守人‐その2‐
“よーい、アクション!”とか、そんなの映画がないこの世界のどこで覚えて来たんですか。
一度手を離し、鏡盆の中の水に触れる。それは、下に広がる水よりも温かく、柔らかさを帯びていた。
清水で濡れた手を、二人に預ける。
『レークサイド・マカリアス、これより貴方に神の加護を授け、<最後の乙女>の証人として守人の役を授けます。
受け取っていただけますか?』
気恥ずかしい。上から目線で言ってる感じが、何とも気分が悪い。
けど、ジュノ曰くおごそかな空気の下に行われなくちゃいけないからって、お得意の猫かぶりでそんな空気を醸し出すように言われた。
「はい、貴女に忠誠を。」
膝間づいて、手の甲にキスを落とされる。
あーっ、恥ずかしいったらないよ!
顔が赤くならないように、ってのはムリだけど、そうであっても表情は変えないように心がけた。
『クーン・リッキンデル・デューク、これより貴方に神の加護を授け、<最後の乙女>の証人として守人の役を授けます。
受け取っていただけますか?』
「…貴女に忠誠を。」
そう言って落とされるキスは、先のものよりも恥ずかしくてドキドキする。少しかさついた冷たい唇が触れたところが、少しだけ熱くなった気がした。
と、クーンさんの唇が離れた瞬間、私が鏡盆に触れた時のように光が放たれ、神殿を埋め尽くす。
建物の中にいるのに、風が吹いて神や衣服を揺らした。
“お前たちに、わが名を呼ぶことを許そう”
あ、またこの感覚。涙が目の奥から自然と湧いてきて、流れ落ちていく。
風と光が止んだ。目を開ける前に、私の頬に手の感触がする。
ゆっくりと目を開くと、クーンさんの手が私の頬を伝う涙を拭ってくれていた。
「やっだー、僕の前で僕の乙女とイチャイチャしないでよーぅ。」
…やっちまったよ、この神様。
最も敬われるべき存在のはずなのに、一発目に間抜けな姿を吐露していた。
「神、さま…このお方が…」
レークさーん。この人、そんなに熱い視線を送れるような人じゃありませんよー。
聞いてますかー?
って、無理だよね。この国の神官様なんだもん。ずっと、恋焦がれていた存在に違いない。
それよりもまず。
『私がいつあんたの乙女になったって言うの。』
僕の乙女、とかイチャイチャ、とか聞き捨てならないぞ。
「この方が、神…」
例によって、クーンさんも固まっております。
敬う存在なのは知っている。でもその前に。
何故この神の格好を突っ込まない。木馬を前後に揺らしている、この見るも見事に残念なイケメン神様ジュノワールにもっと言うべきことあるでしょ!
『ジュノ、とりあえず木馬で遊ぶの止めなよ。もっとほら、神様っぽい感じで光を背負ってみるとかした方が、見栄えがいいよ?』
何ともフランクに話しかけた私を、レークさんは驚愕の表情で見てきた。てゆーか、さっきから私この口調だったし、今さら驚くことでもないと思う。
「やあやあ、守人に選ばれたお二人さん。僕は神様。名をジュノワールと言う。」
偉そーに。
私は半分睨みつけるような顔で、ジュノの話を聞いていた。
「守人に選ばれた二人は、僕と乙女の証人で在り、乙女を守るべき存在だ。制約を交わした限り、裏切りは許されない。
先に口ずけた際の清水が、裏切ったときには毒となりその身体を侵す。
いいね?」
ちょっと、ちょっと、ちょっと。そんな物騒な話聞いてないんですけど?!
そう言ったら、だって言ってないもーん、とか抜かしやがった。いつかいっぺんシメテやる!
