勇者に憧れた盗賊者
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町はずれにある山脈に、名のない盗賊ギルドの隠れ家があった。
盗賊と言うだけはあり、悪そうな顔ぶれがそろっている。額に傷がある中年の男性や、片腕を失った若者。それぞれ仕事中に何かしらの傷を負った人々が、一日の疲れを癒そうとアルコールを飲んで騒ぎたてていた。
ギルドに加入している人数はそれほど多くはないが、それでも村を一つ襲うぐらい簡単なほどの人材は集まっていた。
本日の収入をそれぞれ自慢する声が至る所から聞こえ、それと同じぐらい女性の嗚咽に似た泣き声が響き渡る。
ギルドの収入は金品の他に、食料や美しい女性があった。村に一人か二人かいる美しい女性を隠れ家まで連れ去っている。美しい女性を連れ去って何をするのかは言うまでもない。
そんな中、一人だけこの場所に場違いな青年がいた。
歳は二一歳だが、まだまだ幼さが顔に出ている。そのくせ背伸びをしているのか口には煙草がくわえられ、腰には刀が一本ぶら下がっている。服装などを整えて歩けば、道行く女性が何人か振り返りそうな顔つきをしている。
少し前、青年は勇者になろうと日々努力をしていた。剣術を学んでいた時期もあった。それでも青年は気づいてしまった。勇者にはなれないと。自分の能力に限界を感じたのだった。
一度は勇者を夢見て日々努力をしていたが、それでも人間食べなければ飢えてしまう。良心だけで腹が満たされるほど、この世の中は優しくはなかった。そのため盗賊ギルドに加入した。藁にもすがる思いで。
「おぅ、涼太。ちょっとこっちに来い」
青年の名前は石田涼太。涼太はギルドの幹部に呼ばれ、足を止める。
幹部の一人は椅子を傾けながら座り、机に足を乗せてバランスをとっていた。その揺れる様は、まるでゆりかごだった。
両隣に座っている女性の肩に手を回し、ゲラゲラと笑いながら涼太を見ていた。
「なんでしょうか?」
「前々から思っていたが、お前もそろそろ女遊びを覚えたらどうだ? お前にも立派な物がついているだろ? それともそれは飾りか?」
「……そうですね。ではそこの二人俺にくれますか?」
まるで物のように言う涼太が気に入ったようで、幹部はゲラゲラと笑いながら女性から手をどける。
「そうか、そうか。お前も男だな。誰も手をつけてないから、好きなだけ遊んでやれ」
「ありがとうございます」
一度頭を下げて、涼太は再び歩き出す。その後ろでは二人の女性が泣きながらもついてきている。
その二人をチラリと涼太は見ると嘆息する。
涼太が向かった先は自分の部屋だった。盗賊ギルドに加入している人数分以上の部屋があり、下っ端の涼太にも個室が与えられているのだった。他の盗賊ギルドよりかはまともな環境と言えるだろう。
部屋のカギを開け、二人の女性を招き入れるとドアを閉めて鍵をかける。
どちらかと言えば綺麗好きなため、部屋の中は質素だが綺麗にまとまっていた。あるのは本棚と小さな棚、それに机に椅子とベッドぐらいだった。それでも備え付けの本棚には盗品の本が綺麗に並び、ベッドの布団もきちんと整えられている。
女性二人はベッドに腰を下ろし、おもむろに服を脱ぎだそうとする。乱暴にされるより、自ら行動に起こした方がいいとでも思ったのだろうか。
「俺は別にあなた達二人をどうこうしようとは思っていませんので、服は脱がなくても大丈夫ですよ。それより何か飲み物でもどうですか?」
机に置かれたロウソクに火をつける。棚から綺麗なコップを三つ取り出して、ベッドの近くに置かれている机に置いた。もともと机の上にあった水の入った瓶をあけ、コップに流し込む。
女性は下手な事を言って機嫌を損ねないように黙っているが、警戒しているのが目に見えていた。そのため涼太は警戒を少しでも和らげようと、最初にコップに口をつけて水を飲み始める。
それでも警戒はそう易々と解ける物ではなく、二人の女性は未だに目に涙をためて怯えていた。口から漏れる嗚咽が涼太の胸に突き刺さる。
「もう泣かないで下さい」
そう言いながら近くに置かれたタオルで女性の顔を拭こうとするが、突然顔に手が伸びる事に恐怖を怯えてとっさに女性の一人が涼太の手を払いのける。
手を払いのけた女性は反抗した事によって、乱暴な事をされると思い余計に怯え出した。
