断れない依頼
祭りの喧噪が嘘のように静まった朝、工房には、いつもと変わらない朝が訪れた。
カイルが先に起きて、朝食のスープを作っていると、こんこん、とノックの音が聞こえる。
カイルがドアを開けると、サラが大きな鞄を背負い、手に大量の紙の束を持って立っていた。ぐらぐらと揺れて、今にも落ちそうだ。サラはバランスを取りながら、余裕なさそうに笑って言った。
「おはよ──とりあえず、上がっていい?」
「ああ、いいけど」
サラは家に駆け込むと、テーブルの上に紙の束をどさっと広げた。カイルがその中の一つを手に取ると、注文書のようだった。
「これ、全部注文書か?」
カイルが聞くと、サラは頷いて肩をすくめた。
「うん。昨日の祭りの後、いろんな人から『あの薬を作った錬金術師は誰なのか』って聞かれてさ。ギルドにも連絡が殺到してるって」
「……そりゃまあ、派手だったしな」
カイルは苦笑しながらも、束の厚みに圧倒されていた。
「商人ギルドなんて、ネマちゃんの噂でもちきりだよ。天候魔法をたった一人でやってのけた、町外れの物静かな少女。人呼んで『沈黙の錬金術師』──かっこよくない?」
カイルは思わず吹き出した。
「……誰が言い出したんだよ、それ」
「さあ? でも、ぴったりじゃない?」
サラは笑いながら、ちらりと奥の部屋を見やった。
「おとぎ話みたいな仕事を一人で成し遂げた、孤高の天才。みんなそういうの好きなんだよね」
「本人が聞いたら、絶対に嫌な顔するな」
そう呟くと同時に、ちょうどその『本人』が、目を擦りながら姿を現した。相変わらず髪はぼさぼさだ。
二人の視線が集まり、ネマは居心地が悪そうに言った。
「なに、二人して。何か企んでるの」
「なんでもない! そうだ、これ全部ネマちゃんへの注文書なんだけど、ちょっと最初に説明しないとね──」
サラがギルドに届いた注文書を見せると、ネマは少しだけ目を見開いた。驚きというよりは、むしろ眠気が引いていくような冷静さがそこにはあった。ギルドを介した注文の締切や仲介料について一通り話すと、サラは不意に言った。
「それと。ギルドの人が、二人に会いたいって。今日の午後、本部に来てほしいって言ってた」
「また随分急だな。ギルドの人って、誰?」
カイルが聞くと、サラは思い出すように言った。
「リアンっていう、王都から来た職員なんだけどね。ほら、最初の実験の時にいた、メガネの……」
ああ、とカイルは得心した。あの実験の日、掛け値ない賞賛をくれた青年だ。肩ほどまで髪を伸ばしていて、一見無害そうな印象だったが、丸い眼鏡の奥の瞳には、人を見透かすような落ち着きがあった。
「……午後って言ったの」
ネマは改めて確認した。
「うん。商人ギルドの本部。詳しいことは現地でって」
考え込むネマに、サラは言った。
「ま、聞くだけ聞いてみたら? “すごい話”かもしれないよ?」
⸻
結局二人は、呼び出しに応じることにした。
商人ギルドは大きい建物だったが、内装は思ったよりも質素で、見栄えよりも実利を重視していることが窺える。
応接間に通され、座り心地の良い革張りの椅子に座りながら、二人は出されたハーブティーに手をつけた。
カイルは落ち着かない様子で室内を見回す。壁には地図や認可証のようなものが並び、装飾は最小限だった。
コンコン。
ノックの音にカイルが答えると、静かに扉が開いた。現れたのは、肩まで伸ばした柔らかそうな髪を後ろで結んだ、痩身の青年だった。丸眼鏡の奥にある落ち着いた瞳が、二人をゆっくり見渡す。
「お変わりないようで、何よりです」
リアンはそう言って、静かに一礼した。
「久しぶり。実験の日以来だな」
カイルは少し気後れしながら答える。あの日は動きやすそうな軽装だったが、ギルド本部で小綺麗な服装に身を包んだリアンは、別人のような気品を感じさせるところがあった。
そんな気持ちを見透かすようにリアンは伝えた。
「楽にしてください。今日はお二人に、お願いをしにきたんです」
『お願い』という単語に、カイルは引っかかった。ただの依頼や契約なら、対等に接すれば良いはずだ。
「実は私は、とある高貴な方からのご依頼を預かっています」
