■1■ ポシェットワンピの女の子
「さよーならー」
私は大きく手を振って電車の窓からおばあちゃんに別れを告げた。おばあちゃんも軽く手を振ってくれている。
結局おばあちゃんのところには三日も泊めてもらってしまった。進は一日中外で遊んでいたし、私も一日外に出て畑の仕事を手伝ったりした。彩お姉ちゃんは、私と一緒に手伝ったり、やっぱり勉強を全くやらないのもいけないって言って勉強したり、と何かと忙しそうだった。
「気ーつけて旅せぇー」
おばあちゃんの姿がだんだん小さくなっていき、ついには見えなくなってしまった。
「ふぅ……こことも今日でお別れ、か」
私はがらがらの電車の中でだらっと腰を下ろしてつぶやいた。
「何ばばくさいことやってんの」
隣に座っている彩お姉ちゃんが挑発的な言葉を投げかけてくる。
「だってー暑いもん、暑いもん、暑いもーん!!」
「千歳お姉ちゃん、周りの人に迷惑だよ」
彩お姉ちゃんの陰から、進がおずおずと顔を出した。
「大丈夫大丈夫。誰もいな……」
私は言いかけて止まってしまった。いつの間にか斜向かいの席に初老の老婦人が微笑みながら座っているじゃぁないですか!
「すみませんねー、この子、まだまだ子供で」
彩お姉ちゃんが老婦人にぺこりと頭を下げて話しかける。私は気まずさと恥ずかしさでどうすればいいのか分からなくて、老婦人と彩お姉ちゃんを見比べてしまった。そんな私を無視して彩お姉ちゃんは手を私の頭に当て無理やりお辞儀させるから、私は為す術も無く頭を下げてしまう。
もう彩お姉ちゃんったらーっ!
「いえいえ、賑やかでよろしいんじゃありませんか」
老婦人はにっこりと微笑んだ。
「わぁ、海だー!」
私が彩お姉ちゃんの背中でもつねってやろうかとした時、進が声をあげてはしゃぎだした。窓の外には、綺麗に光を反射するアクティブな海が悠々と広がっている。目を凝らして見ても青空と海の境界線が分からないほどの快晴だった。
「へぇ、進って海は見るの初めてだっけ」
彩お姉ちゃんが進に話しかける。
「うん! テレビで見たことはあるけど、本物を見るのは初めてだよ!」
「そっか、わたしは小さい頃よく連れてってもらったけどな。千歳は?」
「海ー? あ、そう言えば、海でイカ皇帝とタコ教皇に出くわして、縄張りを巡る抗争に巻き込まれた事ならあるよー!」
「……?」
一瞬の沈黙。
「大変だったんだからー。巨大な二匹の許に手下が集まってきたと思ったら、途中から蟹大王も登場するしさーまさに三つ巴の大乱闘。危うく死ぬかと思った!」
「それって、夢の話……?」
「そだけど?」
再び沈黙。ふぅーとため息が漏れる。
「あー! 今『千歳なんかに聞くんじゃなかったぁ』とか思ったでしょ!」
「ぴんぽんぴんぽん大正解ー」
「やった、正解♪じゃなくて!」
彩お姉ちゃんはそっぽを向いてしまった。ちょっと寂し……ううん、悔しいぃっ!
「わぁーきれいだなー」
私は窓の外を見ながら、開き直って棒読みで言った。
「本っ当にあんたって人は……」
怒ってるのか呆れてるのか……どっちでもいっか。
「くすくすっ……」
ん? と思って電車内に目を戻すと、いつの間にか幼い、八、九歳くらいの少女が老婦人の横にちょこんと座っていた。小さなポシェットに、薄いレモン色のワンピース、ちょっと金色のかかった髪を肩まで伸ばした姿は、可愛いとしか表現のしようがないっ!
「この子はわたしの孫でね。夏休みの間預かってるんですよ」
穏やかな口調で老婦人は言った。
「今日はどちらに行かれるんですか?」
「この先の、百合丘駅に。今日はこの子の父親の命日でね……」
老婦人は表情にこそ悲しみ一つ見せなかったが、その声色にはちょっぴり寂しさが感じられた。
「おばあさま、まだ降りないの?」
「まだですよ。あと……」
「駅三つ分、ここからだと約十八分!」
進が身を乗り出して言った。老婦人はたいそう驚いた様子。少女はきょとんとした様子で進を見ている。
「まぁ、随分お詳しいんですね。この近辺の人ですか?」
「いえ、三人で旅をしているんです」
彩お姉ちゃんが丁寧に言葉を返す。
「まぁ、その年で旅なんて大変でしょうに。どちらに向かわれているんですか?」
「目的地もないんですよ。気の向くまま、風の吹くままに旅をして来い、と母が」
老婦人は驚いた後で、うなずいて感心した。
「まぁ、それは楽しそうですね。わたしの息子、この子の父親も旅が好きでね。学生時代は夏休みになると毎年友達と電車で旅に出ていたんですよ」
「旅が好きだったんですね……ここで会ったのも何かの縁ですし、百合丘でご一緒してもいいですか?」
「ええ、ええ。あの子、賑やかなの好きだから、きっと喜ぶでしょう」
老婦人は穏やかな笑顔でうなずいた。少女は少し退屈なのか、老婦人に頭をもたれさせて脚をぶらぶらと遊ばせていた。