怖い思いをさせた罪悪感から心が痛むが、もう一度タオルを近づけた。次は何もされなかったため、優しく頬に流れている涙をふく。隣の女性の涙も拭いてあげると、タオルを机の上に置いて椅子に腰かけた。
無意識にポケットから煙草を取り出し口にくわえたところで、女性二人の顔が目に入ったため、苦く笑ってからくわえた煙草を戻すとポケットにしまった。
「何か本でも読みます? ……そうですね、この本とかお勧めですよ」
二つの本を女性に渡す。女性は膝の上に置くだけで、本を見ようとはしなかった。それよりも警戒の方が強く、泣きながらも涼太に視線を送っていた。その姿を見て涼太は肩をすくめる。
椅子に座り直し、まだ途中までしか読んでいない本を取り出して読もうとした時だった。
部屋のドアが乱暴に叩かれる。それと同時に女性の肩が震えた。
「お楽しみ中で申し訳ないが、ボスがお呼びだ」
用件を済ませると、すぐにその場から立ち去って行く足音が聞こえる。
「少し席を外します。この部屋が一番安全なので、絶対に出てはいけませんよ。誰かがきてもドアを開けずに静かにしていて下さい」
女性二人が頷くのを確認してから廊下に出る。鍵をかけてから一度ドアノブを回して鍵がかかっているのを確認する。それからギルドのボスが待っている部屋に向かって歩き出した。
涼太がボスの部屋に入りまず目に入ったのは、数人の女性がシーツにくるまれてベッドに横たわっている光景だった。その光景が涼太の心を痛める暇も与えず、ボスの口がゆっくりと開かれる。
「お前にやってもらいたい依頼がある」
「内容を聞いてもいいですか?」
「ただの誘拐だ。簡単だろ? そろそろお前がギルドに入って一年近くになるが、いつまでも下っ端って訳にもいかんだろ。依頼が成功したら昇進も考えといてやる。悪い話じゃないだろ?」
一見は涼太の意見にも耳を傾けようとしているが、何せこの世界はボスあってのギルドである。ボスが黒と言えば黒になり、白と言えば白になる。いうなれば、涼太が依頼を断る選択は初めからない。あるのは引き受ける選択だけだ。
考える時間が必要ないため「わかりました」と短く涼太は返事を返す。
「馬車は用意させとく、明日の早朝に行け。依頼の内容はそこに置いてある紙に書いてある。持っていけ」
ボスが指さす先に置かれた紙を手に取り、頭を下げて部屋から出る。
1
次の日の早朝。
涼太はベッドではなく、椅子に座った状態で目を覚ました。
ベッドでは規則正しく二つの寝息が聞こえる。涼太は最初に言った通り、二人の女性に手を出さなかった。
本来ならば起きるまで静かにしていたいところだが、涼太にも大切な任務があるため、軽く肩を揺らして起こす。
すぐに女性は夢から覚醒し、何度か目をこすって辺りを見回す。寝ぼけているのか不思議そうな表情で涼太の顔を見ていたが、すぐに思いだして今にも叫びそうだった。それを我慢して軽く頭を下げる。
「おはようございます」
朝の挨拶をするものの、返事は期待していないためすぐに出かける準備をする。
昨日から何度も涼太は話しかけているが、一度も返事が返ってきた事はなかった。それでも涼太が人畜無害だと少し分かったのか、昨晩の途中から泣く事はなかった。
出かける準備と言っても腰に刀をぶらさげ、簡単な荷物を持つ以外はない。昨晩一度依頼の書かれた紙に目を通したが、馬車を使っても二日三日かかる距離があるため、食料も準備されていると踏んで手ぶらでも支障がないと考えたのだ。それでもどちらかと言えば綺麗好きなため、汗を流せる一式と着替え数点で準備は終わった。
「さて、俺は出かけないといけないので、家まで送りましょう。それともここに残ります?」
愚問だった。
女性二人は「帰りたいです」と初めて声を出した。その返事を聞いて涼太は満足そうに「はい」と答える。
「あなた達二人を連れて出ると怪しまれるので、窓から馬車まで行きます。申し訳ないと思いますが、今日は顔を洗えそうにありません。我慢できますよね?」
返事の代わりに女性二人は頷く。
涼太は窓から顔を出して左右を見て誰もいないか確かめる。それから静かに窓から外に出た。
スカートをはいている女性二人には少し厳しいと、涼太は手をとって下ろしてあげる。
足音をたてないようにゆっくりと涼太を先頭に歩き出す。窓があるところでは腰を下げて歩いているため、本来ならすぐに外まで行ける距離でも十分ほどかかりようやく馬車の所についた。
荷台に女性二人を乗せてから涼太も御者台に乗り込む。
