勇者の従者のクロニクル ~器用貧乏でもアドリブと小細工で最強に挑みます~
「──ゆくぞ、勇者よ!」
大地を蹴った漆黒の重装甲が、巨体にそぐわぬ高速で迫り来る。魔王軍最高戦力【魔十将】の一角を担う暗黒騎士だ。
それを抜刀して迎え撃つは、人類最強と名高き勇者──ではなく、器用貧乏だけが取り柄のその従者トアル・ポアール──つまり僕。
いったい、どうしてこんなことになってしまったのか。走馬灯のように、僕は経緯を思い出していた。
◆ ◇ ◆
「あの、すみません。僕、勇者の──」
「ああっ勇者様っ!? お待ちしておりましたっ!」
はじめて訪れた街の、入口にて。
でかでかと『熱烈歓迎、勇者リュクト・アージェント様』の王制文字が書き殴られた旗を掲げる若い女性は、食い気味で僕の右手を握りしめ、ぶんぶんと激しめの握手をしてきた。
「いえ、僕はその勇者のですね──」
「うわあ、さすが勇者様のお荷物はすごいですね!」
瞳をきらきらさせて僕の背中の巨大な荷袋を見上げる。
「……そうですね。いろいろ頂いたりダンジョンで拾ったりするので……」
たしかに、後ろから見ると僕の体がすっぽり隠れるサイズのそれが、勇者の荷物であることだけは確かだった。
しかし、今日この街を訪れることは誰にも知らせていないはずだけど、どうなっているのだろう。
「ですよね! あ、くわしいお話は後ほど伺います! 今は早くこちらに!」
そのまま彼女は掴んだ僕の手を放さずに、ぐいぐい街の中に引っ張っていく。
すらりと長身に栗色のボブカット、目鼻立ちくっきりの美人なお姉さんである。
そんな魅力的な女性と手を繋ぐなんて僕の十六年の人生はじめての体験で、耳が赤くなっているのが自分でもわかる。
「あの、だから僕はリュクトのじゅ──」
「存じ上げておりますとも! 町人出身ながら人類最強の勇者として名の轟くリュクト・アージェント様は、自警団みんなの憧れです! なのでさあ、お早く!!」
勇者の従者なんです、の一言をなかなか言わせてくれない彼女は、どうやら街の自警団の一員のようだ。
たしかに、町娘らしい麻のシャツとスカート姿の上に、簡素な革鎧と短剣を装備していた。
「あっ、そうだ! ごめんなさい、私ったらこっちの話ばかり」
人影の見当たらない街中をしばらく進んだところで、彼女はなにか思い出したように唐突に立ち止まる。ようやくこちらの話を聞いてくれる気になったのかも知れない。
「この街で自警団のサブリーダーをしているサリアです。よろしくお願いします」
そして、手を繋いだまま深々とお辞儀をする。
「……ご丁寧に、ありがとうございます。それで、ちょっと聞いていほしいのですが……」
「あっ! そうか、ごめんなさい私ったら、いつも察しが悪くてガサツだとか嫁の貰い手がないとか言われるんです。まったく大きなお世話だって……」
言いつつ彼女は再び、僕の背の荷袋に視線を向ける。
ちなみに貰い手についてはたしかに大きなお世話だと思う。なんなら僕が立候補する。
「お荷物、重いですよね? お持ちいたします!」
「あ、いえ、これは大丈夫なんです」
心遣いはありがたいけれどこの荷袋、いわゆる「魔法のカバン」の類で、ただでさえ大きな見た目の数倍の中身が詰まっている。
しかも重さは中身の合算そのままなので、下手をすれば下敷きになって命を落としかねないシロモノだった。
──なんでも、暴食の魔獣ケルベロスの胃袋で出来ているとか、いないとか。
僕はこれに出力を微調整した【浮揚】の魔法を常時付与することで重さを軽減しつつ、両脚の筋力を【増強】で交互に瞬間強化している。
そうして魔力消費と体力消費の絶妙な均衡を保ちながら、暴力的な重量を背負い歩いているのだ。
これでも使える魔法の種類の豊富さには自信があった。
ただ残念ながら、この荷袋を空中に浮かぶほど軽くしたり、超人的パワーで持ち上げたりする魔力は持ち合わせていない。
広く浅く、そのくせ小細工だけは妙に得意な僕のことを、人はみな【器用貧乏】と呼ぶのだった。
「そうなのですね、さすが勇者様! では参りましょう、こちらですさあ!!」
そして彼女は再び僕の手を強く握り、駆け出していた。
うん、もうこれはしょうがない。
とりあえず彼女──サリアさんに付いていって、目的地に着いてから話を聞いてもらうことにしよう。
正直、彼女に手を引かれて知らない街中を走るのはなんだかすごく胸がふわふわして、心地がよかったし。
──そして。
石造りの街並みを抜けると急に景色が開ける。どうやら目的地らしいそこは、大きな円形の広場だった。
「みんな! 勇者リュクト様が来てくれたよ!」
広場の周囲から大歓声が上がり、視線がサリアさんに手を引かれて現れた僕に集中するのがわかる。街に人の姿がなかったのは、どうやらここにほぼ全員が集合していたからのようだ。
「うっ……まずい……」
そして僕は思わずそうこぼしていた。
これ、もう完全に説明のタイミングを逸してしまったよね。幸か不幸か、歓声に紛れた呟きはサリアさんの耳には届かなかったようだけど。
僕の視界に映った広場の中央部、エルダリウス王国領の街なら必ず見かける『はじまりの勇者』こと初代国王ダリウスの等身大の石像は、首から上が消滅している。
で、そのおヒゲがダンディな初代国王の頭部は、石像の傍らに立つ巨大な黒い人影が、お手玉するように弄んでいた。六本の腕で。
僕の二倍近い巨体すべてを重厚な漆黒の鎧で覆っていて、胴回りくらい太い腕が左右に三本ずつ生えている。どう考えたって日常生活には不必要な数だ。
「ようやく来たか。そろそろ退屈しのぎに、人間どもを一人ずつすり潰そうと思っていたところだ」
地の底から響くような低音で言い放つと、そいつは六本腕の間を行ったり来たりさせていた王の頭部を、すべての掌で包み込むように六方から圧縮し──粉々にすり潰して、ぱっと空中に撒き散らした。
