魔力変成
──重たいまぶたをこじ開けるようにして、カイルは目を覚ました。
体は鉛のように重く、意識はまだ靄の中にある。眠ったというより、いつの間にか気を失っていた、という表現が近かった。
天井は、すでにぼんやりと冬の朝光に照らされていた。だが、空はまだどこか白々として、太陽が昇ったとはとても思えない。
(……もう朝か)
昨夜、ようやく微睡みに落ちたのは、東の空が白み始めた頃だった。
睡眠時間にして、二時間あったかどうか。それも、悪夢のように断片的だった。
カイルは静かに身を起こす。喉がひどく渇いていた。家の外の井戸から水を汲み、一息に飲み干す。
「ぷはぁ……」
一息ついて、少し落ち着いた。
「そうだ、ネマ──」
昨日のネマの症状は、やけに重かった。急に不安になり、ネマの寝室の扉を開ける。彼女はうつ伏せになっていたが、呼吸に合わせて規則正しく肩を上下させていた。カイルは、ひとまず胸を撫で下ろした。
そのまま台所に戻って食事にしようと思ったが、料理を作る気にはなれなかった。戸棚の引き出しを開けると、ひとつだけ残っていた琥珀色のポーションが、瓶の中で静かに光を照り返していた。
カイルはそれを取り、栓を抜いた。薬草の匂いを凝縮したような、独特な香りが鼻をつく。
一口つけると、甘みと酸味、苦味と辛味がないまぜになったような味に、微かな炭酸が舌を刺激する。
「ネマはこんなのが好きなのか……」
奇妙な味に、カイルは顔を引き攣らせた。
そのまま調合部屋に向かい、これまでとってきた危険素材リストを見返す。
きっとこの中に、何か漏れがあったのだ。カイルは一つ一つの素材について、順番に取り扱いの注意点と錬金手順を振り返っていく。リストには参考にした書籍の名前とページが記載されており、文献の内容と照らし合わせることができた。
日が高く登った頃、リストを全て確認し終えたが、問題は見つからなかった。素材の情報は文献から正確に抜き出されていたし、ネマは全ての素材を正しく扱っていた。
「……まさか、この本が間違ってるなんて、あり得るのか?」
そんな疑念が新たに芽生えると、カイルはこれまで自分たちが立っていた地面が、いかに危うく不安定なものだったのか思い知った。
もし何かが、本当に根底から間違っているとしたら。
今までの努力も、知識も、全部が空回りだったとしたら──。
その考えが頭をよぎり、体の奥に冷たい震えが走った。
そのとき、部屋の外から物音がした。
カイルが扉を開けると、ネマが目を塞ぎながら、よろよろと部屋の外に出るところだった。
「ネマ、もういいのか?」
カイルが聞くと、ネマは扉の方に向かって答えた。
「……昨日より、ちょっとマシ。でも、まだ目は開けられない」
それを聞いて、カイルはほっとした。少なくとも、昨日のままの勢いですぐに死んでしまうことはなさそうだ。片手を壁につき、もう片手で目を押さえているネマを見て、カイルは言った。
「ちょっと待ってな」
カイルは、もう着なくなった服の一端を破り、三重に折った上で、ネマの目を覆うように巻きつけた。
「……これでよし」
ネマはおずおずと布から手を離した。痛みはなさそうだったが、その表情にはどこか緊張が残っていた。
「今、素材リストを見返してたんだ。……でも、おかしなところはなかった。全部本の通りに処理してたし、抜け漏れもなかった」
ネマが答えようとしたとき、二人同時に腹の音がなった。
「……とりあえず、ご飯にしようか」
カイルは消化にいい野菜と卵のスープを作り、パンを添えて簡単な昼食を用意した。
ネマは手探りで席につき、カップを両手で包むようにして、スープを少しずつ口に運んだ。
「……あったかい。優しい味」
その一言に、カイルは肩の力が少し抜けた。
「無理せず、食べられる分だけでいいからな」
ネマはこくんと頷き、パンをちぎりながら静かに食事を続けた。
しばらく、ふたりの間に穏やかな沈黙が流れる。
食事を終え、カイルは改めて言った。
「さっきの話だけど、素材リストにミスはなかったんだ。……まさかとは思うけど、本自体が間違ってるなんてこと、ないよな?」
恐る恐る尋ねると、ネマは首を振った。
「可能性はゼロじゃない。でも、限りなく低いと思う」
「あの本は、国家錬金術師が編纂した素材図鑑で、数えきれない査読を受けて磨き上げられてる」
「それよりも──エリオさんが言ってたことが、気になる」
「魔力の他に、何か要素があるってやつか?」
ネマは少し考え込んでから、言葉を継いだ。
「私たち、これまでずっと、素材そのものの危険性ばかり見てたよね。毒性があるか、粉塵が出るか、魔素を帯びているか……」
「……ああ、そうだな」
「でも、素材に魔力をかけたときに、どう変化するかまでは、ほとんど調べてなかった。もし、魔力と反応して性質が変わって、有害なものが生まれてたら」
「……金の輪の原因になるかもしれないってことか」
ネマはこくりと頷いた。
「だから、素材一つ一つに魔力をかけてみたい。もし、性質が変化するものがあれば、それが怪しい」
カイルは少し黙り、天井を見上げた。
やはり、ネマはすごい。たったひとつのヒントから、ここまで辿り着くなんて。
カイルは、澱んでいた胸の奥が、再び熱くなるのを感じた。
「……もう一度、最初からやってやるか」
症状が一時的に和らいでいるのか、それとも痛みに慣れてきただけなのか。
いずれにせよ、ネマに残された時間は、もうあまり多くないはずだ。
しかし、絶対に間に合わせる。その決意を、再び胸に刻んだ。