何食わぬ顔で手綱を手にとって馬を叩く。馬の泣き声が合図で、一度馬車が揺れてからゆっくりと馬車が進みだした。
山脈に隠れ家があるため、急な坂や道が荒れている。そのため激しい揺れにあいながら時間をかけて山を下る。あまりスピードを出すと、思わぬところで転倒しかねないため、一時間ほど時間をかけて山を下った。
平地の草原に出たところでいったん馬をとめ、荷台に置かれている食料の入った袋からパンを二つと出来上がっているスープを二つお皿に入れて女性に渡す。本来の食料は涼太の分、そして誘拐する女性の分で計算されている。そのため二人分の食料を渡すとなると、どこかで修正をしなければ食料が途中で尽きる事になる。その事を分かっていて、涼太は食料を渡したのだった。
涼太は朝食を取らず、再び馬車を走らせる。
目的地は言うまでもなく女性二人が暮らしていた村だ。昨日その村を襲ったので、そこまでの道筋は覚えていた。
村まではあまり遠くはない。山脈を下った先の平地、今の場所から馬車で一時間ほど走れば着く距離だった。割と近場である。そのため、今まではその村を襲撃する事はなかった。
第一の理由としては、村の周囲に軍が派遣されて隠れ家が見つかるリスクがあるためだ。
第二の理由としては、軍が派遣されれば行動範囲が狭まるためだ。
以上の理由からその村はターゲットになる事はなかった。それでも村を荒らせば当分の間はそこの村を荒らしたところで何も出てこない。そういった積み重ねで、ターゲット外だった村までも襲撃するようになった。その他にも、今までは全く手をつけなかった道行く馬車も襲うようになった。
煙草をくわえながら、一時間ほど馬車を走らせると目的の村周辺についた。
村は見晴らしがいい草原の真ん中にあり、少し離れた場所に動物が暮らしていそうな森、魚が泳いでいそうな綺麗な川がある。主な収入は動物や魚、農作業で得た野菜といったところだろう。
馬車を村の入り口で停めて、涼太は御者台から村の中を見渡す。
昨日の襲撃により村は壊滅状態だった。家の屋根は燃やされたのか黒く焦げ、扉のない家や誰かの血痕が付いた壁が至る所にあった。その光景に涼太は息をのむ。
それでも村に住んでいる人達は村の修復にいそしんでいた。村の修復が今できる唯一の行動のようだった。もしかしたら絶望や悲しさといった類の物が、一心不乱に村の修復をする事によって和らいでいるのかもしれない。
兎に角、涼太は荷台から女性二人を下ろし、小さな背中をそっと押す。
その行為がきっかけだったのか、女性二人は手をつないで村に向かって走り出した。二人に気が付いた村人達の驚き、嬉しさから泣いている人までいた。
一人は若い男性の胸に飛び込む。婚約でもしているのだろうか、涙を流しながら女性を愛おしく抱きしめていた。
一人は家族の元に走り、やはり涙を流して喜びあっていた。
そんな温かな光景を涼太は遠くから見つめていた。そろそろ御者台に乗り込もうとした時、女性は涼太を指さす。それと同時に女性二人にゆかりある村人は頭を下げた。助けてくれたお礼でも言っているようだった。
だが元凶は涼太の所属している盗賊ギルドにあり、その一味である涼太にとっては素直に受け止められるものではなかった。それどころか責めてくれた方が幾分マシだと涼太は思っていた。
涼太は御者台に乗り込む前に一度頭を下げ、それから馬車に乗り込む。手綱を握ると馬にムチを入れる。
次に向かう先は依頼の女性が住んでいる村である。
馬車に揺られながら地図に視線を送る。現在地から目的の村までは遠いが、それでも山を越える必要がなかった。今馬車が走っている道をひたすら直進すればいいだけだった。とても簡単な道なりである。
「少し不味いな……」
道なりは簡単だが、地図を見る限り数点問題があった。
草原の右側には山がある。涼太が所属しているギルドの隠れ家がある山脈に続く山だった。今は何ともないが、もし近くに盗賊ギルドがあれば何をされるか分かったものではない。また、盗賊ギルドだけではなく、通行人を襲うために山から山賊が下りてくるかもしれない。要するに、いつ何があってもおかしくはない状況といえる。
以前剣術を学んでいた涼太だが、複数の相手となれば話は別だ。一人ずつ挑むほど盗賊や山賊は優しくはない。複数で完膚なきまで命を取りにくる。そうなればいかに剣術を学んでいようが、その行為は意味をなくす。圧倒的な力の差があれば話は違った方向に流れるかもしれない。だが一人前と達人は違う。一人前と天才は違う。埋めようのない溝があり、達人と天才の前では一人前はどうあがいても太刀打ちできないだろう。
