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帝都陰祀庁妖異録 ~明治の陰陽師は霊銃と鹿鳴館ドレスで退魔します!  作者: 美澄こいね
第二章<恋焔>

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第七話 あやしいふたり

 朝、登校した瞬間から澪は眉をしかめていた。

 学校全体にたゆたう空気が重く、どんよりとしているのだ。不吉な霊力がどこかで働いている証だ。

 普段から学校でもどこでも、大小問わず霊力の気配は常にある。霊は万物に宿るものであり、澪の感覚では人々の喧騒と同じように捉えられるものだからだ。


 だが、今日のそれははっきりと『よくないもの』だということがわかる。


 もし澪が狐だったら、全身の毛が逆立っていたことだろう。心なしか、今日の白蓮が一回り大きく見えるのは、そのせいかもしれない。


 ただ、その気配の源がどこにあるのかは不明。


 もし怪異を引き起こす妖ならば、陰祀庁特務執行官として調伏しなければならないが、気配はあれど、ぼんやりとぼやけていて、はっきりとした輪郭が伝わってこなかった。


 この事象について澪が真っ先に疑ったのは、怪しさ満点の英語教師、桐草明夜だ。


 先日の殺気をまとった視線といい、階段から落ちた朱音を抱き留めた腕力といい、ただのぼんやりした嘱託教師ではないだろう。

 何ら確証はないものの、偏見でそう決めつけている。


 それと、明らかに様子のおかしい人物が約一名――。


 先週くらいから、朱音が桐草に英会話対決を仕掛けることがなくなったのだが、その代わりに、彼を見る視線に異様なものを感じるようになった。


 基本的に目は合わせない。大人しく授業を聞きながらノートを取っているが、桐草が背中を向けた途端、すごい目で彼を睨むのだ。

 そして授業の合間には、必ずと言っていいほど手鏡を覗き込んでいる。

 廊下の各所に据え付けられている姿見の前を通ると、絶対に立ち止まって己の様子を映していた。


 身だしなみが大事だというのは叩き込まれるし、女学生が姿見で服装を直すのはごく自然なことではあるが、その頻度というか、熱の入れようというか、とにかく鏡に執着しているのではないかと思うほど、いつも鏡を見ていた。


(鏡――)


 そういえば、桐草が姿見を覗いている場面に時折出くわすことがある。

 自分の姿を確認しているというよりは、鏡を調べているような仕草に見えるのだ。あれほど外見に頓着しないお下がり背広の男が、身だしなみに気を使うとは思えない。

 あるいは、鏡に何かを仕掛けているような――。


(桐草先生が鏡に細工をして、朱音さまに妖を取り憑かせている……?)


 朱音自身から妖の気配は漂ってこないが、明らかに普通ではない。

 そして、澪を『しぐれさん』と呼んで絡んでくることがなくなった。言われていたときは鬱陶しかったものの、なければないで、物足りなさを感じるのも事実である。



 昼休み。彼女の意識の変遷を確かめるべく、朱音を追って中庭に出た。

 このところ取り巻きとは一緒に行動しないのか、朱音はひとり木陰のベンチに佇んでいた。どうやら読書をしているようだが、なぜかおセンチなため息をついている。


「あの、朱音さま……」


 背後から声をかけようとした澪だったが、朱音がふいに立ち上がり、演劇のように手を上に伸ばしたので、驚いて思わず足を止めた。


「……あの涼しげな目元を前にして、どうして胸が斯様に乱れるのか。解せぬ、と言い張れば体面は保てようが、実のところ解せぬはずもない。ただ認めたくないだけの、なんとも情けない話である。……いや、情けないと思うことすら、猫の目から見れば滑稽な所作に過ぎぬのだろう……」


(詩の朗読? え、漱石……?)


 漱石風の一人語りに困惑する澪をよそに、朱音はベンチに座りなおすと、ふたたび大きなため息をついて手鏡を取り出した。


(また鏡……)