そう言ってリアンは懐から何か取り出した。質の良さそうな巻き紙で、赤い封蝋がしてある。
「そのお方は、あなたたちに、ご両親の研究を完成させて欲しいのだそうです」
カイルは、少し警戒しながら聞いた。
「研究って、どの研究のこと?」
リアンは見透かしたように微笑んでいった。
「決まっているじゃないですか。──お二人が生涯を捧げ、ついに叶わなかった悲願。賢者の石の研究ですよ」
その単語が出ると、空気がピシリと固まるのをカイルは感じた。ネマを横目で見ると、小さく震えている。
「ご依頼主様は大変に気前の良い方で、研究に必要な資料や素材は、全て用立てるとおっしゃっています。ご両親が残した実験ノートや書籍、貴重な実験器具──これも全て、返却するとのことです」
リアンがさらっととんでもないことを言って、カイルは慄いた。いつか薬草店で会ったとき、エリオは資料の持ち去りは『王の命令』だと言っていた。王の命令で取り上げたものを返せるとしたら──依頼主は、一人しかいない。
「詳細は、こちらの依頼書に記してあります」
そう言って、リアンはネマに巻き紙を丁重に差し出した。ネマが固まっているのを見て、カイルが割り込んだ。
「少し、考えさせてくれないか」
「考えるのは自由です。──ただ、どのみちあなた方に、選択肢はないのですよ」
そう言ってリアンは、代わりにカイルに紙を差し出し、カイルは渋々受け取った。確かに、これが王からの「依頼」だとしたら、カイルにもネマにも、断る権利などないのだ。
「それに、なぜ考える必要なんてあるんですか? これ以上ない後ろ盾ですし、名誉なことじゃないですか」
去り際に、無邪気に言うリアンに、カイルは何も言い返せなかった。
⸻
帰り道、カイルは巻き紙を見つめるネマの横顔を盗み見ながら、ふと記憶の底から古い光景を引き上げていた。
あのときも、ちょうどこんな蒸し暑い夏の季節だった。
両親はいつも忙しく、父は国からの依頼を数多くこなし、母は街の依頼で様々な薬を作っていた。そんな過労がたたったのだろう。ある日、二人は同時に、風邪のような症状で寝込んだ。
普段はセラが調合した薬ですぐに良くなるのだが、そのときは違った。体調は一時的に回復するものの、何かが詰まったような咳は続き、やがて痰には血が混ざり始めた。何かがおかしい──そう思い始めたとき、明らかに風邪とは違う症状が二人の目に現れた。
瞳を縁取る、金色の輪。
両親は懸命に治療薬を調合しようとしたが、正体不明の病は、無慈悲に二人を追い詰めていった。二人はどんどん衰弱して、自力で立つこともできなり、やがて息を引き取った。結局二人を死に追いやった原因は、分からずじまいだった。
高名な錬金術師夫婦の病死という事件に、人々の反応は様々だった。純粋に驚く者、深く悲しむ者、そして面白がる者。「錬金術師なのに、自分の病も治せなかった」──カイルがそんな皮肉を聞いたのは、一度や二度ではない。
あれから、ネマはずっとあの工房に籠もりがちになった。
だからこそ、今、彼女がその巻き紙を受け取ったという事実が、静かに恐ろしく感じられた。
⸻
工房に戻ってからも、ネマはずっと巻き紙を机の上に置いたまま、何も言わずにいた。
夜になって、ようやくカイルが声をかけた。
「……ネマ。無理に受けることはない。もし断れないなら、俺が何とかする」
王命に対して、自分が何ができるというのか。そんな思いを押し殺しながら、カイルは強がって言った。
ネマはその言葉には答えず、ただ、指先で封蝋の残りかすを擦っていた。
やがて、ぽつりと呟くように言った。
「……ずっと、気になってたの」
カイルは黙って聞いている。
「お父さんとお母さんが、あそこまでして、何を作りたかったのか。あそこまでする価値があったのかって」
ネマは開いた紙に目を落とし、中身を見つめる。その目は、もう震えていなかった。
「私、やるよ」
そう言って、ネマはカイルをまっすぐに見た。
「お父さんとお母さんの研究を、最後まで見届けたい。二人が何を考えて、何に届かなかったのか……自分の手で、確かめたい」
カイルは、少しだけ目を伏せて、静かに頷いた。