それでも涼太は前に進むしかなかった。
依頼に失敗すれば、きっと職は失うだろう。ただ一人の女性を誘拐もできない盗賊など、ギルドには必要ない。それと同時に隠れ家の秘密もあるため、職と一緒に命まで失う事になるかもしれない。
2
盗賊が本業の涼太にとって、どういった場所で休憩をとれば襲われるか分かっている。そのため、人通りの多い場所や都市の近くで休憩をとり、人通りの少ない場所では決して馬車を停める事はなかった。その甲斐があってか、二日ほど馬車を走らせたが襲われる事はなかった。
そして涼太は現在目的の村にやってきた。
昼間のうちにぶらりと村を探索し、大体の地理は把握した。といっても、村だけあり小さくて家が密集している。覚えるのはとても容易かった。
探索した時に目的の女性は見つける事はできなかったが、村人の一人に女性の名前を聞いたところ、親切心から家の場所を教えてくれた。もっと深く聞きたい事があったが、それ以上聞けば怪しまれかねないため、深く追求はしなかった。
それから太陽が沈み、村人が静まるまで涼太は馬車と一緒に身を潜めた。
昼間から誘拐するほど盗賊も仕事熱心ではない。というのは冗談で、実際は顔を見られると村から隠れ家に帰る途中に何が起こるか分かったものじゃない。それが本音だ。
そして太陽が沈み村人が静まり返った今、涼太は村はずれにある家の影に隠れている。
辺りをキョロキョロと見渡しながら、家の窓全てから中を確認する。
家の中には女性が一人住んでいるだけで、他には誰もいなかった。顔は暗くて確認はできないものの、もう後戻りはできない。
窓が開いているか全て確認したが、全ての窓にカギか掛かっていた。仕方ないと女性が寝ている寝室から一番離れた部屋の窓を、極力音をたてないように割る。そこから手を伸ばして鍵をあける。
足音を立てないように、ゆっくりと寝室に向かう。
ギィーっと音を立てながらドアが開き、女性の前に立つ。
そこでようやく女性の顔を涼太は見た。窓から差し込む月光に照らされた女性――木下ユカリは可愛らしい女性だった。小さな顔に整った鼻、スゥースゥーと寝息を漏らす控えめな口、目は閉じているが大きくて円らな瞳を連想させた。
今までに何人もの美しい女性を見てきたが、今初めて涼太の胸は高鳴った。可愛らしい寝顔をいつまでも見ていたいとさえ思った。
無意識に手を伸ばし一歩前に出る。その行為は涼太の心境を語るようだった。
ギシィと床が鳴る。
あまり深い眠りにおちていないユリカは、その音で「んっ」と声を漏らし、ゆっくりと瞳が開かれる。
そこで涼太も幻想に似た夢から覚める。
行動は早かった。
叫ばれては厄介だと踏み、すぐさまユリカの口を手で覆う。
「おはようございます。しばらく静かにしていただけないでしょうか?」
平常心と自分に言い聞かせるものの、胸の高鳴りを涼太は抑えられなかった。その高鳴りは悪行に走る高鳴りなのか、それとも彼女に可憐さに高鳴ったのかは定かではない。もしかしたら両方かもしれない。
どちらかといえば常に落ち着き、そこまで活発的な子ではないユリカにとって、叫んだり反抗したりといった選択肢はなかった。ただ肩を震わせて、怯えきった表情をしていた。その姿はさながら小動物だった。
ユリカは怯えながらも首を何度か縦に振る。それと同時に涙が瞳に溜まる。
「手荒な事はしたくありません。叫ばないと誓えば手をどけますが、どうします?」
本来なら誘拐する相手にそんな事を聞くのは場違いだろう。相手が有無を言わずに気絶させ、そのまま依頼人に渡すのが盗賊業者にとって一番スマートな方法である。それなのに、涼太はこれである。どこまでも盗賊が似合わない男だ。
大粒の涙を流し、ユリカは頷く。
「あ、あなたは誰ですか!?」
震える声で言う。
「盗賊の端くれです」
「私をどうするつもりですか!? もしかしてか、体が目的!?」
「いえ、ただの誘拐です」
「い、いやいやいやいや! お願いだから見逃して! ……お願いだから」
ベッドのシーツを強く握り、少しずつ後ずさりするユリカ。
このままでは埒が明かないと、涼太は強引にユリカの口を布で縛る。そして腕と足も一緒に縛ると、肩で抱き上げる。
もちろんこのまま大人しく連れ去られる訳にはいかないと、エリカは体を動かして暴れる。口は布で縛られているため、「ん~! んっん!」と声にならない声を出して反抗しようとしている。
