシュラスバンド砂漠に黒髪でおかしな格好をした女の子がいるはずだと言われ、俺はすぐさまに国所有のドラゴンを一匹拝借した。
その所為で今審議に巻き込まれてしまっているのだが。
「宮廷魔法師及び、騎士の一等指揮官でもある貴方であろうと、いかなる理由があってもドラゴンを自由にできるはずはないと思われるのですが?
これは吾輩の判断が間違っているのだろうか。」
…ちっ、狸ジジイめ。
先程からつらつらと告げているものを聞きながし、自分の思考に耽った。
赴いて行った砂漠には本当に不可思議な格好をした女の子が倒れていた。と、言うことは、神話が実現してしまったのだ。
あり得ない。
そう思いながら、倒れている女の子に近寄って声をかけた。
「大丈夫か?」
女であるにもかかわらずズボンを穿いている。まずここがあり得ない。それに加えて素材が分からない袋、明らかに造りがおかしな鞄。
…まさか、本物か?いや、それは少女に聞いてみてからの判断だろう。まずは取り急ぎ運ばなければ。
「大丈夫か?」
もう一度問うと。
『待ちやがれ、アホ神…』
空耳だと信じたい。
耳を疑うような神を冒涜する言葉と、口調。もしかして下級市民か。いや、それにしても格好がおかし過ぎる。
『…んっ、暑…….』
本人に聞くしかないのか。そう思いドラゴンに乗せると、急いで都へ戻った。
そこからが大変だったのは無理もない。
ドラゴンを返しに行くと、飼育係に泣きつかれた。俺が責任を持つ、と言い残して、少女に目がいかないように、なるべく勤め、使われていない客室に連れていく。
レークの幼馴染みが女官を務めているのは助かった。世話を頼むと、何食わぬ顔をして常務に戻る。 その時はまだドラゴンのことはバレていなかった。
ルイス派が何か嗅ぎつけたのかもしれないな。あいつは少々厄介だ。
仕事を終え、真っ直ぐに客室へ向かう。いつにもまして終業が遅くなったため、もう目を覚ましているだろうと寝室へ向かうと、その少女は目を閉じたままだった。
…儚げだな。
見てまずそう思った。
抱きあげた時には羽が生えているかのごとく軽く、感触からして華奢だと分かった。身長もそう高くはない。
きっとまだ成長途中なのだろう。
そう思って不躾にも見つめると、眉間にしわが寄る。
肌は白く透き通っていて、唇は果実を思わすように色合いも良い。黒髪は艶やかさが際立っていた。
…触ってみたい。
そんな衝動に駆られてから、いくら少女だからと言ってそんなことをしていいはずがないと自分を叱責した。
それからどれだけ時間が立ったのだろうか。じっと見つめていた少女は顔をしかめる。それから小さく声を漏らした。
『んッ…』
その直後に長いまつげに縁取られた目は、少し眠たそうに開いた。
「おい、大丈夫か?」
もう一度声をかける。しかし、よく眠っていたようだし、まだしっかりと頭は働いていないらしい。
しばらくして大きな目をさらに大きく開くと。
『ここ、どこ?』
そう呟いた。その声は掠れていたが、どこか引き込まれてしまうような甘い声。少女にぴったりだと思った。
「ここはデューク王国の城だ。自分の状況は、理解できているか?」
身体を起こし、それから俺をその瞳に移した。ようやくこの場に俺がいることを知ったらしい。だが、俺が言ったことに微塵も反応しない。
もしかして、記憶喪失、とか?砂漠に倒れていたくらいだし、何かあったことは明白だが、まさか、盗賊に襲われて捨てられた、とでも言うのだろうか。
『てゆーか、あなた、誰?』
少し舌っ足らずな言葉使い。しかし不思議と不快には思わなかった。
「ああ、自己紹介がまだだったな。デューク王国の宮廷魔法師及び騎士団一等指揮官、クーン・リッキンデル・シェパードだ。」
せっかくの述べたのに、反応を示さない。俺の顔をじっと見つめているようだ。
…何か付いているのか?
しかし、その魅力的な瞳に見つめられていると、どうも居心地の悪さを感じ、口を開いた。
「おい、大丈夫か?」
まさか、どこか具合の悪いところが?