「えーと、ちょっと状況を整理させていただきたいんですが」
手を離したサリアさんに背中──というか荷物を押されるまま公園の石畳に歩を進めた僕は、遠巻きに広場を囲んだ人々の期待に満ち溢れた視線の中で、最終交渉を試みる。
「あいつは魔王軍の【魔十将】暗黒騎士エルザイン。この街の住人全員を人質にして、勇者様との決闘を要求してきてます」
答えるサリアさんの声は、ずいぶん遠くから聞こえた。
振り向けば彼女の姿は広場の外縁にある。
どうやら僕は彼女に押されるまま、ひとり堂々と暗黒騎士の前へ進み出ていたらしい。
「けれど街の全員が知っています。勇者様ならば、あんなやつ簡単にやっつけてくれるってこと! 応援してます、がんばってくださいね!」
ぎゅっと握った拳を突き出して、ウィンクしてくるサリアさんがたいへん可愛い。いやあ遠くてよかった、至近距離であんな技を喰らっていたら致命傷だ。
──などと現実から目を逸らしたところで、状況はなにひとつ変わらない。
彼女は暗黒騎士を【魔十将】と呼んだ
魔王軍最高戦力たる十騎の高位魔族。文字通り一騎当千の力を持つ彼らが、この大陸を分割統治していた三王国それぞれの王都を単騎で襲撃し、そのことごとくを一晩で壊滅させたのは、僕が生まれるより十年ほど前。
この街が属していたエルダリウス王国も、その一つだ。
以降ずっと、この大陸に統治者はいない。
建国王の像は、首をもがれる前からとうに存在意義を失っていた。
一定以上の規模や戦力を備えた組織が作られると、魔十将が現れて【粛清】されるから。
人間たちは彼らに目を付けられないよう牙を捨てねばならず、とは言え野生の魔物たちや野盗どもから身を守る程度の力は必要で、その妥協点を探りながら日々をひそやかに生きている。
そうやって人類を飼い殺し、緩やかに滅びの道を歩ませるのが、おそらくは魔王の狙いなのだろう。
そして不運にも、この街は粛清対象に選ばれてしまったらしい。連中は無理難題を吹っ掛けて、最後には跡形もなく蹂躙し壊滅させるのだ。
──僕の故郷の街のように。
つまり、今回の魔十将の無理難題が「勇者との決闘」だった、ということ。そこにたまたま僕が訪れたのは、偶然なのか、それとも何か裏があるのかはわからない。
とにかく。単騎で国を壊滅させる力を持つ魔十将に、街の全住人の期待と命を一身に背負って決闘を挑む勇者──それがいま、僕が置かれたシチュエーションというわけだ。
うん、もうどうにもしようがない。こうなったらやるしかない。
日ごろ勇者からの無茶ぶりで鍛えられし【対応力:Sランク】(自称)の力を、見せてやる──!
◇ ◆ ◇
「ねえサリア、ほんとにあの人が勇者様なの?」
「えっ……そうだと、思うけど」
広場の外縁を囲むように集まった人々の中、仲の良い友人がサリアに声をかけてきた。
「勇者様にしては普通っぽいって言うか……ぜんぜん強そうじゃないし、もっと年上だと思ってた」
確かに、友人の疑念もわかる。
勇者リュクトは自分より年上で二十代半ばと聞いていたけど、そうは見えなかった。
地味な濃紺色のジャケットの下に身につけていたのは、自分のとさして変わらない革鎧だったし、体格も平均的で、鍛え上げられているようにも見えなかった。
まあ、異様に巨大な荷袋をこともなげに運んでいたから、そこは見た目に寄らないのかも知れない。
でもやっぱり、くすんだ金髪に鳶色の瞳は凛々しいというより気弱げで、自分の弟とさして変わらない普通の男の子だった。
手を繋いだときちょっと照れた様子が可愛らしかった。
そして、彼の手の感触を思い出す。
普通の男の子と少し違うとしたら、表面がまるで石壁のように堅くて、でも温かくて、握り返す力はとても優しかったことだ。
だから、ついずっと握っていたくなって、ここまでずっと手を引いてきてしまった。
「でも、手を握ったときなんだかすごく安心したの。勇者だからとか関係なく、この人ならなんとかしてくれるって思えた」
「……そっか。こないだまで女神様の巫女だったサリアがそう感じたなら、そうなのかもね」
ひと月前。彼女が、二十歳を迎えて巫女を引退する直前に授かった託宣があった。
『この街に魔十将が現れる。その目的は街に伝わる秘宝を奪うこと。阻めなければ世界は滅び、渡さなければ街は灰燼と帰すであろう』
ひとりの女の子が背負うにはあまりに大き過ぎる二択。
しかも、街に伝わる秘宝など聞いたこともない。
街で最年長の曾祖母に聞いても、それは同じだった。
絶望する彼女に翌日、ついでのように告げられたもうひとつの託宣。
『そうそう、同じ日に勇者リュクトもこの街を訪れる。勇者ならば魔十将を討てるであろう。だから、うまくおやりなさい』
そこで案じた一計が、魔十将に「勇者との決闘に勝てば秘宝の在処を教える」と持ち掛ける、というものだった。
今──彼女の描いた筋書き通りに、勇者対魔十将の戦いが始まろうとしている。勇者が勝てば、街も世界も救われる。負けたら……まあ、そのとき考えよう。
「うん、きっと大丈夫! だから、みんなで応援しよ!」
◆ ◇ ◆
「ゆくぞ、勇者よ!」
暗黒騎士エルザインの巨体が迫る。
それに先行して、凄まじい魔力と殺気が突風のように吹き付け、僕は走馬灯から我に返った。
──うわあ、やっぱり無理だろこれ。
人間にとって魔族は天敵で、それはもう生まれながらに本能に刻まれている。
まして相手は魔族の最上級存在たる魔十将。
それを前にした人間は、蛇姫に睨まれた蛙王子の喩えそのままに、足がすくんで何もできなくなってしまう。そして、なすすべもなく蹂躙されるのだ。
訓練された王都の軍隊さえも、そうしてほとんどが無抵抗のまま壊滅したという。
「ごめんなさい!」