そんなエリカを気に留めず、ベッドの脇に置かれた服を乱暴に掴みドアから堂々と外に出る。後は迅速に村から出るだけなので、特に気に留める事はない。顔を見られる心配も誘拐後の短時間なら問題ない。月光に照らされようと、村人が物音で起きる前に馬車まで辿りつける自信があるためだ。
暴れるエリカを落とさないように、なおかつ迅速に馬車まで走る。
訓練された兵隊ではないため、走り去る涼太に誰も気が付かなかった。
涼太は馬車の荷台にエリカを乗せ、苦虫を噛んだみたいに渋い表情でその場を後にする。誘拐した直後に罪滅ぼしとは実にシュールなのだが、それでも大事に依頼主まで届けようと涼太は決心した。
3
月は沈み、太陽が顔を出し始めた頃。馬車を夜通し走らせ、村から距離がひらいた所で涼太は一度馬車を停めた。
別に疲れがある訳ではない。誘拐したユリカの様子を見るためだ。
「なんて言うのかな……。かなり神経は図太いようで」
呆れながら涼太は言う。
誘拐された張本人は寝息をたてて夢の中である。
可愛らしい寝息をたてるユリカの隣に涼太は腰を下ろす。ユリカの頬に流れる髪の毛を手の甲でどかした。その表情をよく見たいがために。
月光の照らされた表情もそうだったが、太陽の下でみるユリカの可愛らしさに涼太の胸が高鳴る。
今なら、今だけなら、とユリカの唇を見つめる。そしてゆっくりと顔を近づける。
「……俺は何をやっている」
ハッと正気に戻った涼太は自己嫌悪に陥った。
首を左右に振って近くに置いてある食料袋を手にすると、急いで外に出た。
適当に石を何個か見つけてU字に積み上げる。その上に鍋を置いた。パンと一緒に食べるスープを作るためだ。それでも味の保証はない。今までは剣術の修行だったり、体を鍛えたりする事に専念をしたため、料理は雑な物しか作れない。盗賊ギルドに加入した後も同じようなものだった。
だが料理に集中しようと思っても、先ほどの柔らかそうな唇が何度も涼太の頭をよぎる。仮に唇を合わせていたらどうなっていたのだろうか。そう思うと胸の鼓動が速くなり、まともにユリカの顔を見ていられず、涼太は今にも悶えそうだった。
スープが出来上がってすぐの事だった。大きな欠伸をしながらユリカが目を覚ました。寝ている間に縛ってあった布はほどいていた。ここまで村から離れれば、現在地が分からないと思ったからだ。逃げだそうとも辺りは見晴らしのいい草原だ。すぐに見つかる。
「おはようございます。朝食の準備はできていますので、召し上がってください」
極力優しく言うが、夢から覚醒したユリカはすぐに現状を把握して、今すぐにでも逃げ出しそうだった。
「逃げ出すにしても、取り敢えずはお腹を満たした方がいいと思いますよ」
そう言って涼太はパンとスープをユリカに渡す。それの二つをコクリと頷いてユリカは手にする。
当たり前だが、隠れ家で出会った女性二人にしても、こういった場合はろくに会話をしてくれない。相手に不快な思いをさせて、何をされるか分かったものじゃないからだ。もしかしたら会話にない事にいら立ち、何かしらされるケースもあるだろう。ここで「ありがとう! とっても美味しいね」と笑顔で答えるほどの大物は中々いない。
中々口にしないエリカを見て、少しでも警戒を解くために涼太が最初に口をつける。
「……酷い味だな。すいません。あまり料理が得意ではないので、口に合わなかったら残してください」
失敗したスープを見つめる。元から料理ができない人が、料理以外に集中してれば余計に失敗する。その結果がこれだった。それどころか、失敗という次元を飛び越えそうである。
「……どうして私なの?」
今にも涙がこぼれおちそうな瞳、今にも嗚咽を漏らしそうな震えた声でユリカは言う。そんなユリカの瞳を見据える事ができず、涼太は視線をスープに落とした。
スープを揺らしながら「すいません」と涼太は謝る。
「お願いだから村まで帰して! か、体だって一回だけなら好きなようにしていいので、お願いします……」
「その頼みは聞けません。すいません」
「どうして?」
「俺は盗賊です。それ以外に理由はありません」
「それならどうして悲しい顔をしているの?」
涼太は頬を無意識に触る。そのせいでスープが入った器が地面に落ちる。
「……」
「本当はこんな事をしたくはないんじゃないの?」
「これも仕事だ。飯を食うためには仕方ない」
