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機会があれば

「そろそろ、毛皮を売りに行かないとな」


霧隠れ薬の成功から何日か経ったある日、カイルはそう言って、部屋の隅を見た。毛皮が数枚、丁寧に畳んで積まれている。霧の森で仕留めた獣のものだ。罠で仕留めたから、傷も汚れもない。少しでも良い値がつけば、当面の暮らしは楽になる。


「今日、街に出るの」


ネマの声は、いつも通り控えめだった。彼女は錬金術書から顔を上げ、ちらりとカイルを見た。


「うん。何か買ってくる?」


「一緒に行く。薬草が切れそうだし」


「いいよ。なら、支度をしないとね」


カイルがそういうと、ネマは不思議そうに首を傾げた。


「それ、寝巻きだよね」


「……気にしないけど」


カイルは微笑んだ。うるさく言いたくはなかったが、人は見た目で人を判断する生き物だ。ネマには「錬金術師様」になってもらわないといけないのだ。


「着替えないと連れて行かないよ?」


カイルは厳として言った。ネマは不服そうな目をしたが、カイルが譲らないと分かると、渋々着替えに行った。


しばらくして、ネマが戻ってきた。深い青のワンピースに、薄手のジャケットを重ねている。どちらも体に合っておらず、肩は落ち、袖は手の甲までかかっている。母が生前着ていた服だが、ネマにはまだ大きい。


ネマは袖を一折りし、髪をひとつにまとめると、これでどうですかと言わんばかりにカイルを見た。


少し服に着られている感もあるが、カイルは目を瞑ることにした。


「似合ってるよ。さあ、行こうか」


カイルは毛皮を重ねて結び、肩に担いだ。ネマは棚の上からかごを取り、後に続く。扉を開けると、外の空気は少しだけ冷たく、けれど日の光は暖かかった。



市場は、春の空気を吸って活気づいていた。屋台の軒先では布が風に煽られ、色とりどりの食材や雑貨が並ぶ。子どもが走り抜け、商人は呼び込み、誰かが笑い、誰かが値切る。


「はいはい見てって見てって! 今なら治癒ポーション、安くしとくよ〜!」


その中に、鮮やかな橙色のスカーフを揺らして、通りの一角で踊るように呼び込みをする少女がいた。栗色の髪をふわりと結い、軽やかに舞うその姿は人目を惹き、彼女の周りには小さな人だかりができていた。


いつも日用品を用立てている雑貨屋の一人娘、サラだ。カイルは一瞬だけ目が合ったような気がしたが、サラはすぐに別の客に笑いかけて呼び込みを続けた。


カイルは人だかりを避けて店の方までいき、奥に佇んでいる店主に声をかけた。


「おはよう、今日も繁盛してるね」


店主はカイルを見てにっと笑った。丸顔に深い笑い皺が刻まれ、濃い眉の下で目尻が細くなる。日焼けした腕まくりのシャツに、革のエプロン。がっしりした体格で、前見たときは木箱を軽々と運んでいた。


「おかげさまでな。おや、お嬢ちゃんも一緒か」


ネマはカイルの横に立ち、軽く頷いた。


「それで、今日の用事はそれか?」


店主は毛皮に目をやりながら言った。カイルはそれを肩から外して差し出す。


「話が早いね。いくらになるかな」


店主は特に大きい一枚を受け取ると、広げてまじまじと細部を確認する。


「おお、これは大きいな。毛並みも揃ってるし、穴もキズもない。職人が喜ぶぞ。継ぎ目のない表地ができる。まぁ、銀貨8枚は下らねえんじゃねぇかな」


店主は嬉しそうに言った。思わぬ高値にネマと顔を見合わせると、ネマはよくわかっていないようで首を傾げた。


それから店主は野うさぎの毛皮も一つ一つつぶさに検めていった。一通り確認すると、懐から銀貨を数枚取り出して、カイルに渡した。


「こっちは野うさぎのの分だな。悪いが大きい方は、捌けてからでいいか? そっちの方が高く買い取れるんだが」


「うん。急いでないから、それでいいよ」


カイルは笑顔で言った。これで当面の生活には困らない。

それから、意を決して、今回のもう1つの目的に乗り出す。


「最後にちょっと相談なんだけど……ポーションの買取ってお願いできる?」


「ん、ご両親のか?」


店主は一転、難しい顔になって聞いた。伸びた髭を片手でいじりながら、眉間に皺を寄せている。


「いや、ネマが作ったんだ」


そういうと店主は驚いてネマの方を見た。ネマはおずおずと前に出て、腰につけた薬瓶を取り出して見せる。先ほどサラが売っていたものと同じ、治癒ポーションだ。ポーションの中でもオーソドックスなもので、旅人や探索者に需要がある。


店主はまた難しい顔で少し考えたが、やがて2人の方をまっすぐ見て言った。


「ポーションは信頼が大事だ。命に関わるからな。お嬢ちゃんの腕を疑うわけじゃないんだが……」


ネマは視線を伏せ、小さく息を吐いた。その気配を感じながら、カイルは答えた。


「そうだよね。この前、獣に襲われて怪我をしたときは、ネマのポーションで治ったんだけど……」


そういってカイルは腕まくりして、少し傷跡が残る右手を掲げてみせたが、店主の顔は険しいままだった。身内の評価では信じるのは難しいのだろう。


「……まあ、難しいよね。無理言ってごめん」


カイルはこれ以上押しても無駄と判断し、切り替えて言った。店主は愛想の良い笑顔で答える。


「こちらこそ、力になれなくてすまない。また機会があれば頼む」


「ううん、ありがとう。またよろしく」


『また機会があれば』……その機会はいつ来るのだろう。そんなことをぼんやり考えながら、カイルはネマと共に店を後にした。後ろを歩くネマの足音は、心なしか元気がないように思えた。

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視覚だけでなく嗅覚・聴覚にも訴える描写が心地よいです
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