夜更け
目が覚めた時、そこはクーンさんのお屋敷の部屋だった。ジュノが消えた後、すぐに気を失った私は、どうやらここに運ばれたらしい。
心配そうにしているクーンさんがすぐに目に入った。
手が温かい…
そう思って視線を向けると、クーンさんの大きな手が私の手を包んでくれていた。
「…ネイ、目が覚めたのか。」
掠れた声。辺りは暗いし、今は夜中らしい。
『おはよう、ございます…?』
夜だけど、おはようって、合ってるのかな?起きたらおはよう、だから合ってるよね。
呑気にそんな事を考えていると、クーンさんは私の手を今度は両手で掴み、自分の額に当てている。
何事かと思っていると、大きく息を吸い、同じように大きく吐き出した。
小さな声で名前を呼んでみると、また一つ嘆息する。吃驚しながらも、私はされるがままにしていた。
私の手を握る手は力を増して、少し痛い。その行動は私の存在をまるで確認しているようにも思えるものだった。
『クーン、さん…?』
もう一度呼びかけると、今度は目を開けて私を視界に映している。その瞳に映り込む私は、不思議そうな顔をしていた。
「よかった、目を覚まして…」
小さな囁きにも聞こえたそれは、安堵を含んでいた。
私、熱を出しただけでしょ?後はジュノに与えられた知識が大き過ぎて、頭痛を起こしていたくらいなのに。クーンさんって心配症なのかな。
そう呑気に考えていた私を驚かせたのは、クーンさんが教えてくれた真実だった。
なんと、私はあれから三日目を覚まさなかったらしい。
そりゃ、心配するよねぇ。
自分のことなのにどこかそう他人事のように思い、ぼーっとする。クーンさんはやっぱり心配そうに私の顔を覗き込んで、名前を呼んでくれた。
『もう大丈夫ですよ。』
安心してもらうために言った言葉だったけど、やっぱりクーンさんは心配そうな顔をしていた。
それにしても三日も寝てたなんて。我ながらすごいな。
ダルイ身体、掠れた声。ずっと寝ていたことがよく反映されてる。水を貰って喉を潤すと、私はまた横になった。
「身体、辛いか?」
訊ねられたけど、答えかねる。
私より、絶対にクーンさんの方が体調悪そうだったから。むしろ、そっちの方が心配だって。
『クーンさん、食事ちゃんと摂ってましたか?それから睡眠も。』
明らかに寝不足。隈が酷過ぎる。それに、少しだけ頬がこけてるように見える。それでもイケメンは変わってない。そんな不健康さも、どこか儚いような色気を醸し出してて…
って、そんなこと考えてる場合じゃないっての!
目覚めて早々残念な思考の私を叱咤して、今は目の前の人に意識を向ける。そうじゃないと、この人は自分のことになんて気を使わないから。
「…いや。」
何とも言い難そうにそ一言。私に怒られるって、分かってるね?
ふう、と息を吐き出してから、にっこり笑顔で言ってやった。
『私に気をかける前に、自分のことを気にしてください。』
笑顔が怖いって、昔よく言われてたっけ。怒る時って、怒鳴られるのも怖いけど、笑顔でひたすら穏やかに怒られる方が怖いんだよね。いっそのこと怒鳴ってくれた方がマシだって。だからこその、笑顔でお説教だ。
『私のことを心配してくれてたのは分かります。でも、目を覚ました時にクーンさんの体調が最悪だったら、どう思うと思います?
私の所為で、体調を崩したんだって思っちゃうんですよ?』
淡々と。抑揚なく。そしてポイントは笑顔。その笑顔はもちろん口許だけ。目は笑わないのが重要だ。
「すまない…」
小さくなっているクーンさんは、怒られた子供みたいで少し可愛かった。だからって、簡単に許してしまう自分が憎い…きっとまたすぐに自分のことを蔑ろにするだろうからね。
「ネイが目を覚まさない間、気が気ではなかった。仕事をずっとしていれば忘れられるかと思えばできないし、食事を取ればネイの作ってくれたものの味が恋しくなってまたネイを思い出して。
無理してみたが気になって仕方がなかったんだ。」
…ドキドキしちゃうじゃないですかっ!
射抜かれるような瞳には、熱が籠ってる。私は勘違いしないように目を逸らしたかった。それに、顔は赤くなってるだろう。だけど、真っ直ぐすぎる瞳はそれを許してはくれなかった。
この世界に電気がなくてよかったよ。
ロウソクが4、5本灯されている部屋はかなり薄暗い。顔が赤いのがばれなくて済む。
目を何とか逸らして2、3回小さく深呼吸した私は、心を何とか落ち着かせる。気が治まったきた頃、漸くクーンさんを真正面から見ることができた。
『まだ夜明けは近くないですよね。』
部屋や廊下のもの音はしない。人はもう寝静まっている頃だ。だけど、朝が来るにはまだ早い時間だった。
『私は無事目を覚ましました。もう安心して眠れますよね。』
顔にそろそろ限界だって、書いてあるもん。もう寝てもいい頃だよ。
そういう意味を込めて言った。そうでもしないともう一晩起きているとでも言いかねない。そんな事したら、体調にも仕事にも支障をきたしそうだ。
「でも…」
ホントに心配症なんだねぇ。だけど、でも、は許さない。私の方が心配になるから。
布団をめくり、隣をポンポンと叩く。
『ちゃんと寝て下さい。』
途端にクーンさんの動きが固まる。なんか、変な事言った?
「…それは、隣に、という意味か?」
間違いなくそうなんですけど…変だった?だって、もう一人の私と私が同化して混乱しちゃった時も、一緒に寝たから気にすることないと思うんだけど。
そう思って見てみると、クーンさんはやっぱり動かなかった。
『早く入ってくれないと、布団が冷たくなっちゃいますよ。』
それに、私も寒いし。
外気に身体が触れてぶるっとすると、クーンさんは戸惑いがちに布団に入ってくれた。私は肩までちゃんと掛けたことを確認すると、満足して隣に納まり、目を閉じる。流石に三日も寝ただけあってすぐには眠れなかった。
どれくらいたっただろうか。二人でベッドに納まってそれほど経たない頃に、急に引き寄せられる手に驚き目を開けた。
横から回された腕は、寝ているとは思えないほどの力で私をその腕の中に納め、寝息をたてている。
やっぱり無理してたんじゃない。
小さく笑って、寝顔を見つめる。いつもよりも幼く見えるクーンさんは、少し可愛かった。
顔に掛かる髪をどけてやり布団をもう一度きちんと引っ張り上げると、私も寝ることに決め、もう一度目をきつく閉じた。