「二人は今、僕の声が聞こえ、姿が見えているはずだ。」
そうだね、と訊ねられ頷いてる二人は、神の存在に戦いてるみたいだ。最初の言葉を最後に、さっきから口を開こうとしない。
何て言うんだろう。恐れ多い、って感じ?の態度をしていた。
「彼女から手を離すと二人は僕の声を聞く事も存在を見る事も出来ない。もっとも、神官の方は僕の存在を光で感じ取ることができるだろうが。」
やっぱり、レークさんってすごいんだ。神官も家系だって言ってたし、なんか特別な力があるのかな、なんて思った。
「僕がネイを<最後の乙女>として送り込んだのは、地球の現代における知識を使って、この国の乱れた政治を正して貰おうとしているからだ。」
その意味失礼だろうけど、よくわかる。
ここのお偉いお貴族さまは何と言っても働かないし、その地位を振りかざしてるだけだ。ミリアが税金ドロボウって呼んでたけど、全く持ってその通りの行動や生活をしている。
『私、そんなに知識ないけど、大丈夫?てゆーか、なんで私が<最後の乙女>だなんて仰々しいものに選ばれたわけ?』
そこがよく分かんないんだよね。私じゃない方がいいじゃん。
「もともとニホン人を選んだのは、髪色や目が神秘的だからだよ。それに…」
それに?そう小首を傾げてみると。
「可愛いっ!」
な、何事?!ジュノがご乱心じゃーい!
『ちょ、ジュノ!離れてよー。』
「つれないなぁ。そんなところも可愛いんだけどね。照れなくても良いんだよ、乙女。」
話を聞け!私がいつ照れた?キレたのには間違いないけど、なんでこのアホに対して照れなくちゃいけないって言うの。
てゆーか、ほっぺたつんつんするのやめて!
「二人も思うだろう?髪や目はさることながら、肌の色や華奢さ。
まさに乙女と言う感じだろう?」
そんなテキトーに私も決めたわけ?訳の分からん基準で人を許可なく異世界に飛ばすなよ。
こっちに来れたことは結果的に良かったけど、ジュノに対しての評価はガタ落ちだ。
「そうですね。儚げなところも、乙女には合っていると思います。」
クーンさんは未だに口を開いていない。レークさんはやっとこさ、って感じだ。
そんなにジュノに緊張すること無いと思うんだけどなぁ。
「だろう?って言うのもあるんだけど、実は僕が異世界旅行をしたことがきっかけで、歪みが出てしまってね。
君の運命を変えてしまったんだよ。」
なんだそのカミングアウト!
「…思い出してごらん。」
次の瞬間、頭の中を映像が過った。振り返ったときに目に入ったのは…
『きゃあああああああ!』
勝手に悲鳴が喉から飛び出していた。頭を抱え、立っていられなくなり、その場に崩れ落ちる。
「ネイ!」
急に温もりに包まれた。クーンさんの腕が、私を包み込んでいる。レークさんは私の肩に手を置いて、心配そうに覗き込んできていた。
二人の優しさが、私を正気に戻してくれたみたいだ。だけど。
『私…死のうとしたの?』
涙が溢れて止まらない。
私はビルの屋上に立っていた。表情なんて何もなくて。何の変哲もないままに足を放している姿が、脳裏をよぎった。
「…ああ。世界線が変わってしまったんだよ。ここに来た君は、Aという世界に居た。
だけど、僕が移動したことで歪みを作り、死ぬ予定でもなかった君が自殺を図った。これはBと言う世界にいる君がした事だけど、予定外の出来事。
だから、君の存在自体をこの世界に引っ張り込んだんだ。」
うそ…そんな…
私、確かに引き取られたところで両親に蔑ろにされてた。だけど、死のうなんてするはずない。だって、おじいちゃんとおばあちゃんの思い出があるもの。
二人が先に逝くことは、当たり前のことだから仕方がない。だけど、それは事故のせいだった。父さんはそれが私の所為だと罵った。私が関わるとロクなことがないと言った。私が関わったから、二人が死んだと言った。
…私は、運命を憎んで飛び降りた。
…ちょっと待って。今の私の思考はおかしい。
「君が混乱するのも無理はない。乙女、今君の中には、二人の自分の記憶が混ざり合っているんだ。AとBの両方の記憶が混ざり合って混乱しているんだよ。
残りは明日話そう。今日は一度帰って落ち着くといい。」
私は涙を溢し続けながら、一度だけ頷いた。