謝罪‐その2‐
「ネイ?」
呼びかけに、現実に引き戻される。上げた視線は、目の前の人によって囚われてしまった。
「痛かったか?」
いつの間にか、考え事の所為で、表情が引きつってたらしい。それを、クーンさんは自分が触れた所為だって勘違いしたみたい。
『いえ、大丈夫です。少し嫌な事を思い出してしまっただけなので。』
そう言うと、今度はクーンさんが顔をしかめた。
「それを、俺が聞くことはできるか?」
クーンさんに聞かせる…?
私は戸惑った。
今までもそうだけど、クーンさんにはいろんなことを話し過ぎちゃってたから。私の祖父母のこと、両親のこと、新しい家族のこと。
普通なら引かれるか憐れまれるような話なのに、クーンさんはそれを聞いた今でも前と変わらない態度でいてくれる。
それを、今度こそ失ってしまう気がして、怖い。
だから、笑ってごまかした。
『今話してしまうと、長くなります。
宰相さまが外でお待ちでしょう?それに、クーンさんだって今日は神殿へ行くために仕事を早く終わらせなければいけません。また今度にしましょう。』
精一杯だった。
どうか、忘れて。お願いだから、聞かないで。
そうしないと、今度こそ見限られちゃうから。
「…そうだったな。」
そう言うと、私の背のすぐ傍にある扉を開いた。
「どうぞ。」
待ってました、言わんばかりにドカドカと入って来たその人に心癒されながら、少し空気が軽くなった気がした。
そんな風にあからさまにほっとした私を、クーンさんが見ていたことになんてこの時は気付かなかった。
「今日一日でネイは有名人だ。…と、これはどうした?クーンにやられたのか?」
まさか!クーンさんは優しくしてくれこそ、殴ったりなんてしないって。
多分それは宰相さまも分かってること。
きっと、わざとだ。私とクーンさんの間にある空気が重苦しかったから、きっと変えようとしてくれたんだと思う。
「私はそんな事いたしませんよ。」
いつの間にか定位置に戻って書類に目を向けている。さっきまでの一連の出来事が嘘だったみたい。
「しかし、聞いた話にはネイが怪我をしていることは入っていなかったが…」
どうやら、複雑そうだ。そして、話は歪曲しているに違いない。
これは詳しく聞いて、私にとって悪い物だったら、報復してやらねば。
一瞬ニヤッとしてから、私はいつものように笑顔を張りつけた。
『宰相さま、詳しくお聞かせ下さい。私も事実のみをお話しますから。』
お茶の用意もありますから、と言うと、宰相さまは喜んで運び込まれたばっかりの机の方へと進んでくれた。
「これは?」
お茶、そしてお菓子を並べる。
今までにないものだったからか、宰相さまは不思議そうで楽しそうな表情を浮かべている。その顔はレークさんと重なって見えた。
『スコーンと言うお菓子です。アフタヌーンティーの習慣があるイギリス、という国が発祥のお菓子です。ジャムを付けてお召し上がりください。』
カップに紅茶を注いで、一つは宰相さまへ。もう一つは黙々と仕事をしているクーンさんの元へと置いた。
『クーンさんも、よかったら召し上がってください。乗せるものとしてバターとチーズも用意しました。あまり甘くありませんよ。』
そう言った私はいつものことながら顔を上げてもらえないと思ったけど、今日は少し違っていた。
顔を私の方へ向け、じーっと見つめるような視線を送ってくる。
きっと、さっきのことがあったからだ。私は笑顔が引き攣らないようにするので精一杯だった。
「ネイもこちらに座りなさい。詳しい話を聞かせてもらいたい。」
そう言われ、私は席に着く。そして、何があったのか四度目になる話を語った。
「…随分と、やらかしたようだが、正論だな。無能な奴ほどよく吠える。おまけに<最後の乙女>に手を上げるなんて…
そいつの首をどう切ってやろうか。」
ステイ、ステイっ!宰相さま、何か黒いものが出てます!
その重苦しい空気の中、私は笑顔を張り付けながら紅茶に口を付けて何とか視線を逸らした。
血の繋がりなんか無くたって、間違いなくクーンさんと宰相さまが親子だってことが確認できたよ…
『宰相さま、私が<最後の乙女>と決まった訳ではないですし、そうであっても表に出る気はありません。
その事を知らない議会の人たちにとっては、単なる小娘に違いありませんから。』
どうかそのどす黒い靄を引き取ってください…
そう言う気持ちを込めてそう言った。
そして、最も気になること。
『で、宰相さまがお聞きになった噂って、どんなものなんです?』
これを聞かなきゃ始まんない。内容によっては、どう報復するか考えてやらなきゃなんないからね!
