第十四話 思いは爆ぜて
朱音の背後に広がった爆発的な焔に、澪と桐草は同時に飛び退った――が。
「もう~振袖ッ!」
ここで軽やかに後退するはずが、身動きの取りにくい振袖では足が開かない。ちょぼちょぼとしか移動できずに、こちらはもどかしさが爆発しそうだ。
おまけに、転ばないように気をつけつつも、朱音の動向から目を離すわけにはいかないので、注意力が散漫になりがちだった。
そこへ火球のようなものが立て続けに飛んできて、澪や桐草の近くの地面で破裂する。
白蓮が火勢をしっぽで払ってくれるので事なきを得ているが、これでは自由に動けない。
だが、朱音はますますこちらを追い詰めるように、手を伸ばした。
「どうして……どうして先生が、あんな平民の傍にいるの……!? 私の方が……私の方がふさわしいのに……!」
ごうっと焔が音を立てながら渦を巻く。まるで朱音の叫びに呼応しているようだ。
しかし、彼女の言葉に澪は戸惑いを隠せないでいる。
(私の方がふさわしい? え、先生……って?)
意味が分からずに思わず桐草に目を向けるが、彼の表情はぴくりとも動かず、見極めるように朱音の様子を凝視していた。
その間にも庭園の木立に火が燃え移り、橙色に景色が染まっていく。
しかもただの火ではなく、朱音の内に積もった情念が、焔となって現れた現象型の怪異だ。あれを喰らったら、どうなってしまうかわからない。
「霊域開門!」
ひとまず動揺は脇に置いておき、澪は手にした銀月を構えて照準を朱音に合わせる。
火消しのために式神をぶつけるつもりだが、白蓮の声が耳元に飛んできた。
「澪、<珞>では追いつかないぞ」
火の勢いはすさまじく、ごうごうと恐ろしい音を立てて林を呑み込もうとしている。白蛇の水で対処するのは難しいだろう。
照準の向こうに、焔を身にまとった朱音がいる。濃紅の振袖がそのまま焔になってしまったかと思えるほど、赤々と燃え盛っていた。
「私は鳳月侯爵の娘なのよ! みんな、みんなが私にかしずくのに……どうして私より幸せそうなの――!」
なんらかの妖に憑かれ、もはや操られている状態なのだろう。でも朱音の叫びは、心の奥に押し殺してきた本音に思えた。
平民の澪に割り切れない思いがあるのと同じく、華族の朱音にも深く深く沈めた気持ちが燻っているのかもしれない。
澪は、朱音の上に現れた五芒星の左頂点に輝く、碧い光に狙いをつける。
「私だって――好いた方と一緒になりたいのに……っ! どうしてあの子はそれが許されて、私はだめなの……!」
その間にも、真っ赤な花弁に似た火の粉がバチバチと弾けて、澪に襲いかかってきた。
「澪!」
巨大な白狐と化した白蓮がしっぽを一振りし、同時に桐草が無言のまま木刀を一閃する。双方向から巻き起こった風が、妖の焔を吹き飛ばして澪の周囲から打ち払った。
すると、弾き飛ばされた火の粉が爆発してますます焔を巻き上げ、桐草や白蓮の上に降りかかってくる。
白蓮は身軽にそれを避けつつしっぽで風を巻き起こして追い払い、桐草も木刀の霊圧で妖の焔を切り裂いていく。
それを横目に、澪は引き金を引いた。
「破邪、<碧漣>! 急急如律令!」
五芒星の門が開いて姿を現したのは――。
「青龍……」
桐草が感嘆するような声を上げたのが聞こえた。
焔の色に染まった林の中に、神々しいまでの威圧感をまとった青い龍が顕現したのだ。
「<碧漣>、焔の脈を断って!」
澪の命に従い、青龍が口から怒涛の滝のような水を吐き出す。
林を焦がす妖の焔が、水の勢いではなく<碧漣>の霊気に冷まされるように鎮まっていく。
しかし、燻りが完全に消滅することはなく、また新たな火種が生まれて燃え盛るのだ。
そしてその中心に立つ朱音に、<碧漣>の浄化の水は届いておらず、依然として振袖は炎を噴き上げていた。
(どこかに本体がいるはず――)
朱音の身を焦がそうとする焔を見極める。
もはや妖そのものに乗り移られてしまったのか、焔を鼓舞するように両腕を広げていた。
悲しげな目元とは対照的に、口は怒りで大きく開かれ、元の凛とした令嬢の面影を掻き消していた。まるで般若面のようだ。
「朱音さまから出ていきなさい! <碧漣>、浄化を!」
<碧漣>に命じて、朱音の身に浄化の水流をたたきつける。だが、鎮まったかに見えても、焔は後から後から再生した。表面をいくら浄化してもキリがない。
本体の位置は見極められないが、もし朱音の中に入り込んでいたら厄介だ。
消せば消すほどに、燃え上がる焔は激しさを増していく。
「どうして……先生は私を見てくれないの……! なのに……どうしてあの子の隣に立つのよ……!」
若い娘が口にすることを許されない言葉が、次々と悲痛な叫びとなって朱音の口からほとばしった。
「先生……私を……連れて逃げて……。誰も知らない場所へ……! 私を……愛して……! 愛してほしいの……先生……!」
男女の機微などさっぱりわからない澪だが、朱音の痛切な叫びに胸を抉られるような気がした。だが、同時に唖然とする。
(朱音さま……どんくさ先生に懸想してらした……!?)
でも、朱音が桐草先生にそんな感情を抱いていたなんて、まるで気づかなかった。桐草がやってきた当初は、明らかに「どんくさ」の彼を見下し、嘲っていたのに。
授業中は難癖とも言える論戦を吹っ掛け、小馬鹿にすらしていたはずだ――。
朱音の気持ちがわかるようなわからないような、なんとも言えない面映ゆい気持ちになったが、この魂の叫びを、当の桐草はどう受け止めたのだろう。
こんなときだというのに、澪は好奇心に勝てずに桐草に視線を移す。
だが、桐草は表情ひとつ変えることなく、素早く駆け出して、焔をかいくぐりながら朱音に肉迫した。
「先生――!」
朱音が彼を迎え入れるように手を広げたが、もろもと桐草の身を焼こうとするかのように、焔がほとばしる。
「先生ッ!!」
爆風に煽られた澪は、咄嗟に式神に水の盾を張らせた。しかし、桐草を護るには間に合わない。
嵐のような焔に巻かれて、朱音の姿も、桐草の姿も見えなかった。




