第十二話 どんくさくないどんくさ先生って、おかしくないですか?
澪がえっちらおっちら現場に駆けつけたとき、そこでは信じられない光景が繰り広げられていた。
白蓮は白狐――すなわち霊域に身を置く霊獣である。
姿を見せようとしなければ人間の目には映らないし、こんな帝都のど真ん中に大きな狐が現れたら、たいていの人は腰を抜かすだろう。
しかし、羽織姿の怪しい男は、白蓮と木刀でやりあっていた。しかもかなりの接戦だ。
白蓮が飛びかかって男を吹き飛ばそうとするが、男はそれを余裕で躱す。続けざまにしっぽで払おうとすれば、木刀でそれを薙いで防ぐ。
「なに、こいつ……」
霊獣と対等に渡り合っている。それはもう普通の人間ではない証明だ。
だが、幸いにも男は白蓮との戦闘に気を取られていて、澪の気配には気づいていない。
白蓮がちらりと澪を見て合図をよこしつつ、神速で男に襲いかかった。
前足や牙で息をつかせぬ猛攻を仕掛け、防戦一方に追いやられた男が下がったとき、澪は彼の後頭部に銃口を突き付けていた。
「そこまでよ。何者?」
格好よくそうキメたはずの澪だったが、信じがたいことが起きた。
羽織の男が素早くその場にしゃがみ込むと、右手の木刀で白蓮を牽制しつつ、立ち上がりざまに左手で銀月の銃身を掴み、銃口を空へと押し上げたのだ。
目を瞠るほどの速さで、反応することすらできない。
そのとき、雲間から射した月光が、夜陰に紛れた男の正体をさらけ出した。
目にかかるほどの長い前髪、白い詰襟シャツに羽織袴の若い青年だ。
真剣の切っ先のように鋭い視線で澪を見つめ、銀月をやすやすと澪から取り上げる。
「――どんくさ先生……?」
今の動きはまるでどんくさくなかったが、あえて『どんくさ』を強調したのは、自分の驚嘆を無意識に鎮めようとしたためだ。
だが、今日の桐草は澪の軽口に乗らなかった。
「邪魔をするな、時雨」
その力強く低い声を聞いた瞬間、自分が人違いをしたのだと思った。そう考えたほうがまだ納得できるほど、声に宿る気迫が違っていたから。
でも、彼の持つ木刀から微かに感じられる霊力は、講堂での騒ぎのときに桐草が持っていた木刀と同じ気配だし、『時雨』と、間違いなく澪の名を呼んだ――。
桐草は銀月を澪へ投げ返し、一歩前に出ようとした白蓮の鼻先へ木刀を突き付けると、そのまま朱音の後を追い始めた。
澪がここにたどり着くまで数分かかっており、その間、彼は白蓮と本気で戦っていたはずだが、息ひとつ乱していない。
「……待ちなさいよ! どうしてこんなところに? 朱音さまを追ってどうするつもり!? 私、あなたのことめちゃくちゃ疑ってるんですけど!」
革靴ですたすた歩く桐草を、草履で必死に追いかけながら文句を言ったら、彼は歩みを止めずにじろりと目線だけを澪に向けた。
「鳳月に憑いた妖を成敗しにきた、それだけだ」
「妖の本体がわかるの? 本当にあなた、何者なの!?」
もはや澪の知る桐草ではない。これが本性なのだとしたら、あのどんくさい英語教師はどれほどの仮面をかぶっていたのだろう。
――眼鏡をかけていただけだが。
「あれだけの妖気が感じ取れないなら、陰祀庁などたかが知れているな」
「妖気は感じてるわよ! でも――えっ?」
式神の霧を木刀で薙ぎ払い、白狐と対等に渡り合い、陰祀庁のことまで知っているなんて、それはいわゆる関係者なのでは……。
「もしかして……あなたが山寺で修行してるお坊さん……?」
蒼真が絶賛勧誘していた、陰祀庁の新顔なのかもしれない。
陰祀庁長官である蒼真は、人手不足解消のため、霊力を持つ人間を片っ端から陰祀庁に誘っている。ゆえに、その筋の人間ならば、陰祀庁のことを知っていて当然なのだ。
どこが秘密組織なんだろうと、澪は常々思っているのだが。
「はぁ? 山寺?」
だが、今度は呆れ顔で返され、お坊さん説は一蹴された。
「本当に桐草先生が何かを仕掛けて、朱音さまを陥れたわけじゃないんですね?」
「なんで俺がそんなことを」
「俺? 今、俺って言いました!? 僕じゃなくて、俺! 学校でのあの抜け作は演技だったということですか――!?」
「時雨、少し黙れないのか? 今がどういうときなのかわかってるのか!?」
とうとう呼び捨てにされ、完全に彼を見る目が変わった。
「私にしてみれば、怪しいのはあなたの方なんだもの! だってあなた、学校でずっと鏡を気にしてたし、朱音さまも四六時中鏡ばかり見ていたから、絶対にあなたが――」
桐草にキャンキャンと噛みついていたら、彼が腕で澪を制する。
制される直前、澪自身も前方から感じるすさまじい妖気に気づき、銀月を握りなおしていた。
前方の木陰に、目を赤くした朱音が立ち尽くしている。
いついかなるときも涼しい表情を崩さない朱音だが、このときは狂おしく熱のこもった目で澪と桐草を見つめ、凛とした表情を歪ませていた。
こんなにも感情を露わにした朱音を、これまで見たことがない。
そして、その身の回りにはむせかえるほどに立ち込める妖気があふれている。
「どうして……」
朱音は紅より真っ赤な唇を引き裂いて、引き絞るように言った。
「どうしておまえがそこにいるの……!?」
息を乱して朱音が絶叫すると、彼女の背後に爆発的な焔が燃え盛った。
まるで妖気が一気に花開いたかのように、真っ赤な焔が花弁のように舞い降り、暗がりに閉ざされていた木立が真っ赤に染まって――。




