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命の天秤  作者: 葛嶋心秋
7/11

もっと強く

  グレイとロイの死闘から数日が経った。

 アリミナの街の外れの森の奥。二人はひと気のない廃屋にいた。

 裏手の、屋根が抜けた小屋にロイは寝かされていた。

 今はまだ、目を覚まさない。それでも彼の顔色は、ようやく赤みを取り戻していた。

 ファウナはその日も、アリミナの隣街、ゴージュの街まで朝から出かけていた。

 袖口を破ったままの上着に、ほつれた靴。

 彼女の腰には、騎士団のものだった短剣の柄だけが残された袋がぶら下がっている。

「これがなかったら、お金なんてきっと手に入らなかった……」

 焼けた甲冑の一部。ヒビの入った胸当てと、砂まみれの小手。

 これらを裏通りの鍛冶屋に売り払った事で、僅かな銀貨を手に入れた。

 食べ物、水、そして薬草。それらを運ぶための袋の中身を確かめながら、ファウナは廃屋へと帰る。

 小屋に戻ると、ロイの額には、ほんのり汗が滲んでいた。

 彼の左腕には、まだ痣が残っている。それが微かに脈打っているように思えた。

 ファウナは濡らした布を取り替え、手の甲でそっとロイの頬に触れた。

「……ロイさん」

 その名前を呼ぶ声は、どこまでも優しく、静かだった。

 そして――

 その日の夕方。窓から差し込む光がロイのまぶたを照らしたその瞬間、彼の指が微かに動いた。

「……っ、ロイさん……?」

「俺は……一体……」

「よかった、目が覚めて」

 ファウナはロイの隣に座りながら、本当に嬉しそうにそう言った。

「ファウナ、か。俺は何日眠ってた?」

「5日ほどです」

「そうか……その間、ずっと俺の看病をしてくれてたのか……」

 ロイが上体を起こし、座り直しながら言う。

「ありがとうファウナ。君は俺の命の恩人だよ」

「いえ、私の方こそ」

 思い出したように続けて、

「あ、そうだ、今日はパンを買ってきたんです。よかったら一緒に食べませんか?」

「うん、そうしよう。腹ペコだ」

 二人は食事をとりながら、戦闘の後の事を話し合った。

「本当におんぶに抱っこだな、俺は」

「あの時、ロイさんが私を助けてくれたから、こうして今生きれているんです、感謝したいのは私の方なんです」

 そんな事を言いながら夜まで話した。

 翌日。

 まだ体に鈍い重みを感じながらも、ロイはファウナの手を借りて、森の中を歩けるほどには回復していた。

 目的は食材探し。

 木漏れ日の中、二人の足音が葉を踏み締める。

「わあ!ロイさん!これみてください!このキノコ!絶対美味しいやつですよね?」

ファウナが誇らしげに指差したそれは――

 真っ赤な傘に白い斑点がついた、なんとも毒々しい見た目のキノコだった。

 ロイは一瞬だけ黙った後、優しく微笑んだ。

「それ、食べたら死ぬよ」

「え!そうなんですか?!」

「うん、一口で幻覚、二口で昏倒、三口でお別れだ」

 ファウナは少し絶句した後、悔しがるように、

「こんなに可愛いのに……」

「可愛い……?」

 天然というかなんというか、少し面白くて、ロイはくすくす笑った。

 ファウナはというと、まだ頭の上にはてなマークを浮かべているようだった。

 その後食べられる野草ときのこを、ロイがしっかりと見つけ、無事食糧調達は済んだ。

 ファウナは、全く役には立たなかった。

 昼下がり。森を抜けた先に、小さな清流が流れていた。

 水面は陽を受けて煌めき、風が草をなびかせ、葉のざわめきが遠くでささやいている。

 ファウナがそっと靴を脱ぎ、スカートの裾を摘んで膝まで上げると、その白い足を川の中へと差し込んだ。

「……冷た」

 その様子を見ていたロイは、ファウナにミラの面影を重ねていた。それと同時に、ファウナの横顔の美しさに見惚れていた。

「どうしました?」

「いや、なんでも。俺もちょっと入ろうかな」

 ロイも、木の根に腰を下ろして靴を脱ぎ、川べりに足を伸ばした。

「あ、ロイ君、ここに水切りしやすそうな石がありますよ!」

 この時からであろうか、ファウナがロイの事を、ロイさんではなく、ロイ君と呼ぶようになったのは。

「久しぶりにするか!水切り!俺結構得意なんだぜ」

「そうなんですか!?上手い人の水切り、見てみたいです!」

 ロイは意気揚々と小石を投げた、が、威力が強すぎて、水切りどころではなくカッターのように対岸に小石が突き刺さった。

 周りに砂埃が立ち込める。

「…………」

 一瞬沈黙が走った。ロイの心中は内心穏やかではなかった。人が死ぬレベルの水切りを見せてしまって、怖がらせてしまったのではないかと危惧した。

 が、

「はははははは!ロイ君力強すぎですよ、力加減出来ないんですかぁ?」

 その時、ファウナの周りに小さな草木が芽吹いた。だが、それはあまりに小さく、二人は気づかなかった。

