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錬金術師エリオ

重い足取りの2人が向かった先は、市場の端の少し静かなところにある店だった。


木製の看板には、「植物」を意味する古い単語が書かれている。軒先には鉢植えの花々がずらりと並び、わずかに風が吹いただけで甘い香りが揺れる。落ち着くような優しい花の香りに、カイルとネマの顔も少し綻んだ。


店の中では、年配の店主が花に水をやっていた。二人に気づくと、手を止めて微笑む。カイルとネマは軽く頭を下げて、白布の垂れた出入口をくぐると、一転、乾いた草と湿った土の匂いが混ざった空気に包まれる。店の奥には、干された薬草の束と、籠に入った生の葉が並んでいた。


そこは、花屋であると同時に、昔から続く薬草の専門店でもあった。


ネマは薬草棚の間を静かに歩き、目的の薬草を探し始めた。棚に並ぶ束のひとつを手に取ると、葉の裏をめくり、色や乾き具合を確かめる。指先の動きは確かで、迷いがない。そんなネマの横顔を見て、カイルは少しだけ安心したように息を吐いた。


「……お兄ちゃん」


ネマが小声で呼びかけ、ちょいちょいと手招きをした。カイルはネマの側に行って、ネマが指し示す先を見ると、数歩先、天井から吊るされた薬草束の影に、人の姿が見えた。


銀縁の眼鏡に、よく整えられた暗色の上衣。整った顔立ちに、鋭い目つき。

静かに薬草を見ているだけのようだが、その立ち姿にはどこか隙のない空気があった。カイルの眉がわずかに動く。


「……エリオ」


声をかけたわけではなかったが、気づいたら名前が口をついていた。男が顔を上げる。眼鏡の奥の視線が、ゆっくりとこちらに向けられる。


エリオ──国に仕える錬金術師。


かつて両親が亡くなったとき、研究資料の保護という名目で突然現れ、工房にあった錬金術のノートや高価な書籍を持ち去っていった集団の一人だ。


「……君たちか」


エリオは、特に驚いた様子も見せず、淡々と口を開いた。ネマはゆっくりと顔を上げ、その声の主を見上げると、そのまま口を閉ざして立ち尽くす。


「久しぶりだな。……と言っても、言葉を交わしたことはなかったか」


エリオは棚の隙間から視線を外し、静かに歩いてきた。棚の向こうから現れた彼は、変わらず整った身なりをしていた。埃一つない上衣に、磨かれた靴。薬草の香りの中でも、どこか診療所のような清潔な匂いが感じられた。


「ご両親の記録は無駄にしていないよ。国の錬金術にも、少しは貢献している。……もっとも、まだ読み解けていない箇所も多いがね」


その言葉に、カイルは思わず乾いた笑いが出た。薬草の棚に視線を落としながら、何かを噛みしめるように口を開く。


「……少しは、ね。それなら、あのとき全部持っていかれた甲斐もあったってもんだね」


カイルは白々しい笑顔で答えた。声の調子はあくまで穏やかだったが、言葉の中に含まれた刺は隠しようもなかった。


エリオは一拍、表情を変えずにカイルを見返していたが、やがて静かに息を吐いた。


「資料を引き取ったのは、私の判断ではない。国王の命令だったんだ。君たちの気持ちは理解するが、あれは正規の手続きに則ったものだよ」


「引き取った……奪い取ったの間違いじゃないの」


突然口を開いたネマの言葉に、場の空気が張り詰める。ネマの言葉と眼差しには、強い非難が込められていた。


「……言葉を尽くしても、君たちは納得しないだろう」


エリオは、少しだけ苛立ちのこもった語気で言った。


「これでも私はあのとき反対したんだ。君たちのためではない……単純に、見る価値がないと思ってね」


エリオは皮肉げな笑みを浮かべると、わずかに首を振った。


「君の父上──アルヴァンとは、学院の同期だったんだ。彼のことは良く知っている。あの頃から、賢者の石だとかエリクサーだとか、夢物語にうつつを抜かしていてね。そんなもの、ありはしないというのに……皮肉にも、彼自身がそれを証明することになったが」


ネマは顔を上げて鋭くエリオを睨んだ。言葉は発しない。けれども燃える炎のような怒りが、瞳の奥に佇んでいた。


エリオは一瞬怯んだように目を逸らしたが、悪びれずに言った。


「失礼、舌が回りすぎてしまった。お暇するよ。いずれにせよ探していた素材はないみたいだし」


白布の向こうにエリオの足音は遠ざかっていき、店内に静けさが戻った。


ネマは何事もなかったかのようにくるりとこちらに向き直った。


「……これ、買って帰るね」


そう言って、棚から取り出した薬草を持って、店主の元に向かう。会計を済ませるあいだも、ネマは平然としていた。店主に軽く頭を下げ、薬草をそっとかごに入れる。その動作に乱れはなく、言葉もなかった。


まるでさっきの出来事などなかったかのように。


外に出ると、陽はもうだいぶ傾いていた。通りを吹き抜ける風が、昼間の喧騒を少しずつ静めていく。市場の片付けが始まり、どこかで子どもが駆ける足音が響いた。


二人は並んで歩いた。カイルはふと横目でネマを見たが、彼女は前を向いたまま、変わらぬ表情で歩いていた。けれど、その指先は、かごの縁をぎゅっと強く握りしめていた。カイルは何度か言葉を探しかけたが、そのたびに喉の奥で止めた。


二人が工房に戻ったころには、空はすっかり夕闇に沈んでいた。


扉を開けると、ほんの少し冷えた空気が迎える。


ネマは無言のままかごを台所に置き、カイルも肩から外套を外して椅子に掛けた。


灯をともす音が、小さく部屋に響いた。

ネマは黙々とかごから薬草を取り出し、棚にしまっていく。動作は整っていたが、どこかぎこちなかった。カイルはその背中を見ながら、言葉を選べずにいた。


しばらくして、最後の薬草束をそっと棚に並び終えると、ネマはそのまま俯いて、静かにつぶやいた。


「……なんで、あんなふうに言われないといけないの」


結んだ拳が、小さく震えている。感情を抑えきれないとばかりに、声は徐々に大きくなる。


「お父さんも、お母さんも、立派な錬金術師だった。一生懸命研究して。朝早くから夜遅くまで働いて。お金だって、少ししか取らなくて。町の人や国のために尽くして」


一拍おくと、絞り出すように、ネマは言葉を繋げた。


「……その結果が、これなの」


ネマはふいに崩れ落ちると、堰を切ったように泣き出した。


父母の死後、一度も涙を見せなかったネマの急変にカイルはたじろいだ。


しかし、カイルにはネマの気持ちが痛いほど分かった。乗り越えたつもりだった過去。……数年前の、両親の死。


でも彼らは、──何はともあれ、人々のために生きたのだ。そのことだけが、カイルとネマに残された、ささやかな誇りだった。


そんな気持ちは、無神経に踏みにじられた。


そのときカイルは、自分の中で両親が本当に死んでしまったような気がした。


カイルは、いつのまにか自分の頬も濡れていることに気がついた。そのまま何も言えず、ただ妹を抱きしめる。ネマの嗚咽が静かに空間を震わせ続ける。やがてその嗚咽は啜り泣きに変わり、少しずつ落ち着いていく。


再び顔を上げたとき、ネマの目はまだ涙に濡れていたが、同時に澄みきったオリハルコンのような決意の光を湛えていた。


「……決めた。私、この工房を、一番にする」



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