第九話 深夜の遭遇
今夜の澪は、陰祀庁特務執行官の出で立ちだ。
この派手な制服は、陰祀庁長官夫人である華乃が、鹿鳴館時代に着ていたドレスを現代風に仕立て直したものである。
日本国そのものが男社会だから無理もないが、これまで陰祀庁に女性執行官はおらず、澪が入庁した際、軍服仕立ての男性制服しかなかった。
なにしろ予算のない陰祀庁だ。今後、女性が増える可能性も極めて低いため、女性用の制服を用意することはできない。かといって、男性と同じものでは(華乃の)美意識に反する。
というわけで、澪のための特別仕立てなのだ。
ただ、鹿鳴館のドレスは、後ろ腰を膨らませる『バッスル仕立て』で、歩きにくいことこの上ない。そんなもっさりしたドレスで妖と対峙するなんて、無理無茶無謀以外のなにものでもない。
そのため、華乃が陰祀庁執行官用に改造してくれたわけだが……。
濃紺のスカートの前側は、大胆にひざ下まで短くしてフリルとレースを重ね、後ろはくるぶしが見えるくらいの長さだ。
腰の膨らみはなくし、近頃の西洋婦人が好む細身のものに改められている。
足元は、鋲を打った黒革の厳つい編み上げ靴、首元は男性制服を意識した詰襟だ。
華乃曰く、これが実用性と女性らしさを重視した結果なのだとか。
夜会巻きにレース付きのトーク帽は、鹿鳴館の栄華が忘れられない華乃のこだわりである。
仕上げに黒革の手袋を嵌めて、シャトレーンと呼ばれる鎖飾りを腰に下げる。これは鍵や時計、香水瓶、裁縫道具などを吊しておく西洋の実用兼装飾品だが、澪が吊るしているのは、懐中時計と霊を映す小鏡、母の形見の勾玉、浄化用の香油を入れた小瓶だ。
その制服が完成した当初、蒼真は澪の出で立ちを見て卒倒しそうになっていたが、妻の意見を大事に大事にする彼は、華乃のやることにいちいちケチをつけない。
そのおかげで、これが澪の正式な『陰祀庁特務執行官制服』となったのである。
「ま、まあ……妖はこちらの服装に文句は言わないだろうから……」
そういう結論に落ち着いたのだが、冬に対峙した行灯の妖からは、「そのナリで陰陽師だと!?」と洋装を詰られたっけ……。
その夜、澪はその派手なナリでこっそりと校舎に忍び込んでいた。
桐草明夜につけていた見張りの式神が、彼が学校にいることを教えてくれたからだ。
昼間、職員室に突撃した際、桐草明夜の傍に監視用の式神をつけておいたのだが、監視用といっても、その式神はどこにでもいる自然の雑霊なので、たとえあの胡散臭い英語教師に霊力があったとしても、いちいち気にしないだろう。
「どんくさ先生はこっちにいるみたいね……」
校門を身軽に乗り越えた澪に、精霊たちが桐草の居場所を教えてくれる。その声にしたがって校舎の裏口に回ると、講堂の扉がわずかに開いているのが見えた。
「奴め、こんなところで何をしているんだ?」
元通り大きな狐になった白蓮が、霊力を嗅ぎ分けるように鼻をひくひくさせる。
さっき、朱音に怯えて醜態をさらしていた子狐とは思えないほど、立派な毛並みの美しい霊獣の姿だ。
「わからないけれど、やっぱり鏡があやしいと思う。先生はよく姿見を気にしていたし、朱音さまもずっと鏡ばかり覗き込んでいるもの。そして、講堂には姿見が多いのよ」
女学校の講堂では、様々な式典の他、舞踏会が行われることもあり、舞台袖や控室に行けば鏡がたくさん設置されているのだ。
「だが、鏡に細工していたとして、なぜ鳳月だけがおかしくなっている?」
「それは先生をとっ捕まえて白状させればいいわ」
講堂内に滑り込み、気配を押し殺しながら舞台袖へつながる扉の中に入り込む。
完全な暗闇だったが、澪が呪いを唱えると、白蓮のふさふさしっぽの先がほんのり光を灯した。ここへ来る前、澪が外のガス灯から連れてきた明かりの精霊だ。