 予想とは全く逆の反応。そうか、この子はこういう子なんだ。天然なんだけど、底知れない優しさと愛嬌がこの子にはある。なんだか微笑ましくなった。

「ちょっと失敗しただけ!次は成功するから」

 そんなやり取りをしながら安らかに過ごした。

 ファウナは三回、ロイは七回水切りできた。

 数日、そんな生活を繰り返した。

 夜。

 二人は近くの草原に寝転んでいた。

 頭上には満点の星空が広がる。落ちてくるかのようなそんな星々。

 ファウナはゆっくりと息を吐いた。

「ロイ君、ロイ君のその呪い、痛いですか?」

「ああ、痛いし、怖いよ。自分が自分じゃなくなるのが怖い。いつか大切な人を傷つけてしまうんじゃないかってすごく怖いんだ。痣ができた時よりも濃く広くなってるし、このまま飲み込まれそうだ。飲み込まれたら俺は一体、何になっちまうんだろうな」

 左腕を握りしめて辛そうに言った。

「大丈夫です。何度でも私がロイ君を連れ戻しますから」

「何度でも……?」

「ええ、そうですよ」

「そうか、あの時痣に飲まれた俺を救ってくれたのは、ファウナだったんだ。どうして気がつかなかったんだろう。本当にファウナは俺の命の恩人だよ」

「こちらこそです」

 そよ風が草を揺らす。

「綺麗ですね」

「ああ、そうだね」

 困ったような表情で、少し笑いながら、

「ずっと、空を見る余裕なんてなかったから……」

「……」

 沈黙が流れる。

 彼女の過去を聞こうと思った。でも、それは彼女を傷つけることになるんじゃないか、とロイは思い、躊躇う。

「あの……」

 と言いかけ、口をつぐむファウナ。

「私、先帰ってますね」

「うん、分かった」

 少しして、ロイも古屋へと向かった。

 先に帰っていたファウナが小屋にいない。

 どこに行ったのかと不安になるロイ。

 探し始めて五分。ファウナを見つける。柳の木の下にいたファウナの周りが砂に変化していた。

 ファウナは俯き、憂いげな顔を浮かべている。

 ここでロイは気づいた。

 そうか、分かった。感情なんだ。この子が悲しんだり、怒ったり、恐怖を感じたりすると、この子の周りの物は砂になっていくんだ。

 ファウナは一人、そこに立っていた。周りの木々が砂になって消えていく。ロイが言った。

「大丈夫か?ファウナ」

 一寸の沈黙が流れ、

「私のために死んでいった人たちの事を考えていたんです。お父さん、お母さん、叔父さんに叔母さん。親友のセレナの事。思ってしまうんです。どうして私は生まれてきたんだろう。どうして私は生かされてばかりなんだろう。私が死んで、他の人たちが生き残るべきなんじゃないのかって。そうしたら誰も悲しまないって。そう考えてしまうんです。胸が張り裂けそう、苦しい」

胸元で握る手が震える。

「それに、私が殺した人たち。あの人たちにも大切な人がいたんだろうなって、思うと。もう、私、どうしたらいいか。でもお父さんやお母さんは私に生きろと言うんです」

 どうにかしてあげたい。この子の力になってあげたい。でも大それたことは言えないし、俺は高尚でもなんでもない。俺の言葉でこの子を救えるとも限らない。それでも、いまこの子を放っておけない。青くさくて、泥臭い俺のありのままの気持ちを伝えるしかない。この子の心が少しでも救われる事を願って。

 そう思い、ロイが言う。

「その、なんて言うかさ、俺、こんなことしか言えないけど。俺さ、ファウナがいる世界が好きだ。ファウナが微笑んだとき、俺、すごく幸せな気持ちになるんだ。俺にとって天使は、ファウナ、なんだと思う。ファウナの横顔が、俺は好きだ。少しツンとした鼻筋もそうだけど、なんてったってその瞳が綺麗だ。そして、ファウナは優しい。滲み出てるんだ、優しさが。その優しさに触れたとき、心が安らぐんだ。だから、だからさ、俺はファウナに生きていて欲しいよ。生きるなら、俺はファウナと……一緒が良い。一人で歩けない道なら、俺が隣を歩くよ、一人で背負えない荷物があるなら代わりに俺が背負っていくよ。ファウナも本当は生きたいと思ってるんだろ?ファウナの中にある本当は生きたいって気持ちを大切にしようよ。俺はその手助けをするからさ」

驚いたようなファウナの表情。そしてまた俯き、

 「そんなこと言われたの、初めてです……ねぇ、ロイ君……私の事、抱きしめて……くれますか?」

 ロイはそっと、優しくファウナの事を抱きしめる。

「もっと、もっと強く抱きしめて……」

「あぁ」

 するとファウナは大声で泣き始めた。子供が泣くかのようなそんな声で。

 積もりに積もった感情の葛藤が、今ここで溢れた。

「あの時、私を選んでくれて、ありがとう……ございます……怖かった、怖かった……!」

 ロイはファウナを強く抱きしめながら、この子を守るという決意を更に固めた。

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