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第1話 七、八歳の春節、初めての家出

河南の農村で育った私が、七、八歳の春節に初めて家出した日のことを書きます。


私が初めて家出したのは、七、八歳の年の春節でした。当時、私たち一家は中国・河南省の農村に住んでいました。父、母、私、そして二歳下の弟の四人家族。父は地元の郷鎮工場で働く普通の労働者で、収入は少なく、母は外で働いていませんでした。家は貧しかった。


なぜ家出したのか、今でははっきり思い出せません。叱られたのか、家で何かあったのか。似たようなことは多すぎました。立ってもいけない、座ってもいけない。話してもいけないし、話さなくてもいけない。数十年たった今も、家を飛び出したことだけは覚えていますが、あの日、最後に私を外へ追い出したのがどの出来事だったのかは、もう分かりません。


覚えているのは、あの頃の日々がどんなものだったかです。


家は貧しく、炒め物の出ることはめったにありませんでした。食卓には漬物しかないのが普通でした。それでも、六、七歳の頃に食べた二度の炒め物だけは今も忘れられません。一度は大根、もう一度は何の野菜だったか、たぶん白菜でした。


ある日、食卓に炒め物が出て、私は箸を休めずに食べ続けました。すると父が突然怒り出しました。「お前はどれだけ食べるんだ」。母は何も言いませんでした。


次に炒め物が出たとき、私は二口だけ食べて、それ以上箸を伸ばせませんでした。向かいに座る弟を見ていました。弟はずっと食べ続けていました。父も母も、何も言いませんでした。


とうとう我慢できずに聞きました。「弟はたくさん食べても何も言われないのに、私が食べると、どうして叱られるんですか」。


父の答えは一言だけでした。「あの子は食べられるからだ」。


同じ食卓、同じ一皿でした。私が食べすぎれば叱られ、弟が食べすぎても誰も何も言わない。当時の私には、その理由が分かりませんでした。


弟は体が丈夫ではなかったので、両親は彼のために牛乳を取っていました。毎朝、半斤の牛乳が家の門の前に届き、母はそれを温めて弟に飲ませました。朝食に卵を食べることもありました。


私も食べたかった。「私も卵が食べたい」と言いました。


返ってきた答えは、「あなたは食べなくていい。あの子は体が弱いから食べるんだ」でした。


私は牛乳を飲んだことが一度もなく、その味さえ知りませんでした。でも私の体だって痩せていて、決して丈夫ではありませんでした。なぜ弟には必要で、私には必要ないのか。やはり分かりませんでした。


こうしたことが日々積み重なり、私は次第にこう思うようになりました。この家では、弟は何をしてもよくて、私は何をしてもいけないのだと。


七、八歳の子どもが、行ける場所などありません。


その夜、私は泣きながら家を出て、祖父母の家へ行きました。そこが唯一行ける場所でした。祖父母の家は私の家の斜め向かいです。門を出て右へ十数メートル歩けば着きます。二十メートルもありません。でも、そのわずかな距離が、当時の私に歩ける一番遠い場所でした。


着いたのは夜の七時頃、もう少し遅かったかもしれません。祖父母はいつも早く寝ます。冬は午後四時頃に夕食を済ませ、六、七時には床に入る準備をしていました。だから私が着いたとき、二人はもう休むところでした。


戸を叩くと、祖父が起きて開けてくれました。祖母は横になっていましたが、私が入ると、また起き上がってくれました。


私は家で受けてきた扱いを話しました。両親が弟ばかりをかわいがり、二人への態度が違うこと。なぜなのか分からないこと。


祖母は、私が考えすぎているのだと言って、家へ帰って寝るよう勧めました。祖父の反応は少し違いました。両親のやり方が間違っているところもある、家の中でそんなことが起きているとは知らなかった、と。でも二人とも、最後は私を帰らせようとしました。


「帰らない」。私は言いました。


しばらく押し問答が続き、やがて二人は諦めて、私をその夜泊めてくれました。


その後の数日、私はほとんどその一部屋で過ごしました。骨までしみる寒さでした。祖父母の家には大きな土のかまどがあり、その上に座って暖を取ることができます。私はかまどの上に座ったり、そばに腰掛けたりして、祖母が料理するのを見ていました。外に出ることは、ほとんどありませんでした。父や母や弟に会いたくなかったのです。


祖母はだんだん、私を帰らせることを言わなくなりました。むしろ前より私を気にかけてくれるようになりました。食事も、家で食べるものとは違いました。母の料理はいつもできるだけ簡単に済ませるものでしたが、祖母は違いました。ありふれた食材でも、祖母の手にかかると美味しく感じました。時々、料理の前に祖母が聞きました。「今日は何が食べたい」。私が言うと、祖母はそれを作ってくれました。


ある夜のことです。祖母は早くに夕食を済ませ、六、七時には床に入っていました。九時を過ぎても私は起きていて、空腹を覚えました。


「おばあちゃん、お腹がすいた」


祖母はもう横になっていました。それでも起き上がり、残り物で済ませるようなことはせず、一から餃子を包んでくれました。餃子ができ、私が食べ終わったときには、十一時を過ぎていました。


その夜、私はとても幸せでした。餃子が美味しかったからだけではありません。「お腹がすいた」と一言言っただけで、もう寝ていた祖母が起き上がり、長い時間をかけて食事を作ってくれたからです。


そのとき、もし自分の家にいたら。夜の九時に「お腹がすいた」と母に言っても、母は決してこうしてはくれなかった。私はそう知っていました。


(次回:春節が近づくなか、母が祖父母の家を訪ねてきました。しかし母は、私のことを一言も口にしませんでした)


慕凡


書籍情報:『50歳、私は烏江のほとりにたどり着いた』慕凡

https://www.amazon.co.jp/dp/B0HMW3Z2SR

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