人々の期待を裏切ってしまうことに謝罪しつつ、どうせあの鎧には刃が立たないだろうから、おととい立ち寄った街で買ったばかりの中古品の長剣を鞘に戻す。
僕だって、できることなら魔族と戦いたい。この街を守りたい。でもその力がないから、せめて勇者の従者として手伝いをしているのだ。
僕は、暗黒騎士にくるりと背を向けた。
『えええ?』
人々のざわめきに心が痛む。けど、やっぱりさすがに無理だ、こんな化け物とまともに戦って勝つのは。
「なんのつもりだッ!」
背後から荷袋越しに暗黒騎士のイラ立つ声がする。
同時に続けざま襲う激しい衝撃。荷袋をめちゃくちゃに斬りつけているのだろう。
その一撃ごとが、僕にとってはおそらく致命傷だ。
「だから、ごめんって」
斬りつけながら前方に回り込もうとする暗黒騎士にあわせて僕は、荷袋を中心に円を描くよう動く。
なので彼の眼前にはいつまでたっても荷袋だけが立ちふさがる。
まあこのように、まともにやり合う気はないからこそ謝ったんだ。
何はともあれ僕の手足はすくんだりせず、しっかり動いてくれる。だてに勇者の従者として、その傍らで何度も激しい戦いに巻き込まれながら生き延びてきたわけじゃない。数多くはないが、魔十将との戦いも経験している。
「……きさま、なんだその袋は……」
そしてさすがに彼は、どんなに斬りつけても傷一つ付かない巨大荷袋に、違和感を覚えはじめたようだ。
「さあね、僕も預かってるだけだから」
──なんでも、暴食の魔獣ケルベロスの胃袋で出来ているとか、いないとか。
「ふざけるのもいい加減に──しろっ!」
騎士は苛立ちを募らせながらも、いちど手を停め体勢を低くする。そして荷袋の下をくぐらせるように、右下腕に構えた三日月型の蛮刀で僕の足元を横薙ぎにしてきた。
「おっと」
脚力を瞬間【増強】し縄跳びの要領で跳躍、同時に荷袋に常時かけている魔法を──
「──【浮揚】解除」
取り消した。結果、両足ではなく荷袋の方から地響きと共に着地することになる。つまりは凄まじい重量の塊が、真下に来ていた暗黒騎士の蛮刀と手元に襲いかかり──容赦なく下敷きにしていた。
「何だと……」
意外と薄めの驚愕を見せる暗黒騎士に違和感を抱きつつ、荷袋からするり両腕を抜いた僕は、前かがみのまま動けない彼の背後へ素早く回り込む。
重石を背負っていない上に魔法も解除しているので、めちゃめちゃ体が軽い。
無防備な暗黒騎士の広い背中を駆け上った僕は、前かがみになることで生じた兜と鎧の間の間隙に、抜き放った中古剣の先端をねじ込む!
「ぬああっ!?」
響き渡る情けない声は、残念ながら僕自身のものだった。
腕力の瞬間【増強】を乗せた中古剣の切っ先が、魔族であろうと急所に違いない頸椎を貫く寸前のこと。
六本腕のうち上の左右二本が、人間の関節としてはあり得ない方角に曲がって、手にした円盾で頸椎を守りつつ、もう一方の手斧で僕に斬りつけてきたのだ。
暗黒騎士の背中を蹴って後方に離脱する僕の視界の中、彼はゆっくりと振り向く。
その右下の手は、肘から先がなくなっていた。
「姑息な戦い方を! それでも勇者か!」
蛮刀と腕を諦めて捨てたということか。加えて、今の上腕の動きや反応速度──日々、勇者様の無茶ぶりにさらされ、それに応えるため磨かれてきた僕の【対応力:Sランク】(自称)が何かを導き出そうとしている! ……気がする。
荷袋から離れて着地した僕に、ふたたび高速で間合いを詰める暗黒騎士。左下腕に構えた長槍を突き出し、その先端に怒りと殺気を一点集中させているのがわかる。
「勇者じゃないから!」
それを転がるように避ける僕。暗黒騎士の重装備の巨体に対して、荷物のない僕の速度だけはどうにか上回っていた。脚力の瞬間【増強】を織り混ぜれば、そうやすやすと致命傷を受けることはないだろう。
何度も言うけど、だてに勇者と魔族の戦いのど真ん中、即死級の流れ弾が飛び交う修羅場さえ生き延びちゃいない。逃走力もきっとSランクのばすだ。
「ならばさっさと死ぬがいい。私をたばかった人間どもも、すぐ後を追わせてやろう」
「どうせ元から、そのつもりだろうにっ」
逃げ回りながら、いつの間にか僕は広場の外縁部まで追い込まれていた。
すぐ近くに街の人々がいて、僕の無様な戦いぶりを、ざわめきながら見守っている。
本当に申し訳ない。なんとかしたいところだが、今のところ、はぐれた本物の勇者がひょっこり現れてくれるのを待って時間稼ぎするくらいしかない。
──問題は、勇者が絶望的に方向音痴だということ。
あの荷袋を担ぎ続けていることで体力に自信はある、けれど、いずれ限界は来るだろう。
今も、ぎりぎり避け損なって左肩を掠っただけで上着と革鎧ごと皮膚がざっくり裂け、血が腕をつたって石畳にぽたぽた滴っている。
「──がんばって、勇者様!」
そのとき耳に飛び込んできたのは、聞き覚えのある声。見て確認する余裕はないが、サリアさんのものだろう。
「みんなもほら、よく見て! どんなやりかたでも、勇者様は私たちのために戦ってくれてるんだよ!」
ざわめきが引いていく。そして、まばらにだけれど声援が聞こえ始めた。
不思議なことに、それだけで胸の奥からなにか温かいものが全身に拡散して僕は──まだまだ戦えそうな気がしてきた。
「目に光が戻った、か。……忌々しい……」
暗黒騎士が、吐き捨てるように言ったそのとき。
……かつーん。
乾いた、間の抜けた音が聞こえた。見ると暗黒騎士の背後、住民の小さな男の子が立っていて、腕に抱えた小石を精一杯の力で投げつけていた。それが、暗黒騎士の兜に命中した音だった。
「ほう。こちらのほうがよっぽど、勇者に相応しいな」
男の子の方を振り向く暗黒騎士。無防備な背中にすかさず斬りつけるけれど、上腕の円盾が超反応で刃を弾き、手斧が鼻先をかすめる。
いやあああ────!
