厄介事、急展開‐その2‐
外はざわついている。人がたくさん聞き耳を立てているみたいだけど、お生憎さま。一度陛下が私のことを乙女と呼んだ時点で、この部屋の会話が漏れないように魔法を使わせてもらっていた。
指で操作してカーテンを閉める。その場で私は着ていたものを脱ぎだし、新しい女中服に袖を通した。
二人は目を逸らして居辛そうにしていたけど、丸無視を決め込んだ。だって、他に着替えるところ無いもん。
着替え終わった私はカーテンを開け、陛下に向き直った。
『これは一時しのぎです。いずれは皆に分かってしまうでしょう。こうまでしても私は、少しでも長くのんびりとした日常を過ごしたいのです。』
とどめを刺した。オウサマは落ち込んでいるようで、悪いけどいい気味だと思った。
『クーンさん、しばらくの間専属で働くのを止めてもいいですか。』
「…どうして。」
『いくら髪型と目の色を変えても、元の噂はクーンさんの専属女中が<最後の乙女>だというものですから。』
私の存在を知らなかった人には、髪色が違えど、今傍に居る人がそうだってことになる。だから、保険としてそうしたい。
「今さら、ではないですか?おそらく外で聞き耳を立てている人間が多数おります。」
『大丈夫。周りにはこの部屋の音が聞こえないようにマホウ掛けておきました。』
だから、思った事は何でも出来るって言ったじゃん。二人して目を丸くしないで欲しい。
ふう、とあからさまにため息をついて、いらついているように見せつけてやった。
「おと…ネイさま。」
『陛下、“ネイ”と呼び捨てにして下さい。クーンさんだって、宰相さまだって、殿下だってそうしてくれてます。』
確実に私のこと乙女って言おうとしたね。
腑に落ちないのか、変な顔してる。それでも、さっきよりかは私のお願いを聞いてくれているようで嬉しかった。
「ね、ネイ。」
うん、うん。これで満足。私は満面の笑みで、何でしょうと聞いた。
その表情を見てあからさまに陛下がホッとしたのは、今は気付かないふりをしてあげましょう。
一応は怒ってるからね。だからと言って、嫌いになれる人じゃない。陛下とはここ数日で確実に仲良くなっていた。
王妃様にお茶菓子を届けに行くと、陛下もそこに居る時があった。そんな時はいつでも人払いをして、国政についたり市井についたり話していた。もちろん、今までだって思考が面白いと言われてきた私の意見は、陛下を驚かせるには十分だ。柔軟な考えによって新たな政策を行うことにもなったと聞いた時は、本当に嬉しかった。
それに、話すのはいつもこの国のことだった。たまにクーンさんの話もあったけど。
本当にこの国のことを考えているんだな、って分かったから、過激派のおじさんたちとは違って嫌いにはなれなかった。
私の思考を知ってか知らずか、まだ難しい表情を浮かべる陛下は、私の様子を窺いながら訊ねてくる。
「我らに伝わる書物には、<最後の乙女>には守人が付き物です。誰が守人となったのでしょうか。」
あー…そんな事もあったねぇ。てゆーか、決め方とかかなり適当だったしね。それでも、守人になってくれた二人には感謝しなくちゃ。
『守人の条件は、神殿の清水が毒にならない人物。』
説明するのが嫌だと思いながらも、律義に話す私を褒めて欲しい。
「毒にならないのは、代々の王と神官…」
そう呟いた後、はっと視線を彼に向ける。どうやらもう一人いる事に気付いたらしい。彼とは、つまりクーンさん。
急に視線を向けられたクーンさんは驚いていたけど、すぐに肯定の首肯をした。
『もう一人はレークさん。ジュノが適当に決めました。』
その場に居たからって言う安易な理由を話すと、陛下は不自然に動きを止めてしまった。これだけジュノを崇拝してる。ってことは、だ。あの姿を見たら感嘆こそすれ、性格や態度を知ったら脱力しちゃうんだろうなぁ。
うん、世の中知らない方が幸せな事もあるよ。と言うことで、ジュノの性格については触れてあげないことにした。
『もう一つ触れておきたいことがあります。』
これはクーンさんも知らないこと。私とジュノの間で交わされた会話だから。
『守人の契約を交わした時、クーンさんの名前をクーン・リッキンデル・デュークと呼びました。』
二人が息をのむ音が聞こえた。クーンさんも気づいてなかったらしい。あの時は空気に呑まれてたみたいだし。無理もないよね。
「それは、神がクーンを王家の人間として認めた、と…」
『さぁ、詳しい事は分かりません。私はジュノに言われた通りにしただけですから。』
いくら私がおざなりに言ったからって、冷たい人間だなんて思わないで欲しい。無理だろうけど。でも、私にだってあのつかみどころのないアホ神は分からないことが多すぎる。ジュノの本心を私が全て知り得ることなんてできないもん。
「それで?」
聞き返されても困る。
『私が伝えたかったのはそれだけです。ただ、クーン・リッキンデル・デュークが守人になったとお伝えしただけですよ。』
では失礼します、と綺麗に手を前で組んだ形で礼を取った。
クーンさんもそこに残す。だって、私は今日からクーンダンの専属ではいられないんだから。
私は足早にそこを離れ、ミリアがいるであろう女中部屋に急いだ。
…ダメだ、泣くな。
急に視線が滲んできた。我慢していたものが溢れるように。
恐れていたことが起こった。私の存在が過大評価される。私自身を、誰も知らないのに。私は、私を知ってくれていた上で仲良くしてくれる人たちと、のんびりと過ごしたかっただけなのに。
さっきは陛下の前で起こって見せて、気丈に振る舞えた。だけど、その状況から抜け出した途端に、我慢が聞かなくなった。
―――相変わらず、見栄っ張りだな。
苦笑しても、目の前のゆがみが消えてくれる事はなかった。それは、やっと手に入れた平穏と、私をお前と呼ばずに名前で呼んでくれる人たちに出会えたのに、それを手放さなければいけないかもしれない可能性に動揺してるからだ。
どうすればいいんだろう。…どうしようもない。
その繰り返しばかりが思考を埋め尽くし、女中部屋に着いたころには瞳から涙が溢れてしまった。
「どうなさったのですか?!」
駆け込んだ瞬間に、駆け寄ってきてくれたその人にしがみついて、私は声だけ堪えて泣き崩れた。
「…とりあえず、こちらに参りましょう。」
そう言われたけど、私は上手く歩けなくて。支えられるようにしてそこを後にした。だけど、分かる事も一つ。
ミリアはあえて私の名前を呼ばなかった。髪色と目の色、服装を変えていたから。その優しさに縋りつくように、私はミリアに従った。