決心
夜、二人は風が抜ける音だけが響く、朽ちかけた木造の廃屋にたどり着いた。
壁には隙間が多く、雨風をしのぐだけで精一杯だった。
ロイは焚き火の火の残りをかき集め、微かな熱を確かめる。
やがてロイが、ふいに口を開く。
「さっきは怒鳴ろうとしてごめん……」
ファウナがそっと顔を上げる。
「いえ、いいんです」
一寸沈黙が続き、
「……なぁ、聞いてもいいか」
ロイの顔を見るファウナ。
「どうして、追われてたんだ?」
ファウナは少しだけ視線を落とす。
「……それは……」
言いかけて、言葉を飲み込む。
ロイは焚き火の小枝を一つ火にくべながら、言った。
「……言いづらいなら、言わなくていいさ」
ファウナはハッとしたようにロイを見る。
その目には、少しの驚きと、微かな安心があった。
「俺も言えないこと、山ほどあるから」
ロイはそう言って、ニコッと笑った。
ファウナの警戒と不安が少しだけほぐれる。胸の奥が、ほんの少しだけ、温かくなるのを感じた。
そうしてまた火を見つめる二人だった。
夜明け前、天井に走る亀裂から、冷えた風邪が忍び込む。
ロイは仰向けで微かな音に耳を傾けていた。ファウナが隅で静かに眠っている。
焚き火の赤い残り火が壁に揺らめく影を落としていた。
「……?」
小さく、ザリ……ザリ……と何かがすれる音が聞こえた。最初は風のせいかと思った。けれど、違う。
その音は、地面から這い上がってくるような音だった。
ロイは上体を起こすと、辺りを見まわした。すると不可解な光景を目にする。
床の板の一枚が崩れていた。
いや、ただの腐敗や劣化じゃない。そこにあったはずの木材が、パラパラと粒状の「砂」 になっている。
「……なんだ?」
次に天井の端がバサっと音を立てて崩れた。
乾いた土煙が舞い上がり、ファウナが飛び起きる。
「ロイさん!」
立ち上がったロイの足元が、音を立てて崩れていく。
まるで、家全体が砂に食われていくように。
床板が割れ、壁がざらざらと音を立てて剥がれ落ちる。
「一体……何が起こってるんだ!」
驚愕と困惑の混じった声が、崩れかけた天井に反響する。
ファウナは両手を胸元で握りしめ、うつむく。その方が僅かに震えている。
「……ごめんなさい」
かすれた、今にも消えそうな声だった。
「ファウナ!こっちだ!逃げるぞ!」
ロイはファウナの手を取って急いでその廃屋から這い出た。ファウナの顔は浮かなかった。
と同時に、柱の一つが完全に崩れ落ちる。
廃屋の全てが、雪崩のように、崩壊する音と共に沈んだ。
「なんなんだよ……これ……」
その粉塵がまだ収まらない中で、重く乾いた足音が、外から近づいてきた。
ロイが振り返る。ファウナを守るように手を伸ばして。
ファウナが音に反応して顔を上げる。
土煙の向こうから現れた男――
身軽な旅装に近い布地の戦闘服を着ていた。
胸元は高く閉じられ、腹部には補強されたレザーガード。両腕は露出しており、手首から肘まで薄手の包帯が巻かれている。
灰焔騎士団の者であるには間違いないが、腰には剣もなく、背には盾もなかった。
廃屋の倒壊の音を聞いて、徐々に人だかりの輪が広がっていく。
騎士団の男が口を開く。
「それがその女の呪い、周囲の物体を砂に帰す。その侵食は止まる事を知らず、この世界を砂漠にしちまう恐ろしい呪いだ」
民衆の騒めきが次第に恐怖へと変わっていく。
ロイはただ、ファウナを見た。
彼女は――俯いていた。
その肩が小さく震えているのが、分かった。
否定も、反論もしない。
まるで、その罪を受け入れることに慣れているかのように。
「なぁ、鬼呪持ち。お前とその女はなんの関係もないんだろ?じゃあどうして守る?なにか個人的な感情でも?その女は生きてるだけで罪なんだ。もう何万人もの人を殺してる。なのに、逃げる事を辞めない。そういうやつをこの世界では人殺しというんだぜ?」
服の裾を強く握りしめるファウナ。
続々と灰焔騎士団の騎士達がやってきては、その男の後ろに整列をしている。
「この説明で守る理由が無くなったろ?そいつは人類の敵だ。抵抗するということは世界を相手にするということ。罪のない人間を見殺しにするということ。灰焔騎士団だけじゃない。教会勢力、各国政府、一般市民それらを相手にしてお前はどう戦うというんだ?だから早くその女を差し出せ、いいな?」
黙っていたロイが俯きながら、納得したように言う。
「そっか、この子は人類の敵……か。放っておくと世界まで滅ぼしかねない危険な存在なんだな……それじゃあ……」
「ロイさん……」
不安げなファウナの声がかすれるように漏れる。 ロイがファウナを見たとき、その頬には涙が伝っていた。
「……それじゃあ余計に見過ごせねぇな」
「…………は?」
騎士団の男はとぼけた顔をした。
「世界の正しさなんか、知るか。この子が泣いてるってことは、それは間違ってるって事だからだ。俺は今ここで泣いている人を助ける。それが俺の全部だ。ミラがいなくなった世界で、それでもまだ立ってる俺は、もう俺の中で決めたことしか信じられねぇ。俺はこの子を、今守ると決めた。それが俺に出来る唯一の俺の救いだからだ」
ロイの言葉が、空に響いた瞬間、周囲の空気が一つピキリと音を立てて裂けたような気がした。
騎士団の男の表情が動いた。
それは怒りだった。
だが、ただの激情ではなかった。
その奥には――悔しさと絶望の色が混じっていた。
「ごちゃごちゃとうるせぇなぁ!……だからその選択が間違ってるっつってんだろうがッ!鬼呪持ちがっ!」
怒りをあらわにした男だが、いきなりスッとして言った。
「まあどちみちお前たちはここで死ぬ。俺が殺すからな」
その言葉にムカついたようにロイが返す
「死ぬのはてめぇだよ、包帯野郎が」
「灰焔騎士団最強の男、このグレイ・ロートブラッドを前にして、いつまでその減らず口を叩けるか見ものだな」
戦闘が始まった。