客席から聞こえる女性の絶叫は、きっと小さな男の子の母親だろう。
「お相手せねば、失礼と言うものだ」
そう言って暗黒騎士は、真ん中の二本腕に構えた漆黒の双剣を振りかぶる。呆然と見上げる男の子の足はすくんで、もうその場から動くことはできないだろう。
それでも、彼こそは勇者だ。おかげで僕は──
中古剣を鞘に納め、ゆっくりと、暗黒騎士の背中に右手のひらを添える。予測通り、上腕は反応しない。
おそらくこの腕は自動迎撃機構、それも一定以上の殺意なり脅威でなければ反応しない。男の子の投げた小石のおかげで、僕はそれを確信したのだ。
「──【冷却】」
右手のひらに、魔法を発動させる。
僕が仕えている勇者(本物)の好物は、よく冷えた果実酒──ではなくて牛乳の果汁割りである。
それをどんなときも最適な温度に冷やし提供しろ、という無茶振りに答えるべく修得した、「対象を凍結させずいい感じに冷やす魔法」が、これだ。
「ひゃっ!?」
意外にキュートなリアクションと共に、暗黒騎士の全身がびくんと震える。その隙に正面に回り込んだ僕は、いずれ銘のある魔剣だろうその黒い双刃をぎりぎりにかいくぐって男の子を小脇に抱きかかえ、外縁側に走る。
「勇者様!」
前方からの声に目を向けると、公園内に飛び出してきたサリアが両腕を広げていた。
「──名前、教えて」
「えっ?」
男の子を預けた瞬間、彼女は僕にそう問いかけてきた。彼女の申し訳なさそうな表情が、人違いを察したと語っている。
「僕はトアル・ポアール。勇者リュクトの、ただの従者です」
それだけ伝えて僕は離脱した。広場の中央に放置した荷袋に向かって、一直線に駆ける。
「きさまは殺す! 絶対にッ!」
僕の度重なるふざけた行動──まあこっちは必死なのだが──に溜まりきった凄まじい殺気を漲らせ、暗黒騎士が追いすがる。
振り切って僕は、荷袋の肩紐に滑り込むように両腕を通す。
そして【浮揚】を発動させその超重量を軽減しつつ持ち上げる。
その下には暗黒騎士の蛮刀と手甲が、石畳にめり込んでいた。
しかし、手甲の方にはヒビひとつ入っていない。それが、敵の全身を覆う鎧の備えた鉄壁の防御力なのだ。
それでも──
『がんばってええ勇者さまぁー!』
声援が聞こえてきた。サリアだけじゃない、いくつかの声。混じっている子供の声は、もしかしたらあの男の子だろうか。
『勇者トアルさまぁー!』
その声が、力をくれる。僕は背中の荷袋に隠れるのをやめて、突進してくる暗黒騎士に正面から向き合っていた。
「来い、僕がお前を──」
ごくり、唾をひとつ飲み込んで、言い放つ。
「──ここで倒す!」
「吠えたな贋者!」
さらに怒りを上乗せした長槍の切っ先がもう数歩先の位置まで迫っていた。
まともに喰らえば当然、革鎧などあっさり貫通しての串刺し確定だ。
だから僕はそこで腰を直角に曲げ、思い切り頭を下げた。
「な!?」
その動きで荷袋上部の天蓋がべろんと前方に垂れ下がる。
そし暗黒騎士の槍が向かう先は、露わになった荷袋の内部だ。
「なんだ、これは──」
いま僕の位置から内部は見えないが、暗黒騎士のリアクションは僕がそれを初めて見た時とほぼ同じだった。
──そこには、彼の鎧よりなお濃くて深い、真の闇が広がっている。
「くっ、離せっ!」
その闇にずるずると呑み込まれていく槍を引き戻そうとして、暗黒騎士の両脚に力が込もる。それが、頭を下げた僕にはよくわかった。
「このっ!」
このままでは埒が明かないと判断したか、中腕の黒い双剣で荷袋の下の僕に斬りつけようと暗黒騎士が構えた瞬間──びゅるびゅると奇妙な振動が僕の背中に伝わる。
「なんだ、これは! いったい何を飼っている?!」
暗黒騎士の、さっきよりだいぶ切迫した声を尻目に、僕は好機とばかり【浮揚】を解除しつつ、両腕を肩紐から引き抜きざま暗黒騎士の股の間をくぐって、背後へと回り込む。
瞬間、見上げた横目にちらりと映ったのは、黒剣にからみつく紅くて長い舌のよう何か。ちなみに、それが合計三本まであることを、僕は知っている。
「冒険者協会指定、神話級稀少秘宝──【暴食の背負袋】」
暗黒騎士の背後で荷袋の正式名称を告げながら、僕はその広い背中の半ばに、両手の平を優しくそっと押し当てた。
「……なん……だと……」
絶句する暗黒騎士。冒険者協会なんて組織はとっくの昔に魔十将の手で壊滅済みだけど、定められた各種の基準には未だに権威が残っている。なにかと便利だからね。
「荷袋は秘宝が大好物でね。天蓋を開けたら最後、近くにある秘宝はかたっぱしから貪欲に収納するんだ」
彼が必死に引き離そうともがく背後で、僕は淡々と解説しつつ、両手から【冷却】の魔法をダブルで放出し続ける。鎧の中は、もうキンキンに冷えごろだろう。
神話によれば魔族の始祖は、世界の北端に連なる魔山嶺の火口、マグマの底から生まれたとされ、ゆえに魔族は一般的に寒さへの耐性が低い。
もちろんこれで倒せるとは思っていない。だからこそ自動迎撃も僕に反応しないのだ。
けれど鎧の中身が僕の予想通りなら、それなりの効果はあるはず。
「……で、収納品の出し入れふくめ、荷袋は自身が認めた『所有者』の命令しか聞いてくれないんだよね……」
ちなみにその所有者は僕でなくて、僕にとっての主人でもある勇者リュクトその人だ。いちばん最初の無茶ぶりが、「荷袋を背負って付いてこれるなら、従者にしてやってもいい」だったことを思い出す。
「う、お、おおのれえええ!」
怒りと憎悪と──そしておそらくは寒さに震える雄叫びを上げながら、暗黒騎士が武器を手離し後方に離脱するのを、僕は真横に転がりながら避けた。
そのまま荷袋に駆け寄り、天蓋を戻しつつはみ出した三本の舌も内側に押し込んで、【浮揚】を発動させつつ背負って立ち上がる。
そして、すかさず暗黒騎士の状態を視認。
初手で下敷きにした右下の手と、槍ごと荷袋に呑み込まれた左下の手は肘から先が手甲ごとない。しかし、そこに覗くのは腕の断面ではなくて、なにもない空洞だ。
迎撃時しか動かない上腕もあわせて、彼が六本腕の異形の巨人ではなく、巨大な鎧を内部から魔力で操る「魔鎧使い」だという僕の予想が裏付けられる。ならば、鎧さえ破壊できれば勝機はある。──まあ、鎧破壊がいちばん難しいのだけどね。
中段の手の黒い双剣が見当たらないのは、舌に奪い去られたのだろう。その手ぶらになった中段に、上腕の迎撃用手斧と円盾を持ち替え──ようとして彼は、寒さに操作が狂ったのか盾の方を取り落としてしまう。
忘れてはいない。相手は、素手で石像の頭を粉々にする剛力の主だ。まともにやり合えば相手にならないことはわかっている。それでも。
──いま、ここで決める!
