口撃、再び
なんだ、あれ。
見慣れないその姿に呆然としていると、クーンさんが来て私の手を拭った。
『どうしたんですか?』
「…いや。」
会話は続くことなく、クーンさんは定位置について仕事を始めている。
…そうか。今夜は神殿に行かなくちゃいけないからね。早く仕事を終わらせなくちゃいけないんだ。
私はワゴンを片付けて、昨日のうちにミリアに教えてもらっていた道のりを思い出しながら書類を届けた。
やっぱり格好とかにギョッとされたりもしたけど、若い人たちはみんな親切みたいだ。年老いた力のある人に逆らえないだけなのかもしれないけど、私みたいなのにも親切にしてくれるのは正直言って嬉しい。
それに、そう言う人たちはあまりクーンさんに反発を持っていないみたいだった。
こういう場所でも、やっぱり女のこの情報力はすごい。昨日のうちにミリアにいろんな事を聞いておいてよかったと安堵した。
ここにはルイス派とシェパード派という二つの派閥が合って、二分される。ルイスは過激、シェパードは温厚。温厚派の筆頭はその名の通り、宰相さまが筆頭だったりする。
王もどちらかと言えば温厚派寄りで、過激派の議会を追放したり、一斉排除に掛かったりと、結構手を妬いているみたい。そんな過激の一派は、ここの神様を強く崇拝しておられるんだそうな。
その厄介者に私は見つかったら大変なんだろうな、とか、頭の片隅に思いつつ、注意されたように、赤い羽根の小さな飾りを胸に付けている人たちを避けて通っていた。
それが過激派のマークらしい。こっちで赤い羽根と言えば、いい事の象徴だったりするのにね。こっちではルイス派の象徴で、一致団結している様を誇示する象徴なんだって。
道が分からなければ、その赤い羽根の人じゃない人に聞くのが得策だって言われてたから、その通りにするとみんな親切に教えてくれたし、書類も笑顔で受け取ってくれた。
でも、これから向かうところはそうもいかない。
『失礼いたします。書類を届けに参りました。』
ノックをしてからドアを開ける。でも、開けなきゃよかった、ってすぐに後悔する羽目になった。
ここはかの有名な議会部署だったから。
視線が一気に私に注がれる。それは、何か汚いものを見るような目で。
私はこんな視線を知ってる。向こうでも、毎日のように特定の二人から向けられていたから。
議会部署は融通が利かない。しかし、宗教上の敬虔な信者だから、神の御子の血縁だとされる王家には逆らわないらしい。
それなら、なんでクーンさんを目の敵にするんだって話だけど、御子は御子でも卑しい血との混血だから許されないとされてるんだって。
王は純血。クーンさんは混血。そこには雲泥の差があるらしい。だから、いくら王位継承権を放棄した元王族であるクーンさんが、いつか反旗を翻して王になろうとするんじゃないかって疑ってるらしい。(ミリア情報)
あれだけお兄さんの事慕ってるって語ってくれたもん。そんなはずないのに、勝手な憶測だけで流言するの、やめてほしいよね。
で、だ。ここからが問題。
ノックして声までかけた。なのに、誰も受け取りに来ない。
無視ですかー?いい大人がガキみたいな真似を。いい加減イライラするんですけど。何度声をかけても無視っていい度胸ね。
カルシウムが足りてないのか、イライラが最高潮に達した。
ふふふ、そろそろキレるぞー。
『すみませんが、どなたか書類を受け取っていただけませんか?』
これが最終警告。これで無視なら、自分の身分も何も関係ない。てゆーか、こっちには元々身分なんてもん関係ないんだから。クーンさんや宰相さまに迷惑をかけると思って我慢してるだけだもん。
「………」
ってな訳で、堪忍袋の緒がブチ切れた。ネイ、行っきまーす。
『いい加減にして下さい。そこに付いている耳は飾りですか?いい大人が言葉も理解できないとは、残念なことですね。』
もちろん挑発的に言った訳で。もちろん反応する人が出てくるわけよ。
「女中のくせにそんな口を聞いて、平気だと思っているのか。」
わざとやったことにこうも思い通りに乗ってくれるとは、アホ過ぎて怒る気も失せる。でも、言わせてもらう。言っても無駄だし、私を城から追い出そうとするとは思うけど、そんなの関係ない。
『私は当たり前の事を言っているまでです。仕事は仕事。書類を受け取ることすらできないとは、議会が聞いて呆れます。』
おじさんたちの困惑の表情は、面白い。こんな若い女に言われるようなことじゃないと思ったんだろうけど、こうなったらとことん言わせてもらいますよ。
「これが卑しい混血の専属か。主人が主人だからか、教育が成っていないな。」