私こそ黒いってことは、重々承知してるし… やられたら三倍返しが必須でしょ。
「いや、噂も聞いたが、実際はクーン付きの専属を辞めさせろと直接言われたな。」
なっ!
私は驚いて言葉も出ない。マーサさんが言ってた矜持の話が頭の中を過ぎ去り、そんな事を考えるような人間でないことがよく分かった。
「今ネイから聞いた内容は、一切違っていたがな。そして、監督不行届きでクーンに対しての処罰も望まれた。」
…やっぱり。迷惑、かけちゃったんだ。
「まぁ、一蹴してやったがな。」
頼りになります。
ほんと、権力って大切だよね。
『あの、その…噂、ってどんなものなんでしょうか?』
おずおずと聞いたけど、これが私の一番聞きたかった事だ。
絶対最悪だと思う。あの人たちのことだもん。無いことだらけで話したりしてるはず。
「言葉遣いが成っておらず、態度の悪い女がクーンに付いた、と。」
ほっほー。言ってくれますねぇ。
「その女にクーンが絆されている、と。
今まで女に興味がない様に振る舞っていた愚息だからこそ、この噂はおそらく貴族のお嬢様たちにもふれ回るだろう。」
…更なる敵を作ったか……
ここは異界の地。人間の上下関係やら、制度やら、時代背景さえも違う。
現代の日本社会とは違い、女や庶民に対して差別があるのが現実だ。
階級制度の所為でここにいる貴族は増長しているように思える、ってことは、つまりその娘さんたちも、そう言う事だ。
たった一回の出来事で有名になるってのは、随分と大変なことをやらかしちゃったみたい。
「…なんだ、その噂は。俺がいつネイに絆されたというのだ。
それに、ネイの態度や言葉遣いも、きちんとしている。根も葉もないことだらけだ。」
ホント、私もそう思うよ。尾ひれに胸鰭、おまけに背びれまで付いちゃってる。どれだけ話を大きくすれば気が済むのよ。
『私、悪女決定ですかね?』
「そのようだな。」
呑気にお茶を啜りながら、肯定しないでください!こっちは死活問題ですよ。
殴られ解いて、お役御免とあっちゃあ、生活していけないって。
城から追い出されても良いけど、とりあえずここに留まって鏡盆に触れなきゃいけない。それが終わったら、どうしようかな…
どこかお給金が出るとこで働いて、生活していかなきゃ。私、城から出たって言っても、クーンさんの家まで馬車で移動してたから、城下のことなんて知らないんだよね。
生活水準って、どんなものなんだろう。
「おお、これは美味い。ネイは料理屋が開けそうだ。」
!
『それだ!』
思いついたと言わんばかりに声を上げれば、急に出た大声に二人は何事かと目を見開いていた。
「どれだ?」
こちらに近づいてきて、椅子に掛けるクーンさん。その手には、さっき私が運んで渡した紅茶のカップがあった。
どうやら休憩するらしい。
調度いい頃合いだと思い、お代わりを注ぎ入れる。その時に、さっきのことを話した。
『鏡盆に触れてしまえば、私が城に来ることは無いですよね。そうしたら、お給金が貰えるところで働いて、そのうち小料理屋でも開こうと思って。
私が作る料理はどうも珍しいみたいだし、流行るかもしれないでしょう。』
ここの料理水準は高くないし、高級料理とまでは行かなくても、きっとそれなりの値段で提供できる。
そしたら、がっぽりだ。
「…それもいいかもな。だったら、軍資金が集まるまでは、うちで働けば良い。住み込みで働けば部屋代や食事代が浮くし、早く貯まるだろう?」
あ、食べてくれてる!
クーンさんの提案にびっくりして目を向けると、スコーンを口に運んでくれている姿が目に入って嬉しくなった。
「おい、私には裏が読めるぞ。それではお前が嬉しいだけではないか。」
『?』
どうやら、親子で意思疎通しているらしい。私には二人の会話の意味がさっぱりだ。
「でも、それもいいだろう。ネイが表舞台に出たくないのであれば、仕方があるまい。譬えネイが<最後の乙女>であろうと、私はお前自身が気に入っている。
お前がしたいようにすればいいさ。」
にっこり笑ってくれる姿には、今度こそ黒い物は見えなかった。…心からの笑みはなんとも安心できますよね。
「ただ、その白い肌に傷を付けるとは。」
「本当に許せんな。」
息、ぴったりですよね。
でも、一番驚くべきことは、二人が私のために怒っているということ。
おじいちゃんとおばあちゃん以外には、未だ嘗ていなかったような存在。私は俯きながら紅茶を飲み、涙が出るのを堪えていた。
こんなことしてたら、またクーンさんが心配してくれちゃうんだろうな。そう思って少しだけ、また嬉しくなった。