僕は【浮揚】の出力を上げてさらに重量を軽減しつつ、前傾姿勢で暗黒騎士に向かい一直線に駆け出していた。
「クッ──!」
兜から洩れる短い嘆息。手斧をかまえて迎え撃つ彼はしかし、再び荷袋の口が開く可能性を考えてしまい、下手に動くことができないのだろう。そこに。
「喰らえっ!」
僕はショルダータックルの体勢で突っ込む。
最後の踏み込みに【増強】を上乗せしつつ、同時に【浮揚】の出力を抑えて重量を上げた背中の荷袋を、暗黒騎士にぶちかます!
受け止めようと身構えていた暗黒騎士は、想定以上の大質量の直撃を受けてたまらず背中から石畳に倒れ込む。
荷袋と共にその巨体を押し倒した僕は、そこで再び【浮揚】を調整した。
そう、解除ではない。荷袋本来の凄まじい全荷重をもってしてもこの鎧を砕くことはできないと、右腕の手甲で実証済みだ。だからここで僕が使うのは。
「【浮揚】、反転──」
日々、【浮揚】の微調整を繰り返すなか、出力を弱めることで重量を増やす、という操作の応用として、いつの間にか使えるようになっていた派生魔法がある。
それはいわば器用貧乏の向こう側──冒険者協会なきいま正式な認可は受けられないけれど、おそらくは僕の固有魔法だ。
「──【加重】!」
瞬間。周囲の空気が透明度を増して、視界に映るすべての色が鮮やかに変わったのと同時に、荷袋に猛烈な、支え切れない下向きの力が発生する。
ただでさえ凄まじい荷袋の素の重量が、僕の魔法で瞬時に何倍にも増大したのだ。
しかもこの魔法、実際に試すのはまだ数度目で、荷袋に対してしか使えない上に効果の微調整もできない。
発動したら最後、僕の魔力が尽きるまでひたすら出力──重量が増大するのだ。だからこそ、確実に仕留められる場面でしか使えない。
石畳と荷袋に挟まれた鎧がみしみしと軋む中で、騎士の黒い兜が転がり落ちる。僕の胴まわりぐらいはある首穴から、青白い何者かがするりと這い出していった、次の瞬間。
──ずん、というシンプルな音とともに、暗黒騎士を中心に石畳が陥没し、巨大なクレーターが出来た。そして深い深いその底で鎧がぺしゃんこに潰れたのと同時に、僕の魔力も底をついていた。
超加重荷袋は、ただ凄まじく重いだけの荷袋に戻っていた。
「終わ……った……」
呟きながら、魔力切れでびくとも持ち上げられない荷物から腕を抜き、ふらふらと立ち上がる僕。
その前方で膝を抱えぶるぶると寒さに震えているのは、漆黒の長髪と病的に青白い肌をした、僕と変わらない年ごろの少女だった。
彼女の髪からのぞく耳の尖った先端と、額の真ん中に生えた小さな角、そして作り物じみて見えるほどに整った美貌が、ただの人間ではないと主張している。だから実年齢は、凄く年上かも知れないし下かも知れない。
「クッ、おおおまえのかかちちだっ、ここっこ殺せッ!」
がちがちと歯を鳴らしながら彼女は言った。兜を通さない素の声は、すっかり少女らしいものになっている。
僕は中古剣の柄に手をかけつつ、ゆっくりと歩み寄っていく。
「そそれとも……はは恥ずかしめるきかっ……!」
震える鮮青の瞳でこちらを睨みつけてくる。
ぎゅっと抱えた膝の向こう、たぶん薄くて面積の小さな衣類を身に着けているようだけれど、そのへんから必死に目を逸らししつつ僕は、彼女の華奢な肩に自分の濃紺色のジャケットをそっと羽織らせた。
「……え……」
「しないよ、何も。きみだって、あの男の子を傷つける気はなかっただろ。たぶん、街の人のことも」
そう、あのとき彼女が男の子に振り下ろした魔剣には、一切の殺気がなかった。
僕がこれまで勇者と共に対峙してきた魔十将たちの中に、そんな「人間味」を垣間見たことは一度たりとてない。
「きみは鬼人だろう? たぶん、人間として育てられた」
鬼人。高位になるほど繁殖能力が劣っていく魔族たちが、人間と交わることで産んだり産ませたりした半魔のこと。
そのほとんどは、物心つかないうちに魔族に連れ去られ、尖兵として育て上げられる。
しかし時折、魔族の手を逃れ人間として育てられる者もいた。
「…………」
彼女の沈黙が、僕の問いかけを肯定する。
成長するにつれ魔族としての特色が強くなるから、最終的には魔族にバレて連れ去られ、洗脳されてしまうのだが。中には彼女のように、人間としての意志を色濃く残し葛藤し続ける者も、ごく稀に存在するのだ。
彼女はきっと、勇者一人を倒すことで、この街の全員の命を守ろうとしていたのだろう。
「……どうせ、もう終わり。私が秘宝を手に入れられれ……られなけれれば、奴が動く……」
淡々と、言葉を紡ぐ。まだ口が回り切っていないせいで、緊張感は台無しだったけれど。
「魔十将──焔獄法師ゾルフェルドの手で、この街ごとすべて灰燼に帰すだけだ」
……えっ。魔十将、まだいるの? 呆然とする僕の耳に、頭上からたくさんの歓声が飛び込んできた。見上げると、クレーターの縁から数人の住民たちがのぞき込んで、満面の笑顔で手を振っている。
もちろんその中にはサリアさんもいて。彼女は斜面をすべり下りると、こっちを見つめてまっすぐ駆け寄ってきた。──ゴクリと唾を飲み込む僕。
その勢いのまま彼女は、ひしと抱き着いていた。僕の横を通り抜けて、鬼人の少女に。
「エルザ! どうして、あなたが!?」
「サリアちゃん……街を守れなくて、ごめん……」
──鬼人には、魔族の手を逃れ人間として育てられる者もいる。
「エルザなら、話してくれれば良かったのに」
「だって、秘宝なんか無いのは知ってたから。せめて勇者の首を持ち帰ればと思ったの……」
二人の会話にいろいろと察しながら僕は、思わず心の声を漏らしてしまう。
「勇者は、どこほっつき歩いてるんだよ……」
◇ ◆ ◇
──同じ頃。
旅人だろうか。
土色のフード付きマントで身を覆った細身の長身が、人のいない街角でしゃがみ込んでいた。
その視線の、先からは。
みゃー
愛らしい鳴き声がする。
短毛で、白地にうっすら縞の浮かぶ茶のハチワレ柄。まだ幼さの残る顔つきは、生まれて一年も経っていない仔猫だろう。
首輪には、月長石とおぼしき乳白色のちいさな宝石が揺れていた。
「きみはどこの子かな~? なんで街に人がいないか、知ってますか~?」
旅人は目深にかぶったフードの下から、まさしく猫撫で声そのもので話しかける。
んみゃ?