そう言って、近くに居る人が近づいてきた。書類を受け取ってもらえるのか、と思いきや、伸ばされた手は、私の頬を思い切り弾いていた。
私の身体は揺れたけど、そこから一歩も動かない。口の中か端が切れたのか血の味がしたけど、私は泣く事もなくニヤッと笑ってやった。
『頭に血が上れば、女などお構い無しに手を出すんですね。』
悪いけど、こちとらこういう状況には慣れてる。殴られたくらいで取り乱したりなんかしてやらない。そして、そんな姿を何とも言えない視線で見てくるその表情も、もう何年来にも渡って見てきたものだ。
『大人はそうやって、子供に正しい事を注意されると怒りだす。』
自嘲気味にそう言ってやると、目の前の男は顔をもっと真っ赤にさせた。
この人は、クーンさんを侮辱した。これで私が怒らない訳がない。軽く言いくるめてやろうと思ったのに、そうはいかないほど冷静さを失っていた。
『身分など関係ありません。皆生活するために働いているのです。その頑張りに上も下もありません。同じように必死なのですから。』
動揺することなく、さっきと同じように手を前で小さく組んで、女中のそれらしく言ってやる。懇切丁寧に言ってやるのは、屈辱感を煽るため。そうでなければ、こんな丁寧な言い回しなんてしない。
『働かざる者食うべからず。ただ書類を受け取ると言う仕事にも満たない動作をすることすらできないのなら、タダ飯を食べているのと同じこと。給料をもらう資格すらないと言うことになります。』
目の前の男はぐっと唇を噛んでいる。それが自分の非を認めている事をよく表していた。
『書類を受け取っていただけますね?』
笑顔で再びそう言うと、今度こそ受け取ってもらえた。その時の議会の執務室は驚くほど静かで、私の姿に視線を、声に耳を傾けていることが一目瞭然だ。
丁寧に礼をして。
『失礼いたしました。どうか無礼な言動をお許しくださいませ。』
なんて、ちゃっかり自分の言動についてまで謝ってから、そこを後にした。
廊下を進みながら頬に手をやる。
あーあ、思いっきり殴ってくれちゃって。一応うら若き乙女だぞ!顔に傷でも残ってくれたらどうしてくれよう。
そう考えたら、またイライラしてきた。
これ、腫れちゃうかなぁ。とりあえず、冷やした方がいいよねぇ。
だから、クーンさんの執務室じゃなく、女中部屋に戻ることにした。のは、いいんだけど。
「ネイさま!そのお顔はどうしたんです!」
悲鳴にも近いミリアの声がその部屋に響き渡ったのも無理はなかった。
「こりゃ腫れてるねぇ。ミリア、落ち着いて、冷やすものを持ってきな。」
あたふたするミリアに、その場にたまたま居たマーサさんが指示を出す。それくらいにミリアは驚いていたらしい。
「ここじゃ目立つ。食堂にでも行こうか。今の時間ならあそこには誰もいないからね。」
手を引かれて連れて行かれる。私は怒られる子供のように、黙って着いて行った。
一番入口に近い端の席に座り、ミリアが濡らしてきてくれた布を、頬に当てる。ひんやりして気持ち良かったけど、ちょっとだけ沁みた。
心配そうな視線を向けて、違う布で唇の血を拭ってくれる。切れていたのか、それから消毒もしてくれた。
「何があったんだ、と聞いてもいいかい?」
私は怒られる覚悟で頷き、一言一句漏らさないように、丁寧にさっきの議会の執務室での出来事を話した。
けど、私が思っていた反応とは違って、マーサさんは大声で笑い出してしまった。
「マーサさん!笑いごとでは済まないわ!」
一方のミリアは顔が真っ青。やっぱり、普通ならあり得ないような事、しでかしちゃったみたいだね。
「いや、あんた変わってるよ!」
私の一連の出来事を笑い飛ばしてるマーサさんには言われたくないけど、ここの価値観と私が持っている価値観の違いを大きく知るきっかけになったには違いない。
『正論を言ったつもりだったんですけど、何か変なところありました?』
「無いから面白いんだよ。
とは言え、乙女のやわ肌に傷を作るなんざ、男の風上にも置けないねぇ。ネイの白い肌に傷が付くなんて、可哀相じゃないか。」
マーサさんが突いてきたそこは、時間が経ってさっきよりも赤く腫れていた。こりゃ、目立つな。ミリアが持ってきてくれた小さな鏡に映る頬を眺めて、諦めたようにため息を溢した。
『いえ、私もちょっと挑発してやろうって思ってたのに、イライラが最高潮に達してしまって。
もう少し考えれば顔に傷を付けないように言いくるめることができたのに、これは私のミスですね。』
淡々とそう語って、自分の中で反省した。
いつまでも相手がぐだぐだと言ってたからって、私が先にキレたのには変わりない。今度からは気をつけよう。