■3■ そよ風の舞う丘で
ふわりとした風が、丘の上を踊って流れていく。私は彩お姉ちゃんの側に近寄った。
「彩お姉ちゃん、睦月家に行っちゃうの……?」
帰っちゃうの?とは聞きたくなかった。
「…………」
彩お姉ちゃんは何も言わず、木に手をかけたまま遠くを見つめる。なんだか、不安になってきてしまった。
睦月家の二人……彩お姉ちゃんの、本当のお兄さんとお姉さんは、それはそれはすごくいい人たちだった。口数は少なめだけど、凛とした佇まいと親しみのある口調で頼りがいのあるお兄さん。落ち着きのある物腰、丁寧な言葉で優しい雰囲気を持つお姉さん。あの威厳に満ちた婆様に育てられた二人の孫は、その気品の高さが一挙一動からひしひしと伝わってくるほど立派な大人になっていた。五つも年は違わないはずなのに、そこには超えられない壁みたいなものを感じた。
何でも出来ちゃう優秀な彩お姉ちゃん……この二人と私を並べられたら、きっとおちこぼれの私なんかよりこの二人の方が彩お姉ちゃんの姉妹兄妹に見えちゃうんだと思う……実際そうなんだけど……。
彩お姉ちゃんの……本当のお母さんも、彩お姉ちゃんのことはすごく気にかけているのが言葉の一つ一つから分かった。幼い頃に睦月家に来た時には全然気付かなかったけど、今思い返すと、睦月家のお母さんが彩お姉ちゃんを見る目はすごく優しかったと思う。それは、母親が子に向ける慈愛の眼差しそのものだった。彩お姉ちゃんの近況は私達のお母さんから細かく聞いていたらしく、私達の直近のことまで把握してくれていた。
そして……彩お姉ちゃんはそんな人たちから、彩お姉ちゃんさえよければ睦月家に戻ってきて欲しい、と誘われたのだった。
普通なら今更そんなこと言われても……となるけど、睦月家には恩もあった。女手一つで三人の子供を養うのは大変で……昨日お母さんに電話した時、彩お姉ちゃんの養育費の一部を睦月家から出してもらっているという話を聞いた。高い学費のかかる私立学校に娘を二人も通わせることができているのは、睦月家の支援があってこそだったのだ。そういったこともあって、無理強いはしないけど、少し検討だけでもしてみるように言われたのだった。
お母さんってば、こんな重要なことをずっと隠してただなんて! そもそもお母さんは、彩お姉ちゃんがいなくなっちゃっても寂しくないのかな……。
「ねぇ千歳……もしわたしが睦月家に行くって言ったら、どうする?」
彩お姉ちゃんは私に向き直って言った。胸がドキンと高鳴る。
「わ、私は、彩お姉ちゃんと、一緒にいたいよ……」
今まで押しとどめていた、彩お姉ちゃんがいなくなるという不安が急に胸にせり上がってくる。
「ちょ、ちょっと、泣かないでよ! 別に行くって言ったわけじゃないんだから」
「な、泣いてなんかない……もん……」
気付いたら、泣いてたみたいだった。彩お姉ちゃんを見てられなくなって、顔をうつむける。
「もぅ、千歳ったら……ほんと、手のかかる子ね」
彩お姉ちゃんは困ったような笑顔で私の頭をなでてくれた。
「もう高校生なんだから、泣かないの。ね?」
「でも……だって……」
いつもだったら、こんな子ども扱いされたら怒るけど。私は、どうしようもなく子供だったんだ……と気付かされた。
こんなんじゃいつまでたっても彩お姉ちゃんみたいにはなれないや……と思ったら、また涙が出てきた。
「ほらほら、千歳だってお姉ちゃんなんだから……進が心配してるわよ?」
言われて顔を上げると、進が隣で心配そうな表情を浮かべていた。
「その……何て言ったらいいのか分からないけど……彩お姉ちゃんも、千歳お姉ちゃんも、本当のお姉ちゃんじゃなくても、同じくらい、大好きだから……」
そう言った進の目にも涙が浮かんでいた。
「進……」
私だって進のお姉ちゃんなんだもん、しっかりしなきゃダメだよね!
少しだけ、自分を鼓舞する。私はハンカチを取り出し、進の頬にあてがう。彩お姉ちゃんを見ると、軽く目が合った。
「ほんっと、二人とも……心配になるったらありゃしないんだから」
彩お姉ちゃんは片目をつむって私と進の頭に手を乗せた。
「わたしがよそに行くわけないでしょ?」
彩お姉ちゃんは、笑顔で続ける。
「そりゃあ確かにびっくりはしたし、今までも気にかけてくれてたのは分かったけど……やっぱり、わたしはいつまでも如月さんちのお嬢さんよ」
場を和ませようとしてなのか、少し冗談交じりに声のトーンを上げて言う。
「彩お姉ちゃんっ!」
私は嬉しくなって、彩お姉ちゃんに思いっきり抱きついた。彩お姉ちゃんが少しよろける。
「わわっ、ち、千歳!?」
「彩お姉ちゃん、好きー!」
「全くしょうがない子ね……」
彩お姉ちゃんは、温かい手で私の頭を優しく撫でてくれたのでした。