序-1. 時すでに遅し
「では、取り決め通り、リリア・フォン・エーデルシュタインとの婚約を破棄してもらおう」
金髪碧眼の細マッチョイケメンがレオン・ヴァルフォートを見下ろしながらそう言った。レオンは決闘に負けたことがショックだったのか、惚けた様子でどこかを見つめている。彼の制服は、目の前の美男子のものと比べて酷く汚れていた。手も足も出ずにやられたのだろう。
「レイアーク様。お手を煩わせてしまい申し訳ございません」
「よい。こいつの悪評は聞いていた。被害者の証言や証拠もある。婚約破棄の件とまとめて後日正式に父上に奏上する」
「お気遣いいただきありがとうございます」
「気にするな。では私はこれで失礼する。アリアを待たせているからな」
レイアークと呼ばれた男は模擬戦用の木剣を倉庫にしまうとどこかへと行ってしまった。そして、先程から彼と会話をしていた少女が、レオンへと向き直る。蜂蜜色の豊かな髪と花のようなかんばせに見蕩れるが、その翠緑の瞳に宿る冷酷な光にレオンの背筋が凍りついた。
「レオン様。いえ、レオン・ヴァルフォート。今まで大変お世話になりました。貴方のことは初めて出会った時から嫌いでした。さようなら」
にべもなく、公爵家のお姫様はかつて婚約者だった少年の元を去った。レオンはその背中を引き留めもせず、ただ見送ることしか出来なかった。彼が動けないのも無理はない。それほどまでに婚約破棄はショックだったのだろう。しかし、実のところ彼はそれとは別の衝撃を受けて固まっていたのだ。
その衝撃とはつい先程、ちょうど決闘の始末が着いた瞬間に、前世の記憶を思い出したことである。それは地球の日本という場所で社会人として生きていた自分自身の記憶だ。そして、あちらの世界の知識から今までの彼、前世の記憶が戻る前のレオン・ヴァルフォートの行動を省みるとひとつの結論にたどり着く。
「俺めっちゃ悪いやつやん……」
素行不良はスタンダード。いじめに脅迫、選民思想に平民差別。婚約者がいる貴族令嬢に迫ったり、強姦未遂に及んだりなど挙げればキリがない。薬はギリギリやってなかったがもう少ししたら手を出しそうだった。
そんな有様であったため、彼があんな態度を取られていたのは至極当然のことであった。そして、家名を賭けて行った決闘の結果は、国王の干渉が無ければ、基本的には覆らない。つまり状況は詰んでいる。
「もう少し早く前世を思い出したかった……」
今の彼――前世を思い出したレオン――の主観から見た、自身の精神的状態はというと、決闘の最中に意識が飛んで、あちらの世界に生まれ直した後、両親にそこそこ愛されながら社会人まで生きて、コンビニ強盗に殺され、決闘後の時間軸のこちらの世界に戻ってきたという感じであった。
つまり、こちらの世界で16歳半ばまで生きたバグ悪いクソガキのレオンが、あちらの世界で25年間真面目に生きた自分の記憶を一瞬で全て追体験したことで、精神的に少し成熟し、自身の今までの悪行を省みることができるようになったということだ。
また、前世の記憶を一瞬で追体験したせいか、こちらの世界で見聞きするものが、彼にはとても懐かしく感じられる。まるで、都会に出た後、地元にUターンしてきた者のような気分だ。
そんな事をつらつらと考えていると、レオンの目の前に大きな屋敷が現れた。彼は考え事をしつつも無意識の内に自分の家へと足を向けていたのだ。
「何年ぶりかね……」
約9時間ぶりなのだが、彼の体感では十数年ぶりの帰宅であった。それはもう感慨深いはずだ。
例えそれが、苦い思い出しかない実家であっても。
「た、ただいまー……」
レオンは正門ではなく、屋敷の裏側にある生垣にコッソリと開けておいた穴を通って裏口から帰宅した。こちらの方が人と会う確率が少なく済むからだ。蚊の鳴くような声で屋敷への侵入を宣言すると、コソコソしながら自室へ向かう。
