第二話 お嬢さま学校の攻防
「ごきげんよう」
朝の教室に、娘たちの優雅な挨拶の声が響き渡る。
「ごきげんよう、朱音さま! 朝刊を拝見しましたわよ、お輿入れが決まったのですってね!」
「お相手が黒瀬財閥の御曹司って、すばらしいですわ」
「あら、ご覧になりましたの? 父上がお決めになったご縁ですのよ。黒瀬家は……まあ、現代の日本を支えるお家柄ですわね」
「どんな殿方ですの?」
「まだお会いしていませんの。今はイギリスでお仕事をなさっているそうで」
取り巻きの令嬢たちが「まあ!」「羨ましゅうございますわ」「結納はいつ頃かしら?」とざわついていた。
――ここ帝都女学校は、華族の子女が通う由緒正しい学校である。
澪は華族出身ではないため、一部の高貴なお家柄のご令嬢方からは色眼鏡で見られたりもするが、厄介になっている斎宮家はれっきとした華族だ。
現在は斎宮の長女、夕奈と一緒にこの学校に通わせてもらっている。
斎宮家といえば、平安時代から神祇伯を《じんぎはく》世襲した、神道における最高位の家柄だ。
神祇伯は明治維新後に廃止されているが、その家柄である斎宮家は現在、子爵に列せられている。
そして、夕奈には幼い頃から婚約者がいて、来春の卒業後に篠宮伯爵家の三男・柊弥が斎宮家に婿入りする予定だ。
だが、件の朱音さま――鳳月朱音は、鳳月侯爵家の令嬢であり、本来、澪などお目通りすら叶わない相手だ。
彼女からすると、同級に平民の澪がいることが許せないらしく、何かと澪を見下してくる。むろん、先生がいる前でそんな姿はおくびにも出さないが……。
たとえばこうだ。
「ごきげんよう、『しぐれ』さん」
澪が自席に着くなり、小馬鹿にしたような声が降ってきた。
言わずと知れた朱音で、取り巻きのご令嬢方を背後に率いてる。
彼女は今、流行りの二百三高地髷を高く高く結い上げている。
前髪は廂のように大きく前方へ張り出していて、頭頂の髷がまるで山の稜線を模したかのごとく盛り上がっていた。
その高みは教室の空気を圧し、勝利の象徴を頭上で誇示するかのようである。
でも澪は、薄笑いを浮かべて侯爵令嬢を席から見上げた。
「ごきげんよう、朱音さま。それと、私は『しぐれ』じゃなくて時雨ですの。いい加減、覚えてくださらないかしら」
「あら、そうだったかしら『しぐれ』さん」
このやりとりも、もう何百回目になるだろう。ほぼ挨拶である。
「と・き・さ・め、ですっ! せっかくそのように巨大なおつむりをお持ちですのに、覚えられないなんて、朱音さま、かわいそう……」
「なんですって……?」
それを見ていた朱音の取り巻きたちが目を剥いた。侯爵令嬢にたてつく平民は、どこを探しても澪ひとりである。
「まあ、澪。そんなことを言ってはだめよ」
そんな澪をおっとりと窘めたのが、隣の席の夕奈だ。夕奈とは幼い頃から一緒に育ったので、姉妹同然だ。
美しい黒髪を澪とお揃いのマガレイトに結った夕奈は、ほわっとした表情で微笑む。
「朱音さまの髷は、いつもとっても高くて、まるで雲の上にあるみたいでしょう? お頭があんなに高いところにあるから、『しぐれ』も『ときさめ』も届かないのだと思うわ」
誓って、夕奈は人を貶めたり悪く言ったりしない、全方向に対して平等な穏やか女子だ。
しかし、その悪気のない顔で周囲に毒を振りまいていることに、本人はまるで気づいていない。
朱音の表情も強張り、心なしか白くなっている。
「でも心配いりませんわ、朱音さま。お間違えになっても、私も同級の皆さまも、誰も気にいたしません。『しぐれ』が誰のことなのか、わからない方はここにはおりませんもの」
「な……」
当の朱音は、端麗な表情を歪めて何かを言い返そうとしたが、折よく先生が入ってきたので、あくまでも優雅な身のこなしで澪の前から立ち去って席に着いた。
まるで何事もなかったかのように。
澪はそれを見てくすりと笑い、席に座り直した。だが、裁縫教師の顔をみてすぐさまげんなりする。
「ごきげんよう、みなさま。前回、お作りになった型紙と裁断布をお持ちになりましたわね。本日は袖付けと本縫いの実習をいたします。仮縫いの状態を確認してから、本縫いに入ってくださいませ」
今日の最初の授業は、女学校ではもっとも重視される裁縫だ。
『一家の主婦となって良妻賢母たる事が、即ち、女子の天職である』というのが、女子教育の理念とされているほどである。
澪は体育と算術、英語は好きだが、裁縫は血反吐が出るほど苦手としているというのに。
とはいえ、実のところ、裁縫は学年一の成績優秀を誇っていた。
なぜならば――。
(針と糸の小人さんたち、急急如律令!)