首をかしげる仔猫と同じほうに顔を傾けながら彼は、「はあああかわいいねえ」と溜め息まじりに惜しみない賞賛を贈るのだった。
──ずん、と足元から振動が伝わってきたのは、そのとき。少し遅れて、歓声らしきものが微かに聞こえた。
「あっちか」
立ち上がって呟いた旅人の足元で、仔猫が唐突にフーッと威嚇の鳴き声を放ち、そのままどこかへ走り出す。
「あっ、驚かせちゃったかな~? ごめんねえ~」
旅人の心底から申し訳なさそうな声を尻尾で受けとめつつ、仔猫は荷物や棚や、窓枠をぴょんぴょん巧みに足場にして、屋根の上に駆けのぼる。
そのまま屋根伝いにしばらく空の下を駆け抜けた先で、ふたたび威嚇しながら上空を見上げた──そのずっと先に、真っ赤な長衣をまとった大柄な老人が浮かんでいた。
「……だから儂は言ったのだ。いかに魔王の血族であろうと、将に成りたての、ましてや鬼人の小娘なぞに任せるのは愚策に過ぎると」
彼は空中でぶつぶつと呟いている。年輪のように無数のしわが刻まれた青銅色の肌と、瞳のない血色の目。たてがみのような白髪の内側から伸びる、長大でねじくれた二本の角。
──明らかに人ならざる魔族。そう彼こそが第二の魔十将・焔獄法師ゾルフェルド。
「まあよい。手筈通り、街ごとすべて灰燼に帰すまで。鬼人の娘もろともにな」
にたぁり、邪悪な笑みを浮かべた彼は、長衣の内側から差し出した皺だらけの右手を天に掲げると。
「焔獄鏖滅球」
呪言と共に頭上に出現したのは、真紅に輝く巨大な火球だった。
十年前の三王国襲撃時、強固な結界で守られた魔導国家モルヴォイドを一夜で焦土と化したのは、上空から降り注いだ真紅の火球だったという。
いま焔獄法師の頭上に燃え盛るミニチュアの太陽のような火球が、まさしくそれだった。この街の規模なら一発でも充分、魔導国家と同じ末路を辿ることだろう。──そう、この法師こそ十年前に三王国の一角を滅ぼした、張本人である。
「……ふむ。あまり強火に過ぎても、苦しみ悶える人間を眺める愉しみがなくなるか?」
身の丈の三倍近い火球を見上げニヤつく彼は、ふと眼下から聞こえる小さな威嚇に気付く。
「フン……身の程をわきまえぬゴミめ。消えるがいい……!」
唾を吐くように言って火球を、屋根の上で鳴く仔猫に目掛け、悠然と送り出していた。灼熱の滅びを内包したそれは、ゆっくりと仔猫の方へ落下してゆく。
直ぐに、溢れた紅蓮の炎が街のすべてを覆い尽くし、阿鼻叫喚の地獄絵図が拡がることだろう。そう確信して邪笑う法師の眼前で──火球が、割れた。
「──は?」
中心から、縦にきれいな真っ二つに割れた。生じた隙間から見えたのは、屋根の上で仔猫を左腕に抱え上げた、土色マントの旅人の姿だ。
マントの下から、革鎧さえまとわない鈍色のレザージャケット姿がのぞき、その細身の右腕には、抜き身の太刀を無造作にぶら下げている
「おまえ──ねこさんに、何をする」
先ほどの猫撫で声とは打って変わった、凄みのある声。しかし同時にそれは、耳に心地よく通る美声でもあった。
その左右で、状況的に旅人がその手の太刀で両断したとしか思えない火球は、空気に滲むように霧散した。
──そんな、馬鹿な。起爆させず真っ二つに斬るなどという芸当ができるものか。
しかも、そのまま消滅したということは、火球の真中にある小指の先ほどの魔力核ごと両断したということだ。
あり得ない。まぐれだとしか思えない。しかし。
驚愕し動揺しつつも法師は、瞬時に相手を全力で滅すべき障害と認定する。
その冷徹な切り替えができてこそ法師は、永きにわたって魔王軍最強の大魔法使いという名声を欲しいままにしてきたのだ。
「焔獄惨千弾!」
法師の全周囲に出現する、無数の小さな火球。一発ずつでオーガ一匹を焼き殺す威力のあるそれが、異なる軌跡を描きながら高速で旅人に殺到し、一瞬で灰も残さず焼き尽くしていた。
──まとっていた、土色のマントを。
「あ?」
間の抜けた声を上げる法師の目の前に、身長の数倍を軽々と跳躍した旅人の、しなやかな細身の長身があった。
フードの下から露わになったのは、銀灰色の猫毛に縁どられたシャープな顎のライン。凛々しくも美しい弧を描く眉の下には、底なしの深さを湛えた青灰色の瞳と、真っすぐ通った鼻筋に薄い唇。
──その美貌に、魔族である法師でさえ見惚れていた。
ふしゃーっ!
