閑話Ⅱ
クーンさんサイド、再びです。
はぁ、と一つため息。
先程飛び出して行った少女に声をかける事も出来ないまま、開け放たれた扉を閉めた。
さっき自分の口から出た言葉は、らしくないもの。
何を言ってるんだ、俺は。まるでおもちゃを取られて駄々をこねる子供みたいだな。
自分を省みるとはこのことか、と妙に腑に落ちて、椅子に座り直す。目の前の膨大な仕事を横目に、どうしても思考が別の方へ行ってしまう事実がそこにはあった。
ネイと出会ってから、大分日が経つ。夜の時間はお互いのことを知るのには最適な環境だった。
それに、ネイのあの艶やかな髪にも触れられる。見た目だけでなく、細くてサラサラと手からこぼれる髪は、本当に触り心地がよく、いつまでもな出ていたい気分にさせるものだ。
ネイに楽しみを奪うなと言ってしまうほど、気に入った時間。今日からそれがどうなる事やらと、いつもよりも進まない仕事に対してため息をついた。
とりあえず進めないと。今日からネイが屋敷に住むことになるんだ。夜遅くまでなど待たせてはおけんな。
気合を入れると、目の前のものに向き合った。
ハンコだけのものをすごい勢いで終わらせ、椅子の背もたれに寄りかかる。今日一日で大分疲れた様な気がしていた。
ノック音。それからドアが開いた。
「失礼いたします。お茶の用意をしてまいりました。一休みしてはいかがでしょうか?」
期待していた人物とは違い、もう一度背もたれに寄りかかる。普段ならば誰かに見せる姿ではないはずなのに、どうも力が入らない。
どうかしたんだろうか?普段の俺ならばこんな醜態見せたりしないのにな。
半ば自嘲気味に笑いを溢すと、調度いいタイミングでおかれたお茶に手を伸ばした。
「うまいな。」
「恐れ入ります。」
「…ネイはどうした?」
そう聞くと、さっそくですか、などと言われた。何か間違った事を聞いたのだろうか?
「私が入室した際も、あからさまに残念な顔をしておりましたわ。」
そう…だったのか?意識していたわけではないのだが。
それよりも、元々は顔に出にくいと言われていたはずなのに、ネイが関わるとそうもいかなくなるのだな。
そう思い、自分に呆れる羽目になった。
「ネイさまは現在精神統一をすると言って、固まってらっしゃいます。」
何かあったのか?
そう思っただけのつもりだったが、口にしていたらしい。
ミリアの呆れた顔。いつもなら俺に向かってそのような表情はしないはずの完璧な女官だ。
そんなに変だったのだろうか?
「ネイさまはクーン魔道師さまのお言葉で心を乱しておいでです。
それにしてもクーン様、ネイさまをあまりお苛めにならないで下さいまし。」
頼まれたようにそう言われても、身に覚えはない。
俺の言葉で心を乱す?何か変な事でも言ったか?思い返してみても、見に覚えがない。
分かることは、普段よりも格段に自分に正直になって、真っ直ぐ思った事を伝えていた、ということだけだ。
何がいけなかったのだろう?
「でも、私は応援いたしますわ。ようやく心をお砕きになれる方に出会えたのですね。
しかし、私からの忠告をお許しくださいませ。」
…なぜ、いろいろばれている?
疑問に思うことばかりだ。俺は顔に出にくいとみんなから言われていたはずだ。
と、言うことは。…ネイか?
「お察しの通りですわ。」
何故表情を読まれている?!半ば混乱に近い。
「ネイさまのこととなると、本当に分かりやすいほどお顔に出ております。
ところで、ネイさまのことですが、色恋に大分疎い方のようです。
クーンさまのお言葉で、この辺りがかゆいとおっしゃられておりました。その時にすべてお話になって行きましたわ。
クーンさまの事も、ご自分の事も。」
やはり、ネイだったか。あれほど分かりやすく、素直な娘はいないからな。
「…それで?」
先を促す。それはネイが自分の事も話したと言うから。
「私が言えることはここまでです。」
その思いはミリアには知られていたようだ。すぐに口を噤んでしまった。
「それでも、私は応援している事をお伝えしておこうと。何かあれば全て伺います。
ネイさまの内面を話すこと以外でしたら、何でも承りますわ。」
ミリアは丁寧に礼をすると、一度微笑んでから出て行こうとしてドアに手をかける。その途中でその動作を止め、俺に再び向き合った。
「ネイさまのはご自分の容姿に自信が無いようです。頓着がないとも言えますね。ですから、男性に言い寄られてもきっとお気づきになられないと思います。
クーン魔道師さまのお仕事を手伝いたいという熱意は、是非ともお受け下さい。
あと、リュクスさまが言っておられましたが、ネイさまは一度クーン魔道師さまの剣さばきを見てみたいそうですわ。」
どこで息継ぎをしたんだ…?
早口なミリアに驚く。
それよりも、ネイは自分の容姿に自信がない?
ありえない。あれほどまでに可憐であるのに。
気に入っている黒髪はもとより、あの黒い瞳は神秘的で惹かれる。吸い込まれそうになるほど透き通った純粋な色実を見せるそれは、とても大きくて愛らしい。
唇は果実のように艶やかで、赤い。
白い肌は触れると消えてしまうと思うほど儚く繊細で、華奢な身体は守りたいとつい思ってしまう。
身長が低く細いために最初は未成年かと思ったが、もう成人年齢は当に超している。
初めて砂漠でネイを抱き上げた時に、これほどまでに儚い少女がいるのかと思ってしまうほどだった。
男なら放っておかないであろうに、本人は自信が無いらしい。しかし、それは逆に役に立つ。
邪な思いは、そのまま顔に表れていた。当の本人は気付いていないが。
明るい性格、突っ走る癖。これは男から迫られても、天然攻防が期待できる。それに加えて色恋に疎いのであれば尚更だ。
そう嬉しく思いながらも、自分もその中に含まれていることに少し気を落としてしまった。
さて、どうしたものかと気にしつつも、目の前の仕事が終わらなければネイの髪に触れられる時間もやって来ない事を意味している。
…早いところ片付けよう。
そう思い、またネイのことで走らせるペンを止めた。彼女は成人している。あれだけ愛らしければ、元の世界に恋人がいたのではないのか?
…これは盲点だ。
そう気付き、もう一つ気になることができた。レークにニホンのことを話してはいるが、一向に寂しがるところを見ていない。
普通ならば、帰りたいと思うのでは?自分の故郷を思うことは当たり前だ。
その行動を一度も見せないとは、一体どういうことなのだろう?
何か事情があるのかもしれない。
今夜はこれを聞くことにして、そのためにも目の前の仕事を終わらせようと躍起になった。
おかげで捗ったのは無理もない。
彼が一番純粋でイイ奴なのかもしれません。