ぐっと身体を前のめりにして様子を伺おうとすると、顔を赤く染める。
まさか、熱が出たしたのか?と、思ったが。
『だ、大丈夫だす!』
『「……」』
思い切り噛んだようだ。見ず知らずの男がいるわけだし、いつの間にか知らない場所にいた。混乱している上に、きっと緊張してるんだろう。
「とりあえず、落ち着け。名前は?」
何事もなかったように会話を続けた。こう言うことは気にするべきではない。それに、何事もなかったような顔など、し慣れている。
その様子にホッとしたらしく、今度は間髪開けずに質問に答えてくれた。
『ネイ。サカキバラ・ネイ。』
「サカキバラ・ネイ?どっちが名前なんだ?」
とっさに疑問をこぼしていた。
名前の形式として、どこか不思議な音を持っているそれは、発音し難い。そして、“サカキバラ”も“ネイ”もどちらも名字にはありそうなものだが、名前としては違和感を持つ。
少女は不思議そうな顔をしながら、考え抜いた挙げ句に答えた。
『ネイ。ネイが私の名前。』
やっとのことでそう言う姿は、真っ直ぐに俺を捉えて離さない。その瞳は澱みなく輝いているように見えた。
思わず笑みがこぼれてしまった。そして、いつになく珍しいことをしてしまったと思い、いつもの表情に戻す。それから質問の続きへと戻った。
「ネイ、自分の状況が理解できるか?」
考えている様子から、全く理解できていないことが伺える。こう言う時は急かしても無駄だろう。
『…今から言うこと、信じてくれますか?
頭がおかしいヤツだと思われることを、きっと今から言います。だけど、真実だから。』
考え抜いたのであろうその言葉に、疑問を持った。
“信じてもらえない”ことを話す?それはきっと勇気がいるのだろう。瞳には涙が集まっていた。
零れさせまいと我慢している姿は抱きしめてやりたい衝動にかられた。それを何とか引っ込めると。
「…とりあえず聞こう。だから泣くな。」
そう言った。なるべく、感情を見せないように。
もうしばらく耐えるような表情を見せて、それから語り出した。
『ここが何処だかは分かりませんが、さっきまで私、砂漠にいたんです。』
「ああ、それはそうだろうな。ネイは砂漠に倒れていたんだ。そこを保護した。単なる熱射病だそうだ。安心していいぞ。」
別段気にすることもない、普通の話だ。それも真実に則っている。
『でも、その前には日本って国にいたんです。』
“ニホン?”
次に述べたことは、理解できないものだった。ニホン、とはどこかにある土地のことだろうか。今まで耳にしたこともない。
『私は単なる学生で、三日後に大学の入学式を控えていたんです。
東京に出てきて一人暮らしを始めるからって、買い物した帰り道、気が付いたらあの砂漠にいて。あそこでジュ…何とかっていう自称神様に出会ったんです。』
分からない単語だらけだ。それにしても。
「頭をどこかにぶつけた訳じゃないよな?」
そう本気で心配してしまった。もしくは空想癖のある子なのか?そうであるならば、管轄外だ。俺の手には負えないのかもしれない。
「話をまとめると、異国にいたお前は買い物帰りに歩いていたらあの砂漠にいた、と。
ニホンに、神様、ねぇ。」
信じがたいことだらけ。それを証明することはできないが、この少女の戸惑いようから言って、嘘をついてるようには思えなかった。
『あ、買い物袋がない…』
小さな呟きに、頭では別のことを考えながらも答える。
「お前の近くに落ちていたものはすべて回収した。そこに置いてあるぞ。」
すると、すぐさま手を伸ばそうとした。が、まだ力が入らないのか、ベッドから落ちそうになる。
『きゃっ…!』
小さな悲鳴があがる。しかし展開が読めていた俺は、迷うことなく手を伸ばした。
「危ない。」
でも。…こんな展開は予想していなかった。
腕に力を入れて抱きしめたネイは、ふわりとせっけんの香りがする。それに、抱き心地が…非常によかった。
『ご、ごめんなさい。なんか動き難くて。』
焦ったように言葉を紡ぐその姿は愛らしく、もうしばらく腕に納めたいと思ってしまうほどだった。
あり得ない、この俺が。
思考を切り替えようと、話を別へと進める。
「ベッドに寝ていたのだから夜着に着替えさせたに決まっているだろう?」
この娘が着ていて物は、うちの女中に洗わせることにした。それにしても、二人で首を傾げてしまうほどの変わった衣服は、着ていては異国の者だと気付かれてしまう。
それでも、勝手に洗っておいて返さない訳にはいかないため、乾いたら持ってくるように言っていた。
『あの、これを私に着せたのって…?』
顔はもう真っ赤だ。
俺じゃないかと心配しているのか?
疑われるのは嫌だと言わんばかりにすぐ答える。
「もちろん俺じゃない。流石に早乙女とは言っても女は女だ。そこはきちんと区別しているから気にするな。」
安心した表情をしてくれるかと思ったが、顔をしかめている。何か気に障ること、言ったか?
その答えはすぐに分かった。