秘密
ネイはやはり<最後の乙女>の立場からは逃げられないようだ。もちろんそんな予感はしていたが、この国の最高権力者である陛下の態度を見れば、さらなる納得を与えられた。
そして何よりあの言葉。
“私を公の場に出さないと誓いなさい”
厭々ではあったが、あれは譲歩した命令。しかし、その光景はあまりにも高貴であった。
はじめから態度も雰囲気もコロコロ変わる少女だと思っていたが、あの時は格別で誰もが見惚れていたのが分かる。かく言う俺も。
そして、言うなればあの雰囲気こそあの少女にふさわしいと思った。
少女を他人に知られたくないという思いで溢れていたが、それはもう到底叶わない。
そして、こうなる事は兄上がレークを呼び付けるという、数日前の出来事から予想していた事であった。
「先程、陛下に呼び出されました。」
低い声でそう始まった。
今は鏡盆祭の最大の遠視の行事が終わり、眠りについてしまったネイをそこに残して執務室に居る。
レークの言葉に何事かと思い視線を書類から上げると、いつもの胡散臭げな笑みを浮かべているレークではなかった。
そこにいたのは、至極真面目な表情を浮かべる青年。レークではないと思ってしまったのは、普段のレークからはかけ離れ過ぎているからだった。
「なぜ陛下がお前を呼びだす必要がある?」
祀り事は無事に終わった。取り急ぎ占じるような事も今は無いはず。
市井のことは鏡盆祭で明らかになった。つまり、城下や地方の様子は把握している。
…他に神官に訊ねる事があるのだろうか。
「<最後の乙女>の存在を疑われました。」
驚き、耳を疑ってしまうような言葉だった。
鏡盆はネイが触れたことにより使用できた。他の神官にさえ気づかれていない。だというのに、何故陛下に分かり得るのか。
「驚かれるのも無理はありません。しかし、王の目を欺き続けるのは不敬に当たります。どうかクーン殿より陛下に説明していただけないでしょうか。」
俺は兄上を尊敬している。不敬に当たるなど、あって欲しくないことだ。ならば全てを申し上げるべきだろう。
しかし、そうすればネイはどうなる。あれほど嫌がっている表舞台に出る事になってしまうのではないのか。それこそ忌み嫌うべきだ。
「ネイさんには申し訳なく思いますが、正直にすべて申し上げるべきです。それは仕方のない事でしょう。」
表情からすべてを読み取ったのか、言われた事は俺の胸を強く突いた。だが、理解はしていても、どうにも納得はできない。
「陛下は感づいておられるというより、確信を持っておいでです。他の貴族に知られてしまえば、どうやっても表舞台に引っ張り出されてしまうでしょう。」
尤もな言い分だ。避けられない、か。
「ネイさんは嫌がるでしょうが、まずはクーン殿が陛下にお話しください。」
嘆息し承を告げる。満足そうにして出て言ったレークから、翌日の朝陛下からの呼び出しの手紙を渡された。
伝説の乙女のことだからか、随分と話が早い。俺はそれに従い、無い蜜に陛下へと会いに行った。
「久しいな。元気にやっていたか。」
にこやかな笑顔。そこに居たのは、国王陛下ではなく俺の兄上だった。表情はいつもよりも柔らかく、目には親愛の情がある。
腹違いとは言えども、目の色と少し違う髪色以外はよく似ている。しかし、身体の弱い兄上は騎士団に努めている俺とは、体格の差が合った。
「…お久しぶりでございます。」
謙ってそう言うと、やめてくれと言われて顔を上げる。
いつも言われるがこれだけは止められないことだ。兄上が陛下であり、俺がその臣下であることの証明として。
「早速だが、単刀直入に訊く。」
身体を一瞬震わせ、王たる者の視線を一身に受ける。ああ、この人は自分の兄上ながら陛下であるのだと、いつもながらに実感した。
「〈最後の乙女〉の存在を確認しているな?」
もう、すべて存じ上げているのだ。あの目はそう言っている。
俺は嘘はつけないと思い、目を合わせてしっかりと頷いた。
「...なぜ、黙っていた。」
「...申し訳ありません。」
理由を訊いているのだと言われ、今度は謝罪の言葉も言えない。どう説明するべきか。口をつぐんだまま考える。
説明をするにはネイの内面的なことを話さなければならない。しかし、それはすべきでない。
では、どうする。
よく考えてみれば、乙女は陛下と同等、または上の存在。ならば答えはひとつ。
「...自分は、公の場には出たくない、そう言われてしまったのです。」
「乙女は、我々に協力しない、と?」
訝しげな表情を隠すことなく露にしている。普段ならば隠すだろうが、相手が俺だからなのか、自然なままの表情だった。
この時は威圧感はなく、兄上としての質問だ。使い分けがどんな基準かはわからないが少し嬉しい。
「いえ、そういう訳ではありません。レークや私に異なる思想を教えてくれ、新たな料理を作ってくれています。」
これを後に、兄上はネイについてさらに熱心に聞いてきた。
今は俺の専属女中として働いていて、シェパードの邸にいるという話には目を丸くしていた。だが、次に議会を正論で言い負かしたことを教えると、愉快そうに笑っていた。
そして、俺が部屋を後にするときには、明日には会えるように手筈を整えると言って、楽しげに送り出してくれた。
仕方のないことだろうが、自分の気持ちを自覚してしまっているために、たとえ国王陛下と言えども、ネイに会わせることにあまりいい心地はしない。
単なる独占欲にすぎないそれを理性で抑えながら、ひとつ疑問が浮かんだ。
…ネイは俺をどう思っているのか。
たまに近づき過ぎると顔を赤くしたりする。なのに、同じベッドで俺と眠るという大胆な行動に出るのは、ネイの方だ。しかも、気にした様子はなく、俺の方が戸惑ってしまった。
確かに近い存在なのだろうが、自分の位置付けが気になる。
本人に聞いたところで、戸惑って答えてはくれないだろう。もしくは、平然として単なる知り合いと答えるだろう。
どちらにしろ答えは俺を奈落の底辺にまで突き落とすだろうから、聞かないのが無難なのだろうとそこからの思考はやめた。
自分の執務室へ戻り、嘆息をひとつ。とりあえず、今は目の前の書類を片付けねば。
そう思った瞬間に、ネイがお茶を淹れにやってきた。本来ならば、断って仕事をするべきだ。しかし、可愛い笑顔を浮かべるネイの表情が曇ることを考えれば、それは絶対にできない。
己の変化に少々戸惑いながらも、それに嫌な心地はしない。だからこそ、早々に書類を放り出して、ネイの元へ向かった。
そして、いつものことではありながら、決まった時間はないのに、レークがやってきて二人の時間を邪魔するので、俺は肩を落とした。
それにあからさまに面白そうなニヤリ顔をしている姿には、わざと気づかないふりをする。ネイはもちろん何も気づいていなかった。
いつか、この気持ちに決着がつくだろうか。果てしなく遠い未来を想像してまたひとつ嘆息した。