「ご飯だったら私が作ってあげる。だから村に帰りましょう? ね?」
「そんなに簡単な問題じゃない。残念だけど諦めてくれ」
「いやいやいや! 知らない人に遊ばれるぐらいなら死んだ方がマシよ! これ以上馬車を走らせたら舌を噛み切るわ!」
そう言うユリカの顔は怯えながらも、真剣な眼差しをしていた。死を受け入れていた。
ここは無理やり口に布を押し入れるのも一つの手だが、人間必ず食事をとらなければならない。その時に舌を噛み切る事も、ナイフで胸を刺す事も、ほんの少しの勇気と決意があれば容易くできる。
ポケットから乱暴に煙草を取り出すと、そのまま口に銜えて火をつける。そのままゴロンと草原の真ん中で寝転がる。
「分かりました。家までお送りしましょう。個人的にもあなたには死なれたくないので」
大きなため息を一つ涼太はつく。
ギルドのボスにユリカが「死んでいた」やら「盗賊にさらわれていた」など、言い訳ならたくさんある。それでも依頼の失敗には変わりない。女性一人も誘拐できない使えない奴だと、ギルドから追放されるかもしれない。それと同時に秘密保持のため殺される危険性もなくはない。理不尽だが、それが盗賊である。そもそも、今まで盗賊らしい行為を全くしない涼太にも非がある。
そう思うと頭痛がし、涼太は目元を手で隠す。
「ほ、本当ですか!?」
花が咲いた。
今にも頬を流れそうな涙を瞳にたくさん溜めて、嬉しそうな笑みを初めて涼太に見せた。春の花みたいな笑顔が見られ、涼太も満足そうに口元をほころばす。
どこまでも甘くて盗賊が似合わない男である。ここまでくると、いっそのこと盗賊を辞めて軍にでも入った方がマシである。むしろ一時でも勇者を目指した人が、どうして盗賊ギルドに入ったのかも謎である。職なら他にもたくさんあるだろうに。
「村に帰るにしても、まずは食事をとってください」
「はい!」
その嬉しそうに答えるユリカを横目で見ながら、煙草を火に放り投げる。鍋に入っている独特な味がするスープをよそい直す。
食事が終わった所で、馬車を迂回させて名も知らないユリカの住む村に走らせる。
今の場所から村までは馬車を半日ほど走らせればつく。
村に帰れると分かったユリカは、それから悲しい表情を一つも見せる事がなかった。今も涼太の隣、御者台に座って足をぶらつかせながら風景を楽しんでいる。仮にも盗賊が隣にいるのにすごい余裕である。ここまでずれていると、もう一種の才能かもしれない。あまり誇らしい才能ではない事は確かだ。
そんな時だった。
馬車の行く手に一台の馬車が停まっているのが目に入る。そこから見慣れた顔が三人、そしてユリカの元に向かう前に逃がした女性が二人馬車から降りる。女性二人は両手と両足を縛られ、顔見知りの男性――同僚の盗賊に担がれている。
女性二人をその場に下ろすと涼太達の方に向かって歩みよる。それぞれ武器を手にしている。一人は大きなナタを、一人は単剣を、一人は誰かを襲って手に入れたと思われる装飾が施された単剣を手にしていた。
涼太は馬車を停める。このまま無視して馬車を走らせるのは簡単だ。そうなれば捕まった女性二人にしても、ユリカにしても面倒な事になる。
「よぉ、涼太。今からどこに行くつもりだ?」
三人のリーダーと思われる一人が言う。
「お前には関係ない」
「おいおい、そう言うなって。ボスが言った通りだ」
「どういう事だ?」
「俺もそうだが、ボスはお前の善人なところを嫌っている。だから俺達が見張りにきた。ついでにお前が逃がした二人も回収しに、な。もしかして今まで善人ぶっている事を知らないとでも思っていたか?」
「……」
「もしかして図星か?」
そして三人は笑いだす。
実際のところ涼太は知っていた。ギルドの同僚が善人な動きをする自分を知っている事も、盗賊の癖に善人な自分の事を毛嫌いしている事も、全部知っていた。だからこそ今まで孤独だった。
「それで、俺をどうするつもりだ?」
「そうだな……。ボスは俺達にお前の見張りをしろと命令しただけだ。別にお前を殺すなとも、そこにいる女を犯すなとも言われていない。だから俺達はお前を両手両足の骨をへし折った後、お前の目の前で女三人を犯す。どうだ?」
涼太はゆっくりと腰にぶら下げてある刀を手に取る。盗賊ギルドに加入して初めて鞘から刀を出した瞬間でもある。
個人の剣術だけなら涼太の方が上だろう。それでも一対三である。素人に毛が生えたレベルの三人組だが、それでも三人だ。戦術などを含めなくても不利なのは目に見えている。