澪は針と糸を持つと、口の中で小さく呪いを唱える。すると机の上に、一寸ほどの大きさの白い人型がぽこぽこといくつも生まれた。
丸い頭に丸っこい体をしていて、短い手足がついた雪だるまに似ている。それは、式神よりももっと手軽に気軽に呼び出せる精霊だ。
草木や物に宿る霊で、澪は「小人さん」と呼んで便利に使っているのだ。
小人さんはわらわらと澪の手元に集まると、器用に針に糸を通し、ちくちくと布を縫い合わせ始めた。
その精霊の姿は、この世ならざるものを操る澪と、神祇伯の血を引く夕奈にしか見えておらず、同級生や先生の目には映らない。
澪が集中すればするほど、小人さんの作業の精度も上がるので、傍目から見ると、全神経を研ぎ澄まして真面目に取り組んでいるように見える――という塩梅だ。
これまでも数々の作品を小人さんに作成してもらっており、成績は文句なく、甲乙丙丁の四段階の最高、甲である。
そんな澪(小人さん)の仕事を見て、先生が目を細める。
「まあ、時雨さん。今日は一段と丁寧ですわね。縫い目が揃っておりますし、糸の引き方も上々ですこと」
藤原先生が、澪の机の上を覗き込んで優しく微笑む。
先生はいつも通り、黒い袴に白いブラウスを着て、髪をきっちり結い上げている。すこし気難しいが、優等生(偽)の澪にはやさしい先生だ。
「藤原先生、ありがとうございます」
澪が得意満面に笑みを浮かべるのを見て、足元にやってきた白蓮は呆れ顔だ。
「澪、おまえは相変わらず、こずるい奴だな」
白蓮は澪のお目付け役でもあるので、学校でもどこでも、基本的に行動を共にしている。もちろん、普通の人間の目に白蓮の姿は映らない。
「あらっ、あの有名な安倍晴明だって雑用は式神にさせてたんだから、何の問題もないでしょう!」
他力本願の澪が開き直る一方で、自力でがんばる侯爵令嬢は、先生からちくりとお小言を食らっていた。
「鳳月さん、あなたはもうお輿入れがお決まりなのでしょう。でしたらなおのこと、お裁縫は丁寧にお励みなさいませ。花嫁道具の仕立ては、女子のたしなみでございますから」
「――はい、先生」
他人事とはいえ、同年齢の女子としては同情してしまう。
この時代、若い娘は良妻賢母という方針の元、女子の進む道は限定されてしまうのだ。華族も平民も関係なく。
斎宮という華族の家庭で育った澪だが、陰陽師という異能を持つせいか、当主の蒼真は澪に過剰な女子教育を施したりはせず、むしろ澪自身の才能や素質を伸ばすよう、ある程度自由にさせてくれた。
斎宮家から嫁にいくわけでもないので、澪に労力をかける必要がなかっただけかもしれないが、おかげで息苦しさとは無縁でいられる。
同級の女子たちが、朱音の婚約を羨む気持ちは理解できないが、そんな浮いた考えでいるからこそ、朱音に目をつけられてしまうのだろう。