旅人の左腕で、仔猫が法師を威嚇する。それで法師は我に返る。
「何なのだ、きさまは!?」
ぶら下げていた右手の太刀の切っ先を、天にゆらりと掲げつつ、彼女は当然のように答える。
「──勇者だが?」
その無造作な一挙手だけで既に──かつて王国ひとつ一夜で滅ぼした焔獄法師ゾルフェルドの体は、正中線から僅かもずれることなく、真っ二つに両断されていた。
「……ああ、そうか……」
両断されたまま発した法師の最期の言葉は、なぜか恍惚としていて、そして彼の体は左右に裂けるように炎上し、塵となって消えた。
その塵の降るなか路地に身軽に降り立った男装の女勇者──リュクト・アージェントは、腰の鞘に太刀を納めて、足元に仔猫をそっと降ろす。
「あぶないからね、ああいう変質者には近付いちゃだめだよ」
そして再びの猫撫で声で仔猫に言い聞かせると、上空から目の端に捉えた街の中心、人影の見えた広場に次の目的地を定める。
「確か、こっちだったな」
軽い足取りで歩き出したその方角は、広場とは真逆だった……。
見送っていた仔猫は、しばらくしてから「みゃあ」とひとつ鳴き、とてとてと勇者の背中を追いかけていくのだった。
◆ ◇ ◆
「──で、この首輪にぶらさがってるのが、世界を滅ぼす秘宝ってこと?」
翌日。宿屋兼大衆食堂である「鹿角兎亭」一階のテーブル席にて。
僕は暗黒騎士エルザイン──の中の人だった鬼人の少女、エルザに改めて問いかける。
「ああ、私の聞いた『刹晶石』の特徴と符合している。何より、それの内側からすごく……嫌な感じがする」
たしかに、微かだけれど何らかの魔力は感じられた。
「だから、ナントカ法師もその猫に手を出したのかな」
「焔獄法師ゾルフェルド。まあ、奴はもともと、街ごと焼き尽くせばいいと主張していたから……」
形の良い眉をひそめながら、テーブルの真向いで静かに答える彼女には、この街で暮らしていたころ着ていたという青系のワンピースがよく似合っていた。
額の角を隠すように一直線に揃えた前髪がまた、お姫様みたいで、うん、なんというかすごく良い。
「あれ……トアル様、エルザのことそんなに気に入ったの?」
テーブルの右手側から、膝の上に丸くなったハチワレの仔猫──秘宝の持ち主を撫でつつ、悪戯っぽくサリアさんが問いかけてくる。
「いっ!? いえいえ、そういうんじゃなくて、ただなんていうかほらあれですよ、客観的に、かわいいなって思っただけで」
「かわっ──!? ぐっ愚弄するのもいいかげんにっ!」
蒼白い頬を真っ赤にして、エルザはきっと睨みつけてくる。怒らせてしまったらしい。うーんだめだ、やはり僕には女の子がさっぱりわからない。
「ごめんなさいね、トアル様。エルザったらツンデレなとこあるから」
「サっサリアちゃん変なこと言わないで!」
「あ、あの、せっかく再会した幼なじみなんだから、喧嘩はやめましょうよ!」
割り込む僕に、くすくす笑うサリアさんと、憮然とした表情のエルザ。ああ、いいなこの空間、なんだか幸せな気持ちになってしまう。
──昨日、あの激闘の後。
もうひとりの魔十将、焔獄法師の魔力が、戦闘体勢に入った直後に完全消滅した──おそらく何者かに瞬殺された──というあり得ない事実に混乱するエルザだったが、僕にはだいたいの察しがついていた。
そんなことができるのはうちの勇者──人類最強と名高いリュクト・アージェントしかいないだろう。
しかし翌朝になっても一向に姿を現さない彼女。そこで僕は恥を忍んで、自警団のみなさんに捜索の手伝いをお願いしたのだった。
結果、路地裏でみゃーみゃー鳴く仔猫に導かれ、その先で空腹にへたりこんでいた勇者を発見したのは……捜索隊ではなく、独自捜査を敢行していた例の小さな男の子だった。
というわけでいま、勇者リュクトは僕の背後の席で、テーブルいっぱいのご馳走を片っ端から平らげている。同性のはずのおかみさんや給仕の女の子たちが、その姿をうっとりしながら眺めている。
──まあ、この勇者と旅をしていれば、わりとよく見る光景だ。
「と、ところで刹晶石って、確か……古の鬼神を封印した石の呼び名だったような……」
荷袋の奥に収納された稀少秘宝のひとつに、【自動年代記】という鈍器として使えそうな分厚い本がある。
そこには神話の時代にさかのぼる世界の成り立ちから、人間と魔族の戦いの歴史までが事細かに延々と記され、魔王の撃退から百年後の復活、そして三王国の滅亡まで到り、そこから後半はすべて白紙になっている。
その名の通り、自動的に世界の歴史が記されていく魔本なのだ。
と言うとすごく便利そうだけど、「歴史」として確定するまでに十年ほどのタイムラグがあるらしく、いま世界中で起きてることをすぐ知るような千里眼的な使い方はできない。
まあとにかく、わからないことがあれば何でもすぐ聞いてくる上、答えられないと不機嫌になる勇者に即答するため、僕はこの本の内容をそれなりに頭に入れてある。
わりと、歴史の闇に葬られた真実みたいなことも普通に書いてあるので、内容を喋るときには気をつかうのだけど、このへんは問題ないはずだ。
「古の鬼神……もしくは破壊神、【悪姫羅刹】ラクシャーサ。手の付けられない暴れん坊で、神々と魔族と人間が協力してようやく『封印』できた……らしい」
であれば、世界を滅ぼすという話にも納得はできる。そしてもしかすると、魔王はこれを脅威と捉えている可能性もある。
「へええ……トアル様って、強いのに物知りで、なんだか凄いね」
そこにかけられたサリアさんの優しい言葉に照れまくる僕。
基本的に誰からも褒められないので、どう反応すればいいのかわからないのだった。
「いやあ、僕なんてただの器用貧乏ですから」
「ただの器用貧乏が、魔十将を倒せてたまるか……」
エルザも不機嫌そうに同意する。これはこれで嬉しい。
「それはそうだけど、たまたま色んな事がかみ合っただけで」
「噛み合わせられるのが、凄いことなんだよ。なんでもこなせて、それを使いこなせる、トアル様は器用貧乏じゃなくて──」
サリアさんは僕の目を真っすぐ見つめながら、言うのだった。
「──万能、なんじゃないかな」
万能。なんて魅力的な響きの言葉だろう。いまの自分がそれに相応しいとは到底思えないけれど、そのとき僕は、自分の目指すべき道がぱっと明るく照らされたような気がした。
これが天啓と言うものだろうか……さすが、元・女神の巫女……。
「……でもそれじゃあ、このにゃんこが、その鬼神だったりしてね」
しかし、当のサリアさんはもう元の話題に戻って、言いながら膝の上の猫を覗き込んでいた。
──みゃあ。
仔猫は肯定するようにひとこえ鳴いた。いやいや、そんなはずないでしょ、さすがに。