「もし俺が倒れたら馬車を走らせて逃げろ。いいな?」
涼太はそれだけをユリカに告げて走り出した。
それが合図になり、三人組の盗賊も走り出す。三人とも直進するのではなく、一人は直進、二人は左右に転回する。少しは戦術を重視するようだった。
左右の盗賊にも視線を送りながら、取り敢えずはと前方の敵と刃をまじわす。
刀とナタの音が触れて甲高い音が響く。
三人を相手にする中で、正面から正攻法で攻めたところで勝ち目がないと踏んだ涼太は、両手から片手に持ち替えてナタの剣柄を握る。そして盗賊の腹部を蹴り飛ばす。
予想外の攻撃に堪らず尻もちをつき、それと一緒にナタを握る手が緩む。そのままナタを強引に奪うと、持っていた刀で腹部を切りつける。
切り口から勢いよく血が吹き出た。
返り血を頬に受けても止まらない。拭う時間さえも今は勿体ない。
左右に転回した盗賊の位置を確かめ、より距離が短い方に駆け寄る。そろそろ刃が交わる前、涼太は奪い取ったナタを相手に向かって投げる。当たればラッキー、当たらなくても目くらましにはなる。
どう転んでも良い方向に転ぶナタは、敵の単剣に弾き飛ばされる。相手にとってもラッキーだっただろう。一瞬はやられると思ったようで、目をつぶっていた。そのまま盗賊の胸元に刀を突き刺す。足を使って刀を引き抜くと、もう一人に顔だけ振り向く。
だが遅かった。
残りの一人は涼太の目の前にきていた。装飾された剣を高々に振り上げ、既にモーションに入っている。そのまま剣は振り下ろされた。
直後に涼太は膝から崩れ落ちる。背中からくる激痛で立っていられなくなった。許されるなら今にでも草原に体を預けたいほどだった。
「残念だったな!」
そう言って再び剣を振り上げる。
装飾された剣は太陽の光で輝き、頭がボーっとして焦点が定まらない涼太の瞳には綺麗に見えた。
「ダメー!」
そんな叫び声と共に石が飛ぶ。涼太と盗賊の間に石が落ちる。コロコロと転がる先、そこにはユリカが立っていた。ユリカは近くに落ちている石を拾っては投げる。それの繰り返しだった。
盗賊は剣を下ろしてユリカを見つめる。
「そう言えばあの女をお前の前で犯すんだったな。今からお楽しみといこうか」
もう涼太には目をくれず、ゆっくりとユリカの元に歩み寄る。その光景をボーっとする頭で処理をするには時間がかかり、涼太の判断する頃にはユリカの元まで盗賊はきていた。
激痛から足はふらつき、今にも倒れそうだったが、最後だと自分に言い聞かせて強引に立ちあがると走る。
何度か転びそうになりながら、何度もユリカの悲鳴を聞きながら、涼太がユリカの元につく頃には盗賊が悲鳴を上げるユリカの服を掴んでいた。
その背後に切りつける。
そこで涼太の意識は途絶えた。
4
次に涼太が目を覚ましたのはベッドの上だった。
太陽は沈み辺りは暗い。もちろん涼太の寝ている部屋も暗かった。それでも部屋のドアから光が漏れ、微力ながらも辺りを照らしていた。
盗賊との一戦で傷ついた背中の痛みは現在もあり、そっと体中をまとう包帯をさする。
涼太が倒れた後、ユリカは女性二人の縄をほどき、涼太を介抱した。不慣れながらも馬車を動かして村まで戻ると、村唯一の医者に診てもらい今に至る。
誘拐した張本人を助ける意味はないのかもしれないが、それでもユリカは助けた。理由があるとするならば、目の前で人が死ぬのは嫌だし、誘拐犯だとしても助けてくれた張本人であり、何より盗賊だけど悪い人のようには思えなかったからだ。
岩のように重たい体にムチを打って涼太はベッドから出る。壁に手をつき支えにしてから光が漏れる部屋のドアを開ける。
そこにはユリカと二人の女性が椅子に座っていた。
涼太の存在に気付いた三人は驚きを隠せなかった。
再びその場で力尽き、ドアに背中を預けて座りこむ。驚きながらも心配した様子のエリカが近寄る。
「ど、どうして……俺を、助けた?」
息が上がり大量の汗を流しながら涼太は問う。
「そこの二人から話を聞きました。やっぱりあなたは悪い人じゃないみたいで安心しました。だけどどうして盗賊なんかに……」
「生きるためには……やりたくない、仕事でもしなければ、いけない」
「他にも仕事はあるでしょ?」
「俺は剣術しか知らない」
「……分かりました。取り敢えず怪我を治しましょう。ほら、ベッドまで一緒に行きますよ」
「駄目だ。今すぐ村から出る」