 そんなに四六時中鏡を覗き込まなくても、彼女の二百三高地髷は一筋の乱れもなく整然としているのに。

 気軽に声をかけられる雰囲気ではなかったので、澪はすごすごと退散することにした。


 たぶん、見てはいけないものだったのだろうし、朱音も見られたくないだろう……なんとなく。


「白蓮、今のなんだったと思う?」


「私に聞くな。人間の娘が考えることなど、わかるはずがないだろう。だが、妖が取り憑いているのとは、少し違う気がするが……」


「やっぱりそう思う? じゃあ、もっと怪しい方を先に攻めようか」


 言わずと知れた桐草先生である。


「正面から乗り込んで、奴が何か白状すると思うか?」


「別に白状させるつもりはないわ。牽制するだけ。何を考えてるのかわからないけど、私のいる学校で好き勝手はさせないから」


 職員室に向かうと、桐草は部屋の隅の席で昼餉をとっているところだった。


「桐草先生!」


「はひ?」


 握り飯をもぐもぐしながら、桐草が振り返る。


「お昼中にすみません、あの――」


 言いかけた澪の視線が、桐草の手元に落ちた。

 大ぶりな檜の曲げわっぱは二段で、下には握り飯がもう一つ、上段には鯖の味噌漬け焼き、だし巻き卵、根菜の煮物、鶏の照り焼き、たくあんなどがぎゅうぎゅうに詰められていた。そして全体的に茶色い。


「先生って……大食いですか?」


「えっ、普通ですよ?」


 桐草の手は大きい。そして、握り飯をつかむ指はしなやかに長い。握り飯はその先生の手にも余るほどの大きさで、ふたつもある。

 ひょろっと見える桐草だが、背が高い分、燃料となる食料も多く必要なのかもしれない。そして、曲げわっぱの中は、おかず以外にも愛情がたっぷり詰められているように見えた。


「先生って、ご結婚されていらっしゃいますか?」


「えっ、いえ、まだですよ? そんな……僕みたいなのに、結婚なんて……ははは」


「そうですよね」


 澪が心から納得したら桐草は困惑顔をしたが、咳ばらいをして握り飯を置いた。


「それで、どうかしましたか?」


 そう問われて我に返った。桐草の昼餉を観察しにきたわけではないのだった。


「あっ、あの……、最近、朱音さまの様子がおかしくないですか? 以前はあんなに授業中に英会話合戦をしていらしたのに、ここ数日すっかりおとなしくなってしまわれて。先生、朱音さまに何かおっしゃったのですか?」


「僕が? いえ、何もお話はしていませんよ。先日、時雨さんが教科書を開いてほしいと言ってくださったので、鳳月さんもきっと、授業の進み具合を気にしてくれたのでしょう」


 桐草はへらっと笑って、ずり落ちてきた眼鏡を戻した。


「その割に、朱音さまが先生を睨む目がとても怖いのですが……」


「僕を睨んでいる? 鳳月さんが?」


「はい。それに、鏡を――」


「時雨さん!」


 背後から鋭く名前を呼ばれ、澪が飛び上がった。この声は、裁縫教師の藤原先生だ。

 恐々と振り返り、笑ってごまかそうとしたが、先生はごまかされてくれなかった。


「昼食中に男性の先生をお引き止めするものではありません。女学生としての慎みをお持ちなさい。そもそも、女学生が若い男性とふたりで話し込むなど、あってはならない不行跡ふぎょうせきですよ!」


 裁縫や家事の先生は風紀・道徳の番人でもあるため、見咎められるのも当然だった。


「も、申し訳ございません~」


 肩をすくめて薄笑いを浮かべると、澪はすごすごと職員室を後にした。

 でも、目的は達した。それと、桐草が意外に大食いであることもわかった。ひょろっとしたのっぽのくせに。


 息をついて教室に戻ろうとした澪だが、ふと廊下に佇む朱音と出会った。


 いつも上流階級の余裕の笑みを浮かべている朱音は、今日は憎々しげに澪を凝視していて、その目に見られた途端、背筋にぞくぞくと寒いものが走るのを感じる。

 やはり普通ではないと言わざるを得ないだろう。


「――桐草先生と何のお話をなさっていたの」


 彼女の冷ややかな声に、辺りの温度が下がったような錯覚すら覚えた。それは質問というより、尋問の類に近い。


「授業で不明点がありましたので、質問に……」


「その程度のことで先生の昼餉の邪魔をするなんて、恥ずかしいとお思いになりませんの?」


 目くじらを立てた朱音は、藤原先生より迫力があって怖かった。


(反省しております……)

「うわっ、ここにも藤原先生がいた!」


 たじたじしながら言ったら、うっかり本音と建前が逆になってしまい、朱音のこめかみに青筋が浮かんだ。


「しぐれさん、心の声が駄々漏れですわ……!」


「あっ、これは申し訳ございません。口が滑ってしまいましたわ~」


 澪は慎み深く笑い、能うかぎりの速度でその場から逃げ出した。

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