序-2. はた迷惑な契約
先代ヴァルフォート伯爵の時代。それはレオンが所属するオルキナ王国が、未だカマラ帝国との戦争状態にあった時代だ。
詳しい戦争の理由は省略するが、この戦争で先代ヴァルフォート伯爵は、これまた先代のエーデルシュタイン公爵の窮地を救い、王国中で讃えられた。王都タマデクスでは戦勝パレードとともに伯爵家が異常なほど持ち上げられたという。それほどまでに公爵は王国民から愛されていた。
その後、意気投合した2人は公爵の屋敷で酒盛りを始めた。両人の宴会好きもあってか、宴は夜分遅くまで続いた。そして、アルコールに侵された脳みそと深夜テンションが合わさった時、とんでもないアイデアがノリと勢いで実行されてしまうのは、この2人であったとしても、例外ではなかった。
「いやぁ、こんなに楽しいのは久々だ。こうしていられるのもヴァルフォート伯が私を救ってくれたおかげだ。なにか恩返しをしなければいけないな」
「いえいえ、とんでもない。ワシはただできることをしただけですよ。恩返しなんていりません」
「うーん、そうはいってもなぁ……そうだ! 確かヴァルフォート伯にはつい最近生まれた孫がいるはず。私もつい最近孫娘が生まれてな。もう少し大きくなったら2人を婚約者にするのはどうかだろうか」
「おぉ! とても魅力的な提案ですな! ぜひお願いします!」
普段のヴァルフォート伯ならば、いったん持ち帰って検討するのだが、この時ばかりはその判断力が失われてしまっていた。
「一応当主間の取り決めとして契約書を作らせておこう。どれ、下書きくらいはここで書いておくか」
そしてこの時、エーデルシュタイン公爵も同様に周囲の状況把握能力が低下していた。彼が下書き用に無意識に手に取った紙こそが魔法契約専用の契約書だったのだ。
通常ならば、国家間での取引きや、王族及び当主同士の特に重要な取り決めなどに使用される契約書であるため、よっぽどの事がない限り婚約の取り決めには用いたりはしない。
そして、彼らがそのことに気が付くのは既に下書きを終え、契約書に魔力を流してしまった後だった。
「「あっ」」
中年おじさん達の間抜けな声が重なり合い、静まり返った部屋に虚しく響き渡る。あわてて魔法契約を解除しようと魔力を再び流し込むが、2人の魔力は弾かれてしまった。
それもそのはず、先ほどウキウキで契約書の内容を詰めていた2人だが、契約解除の条件として、『王族立ち会いのもと、自由意志を保障された婚約者当人達の意思のみによって契約解除が成される』としてしまったのだ。
「「…………」」
全ての元凶達は魔法契約書を見下ろす。なんとも言えない空気が漂っていた。
「「まぁ、いっか!」」
不幸中の幸いとして、王国に致命的なダメージを与えてしまうような契約はしていないはず。そう自分たちを無理やり納得させることで、伯爵と公爵は現実逃避のために、酒精をさらに追加するのであった。
数日後、般若のような顔になって怒気を纏った伯爵及び公爵夫人たちによって、この件は国王陛下の耳に入ることとなる。
その後、王城に召喚された元凶たちはひとしきり王に呆れられたが、婚約の取り決めであることと、一応契約を解除する条件が達成可能なものであることから、婚約自体は認められた。
しかし、お咎めなしという訳にはいかず、両家の夫人たちの裁量による実質無期限の断酒命令が秘密裏に執行されたことは、末代にまで語り継がれることとなった。
◆◆◆
「じいさん……」
かつてリリアの父である現公爵家当主から聞いた話を思い出していたレオンは頭を抱えていた。この話をしていた時の公爵の顔には青筋が浮かんでいたため、印象的だった。
「王太子のことだからきっと、早くて明日、遅くとも明後日までには王城に呼ばれそうだな」
生真面目な我が国の王太子を思い浮かべる。彼ならそうするだろうという確信がレオンにはあった。そのため、最悪のケースを想定しながら今後の立ち振る舞いを考えなければならない。
そう思いつつ、レオンは先程から忙しなく部屋を動き回り、自身の荷物をテキパキとまとめ始めていた。良くて追放なのだ、準備をする分には早い方がいい。
「契約書の写しは各家にあるけれど、契約の解除は原本に対してやらなきゃいけない。そして、その原本は王城で厳重に保管されていて、侵入及び奪取は困難。よしんば手に入れられたとしても契約の解除条件は満たせない……」