「それこそ駄目です。怪我人はベッドで寝ていて下さい」
「時間が、時間がない。全員殺される」
隠れ家を出て三日目の夜である。四日目と言っても過言ではない。ギルドのボスはもちろん依頼の内容を知り、隠れ家から村まで何日ほどで着くのかも知っている。だいたい往復で四日かかり、まさに今だ。次に太陽が出ている間から沈む頃に隠れ家に戻らなければ、涼太が裏切ったと思い盗賊を村に送るだろう。そうなれば村に盗賊が着くまで約三日しか時間しか残されていない。それまでに村から離れないと涼太は殺され、ユリカと女性二人は捕まるだろう。
「今すぐに村から出なくても大丈夫でしょう? 早くベッドで寝て下さい」
それ以上ユリカは聞く耳を持たなかった。一人だと涼太を支えきれないと、女性二人の手を借りてベッドまで引きずるように運ぶ。
「何かありましたら呼んでくださいね」
それだけを告げて寝室からユリカは出て行く。
本来なら肩から脇腹まで深く切られれば完全に完治するまでに週単位の時間がかかるだろう。傷が塞がり安静が解除される時間も結構かかる。それなのに涼太は体にムチを入れて次の日にはベッドから立ちあがっていた。
昨晩のようにふらつく事はないが、それでも痛みから時々意識がなくなりそうにある。それでも盗賊に殺されるより相当マシである。命より大事な物は何もない。生きるためにも一刻も早く村を出る必要が涼太にはあった。
背もたれに背を預けないように椅子に座り、涼太は朝食をとっている。
あまりにも血を流しすぎたため、貧血気味の事もあり食事は大切だ。
「俺が村まで送った後どうなったんですか?」
「私達が狙いだったようで、私達の家族を……」
それ以上は泣きじゃくり声に出して言う事はできなかった。二人の女性は肩を抱き合って涙を流す。
涼太はそれだけで何があったのか悟り、それ以上は何も口にしなかった。
「……俺は今日にでも村を出ます。もしよろしければお二人もご一緒しませんか?」
コクリと二人の女性は頷く。
家族も大切な人も、今の二人には何もなかった。村に戻ってもまた捕まるだけで、ここにいても数日としない間に捕まってしまう。それなら涼太と一緒にどこかに行方をくらました方がいいに決まっている。賢明な判断ともいえる。
「木下ユリカさん。あなたはどうします?」
「私も一緒に行きます。その前に少しだけお時間をいただけないでしょうか?」
ここで涼太について行くのは簡単だ。だけど何も告げずに村から出れば無関係の村人に被害が出てしまう。
行動は早かった。ユリカは外に出て一軒ずつ家を回ると手短に「盗賊がきます! 早く荷物をまとめて逃げてください!」と用件を伝え回った。
村は大混乱だった。
一種の冗談と受け取った村人もいれば、急いで荷物をまとめる村人がいた。ほとんどの村人はユリカの言う事に耳を傾けていた。冗談と受け取った村人については何度も説得するが、それでもヘラヘラと笑う。
村人全員に伝え終わったら次はエリカの番だった。大きい袋に必要な物を押しこみ、貴重品等は別の小箱に入れる。最後にありったけの食材を馬車に押し込む。今や馬車の中はユリカの私物であふれかえっていた。
村にも数台の馬車があるものの、全員分はない。一つの馬車に二家族ほど使用して、早急に村から出て行った。
冗談と受け取った数人の村人を除けば、村は静まり返っていた。
二人乗りの御者台にはユリカと一人の女性が乗り、荷台には怪我人の涼太と看病するために一人の女性が乗る。
「まだ私の名前を名乗っていませんでしたね。私は中井綾乃。あなたは?」
「石田涼太」
「どうして私を助けてくれたの?」
「泣いていたから。その理由だと駄目か?」
「駄目じゃないです。ありがとうございました」
やっぱり悪い事はするものじゃないと涼太は思った。
馬車に揺られながら目的のない旅に出る高揚感からか、それとも背中の痛みからくるナチュラルハイからなのか、はたまた美人の笑顔が見られた事からなのか、涼太は再び勇者を目指して頑張れる気持になった。
自分の行いで救われる人がいる。
その積み重ねで勇者になれのかもしれない。剣術が優れていなくても同じで、剣術自体は通過点に過ぎないのかもしれない。
要するに、救いたいと思う気持ちが勇者になる一歩なのかもしれない。あくまで涼太の考えであり、実際のところは分からない。それでもその思いを大切にしていきたいと涼太は思った。
いつの日か勇者と呼ばれる日がくる事を願って思った。