繁殖牝馬
一週間後。仕事の休みが取れた私は姉と一緒に姉の働く牧場へ車で下見に向かっていた。父の所有していた繁殖牝馬を見て、種付け相手を決めるためだ。種付けは春先の四月から五月にかけて行われる。そして、強い馬を生み出すためには、配合が重要になってくる。相手の種牡馬にただ単にスピードがあれば良いわけではなく、気性の落ち着きやスタミナ、脚の丈夫さ等があることが重要だ。ここまでは、競走馬の繁殖に関する本で読んだ内容。今私たちが向かっているのは北海道の日高地方にある茂木牧場だ。そこに、姉が働き、父の所有していた繁殖牝馬たちがいる牧場があると言う。車には私と姉の二人が乗っていて、聞こえてくるのは姉の鼻歌だけ。私は見慣れない北海道の景色を、助手席の窓から眺めていた。草原で穏やかに草を食べている牛や羊。茂木牧場ではない場所で、サラブレッドが気持ち良さそうに駆けているのも見えた。そうしていると、姉の車が一つの牧場に入っていく。窓から見えた茂木牧場の草地では、やっぱり数頭の馬が思い思いの行動を取っていた。それをじっと見つめていた私に、姉が声をかけてくる。
「おーい、那古。ボーッとしてないで、茂木さんに挨拶しないと。お父さんの馬たちもいるよ。あっ、今は那古の馬か」
そうからかうように言った姉に少しムッとしながら、私は車を降りた。スッと鼻腔に飛び込んできたのは、爽やかな草の匂い。厩舎でした馬の匂いもする。
気持ちいい。
私の率直な感想が、それだった。解放感のある広大な草原に、爽やかな風。自分の父が最期まで愛し続けた馬たち。その全てが、鮮やかで、美しくて。思わずため息をついた私を見た姉は、優しく微笑んだ。
「良いでしょう?那古、その感じだと、一気に牧場のことが好きになったんじゃない?」
姉の言葉に、私は黙って頷いた。狭く騒がしい東京とは違って、広く静かなのに、東京よりも孤独感を感じないのは、何故だろうか。それは、自由に駆け回る美しい馬たちがいるからだろうか。
「那古。またボーッとしてるよ。茂木さん暇じゃないんだから、早く動こう」
「分かった」
まだ馬たちを見つめていた私は、歩き出した姉を追って日高の大地を踏みしめた。新しい一歩を、踏み出せた気がした。
○○○
牧場の建物内に入ると、紙に少し白髪の混じった初老の男性が迎えてくれた。
「那波。そちらが妹さんの那古さんか?」
穏やかな声で姉にそう尋ねたのは牧場長・茂木宗一さんだ。今の宗一さんの言葉だけで、姉への信頼が見てとれる。
「はい、牧場長。この度新しく馬主になった、妹の間宮那古です」
姉の紹介に、私は前へ進み出た。
「姉から紹介されたように、今回馬主にならせていただいた、間宮那古です。よろしくお願いします」
私が頭を下げると、茂木さんはにこやかな笑顔を向けてくれた。
「茂木宗一です。こちらこそ、よろしくお願いします、那古さん。では早速あなたが所有することになった繁殖牝馬たちの元へ案内しますね」
そう言って茂木さんは建物から草地に出た。そして、私がさっき見つめていた馬たちの方に向かっていく。そして、柵の手前で立ち止まると、私の方を振り向いた。
「こちらには七頭の繁殖牝馬がいます。全頭去年は種付けしておりませんので、今年は那古さんが種牡馬を選んでください」
茂木さんが指した先を見ると、そこには美しい馬体で堂々と佇む牝馬たちがいた。