「何をコソコソしている」
「げっ」
低く、苛立ちを含んだ高圧的な声に呼びかけられて、振り返る。そこには案の定、レオンの父であるグリフィスがいた。正直会いたくはなかったが、レオンはもう、30年以上の人生経験を持つ男。いいかげん向き合わなければいけない。
「いえ、特に何も。父上こそ、ここで何を……」
「また何か企んでいるのではないだろうな」
「いえ、そのようなことは決して……」
「なんだ? いつもの態度はどうした、気味が悪いな。まぁいい、とにかくいつも言っているが、固有魔法の使えないお前はただでさえ我が家の恥であり、生きている価値がないのだ。それだけに留まらず、ことある毎に悪事をはたらく。これ以上家名に泥を塗るようなことは許さない。公爵家との婚約が無ければ、固有魔法を持たないと分かった時点で、殺しているはずのお前を生かしてやっていることに、感謝するがいい」
「はい、父上……」
「なんだ、まだ居たのか。早く失せろ。お前を目に映すだけでも不快だ」
グリフィスはそう言いつつも、その場に留まる。彼は絶対に自分からは退くことはしないのだ。レオンはそのことを知っているので、これ以上罵声を浴びる前にそそくさと立ち去る。
「はぁ……何故お前のような出来損ないが生まれてしまったのだ。私の人生最大の汚点だ」
最後に聞こえた呟きには、聞こえないフリをした。
◆◆◆
「前世を思い出しても、あれはきついな……」
自室にたどり着いたレオンは、ふかふかのベッドに倒れ込み、枕に顔をめり込ませていた。
「これはグレるのも仕方ないだろ」
そう。レオンは貴族が必ずその身に宿す血統の神秘、固有魔法を持って生まれなかった。そのため、彼に固有魔法が無いと判明した際には、母と母の不貞を疑った父の間でひと悶着があったと聞いている。
そんなことがあったため、レオンは幼い頃から父と母、そして家人に酷く嫌われており、居ないもののように扱われてきたのだ。
唯一、弟とは問題なくコミュニケーションできるのだが、彼はどちらかというと珍しい動物を観察しているような節があるため、レオンは弟のことが少し苦手だった。
ちなみに、息子が固有魔法を持たないというケースはレオンの知る限りヴァルフォート家のみであるため、父のような反応が貴族の一般的なものであるのかは分からない。
だが少なくとも、一部の例外を除いて、固有魔法を持たない者は貴族ではなく、平民であるということはこの世界の常識であった。
「それより、これからどうするか考えないとな」
レオンは逸れた思考を修正して今日の決闘のことを考える。レイアークはこの国の王太子で、これまで行ってきたレオンの悪事を含め、この件は国王陛下に奏上されるだろう。そうすると、この後の彼の行く末は想像に難くない。
「良くて婚約解消からの廃嫡、勘当だな」
レオンはそう結論した。最悪のケースとしては婚約を解消した後、心身が病んで流行病に罹ってしまい、衰弱死してしまったという秘密裏抹殺ルートも存在する。
というか、よく考えると固有魔法のない一族の汚点を父は殺したがっているため、こっちの方が可能性は高そうだなとレオンは思い直した。
「まずいな。かと言って今すぐ逃げるのも良くないし……」
これには、レオンとリリアの婚約が、他の貴族同士の婚約とは違う経緯で成り立っていることに原因がある。 その違いとは、彼らの婚約が魔法契約によって縛られているということだ。
ちなみに、ヴァルフォート家は伯爵家であるが、歴史も古く名門であることに加えて、かつて公爵家に伯爵家の令嬢が嫁いだ例がある。そのため、婚約において爵位的な問題は無い。
では、なぜ婚約が魔法で縛られているのか。その理由を知るためには、ヴァルフォート伯爵家の先代まで時を遡る必要がある。