出会い
昼に準備を終えて出発し、何本も電車を乗り換え、ようやく風間厩舎の最寄りの駅に着いた頃には、空が真っ赤に染まっていた。私はスマホのマップアプリを開き、風間厩舎のある場所を調べる。ここから徒歩1時間。これ、タクシー拾った方が早いな。私はタクシーが集まっている方に向かいながら、姉・間宮那波にメッセージを送った。
『今駅に着いた。タクシーで行く』
私は一つのタクシーの窓をノックし、ドアが開くと運転手さんに行き先を告げた。
「風間厩舎までお願いします」
私がそう言うと、タクシーの運転手さんは運転を始めながら驚いたような声を出した。
「珍しいですね。お若い方が厩舎に行かれるなんて」
「まあ、そうですよね。姉が競馬関連の仕事をしていて」
私が苦笑しながら答えると、運転手さんは「へえ」と言ったきり何も言わなくなったが、厩舎が見えてきた頃にふとこう漏らした。
「僕の孫、ジョッキーなんです。息子も。稼げないから止めなさいって言ったんですけどね。家出しちゃって、アルバイトでお金稼いで競馬学校入って。それで結構稼いでるんだなあ、これが。皮肉ですよね」
私は驚いて言葉を失った。
「そ、そうなんですか?私の父は、馬主やってました。その関係で、今日は厩舎まで」
私がようやく答えると、運転手さんは再び興味を無くしたように黙り込んだ。厩舎の門の前に着き、支払いを済ませて運転手さんにお礼を言うと、私は門の中に入っていった。姉の黒髪ポニーテールは、すぐに見つかった。
「お姉ちゃん!!」
私が叫んで手を振ると、カジュアルなTシャツにジーンズと、かなりラフな格好の姉はこちらに駆け寄ってきた。
「那古!ごめんね、急がせちゃって。よく着替えられたね」
姉は声をかけながら私の服装をしげしげと眺める。会社からすぐに家に帰った私は、翌日が休日だったことを思い出し、キャリーケースに替えの服を詰め、真っ白なワンピースに着替えてきたのだ。
「まあ、さすがにスーツで来る訳にはいかないから」
私が苦笑いしながらそう答えると、姉は私の手を引いた。
「急いで。打ち合わせなの」
「えっ?何の?」
私が不思議になって尋ねると、姉は「とにかく急いで」と言って早足になった。私も急いで着いていくと、姉はさっきから見えていた大きな建物に入っていく。ちらっと見えた看板には、『栗東 風間厩舎』と書いてあった。建物の中を見渡すと、十数頭の馬がそれぞれ自由にくつろいでいた。その中に一頭だけ月毛の馬がいた。全ての馬を見る前に、姉に建物の更に奥へと連れていかれた。
「風間さん。連れてきました」
「ああ、ありがとうございます。那古さん、初めてお目にかかりますね。調教師の、風間道紀です」
姉に手を離された私は、いきなり一人の男性から自己紹介を受けた。ここは大手企業の役員として、しっかり挨拶しないと。
「初めまして。間宮那古と申します」
私が頭を下げてそう言うと、椅子に座るように案内された。姉も私の隣に座った。
「早速ですが、本日お呼び出しした理由をお話致します。僕はお二人のお父様の所有馬のほとんどを調教してきました。今は一頭だけ、現役の馬がいます。そして、生前のお父様に、遺言状を渡されていたんです。そこに、お父様が亡くなったら那古さんに馬を相続させるように、と書かれていたもので、相談のために本日、お呼び出しさせていただきました」
「は、はい。どんなご相談でしょうか!」
私が思わず勢い込んで言うと、風間さんは苦笑した。
「とりあえず、こちらに来ていただければ」
風間さんに導かれて姉と一緒にさっき馬がたくさんいた場所に向かった。
「馬房です。ここで競走馬の管理をしています」
その言葉にもう一度じっくり馬房を見渡すと、やっぱりさっきの月毛の馬が目に止まった。私が見つめていると、風間さんが声をかけてきた。
「その馬が気になりますか?その馬こそが、あなたのお父様の所有馬です。珍しいですよね、月毛って」
私が父の所有馬ということに驚きながら月毛の馬の馬房に近付くと、馬は静かな目で私を見つめた。馬房の柵には
【シリウス 牡 月毛 6歳 主な勝鞍 ホープフルS(G1) 馬主 間宮直人】
と印刷されたプレートが貼られていた。シリウス。夜空に輝く一等星の名前だ。
「シリウス。頑張ってるね」
私が声をかけると、シリウスは鼻を鳴らした。だが目は穏やかで、馬の本質が見えた。父を亡くした初夏、26歳の時だった。
用語
月毛……アイボリーっぽい色の毛のこと。
馬房……現役の競走馬が寝起きや食事をする1頭1頭の個室のようなもの。