「さっき聞いたんだけど、うちの曾祖母様が子供のころにもそっくりの猫を見かけたことがあるって……」
「へ……へえ……」
とりあえず、この猫の名前を「ラクシャ」にすることと、不用意に首輪から石を外すのはやめておこうね、というのがこの場で下された結論だった。
ちなみにその曾祖母様は、いまは勇者のテーブルの正面に陣取っておられる。
「──馳走になった」
その熱い視線の先で、勇者が口元をナプキンで拭いつつ、綺麗に空になった食器類を前に立ち上がった。女性陣の視線がナプキンの行方を追っているが、全員が牽制しあって誰も動けない。
「あ、お代はけっこうですので! よろしければ今晩は、うちにご宿泊を……」
そう言うおかみさんは、きのう僕を部屋に案内した時よりお化粧が完璧だった。
「いや、美味の対価は支払わせてくれ。それと、申し訳ないが先を急ぐ旅でな、このあとすぐに発つつもりだ」
迷子の行き倒れ勇者がどの口で、と言いたいところだが──まあこれも、彼女と旅していればままあることだ。とにかく自由気まま、方向音痴、そして人間には無愛想。好きなものは猫とそれから、「強敵」との戦い。
そう、いわゆる戦闘狂というやつだ。彼が勇者をしているのは、たぶんそれがいちばん「強敵」に巡り会えるから。
この街にはもう、魔十将はいない。だからさっさと次の街に向かうというわけだ。
ちなみに、旅の最終目的は魔山嶺にあるという魔王の玉座。しかし、そこまで一体どのくらい掛かるかは誰にもわからない。エルザの話では、魔十将にさえその真の場所は知らされていないらしい。
そんなわけで、魔物狩りの賞金で常にそこそこ余裕のある財布からお代を支払い、僕個人の財布はそこそこ寂しいので宿代は遠慮なくサービスしていただきつつ。
僕ら主従は「鹿角兎亭」を後にするのだった。
さっさと先に立って歩く勇者の足元を、仔猫が付いていく。早く行かないとまたどこかに迷い込んでしまうことだろう。
僕はそれを目で追いつつ、ドアのすぐ傍らにでんと鎮座させてある【暴食の背負袋】を、ほぼ無意識で発動させた【浮揚】と共に背負い上げる。
そして歩き出そうとした目の前に──エルザが、うつむいて立っていた。
「大丈夫。勇者のことは、みんなが門まで案内しておくって」
見ると、店にいた女性たちが大挙して勇者を追いかけていく。その最後尾から、意味ありげな笑みを浮かべたサリアがこちらを一瞥して手を振り、そのまま一団に紛れていった。
「私は魔王軍に戻って、焔獄法師が倒され秘宝は勇者の手に渡ったと報告する」
足元を見つめたたまま、淡々と話しはじめる鬼人の少女。まあたしかに、どうやらあの猫は勇者が気に入ったようだし、勇者の方は言わずもがなだから、結果そういうことになるだろう。つまり、嘘はついていない。
「大丈夫なの?」
「ああ。それで、もうこの街が襲われることはないだろう」
「それもあるけど、エルザにお咎めとかないのか、心配だなって」
「……ぼ……っ……!」
エルザは謎のリアクションののち、しばらく沈黙する。また怒らせてしまったのかと冷や冷やする僕だった。
「……余計な、お世話だ。それに、お前たちの方が狙われることになる可能性が高い。他人の心配してる場合じゃないだろう」
「なるほどそうだね。でもまあ、うちの勇者様的には願ったりかなったりじゃないかな」
「そうか……。それと、これなんだが……」
そして彼女は後ろ手に持っていたものを差し出す。その綺麗に折り畳まれた紺色のジャケットは、きのう僕が彼女の肩にかけたものだ。
「ああそうか。忘れるとこだった、ありがとう」
しかし彼女は何を思ったか、僕に渡す前にそれを思いっきり胸に抱きしめる。
「って何を──」
驚きつつもその愛らしい仕草になんだか胸が高鳴ってしまった僕に、彼女はそれを押し付けるように渡しつつ、言うのだった。
「その服、いま私が魔族の呪いを掛けた! もし他の人間の肩にかけたりしたら、そいつを呪い殺すから!」
「えっ……!? わ、わかった、たぶんもうそんな機会ないと思うけど、気を付けるよ」
僕は困惑しつつも、エルザに伝える。
「このジャケットをかけるのは、きみだけだ」
瞬間、彼女は目を見開いて僕の顔を見つめ、それから無言で背を向けてものすごい勢いで走り去ってしまった。その顔は、尖った耳の先まで真っ赤だった。
……また、怒らせてしまったのだろうか。
やっぱり、しょせん器用貧乏な僕には、気になる女の子との距離を縮めるとか、そんなことはできやしないのだ。なにせ一番身近な女性が勇者だし……。
落ち込みつつ、いったん荷袋を置いてジャケットに袖を通す。
魔力はまったく感じないので、呪いの話は冗談だったのだろう。
代わりに、ほんのりと甘い残り香りがした。
……いつかまた、会えるといいな……。
そして僕が街の門に着いた頃には、お見送りは住民総出の規模に膨れ上がっていた。
例の小さな男の子が、千切れそうな勢いでぶんぶん腕を振ってくる。
彼の首に掛けられているメダルは、勇者が子供の頃に故郷の武闘大会で三連覇したときの、殿堂入りの証だったはず。それあげちゃうんだ……。
たくさんの感謝の言葉を背に街を後にする。何度か経験したことだけれど、今回はその感謝が勇者だけじゃなく僕にも向けられている。
なんだか不思議な、でもあたたかい気持ちになりながら、後ろ髪を振り切って僕は、木々の間の街道を歩く。
一度だけ振り向いたとき、豆粒みたいになってもまだ手を振っているサリアさんの横に、エルザが立っているのが見えた気がした。
「ああ、そう言えばトアル。おまえ」
と、前を歩く勇者が、振り向かずに声をかけてきた。ちなみにラクシャは、その肩にちょこんと乗っかっている。
「どうかしました?」
はいはい、またなにか無茶ブリですか? と思いつつ応じる。
でもいいんだ、そうやって何にでも対応していくことが、僕にとっての強さになる。目指せ、万能!
「よくやったな」
まさかの言葉に、一瞬かたまってしまう。褒められたのはたしか、キンキンに冷えたフルーツオレを砂漠の真ん中で出したとき以来だろう。
「はい!」
そんな僕の返事に答えるように、勇者の肩で仔猫が「にゃあ」と鳴いた。
◇ ◆ ◇
さてさて。勇者と従者と仔猫の旅は続くけど、このお話はひとまず幕とさせていただこう。
ただ、ひとつだけ付け加えるなら──。
十年後この一連の出来事によって、はじめてトアルの名が【自動年代記】に刻まれた。
ゆえにこのお話は、やがて【最強の勇者】リュクト・アージェントに並び立ち共に魔王を討ち倒す彼──【万能の勇者】トアル・ポアールの、はじまりの物語である。
(長めの短編を最後までお読みいただきありがとうございます)