ただ光るだけで、なんの力もない小人さんだが、霊獣でもある白蓮のふさふさした毛が居心地よかったのか、楽しげに明滅して遊んでいる。
そのとき、前方の控室からかすかな物音が聞こえてきた。
白蓮がとっさにしっぽを振って明かりを隠し、澪は壁に張りつく。すると、控室の扉が軋みながら開いて、うっすらと明かりが漏れた。
ランプを手にして廊下に出てきた人物は、何かを探しているのか、壁を照らしながら廊下の奥に向かって進んでいる。
やがて立ち止まり、そこにあった姿見に触れた。
明かりに照らされたそのつんつるてんの背広は、紛れもなく桐草明夜だ。
「桐草先生、こんな時間に何をしていらっしゃるの?」
澪はいきなり彼の背後に立ち、手にした霊銃『銀月』の撃鉄を起こした。
一般の拳銃のように銃弾を発砲する銃ではないが、人間相手であれば十分に威嚇になる。
だが、素早く振り返った桐草が澪の手元に木刀の切っ先を突きつけたのは、それとほぼ同時だった。
桐草の持つ石油ランプの明かりの中、ふたりの視線が交錯する。
「え……っ」
動揺したのは澪のほうだった。
おなじみのお下がり背広を着ているから、間違いなく桐草だと思う。しかし、彼の象徴とも言える分厚い眼鏡がそこになかったのだ。
暗がりでわかりにくかったが、素顔をさらした桐草は、あのどんくさい抜け作と同じ人物だとは思えないほどの鋭い目をした男だった。
「その馬鹿でかいS&W、手に合っていないようですよ、時雨さん」
言うが早いか、桐草が木刀で銀月を跳ね上げた。微かな霊力を残して。
そうして銃口を己の上から逸らすと、身を翻して狭い廊下を抜け、全速力で講堂に向かって走り出す。
「霊力……!? 白蓮!」
澪に言われるまでもなく、白蓮が桐草に飛びかかろうとしたが、横目でちらりとそれを見た彼は、白蓮の鼻先を木刀で一閃した。
「なに……!?」
白蓮が足を止めたのを見て、確信した。間違いなく、桐草には白蓮の姿が見えている。
一足先に桐草を追いかけていく白蓮に続き、澪も後を追いかけ始めた。
講堂に戻ると、高窓から射し込む青ざめた月明かりに照らされて、木刀を持って入り口扉に突進する桐草の背中が浮かび上がっている。澪はそれに照準を向けた。
桐草が霊力持ちであることはもうわかっている。実力のほどはわからないが、式札で呼び出せる程度の式神では、彼を止めるのは難しいかもしれない。
『銀月』は、澪の霊力を五行座標に変換し、霊獣級の式神や高位術を安全に扱うための制御装置のようなものだ。
桐草に初手から霊獣級の式神をぶつけて、その実力を図る意味もある。
「霊域開門! 封縛、<霧羽>――急急如律令!」
銀月の銃身に刻まれた九字が光り輝き、照準の向こうの桐草の背中には、澪にだけ見える五芒星の座標が展開する。
撃ち抜いたのは、五芒星の頂点にある木の相だ。
鮮やかな新緑色が弾けて門が開き、そこから一羽の白梟が飛び出してきた。
白梟の霧羽は、夜の守り神とされる霊鳥で、相手の動きを鈍らせたり広域を浄化したりと、補佐的な能力を持つ式神である。
「霧羽、あいつを足止めして!」
薄暗い講堂の中で白く輝く梟が翼を羽ばたかせると、たちまち深い霧に包まれていく。
これで桐草の視界はふさがれ、動きも封じられるはず――。
だが、彼のいる辺りを中心に、ものすごい風圧が起きた。空気を切り裂くような音が講堂中に鳴り響き、激しい霊力が稲光のように駆け抜ける。
「え――」
すると、重く辺りを支配していた霧が文字通り雲散霧消し、白梟の霧羽が風に飛ばされてきた。
あわててそれを受け止めた澪の視線の先に、木刀を振るい終わった後の動作をした桐草の姿がある。
肩越しに振り返った彼の目には、何の感情も浮かんでいない。
「木刀の一薙ぎで霧羽の霧を払った……!? 嘘でしょぉおおおお!!」
澪の絶叫が講堂の中にこだましたが、桐草の姿はとうに見えなくなっていた。