悪趣味な金ピカの壺を魔力を込めた手刀で叩き割る。レオンがへそくり用に貯金していた銀貨がこぼれ落ちた。それらを手早く巾着袋の中に入れる。
彼を悩ませているのは、契約書の解除条件だ。これがある限り、夜逃げの選択肢はない。そんなの無視すればいいと思うかもしれないが、契約の不履行には罰が執行されるのだ。
例えば、契約解除がなされない状態でリリアが別の人と婚約したとする。そうすると、雷が落ちるのだ。レオンがかつて貴族令嬢を襲った際に強姦未遂で終わっていたのはこれのせいだ。
実際に行為に及ぼうとした瞬間に、超特大の雷が落ちて死にかけた。魔力で咄嗟に抵抗していなければ間違いなく死んでいただろう。
加えて、この天罰は周囲も巻き込んでしまう。なぜならレオンが襲おうとしていた令嬢が黒焦げになっていたのだ。彼女はなんとか命を取り留めたものの、レオンはしばらく焼いた肉を食べられなくなった。
また、罰の程度についても何を基準としているのかは謎である。異性と会話をするだけならばセーフで、家族以外の異性に触れると電気ショックが全身に流れると言った具合だ。
以前、転んでぶつかってきた令嬢がいた。もちろんあちらもレオンも故意ではなかった。しかし、レオンに電流走る――! そして、令嬢とレオン共々、しばらくの間ひっくり返ったカエルのようなっていたのは屈辱だった。もちろん家の評判は落ちた。
総じて、厄介かつ鬱陶しすぎるのでレオンはできるならばこの契約を解除したいと思っている。また、リリアに対する負い目もある。もし彼が契約を解除せずに逃げ出した場合、こんなやつのせいで、彼女に死ぬまで独り身の人生を強要することになってしまうのだ。それだけは、今のレオンには出来なかった。
当たり前だ。前世の記憶を取り戻す前のレオンは本当に最悪で、それは今の自分では無いにしても、かつての彼ではあったのだ。だからレオンには、彼女の貴重な時間を奪ってしまったことに対する責任がある。
「行くしかないか」
カチリとトランクケースを閉める。覚悟は決まった。トランクはいかにも貴族然としているため、身分バレへの対策として大きめの革袋が欲しかったのだが、ないものねだりは出来ない。
「城で契約を解除したらそのままズラかろう。あとは一番質素な服を用意するとして ……他に気をつけるべきところはなんだろうか?」
自室のクローゼットから比較的地味めな衣服を選抜する。家人はレオンに対して食事の提供及び片付け、情報伝達以外のことには関わってこようとしない。
「黒と紫と金の組み合わせが多いな。派手というか悪趣味だ」
自分のファッションセンスに絶望していると、先ほど父に言われたことを思い出す。彼の普段の態度に関することだ。
『なんだ? いつもの態度はどうした、気味が悪いな』
咄嗟のことだったので、ついあちらの自分としての態度が出てしまったが、それはこちらのレオンの態度では無いらしい。では、いつもはどんな感じだったのだろうか。先日の父との会話を思い返す。
『レオン。学園からまたお前に関し……』
『死ね』
「うーん……」
そんな所だろうとは予想していたが、とても冷え冷えである。精神年齢が以前の自分よりも少し高めとなってしまった今、たとえ演技であろうとも暴言厨の子供のような態度は取りたくなかった。
部屋に備え付けられた鏡を見る。鈍い鉄錆のような色の無造作な髪の毛に、つり目がちな琥珀色の瞳。顔立ちは整っているが、いかにも悪役貴族といった風体だ。試しに不機嫌そうな顔をしてみる。ついでに態度もだ。シミュレーションしてみる。
『レオン、ここで何をやっている……』
「別に……」
そこにはとても不機嫌そうな悪役貴族レオン・ヴァルフォートがいた。どことなく凄味も感じる。
「なかなか様になってるな……よし、この路線でいこう!」
これならば、不機嫌すぎて話しかけて欲しくないといった感じを出しつつも、最低限の返事で事を進められるだろう。そう確信したレオンは荷物の再確認や、この世界の常識の確認などを行いつつ明日に備えて眠りについた。
「名付けて……完成披露試写会作戦だ!」
……調子に乗りやすい性格は祖父譲りなのかも知れなかった。